一章

どこかへ行ってしまいたい

 授業の終了と、休み時間の始まりを知らせるチャイムが鳴る。


 日直の号令で『起立』と『礼』を雑に済まし、『着席』の合図で僕は机に突っ伏した。


 休み時間は大抵、寝た振りをして過ごす。以前は本を読んだり、ぼうっと窓の外を眺めたりして過ごしていた。しかし、そうしていると「何読んでるの?」とか「どこ見てるの?」と、たまに話しかけられる。それが面倒になったので、今では寝た振りをして過ごすようになった。


 そうなると当然、誰からも話しかけられなくなる。ほとんど誰とも会話をすること無く、一日が終わる。それは僕が望んで得た結果なのだけれど、全く誰とも話さないとなると、とたんに教室が居づらい空間になる。ここに居て良いのかと不安になる。周りのクラスメイトから邪魔だと思われているんじゃないだろうか、いつも寝ていると馬鹿にされているんじゃないだろうか、友達のいない寂しい奴だと思われているんじゃないだろうか(いや、いないんだけど)、などと考えてしまうのだ。


 しかし実際は、誰も僕のことなど気にしちゃいないだろう。僕は実際に寝ているわけではないので、教室内の声はしっかりと聞こえている。僕を馬鹿にするような声など聞こえないし、恐らく僕のことを見ている人だって一人もいないだろう。それは分かっている。分かっているんだけど、どうしても考えてしまうのだ。


 休み時間、このクラスにいる生徒は皆、誰かと会話をしている。昨日のテレビ番組の話だったり、今日の給食のメニューの話だったり。みんながそれぞれ、誰かしらと会話をして休み時間を過ごしている中で、僕だけが一人、寝た振りをして誰とも話さずに過ごしている。この状況が、あまりにも気まずいのだ。気まずくて、不安になって、自意識過剰になってしまっているのだ。


 だったら自分から話しかけに行けばいいのではと、僕の中の僕が言うのだが、その行動には相当量の勇気が必要で、生憎僕はそれだけの勇気を持ち合わせていない。だからこうして、寝た振りをしながら耳を済まし、僕を揶揄する声を探しながら不安になることしか、僕には出来ないのだ。


「実はわたし、ツバサくんに告白されて、付き合ったんだよね」


 清水ライチの声だ。彼女の声は驚くほどよく通る。例え小声で話していても、彼女の声だけは聞き逃すことがない。僕は彼女の声が一番好きだ。いや、彼女のことが好きなのだ。もちろん一度も話したことは無いが、彼女の声はいつも聞いている。僕がこれだけ居づらくても教室に留まっている理由は、彼女が教室に居るからなのかもしれない。


 ――ん?いや、ちょっと待て。今なんて言った。「ツバサくんと付き合った」って言ったか。あぁ、そうか。同じクラスのツバサくんか。まあ、仲良かったもんね、うん。教室で二人が楽しそうに話していたのも何度も聞いているよ。ツバサくん、かっこいいし、優しいし、面白いし、勉強も出来るもんね。まあ、だからあいつのことは嫌いなんだけどさ。それでも確かに、清水さんとはお似合いなんじゃないかな。いいと思うよ。お幸せにね。


 そして清水さんの惚気話が始まった。どこでどんなふうに告白されたとか、どこどこにデートに誘われたとか。清水さんの声は嫌でも耳に入ってくるので、僕は耐え切れなくなって教室を出ようと思った――けどやめた。ここで急に起きて、教室から出て行ったら、いかにも清水さんの惚気話に耐え切れなくなったように見える。いや、実際そうなんだけど、周りからもそう思われるかもしれない。だから僕は耐えることにした。どうせ休み時間もあと数分だ。


 清水さんの惚気話はどんどんエスカレートした。それはもう、聞くに耐えないほどに。少なくとも、中学校の教室で話して良いような内容では無かった。最初は清水さんの話に楽しそうに相槌を打っていた女子生徒も、だんだんと引いていったのが声で分かった。


 なんだこの拷問は。ただでさえ気まずくて居づらかった教室が、彼女のおかげで地獄になった。しかし逃げることも出来ない、耳を塞ぐことも出来ない。


 ――もう、


 


 そう、強く願った。


 その願いが通じたのか、休み時間の終わりを知らせるチャイムが鳴った。先生が教室に入ってきて、清水さんの話が中断される。僕はチャイムで目が覚めた振りをしつつ起き上がり、日直の号令に合わせて起立と礼をする。


 着席をしながら、清水さんの方にチラッと目をやった。彼女は話を途中で中断されたせいか、頬を膨らませ不満そうな顔をしていた。いつもなら可愛く見えるはずのその表情が、酷く歪んで見えた。

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