第六話 六時の幽霊
あれはモノノケかもしれない。
年が明けた正月一日、山寺の住職、
寺は毎日、朝夕六時に鐘を撞くことになっている。
はたして時報としての寺の鐘が昨今、市井の人々にどれほどの意味を持っているのかは疑問だが、止める理由がない以上、習慣として続けていた。
もちろん元日も朝の鐘は欠かさない。
起床して冷たい水で顔を洗い、作務衣の上に半纏を羽織ると、懐中電灯を手にして境内に出た。
朝六時と言えば、夏であれば太陽が高々と登っている時刻であるが、一月だとまだ真っ暗だ。にわかに東の水平線がぼやけているという程度にしか、朝を感じることができない。
洪源が懐中電灯のスイッチを入れると、円形の光が境内の地面を照らした。
寝るのが遅かったためか、いつもより空気が冷たく感じる。
昨夜、夜11時半から撞き始めた除夜の鐘が最後の108回目を終えたときは、日付をまたいで歳が明けていた。神社であれば夜12時を過ぎると同時に初詣の参拝者がやって来てもおかしくないのだろうが、寺にはまずいない。しかも洪源が住職を務める寺は、標高300メートルほどの小高い山の上にある。寺に至る道は境内のすぐ手前まで細いながらもアスファルトで舗装されていて、車で登れるようになっているが、わざわざこんな辺鄙な寺を新年の祈願の対象として選ぶ人はあるまい。
にも関わらず、あの女は正月早々、今日もやって来ているのだ。
本堂の賽銭箱横の柱の上に、白熱電球の貧しい明りを夜から朝のあいだには灯してあるのだが、そのわずかな光の下で、女は手を合わせて目をつぶっていた。
この女が、毎朝やってくるようになったのは、いつだろうか。そう前のことではない。つい最近のことだ。
「どうも、あけましておめでとうございます。朝の鐘、鳴らしますので」洪源は女に言った。
女は合わせていた手をほどいて、
「おめでとうございます。おはようございます」そう笑顔で言って、また手を合わせた。
弱い灯りに照らされたその顔ははっきりとは見えないものの、年齢はおそらく洪源より一回り上くらいの40代前半に見える。黒いロングヘアに、細面に目じりが少したれ気味に下がっていて、美人と言って差し支えない容姿をしている。
この女はいったい毎朝、何をそんなに熱心に祈願しに来ているのだろう。身内に病人でも出て、快癒でも願っているのだろうか。
最初のうちは、近ごろ珍しい信心深い人だなと感心していたのだが、こう毎日欠かさず午前六時にやってきて祈る姿を見ていると、不気味にすら思えて来る。
そもそも、あの女はこの山の上までどうやって登って来ているのだろう。寺に続く道に自動車やバイクなどは停まっている様子はない。となると歩いて来ているに違いないのだが、徒歩でこの山寺に至る道を登ると30分近くを要する。朝六時に来ているということは、当然家を出るのは朝六時より前のはずで、真冬の寒い中、そんな早くから女ひとりでやって来るだろうか。
何を祈願しているかは知らないが、うちの寺にはそんなご
いちおう住職なのだから、ほかの参拝者と境内で会ったときと同じように挨拶だけはするが、未だに「おはようございます」程度の言葉以外を交わしたことはない。
いろいろ考えてみて、出てきた結論が、「あれはモノノケかもしれない」というものだった。
成仏しきれない幽霊か何かなのだろうか。それとも、キツネかタヌキの仕業か。
とりあえず名前も知らないその女を、洪源は密かに「六時の幽霊」を名付けることにした。
懐中電灯を足元に置き、低い
ごーん、という間延びした音が響き、寒さと眠気を吹き飛ばしていく。
洪源はもう一度、橦木を引いて、鐘を鳴らす。その音が、暗い夜の重い空気を伝って山の上から下界に響き渡っていくようだった。
鐘撞きを終え、懐中電灯を再び手に持って歩みを進めると、六時の幽霊は変わらず手を合わせて祈り続けている。
