人を食べていた

 好きな人の口から、不健全な言葉を散々聞いた日の放課後、僕はいつも通り、一人で家に向かい、とぼとぼと歩いている。当然ながら、友達と一緒に帰ったりはしない。というか、友達はいない。


 ――明日から学校行くのを辞めてしまおうか、なんてことを考えながら歩いている。つまりは不登校になろうかと考えているわけだ。


 別に清水さんに彼氏が出来たから学校に行きたくない、というわけでは無いのだけれど、そのせいで今まで以上に教室に居づらくなるのは事実だ。そうじゃなくても、僕には学校に通っている意味がほとんど無いような気がする。友達も出来ないし、部活もしていないし、成績だってそんなに良くない。全く楽しみも無く、ぼーっと授業を受けたり、寝た振りをしたりしているだけだ。どうせ大した高校に進学も出来ないだろうし、大した就職先にも就けないだろう。


 あぁ、進学とか就職とか、そういうことを考えると、いつも漠然とした大きな不安に襲われる。友達を一人も作れないような奴が社会に出たって、まともにやっていけるはずがないのだ。僕の将来は絶望的だろう。しかしそれでも、社会に出ないわけにはいかない。働かないわけにはいかない。たとえ友達が出来なくても、他人とまともに話せなくても、それでもやっていかなければいけないのだ。この世界ここで生きている限り。


 ――まったく、嫌になる。


「ここではないどこかへ行きたい」という、今日の休み時間に願った願いが、どうか実現してくれることを改めて願った。


「――!!」


 そんなことを考えながら歩いていたら、突然強い気配を感じた。いや、気配というにはあまりにも明確で、引きつけられるような感覚だ。「なんとなく何かがいる気がする」のではなく、確実に、間違いなくその方向に何かがいる感覚だった。


 今まで感じたことの無い感覚に戸惑いながらも、足は自然にその気配の方向へ向かった。古い民家の角を曲がり、狭い道へ入る。そうして辿り着いた先、人気のない路地裏に、その気配の正体はあった。


「――なっ、なんだこれ……」


 ――は、人のような何かだった。かろうじて人の形はしているが、体のそれぞれのパーツが不完全で、その姿は見ているだけで吐き気を催した。


 人なのだ。人の形なのだけれど、手足の生える位置が微妙に違う、関節の位置が少し違う、指の本数が違う、顔のパーツの配置がおかしい。服を着ていないのに、性別が見分けられない。まるで人以外の何かが、人になろうとしてなり切れなかったような、そんな中途半端な生き物がそこにいた。


 込み上げる吐き気を堪えて立ち尽くしていると、その生き物はこちらに気づき顔を向けた。左右非対称の口からは、血のような赤い液体が流れていた。


 そいつは興味が無さそうな仕草で、すぐに顔の向きを戻した。


 ――手に持った人間の下半身へ。


「え……足!?」


 そいつは、人間の下半身を持っていた。女性物の下着だけを身につけた、人間の下半身。上半身は、どこにも無い。


 その下半身に――そいつはグチャっと音を立ててかぶりついた。


 さらにムシャムシャと音を立てて咀嚼している。


 ――人ならざるそれは、人を食べていた。


「う……うわあああああああああああ!!」


 ――僕は走った。もと来た道を、振り返ることなく全力で走った。転びそうになりながらも、必死で、無我夢中で走った。


 ――なんだあれ。なんだあの生き物は。


 なんとかいつもの通学路、大通りまで出た。数人の通行人が歩いているのを見て心から安堵する。


「はぁ……はぁ……」


 僕は膝をついて歩道に倒れこんだ。心臓がバクバクと大きな音を立てている。通行人がチラチラとこちらを見てくるけど、今はそんなことを気にしていられる余裕は無かった。


 強い吐き気が襲ってくる。僕は慌てて歩道の隅にで吐いた。


 今日の給食を全部出しきったところで、肩を叩かれた。


「だいじょうぶ……?」


 聞き覚えのあるその声に驚いて、僕は勢い良く振り返る。


 清水さんが心配そうな顔で僕を見ていた。彼女の隣にはツバサ君がいた。


「うん……だ、大丈夫」


 僕は無理やり立ち上がり、逃げるようにその場を去った。


 恐ろしいものを見た恐怖と、清水さんと初めて話した歓喜、情けない姿を見られた羞恥心、ツバサくんと一緒にいたことの嫉妬心。様々な感情が溢れ出て、僕の頭は真っ白だった。とにかく今は一人になりたい。


 後ろから、ツバサ君が清水さんに話しかける声が聞こえる。


「今の誰?」


 ……同じクラスだろ。

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