学生服の内ポケットは意外に広い

 翌日、結局僕は学校へ向かっていた。いつもの通学路を、他の学生に紛れて歩いている。


 正直、学校どころか外へも出たくなかったが、母親に無理やり布団から引き剥がされ、追い出されるように見送られた。


 昨日見た光景が頭から離れない。思い出すだけで吐き気がする。この町に、あんなものがいるかと思うと、外を歩いていることが怖くてたまらない。本来なら学校に報告して休みにしてもらうべきなのだ。


 しかしまあ、昨日見た光景を誰かに話したところで、絶対に信じてはもらえないだろう。親や学校の先生はもちろん、クラスメイトだってそうだ。「人間を食べている化け物を見ました」なんて報告したところで、精神疾患を疑われるだけだろう。


 だれも頼ることは出来ない。自分の身を守れるのは、自分だけなのだ。


 なので、僕は今日、護身用に武器を身につけている。学生服の内ポケットに、サバイバルナイフを一本忍ばせてある。さすがに丸腰で化け物のいる町に繰り出すのは不安だったので、家を出る前に物置から引っ張り出してきた。


 刃渡り15センチほどの片刃のナイフ。大きく反りが付いていて、なかなかにデザイン性が高い。その見た目に惚れてネットで購入し、それからずっと物置に仕舞ってあったものだ。そこそこ長いナイフなのだが、学生服の内ポケットは意外に広い。柄の部分だけがポケットから出る形で、上手く収まっている。ぶっちゃけ銃刀法違反だとは思うが、そんなことは言っていられない。食べられてからでは遅いのだ。まあ、あいつに出会ったらナイフで戦う前に逃げるつもりなのだけれど。


「あ、水石みずいしくん――昨日、大丈夫だったの?」


 昨日からずっと聞いている声で名前を呼ばれた。反射的に心臓が大きく跳ねる。それにしても、他人に自分の名前を呼ばれたのは随分と久しぶりだった。


「あ、清水さん……う、うん、大丈夫だったよ」


 本当は全然大丈夫では無かったのだが、説明しても仕方ないだろう。というか、清水さんを前に、まともに話せる自信がない。というか、話せていない。恥ずかしいぐらいに声が震えている。


 清水さんを見ると、彼女は昨日と同じ、とても心配そうな顔をしてこちらを見ていた。こんな至近距離で、まっすぐ清水さんの顔を見たのは初めてかもしれない。そんなことを考え、思わず彼女の顔に見とれてしまった。どうして彼女は、一度もまともに話したことのない僕なんかに、これほど心配そうな顔が出来るのだろうか。おそらく優しいのだろう。いい子なんだ。間違いなく。


「全然元気そうに見えないけどな。辛いなら無理せず保健室で休んでた方がいいぞ……水石」


 清水さんの横にはツバサくんがいた。彼も一応、僕に心配そうな顔を向けている。


 取ってつけたように名前呼びやがって。昨日まで僕のことを知らなかったくせに――と、一瞬イラッとしてしまったが、そういえば僕もツバサくんの苗字を知らない。お互い様だろう。


「う、うん、ありがとう。そうするね」


 僕は笑顔で答え、歩く速度をあげた。二人から距離を取る。


 ――はぁ……やっぱり人と話すのは面倒だ。


 僕は他人と会話をすることが、根本的に向いていないのかもしれない。そんな僕が他人に助けを求めても、決していい結果は生まないだろう。やはり自分を守れるのは、自分自身しかいないのだ。


 僕は制服の上から胸に手を当て、内ポケットに入れたナイフの感触を確かめた。

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