その後ろ姿にちらりと目をやると、洪源は
洪源が祖父からこの寺を継ぐことになったのは、3年前。
祖父は息子である洪源の父にも、僧侶になることを強制はしなかった。理由はただひとつ、寺は儲からないのだ。
仏に仕える身で有りながら、寺の維持よりもカネ勘定を優先するとは何事か、というのはごもっともだが、サラリーマンの平均年収の2分の1を大きく下回るほどの収入しかないということになると、背に腹は代えられぬ。観光寺でもなく、檀家を多く抱えているわけでもなく、特別なご利益があるという言い伝えもない山寺は、昭和の時代から赤貧に見舞われていた。しかも寺の収入は、この先減る見込みはあっても、増える可能性はまず有り得ない。
父は高校卒業後に寺を出て街の運送会社に就職し、結婚し家庭を持った。
そんな貧乏寺を洪源が継ぐことになった最大の理由は、洪源が何事をやらせてもダメだったからにほかならない。
子供のころより運動も勉強も苦手で、気の利いた冗談も言えない。せめて顔だけでも色男ならやりようがあったのかもしれないが、好意的に見ても中の下と言ったところだった。
高校卒業後、二浪してなんとかいわゆるFラン大学に入ったものの、就職活動を開始する時期がちょうど不況の真っただ中だったため、怪しげな健康器具を訪問販売する会社にしか就職できなかった。言うまでもなくその会社はいわゆるブラック企業で、毎月山のように高いノルマが課せられ、達成できないと人格まで否定してくるようなやり方でパワハラ上司に叱責された。
そもそもセールス営業などにまったく適性のない洪源は、半年経たず心身を病み、逃げるように退職して実家に帰った。
しかし田舎に帰ったところで二浪Fラン卒でいかがわしい会社での勤務歴しかない、しかも半年経たずに離職した男に再就職先はなかなか見つからず、
「もうお前のような俗世のどこにも使い道のない男は、坊主にでもなるしかあるまい。駆け込み寺じゃないが、うちの寺に入れ」という祖父の助言を
本寺での修業は厳しいものではあったが、ブラック企業のパワハラに比べれば春のそよ風のように感じるほどだった。
3年の修行が明け、祖父母の住む山寺へ副住職として帰ってきたとき、洪源はすでに27歳だった。
それまで元気だった祖父は、跡継ぎができたことで気が抜けたのか、間もなく病気をして遠行した。数え年でちょうど80歳だった。
その後、寺は洪源が住職として正式に就任し、曲がりなりにも一国一城(一国一寺?)の主となった。先ほど書いたとおり、寺の経営は非常に厳しいものだったが、祖母と洪源のふたりが食べていくくらいは、何とかなっている。
六時の幽霊からしゃべりかけてきたのは、2月の半ばだった。
「少し、明るくなってきましたね」
朝の鐘を撞き終わって、庫裏に戻るため六時の幽霊の背後を過ぎ去ろうとしていると、いきなりそんなことを言われた。
「ああ……、はい。そうですね」と洪源は多少戸惑いながら答えた。
冬至が過ぎて2か月近くにもなると、時間は変わらずとも太陽の登りが多少早くなっているらしく、東の空から山の上に灰色の光が届いてくる。
と言っても、やはりまだ夜というべき暗さだろう。白熱電球の明かりのみが、薄暗く六時の幽霊の顔を照らしている。
「毎日来ていただいてますが、何か、御祈願でもお有りですか?」洪源はそう尋ねてみた。
何かお悩みでも、と付け加えようかと思ったが、出しゃばりすぎな気がして飲み込んだ。お悩み相談の相手に寺の住職を、ということは一昔前はよくあったようだが、もうそんな人はほとんどいるまい。
ええ、と六時の幽霊はため息を吐くように唸ってから、
「娘のことが心配で」と言った。
「娘さんが? どこかお悪いのですか?」
