22
研究室に集められたわたしたちに、篠田さんは高らかに言った。
「シャンウェイ博士のチームが来る前に、我々で調査に向かう!」
アレクサンダーさんは既に冷静さを取り戻していて、「シャンウェイ博士のチームはニホンで活動している。準備をしてこの街までやってくるのには、最低でも一日はかかるな」と低い声で言った。リゼが「私たちなら今すぐにでも動けるわね」と固い顔で言う。
わたしたちの中に、篠田さんに反対する人はいなかった。しかしわたしは篠田さんに反対するわけではないけれど、何がここまで彼等を駆り立てるのかわからず、戸惑いを隠せなかった。するとわたしの様子に気付いたケインが、小声でわたしに言った。
「この国の政府はニホンの言いなりなんだ。それが僕たちは許せないんだよ」
「政府?」
「ああ、政府が、僕たちの邪魔をしているんだ。そしてニホンにあのシャン・プランツの調査を任せてしまったら、僕たちは何も知ることができなくなるかもしれない。自分たちの国のことなのにだよ。突然発生したシャン・プランツに、僕たちの国はなすすべもなく支配されてしまうかもしれない。ニホンはこの国を守るって言ってるけど、それをどれだけ信じていいか。現にこの国の軍隊は、ニホンに良いように使われている」
「そんなに酷い国なの、ニホンは」
「戦争に勝ったからね。この国を作ったのは実質ニホンだから、複雑な心境だけど……」
この街で発生したシャン・プランツのことが、こんな風に国単位での問題になっているとは思わなかった。既に南半球がシャン・プランツに覆われてしまっていて、そこにある国や地域は大変なことになっているのに、こんな張り合いをしている場合なのだろうか。そう思ったが、口には出さない。わたしが何か言ったところで無駄だし、何の意味もない。
午後の時間いっぱい、わたしたちは作戦を練ることになった。シャンウェイ博士がこの国にやってくるのは二日後だという情報も入り、わたしたちが現地へと向かうのは明日になった。発生したシャン・プランツの情報は奇妙なほど入ってこなかった。どういう状態なのか、どのくらいの大きさなのか、軍に問い合わせてもろくな返事がなかったとリゼが嘆く。
終業時間が過ぎても、彼等は話し合っていた。わたしはアイデアも出せなければ知識も浅いので、何の役にも立たない。夢中になって彼らが話しているのをいいことに、わたしは鍵をポケットに入れ、ブツクサを片手に地下三階へと向かった。ハイドの作る繭のような物体は、朝に見たよりも小さく、蔓の密度が高くなっているようだった。ブツクサの青い光を当てても、『言語ヲ 取得 デキマセン』『睡眠中』としか出ない。わたしは部屋の中から綿の出ているクッションを発見し、繭の隣に置いた。その上に横たわり、囁く。
「ねえ、ハイド。わたしはよそのシャン・プランツなんてどうでもいいわ……」
ハイドの隣にいると、わたしはすぐに眠れるようだった。夢の中、わたしはハイドと浜辺にいた。ハイドは十歳の人間の姿をしている。わたしはハイドの隣、一緒に海を眺めていた。月光がハイドを包み、ハイドの手から金色の蔓が出てくる。蔓はわたしの頬をゆっくりと撫で、やがて首元からわたしの服の下をなぞり始める。「ハイド」わたしの呼ぶ名前に、ハイドは嬉しそうに微笑む。ハイドの目は琥珀色をしていて、きらきらと輝いていた。
目を覚ますと、緑色の繭の中心に一本、長い切れ目ができていた。そっと指でなぞると、その切れ目がわずかに広がった。わたしはあわててブツクサのスイッチを入れるが、青い光は出てこなかった。『充電シテ下サイ』という表示に「ああもう!」と叫んでしまう。切れ目はわたしの目の前、少しずつ開いて行った。わたしは繭に手をかけ、中を覗き見る。