「いえ、元気すぎるくらいに元気なのはけっこうなんですが、小さいころから男勝りなやんちゃな性格で。……そろそろいい歳なのに未だに独身で、恋人もいる様子もなく、どうやら結婚する気もないらしくて。良縁が有りますようにと仏様にお願いしてるんですよ」
それを聞いて、軽く洪源は眉間にしわを寄せた。
暗いのではっきりとはわからないが、六時の幽霊はまだ40そこそこ。適齢期の娘がいるような年齢ではない。
自分が聞き間違えたのだろうか。暗くよく見えないだけで、六時の幽霊は50代を超えているのだろうか。
それとも、やはりあれは本当にモノノケなのだろうか。
まさか年齢をずばり訊くわけにもいかないので、
「良いご縁に恵まれると、よろしゅうございますね」そう言って合掌した。
そのまま通り過ぎようとすると、
「ご住職様は、ご結婚されてるんですか?」と尋ねてくる。
自分のような娑婆のどこにも使い道がない人間でも、坊主をやっていれば「ご住職様」などと呼んでもらえることに、改めてこそばゆい気持ちがする。
「いえ、独身ですけど」
僧籍にあるものは妻帯できない、というのはもうずっと過去の話で、寺社の経営はだいたいどこも子孫が受け継ぐ「家業」と言っていいものになっている。まあ、息子が積極的に継ぎたがる寺は、歴史の教科書に載っているような大寺院に限られるため、あちこちで跡継ぎ不足が深刻な問題になっているのだが。
こんな山の中の貧乏寺に、嫁に来たがる人のいるわけはない。それに、俗世にあったときでさえ女にモテた経験は皆無なのに、剃髪した今となってはもはや絶望的だ。洪源は今年30歳だが、結婚はすでに諦めている。自分の死後は、寺は本寺から別の人を派遣してもらうしかあるまい、そんなことまですでに考えていた。
「あらあ」
六時の幽霊は慨嘆するようにそう言って一礼すると、暗い山道を下りて行った。
三月下旬の、春分の日。春のお彼岸。
いつものように洪源は朝六時の鐘を撞きに表に出る。
昼間は暖かくなり、そろそろ桜のつぼみがかすかに色付き始めているが、早朝はまだ風が刺すように冷たい。
やはり六時の幽霊は、本堂の前で手を合わせている。あれから一日も欠かさずやって来ている。
鐘を撞き終えて庫裏に戻ろうとすると、
「どうも、お世話になります」と六時の幽霊が振り向いて言った。
意味がよくわからないながらも、「あ、どうも」と洪源は返事をした。
「今日で、こちらにお参りに来るようになって、ちょうど百日目なんですよ」
それを聞いて、六時の幽霊はお百度参りをしていた、ということにようやく気付く。
そういえば、六時の幽霊が現れるようになったのは、今から3か月ほど前の12月あたりからだったか。
ということは、明日からはもう来なくなるのだろう。
「ご苦労様でした。御祈願が成就いたしますよう、わたくしもお祈りいたします」
洪源は合掌して頭を下げた。
日の出の時刻になり、東の水平線からオレンジ色のグラデーションが空に描かれる。昼の長さと夜の長さが同じになる日の太陽が、六時の幽霊の微笑みを赤く照らしていた。
その日、洪源は午後から一件の法要を依頼されていた。
河野さんというお宅で、江戸時代には藩の家老の職にあった旧家で、もっとも古い檀家のうちのひとつだった。明治期には広い農地を所有する豪農となり、大戦後の農地改革の後は所有する山の麓で大規模な果樹園を開いた。現在の当主の河野次郎氏は農協の理事も務めている。
春のお彼岸に、わざわざ寺の坊主を呼ぶ家庭は少ない。ほとんどが、家族で墓参りに行って仏壇にぼたもちを備え、少し豪華な食事をすると言った程度だろう。
しかし、河野家では今年の4月に十七回忌を迎えるため、せっかくなので春のお彼岸に法事をしようと言うことになったようだった。
重要な檀家さんということで前回までの法要は祖父が行っていたので、洪源が河野家に行くのはこれが初めてだった。
洪源は小型の木魚や経文の入った風呂敷を背中に背負うと、いつものように袈裟姿で原付に乗って寺を出発し、舗装された道を下りた。
河野家に到着したときは、4時を少し過ぎたころだった。「4時頃にお邪魔します」と告げていたので、まあ遅刻にはなるまい。
屋敷はまさに豪邸と言った感じ。ざっと目測しただけでも、家の敷地は200坪以上ある。築百年近くになるであろう木造二階建ての家には、部分的に増築したモダンな建物が多少不格好な印象でくっついている。
左右に3メートルほどある木製の両開き扉のすぐ横にあるインターホンを鳴らすと、2分ほどして扉が開き、洪源よりも少し年上くらいの女性が出迎えた。
「お待たせいたしました。本日はよろしくお願いします」と洪源が言うと、
「こちらこそ、よろしくお願いします。どうぞお入りください」
その女性は河野美知留という名前で、当主の娘に当たると、簡単に自己紹介された。黒髪を無造作に伸ばしていて、身長は高く165センチくらいはあるだろうか。少し低めのよく通る声が、印象的。
家の中に入り、20畳の和室に通されると、すでに親族が集合して座布団の上に座っている。
「どうも、こんにちは。本日お勤めをさせていただきます、井田洪源です。若輩者でございますが、よろしくお願いします」そう言って頭を下げた。
法要の祭壇はすでにきっちと整えられていて、普段は仏壇の奥に仕舞われているであろう位牌が、上段に複数並んでいた。
祭壇の前に座って木魚を準備し、合掌してから顔をあげると、不思議なものが洪源の目に入ってきた。
祭壇の位牌の手前には段には遺影が3つ立て掛けられている。ふたつはおそらく先代のもので、老人と言ってもいい年齢の男女の写真だったが、もうひとつは意外に若い女のもの。その微笑んだ姿で写真に映った遺影は、六時の幽霊にそっくりだった。
今朝、六時の幽霊が朝焼けのなかで「お世話になります」などと言っていた様子を思い出す。
勝手に「六時の幽霊」などというあだ名を付けていたが、あれは本当に幽霊だったのだろうか。それとも、他人の空似だろうか。
とにかく考えるのは後にして、この場は読経するよりほかにない。六時の幽霊こと、在りし日の俗名、
心を落ち着け、
衆生本来仏なり 水と氷のごとくして
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ……
最後の
法事に集まった一同に向かって、正座したまま頭を下げる。
法要の最後には、説教や法話というほど立派なものではないものの、簡単に仏の道などを時事的な出来事や檀家さんの関心ごとを混ぜながら申し述べるものだが、果たして何を話していいものやら。
現在の当主で、十七年前(正確には十七回忌は十六年前になるのだが)に伴侶を亡くした河野氏に、「実は奥様の幽霊が、最近毎朝うちの寺にお参りに来ていただいてまして……」などと話せば、どんな反応が返ってくるだろうか。何らかの感慨を引き起こすことにはなるだろうが、頭のおかしな坊主だと思わる可能性もゼロではない。しかも、「娘さんが嫁にいけないことを気に病んでるみたいですよ」などと言えば、何を無礼なことを言うかと怒鳴られるかもしれない。
黙っておくのが無難だろう。
洪源はそう判断し、簡単に読み上げたお経の内容などを話してのち、河野家を辞した。
帰り道の途中、道端に原付を停め、自販機でミネラルウォーターを購入した。
読経でずっと喋り通しだったため、喉が渇いていた。時刻は午後5時15分。
修行中も含めると、それなりに長く坊主をやってきたが、まさか自分が幽霊を見ることになろうとは。しかも寺で。
もちろん六時の幽霊は幽霊などではなく、実在する生きている人間で単なる他人の空似の可能性もある。いずれにしても、明日からはもう六時の幽霊は来ないのだから、確認する術はない。
500ミリリットルの水を一気に飲み干して、空のペットボトルを自販機横のゴミ箱に入れた。