中から切れ目を押し広げるように、白い手が出てきた。わたしは床にぺたんと座ったまま、それを眺める。神秘的な光景だった。繭から人間の手が、腕が、出てくる。切れ目が開き、繭を形成する蔓が、力を失ったようにほろほろと崩れていく。繭の中から出てきたのは、金色の混じった緑色の長い髪。真っ白い肌をした、人間の体。整った目鼻立ちに、薄いそばかす。うっすらと開いた目は長い睫で縁取られていて、瞳は深い黒をしている。
「ハイド」
わたしがその名前を呼ぶと、彼は薄いピンク色の唇をふわりと微笑ませ、言った。
「ソウエン、ただいま」
頬に温かい涙が流れた。わたしは繭の中に両手を入れ、ハイドの体を抱きしめた。
人間体に戻った、ということになるのだろうか。繭から出てきたハイドは、十歳よりも外見年齢が上がっていた。顔と体型を見るに、15~18歳くらい、だろうか。ハイドは繭から上半身だけ起こした状態だ。立ち上がろうとするが、身体が上手く動かないらしい。
「何日もねていたからだろうか。手もじょうずににぎれない」
「ゆっくりでいいよ。繭から出てきたばかりの蚕だって、すぐには飛ばないでしょう」
わたしは部屋の中を漁り、ハイドの着れそうな服を探した。タンスや机はバラバラになってしまっていたが、ひとまず床に落ちていた布類をかき集めると、Tシャツと寝間着用のゆったりとしたズボンが出てきた。袖も裾も足りないだろうが、ないよりましだろう。
「ハイド、万歳して」
「かまわん。自分できれる」
「グーもできないのに? ほら、腕を上げるくらいは頑張って」
「くつじょくだ。せっかくソウエンよりおっきくなったのに」
Tシャツとズボンを履かせて、ひとまず落ち着く。パンツは無かったから履かせていないが、仕方ないだろう。またケインか誰かの服を借りなければいけない。Tシャツは腹がでているし、ズボンも元々半ズボンだったせいでショートパンツみたいになってしまった。
時計を見ると、夜の12時過ぎだった。早朝から準備をしてシャン・プランツの発生した洞窟まで向かうため、今日は全員研究所に泊まることになっている。もうみんな眠ってしまっただろうか。わたしが勝手に研究室から抜けたことはとっくに気付かれているはずだ。もしかしたら眠っている間にリゼやケインが様子を見に来ていたかもしれない。繭の傍で眠っているわたしをそっとしておいてくれたのか、起こしても起きなかったのか……。
わたしは床に落ちていたブツクサを手に取る。ハイドに、確かめたいことがあった。
「これに表示されたのと、ハイドの言いたいことは合ってた?」
「だいたい合っていたが、少しちがった。ふくざつな気もちは、ひょうじされなかった」
「なるほど。読み取れる感情には限界があるっていうことかしら」
「おれが『しゃべろう』とした言葉いがいは、文字にならなかった。思っていることぜんぶが文字になったりしたら、ちょっとはずかしいと思う」
「へえ、よくできてるのねこれ……」
ハイドは繭の中で肘を曲げたり屈伸したりして、身体をほぐしている。そんなことをしているうちに、繭はどんどん崩れて床に広がっていった。綺麗に編み込まれているから、まるで緑色の絨毯のようだ。茎があった部分は茶色く萎れてしまい、小さくなっている。
「ハイド、立てそう?」
「足のゆびがうごくようになったから、がんばれば立てると思う」
そう言ってハイドは立ち上がろうとしたが、上手くバランスが取れずに片足に力を入れた状態でふらついてしまう。わたしはハイドの脇の下に手を入れ、転ばないように抑える。わたしの肩に捕まってようやく立ち上がったハイドは、わたしよりも少し背が高かった。
「ソウエンよりおっきくなった!」
「一体どういうカラクリよ」
「それは、おれにもわからない。シャン・プランツになっていたとき、おれの体がどんどんおっきくなっているのがわかった。おなかはへらないのに、水がのみたいとか、光をあびたいとか、そんなふうに思っていた。それはなんだか、すごく、変なかんじだった」
「そっか。……今は、おかしなところとか、ない?」