そして原付のエンジンを掛けようとしたが、キュルキュルという耳に突き刺さる音が鳴るだけで、一行に始動しない。キックレバーを何度か蹴るが、それでも掛からなかった。
今日は、祭日の春分の日。原付故障の際には連絡すればトラックで迎えに来てくれるバイク屋も営業を休んでいる。寺まで原付のハンドルを押して帰れば、3時間くらいは要するだろう。
しかし、ほかにどうしようもない。うんざりしながら歩き始めた。
15分ほど歩いたところで、洪源の横に一台の軽自動車が停車して、助手席に窓が開いた。
「あ、やっぱりご住職さんだ。どうなさったんですか?」
運転席からそう声を掛けてきた女性は、さっきまで法事の席にいた河野美知留だった。
どうも先ほどは、とまず言ってから、
「実は原付が故障したみたいで……」
美知留は軽自動車から降りてきて、洪源の様子を確認するように見た。
「それは大変で……。もしよかったら、うちの軽トラでお寺までお送りしましょうか?」
「いえ、そんな。歩いていればいずれ着きますから、これも修行だと思って」
「何言ってるんですか。お寺って、山の上でしょう。ちょっと待っててください。すぐに来ますから」
そう言って美知留は再び車に乗り走り去っていった。
そして約10分後、クリーム色の軽トラックがやって来る。
「どうも、すみません」と言いながら、軽トラの荷台に原付を乗せて、ロープで固定した。
「さあ、お乗りください」
そう言われて、洪源は遠慮がちに助手席に乗った。
「法事の後、せっかく親戚が集まったからって食事だけでは済まなくて、酒盛りをやろうということになりましてね。ビールの買い出しに行かされて、コンビニから帰るとこだったんですけど、ご住職が原付を押して歩いてる姿が目に入ってきて。袈裟を着てる人なんてあんまりいないから、一目でわかりましたよ」美知留はそんなことを言った。
洪源は軽トラのハンドルを握る美知留の姿を横目で見た。
この季節でも顔がにわかに日焼けしているのは、家業の農園で働いているからだろうか。
河野妙子が亡くなったのが十六年前だから、彼女は十代で母と死別したことになる。
洪源とはほぼ初対面なのに、快活な性格をしているらしく、美知留は遠慮なくいろいろ喋ってくる。ふだんこの軽トラは農作業に使っているということや、次の市議会議員選挙で父の河野氏が農協から推され出馬する予定であること、また現当主の長男である弟が一昨年結婚し、夏には甥っ子が誕生する予定であることなど。
山道を登って、寺に到着した。
美知留も軽トラから降りて、
「せっかくだから、お参りしていきます」と言った。
そして本堂の前に立つと、静かに手を合わせて目を閉じた。
美知留は合掌をほどいて振り向いた。
その姿を見てから洪源は、
「夕方の鐘を撞きますので。かなり大きな音がしますから、ご注意ください」と言った。
鐘楼に入り、引き綱を引いた。橦木が勢いよく鐘にぶつかり、ごおーんという音が響き渡る。
「うわっ、すごい音ですね」美知留は耳を手のひらで軽く押さえて言った。
「もう一度いきますよ」洪源は言った。
さらに鐘の音が響く。
「ねえ、ご住職。この鐘、毎日撞いてるんですか?」余韻が静まるのを待って、美知留が言った。
「そうです。朝と夕方の六時に」
「じゃあ明日、六時にまた来ますから、わたしにも撞かせてください。一回やってみたかったんですよ、鐘を鳴らすの」好奇心を隠さずに美知留が言った。
「ええ、かまいませんよ」
洪源がそういうと、美知留は子供のよう両手を広げて、「やったー」と言いながら喜びを表した。
午後六時の春分の日の落日が、その無邪気な笑顔を照らしていた。
やはり、その顔は六時の幽霊に似ていた。
了
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