「前に人間の形だったときよりも、見えるはんいがちがう。それ以外は、変なとこはない」
「そう、ならよかったわ」
「あ」
「どうしたの」
「パンツをはいてないから、ごわごわする……」
「それは我慢して」
わたしに捉まりながら暫く歩く練習をする。ハイドはすぐに支えなしでも歩けるようになった。膝の曲がり方とかがぎこちないところはあるものの、このまま練習していけばまた以前と同じように歩いたり走ったりできるようになるだろう。壁伝いに廊下を何度か往復したあと、ハイドは顔に流れてきた汗を手で拭いて、緑の絨毯の上に座った。わたしもその隣に座る。ハイドの手が、わたしの手の上に重ねられる。少し湿っていて、温かい。
「ソウエン、おれ、やっぱり人間のすがたのほうがいい。自由にソウエンと話したりできるし、いっしょにごはんを食べたり、外にでかけることもできるから」
「……ん。そっか」
「おれが、どんなすがたでもいいって。ソウエンが言ってくれて、うれしかった」
ぎゅ、とハイドの手がわたしの手を握る。その手は少し、震えていた。宥めるように握り返すと、ハイドは躊躇うように口を開いた。「あのね」「うん」「人間になったらせつめいするって、言ったの。おぼえてる?」「もちろん」ハイドは手で口を覆い、足元を見る。
「おれ、ソウエンのお兄ちゃんに、きけん……いたいこと、したかもしれない」
ごめんなさい。そう言ってハイドは項垂れた。わたしはあの事件の日のことを思い出す。気を失う前に見た、真っ赤な血と、金色に光る細くて長い何か。わたしはハイドの髪にまばらに紛れている金色の毛を見る。そうえば夢にも金色の蔓が出てきた。
「ソウエンに、ナイフがささって……おれ、守らなきゃって。そしたら、体中からつるがでてきたんだ。そのつるが、お兄ちゃんを……おそった、と、おもう。そのあと、ずっとまっ白で、きがついたらお兄ちゃんはいなくて、おれはおおぜいの人に、かこまれてた」
「……ハイドは、わたしのこと、守ろうとしてくれたんだ」
「うん。でも、ソウエンのお兄ちゃんを、おれはきずつけたかもしれない……」
リゼから聞いた話を思い出す。兄の鞄が、山で発見されたというものだ。兄の血がついていたらしいそれ。ハイドがつるで兄に怪我をさせてしまったのだとすると、辻褄が合う。けれども兄の姿は、依然として見つかっていないのだ。……そこまで考えて、わたしは一つの可能性に気付く。いや、気付いて、しまった。頭の中に、シャン・プランツに寄生された動物の映像が浮かぶ。南半球で発見され、何度もテレビや新聞で報道されたもの。そして、山。今回シャン・プランツが発見されたのも、その山にある洞窟だ。
じわり、と胸に不安感が広がる。まさか、とわたしは自分の中の仮説を打ち消すが、一度抱いてしまった疑念はなかなか晴れない。震えているのはハイドの手か、それともわたしの手なのか?
「ソウエン」
ハイドの呼ぶ声に、ハッとして隣を見る。泣きそうな顔。「ちがう、大丈夫よ。ハイドが謝ることないの。大丈夫だからね」わたしはハイドの体を抱きしめるが、この言葉はどちらかと言うと自分に言っているような気がした。落ち着かなくては。深呼吸を、一つ。
ハイドは何も悪くない。だって、わたしを守ろうとしてくれたのだから。ならば、ハイドにナイフを向けた兄が悪いのか。兄の狂気に気付かなかった、わたしが悪いのか。自分のせいにしてしまうのが、一番簡単な気がした。
けれどもそれでは、何の解決にもならない。わたしが絶望し、落ち込んだって、誰も救われないのだ。それにまだ、わたしの疑念は確定事項ではない。思い違いの可能性だってある。どうか、雨雲が晴れますように。
祈る。けれどもわたしの勘や予想は、昔からあまり外れたためしがないのだった。
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