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 『ブツクサ』は携帯電話の画面部分だけを横に広げたような形をしていて、厚さもそのくらいだった。右側面にあったスイッチを押すと、前の側面から青い光が出た。「すごい、SFみたいだ!」とケインが言う。間部さんの発明品だと聞いたリゼは複雑そうな顔で、「まあ実力は確かだから、あの人……」と言った。

 間部さんは大学の教授をしているらしく、専門の学科は違うが、リゼの所属していたゼミの教授とも交流があったらしい。夕方に届いたブツクサを手に、篠田さんは早速地下三階へと向かった。終業時間は過ぎていたが、わたしたちも全員、篠田さんに着いて行った。

 ハイドは部屋の奥で、蔓を一か所にまとめていた。わたしたちが入ってきても、蔓を伸ばしてきたりする様子はない。篠田さんがブツクサの電源を入れて青い光をハイドに向ける。ピピッ、と音がして、画面に文字が表示された。

 全員で画面を覗き込むと、そこには『睡眠中』『言語ヲ 取得 デキマセン』の二つの文が表示されていた。「言葉以外のこともわかるんだな」とアレクサンダーさんが言う。「この姿でも眠るのね」とリゼは言い、篠田さんはノートにメモを取る。


「睡眠中なら仕方ないな。続きは明日に」


 篠田さんのこの言葉に、解散となる。研究室に戻ると、篠田さんは予定があるといって早足に研究所を出ていった。わたしはハッと思いつき、ケインを晩御飯に誘う。ケインは快く承諾してくれた。リゼがどうせなら四人で、と言いかけたが、断る。


「ケインと二人がいいの」


 わたしの言葉に、ケインが顔を真っ赤にさせた。リゼが「そ、そう……」と小さく言う。あれ、もしかして何か間違えただろうか。そう気づいたのはケインと一緒に研究所を出るとき、ケインがやけにハイテンションで「誘ってくれてありがとう! とても嬉しいよ!」と言ってきてからだった。

 リゼのことを鈍いとか思っておきながら、わたしも大概である。ケインを誘った理由がアレクサンダーさんとリゼを二人にするためだと言ったら彼をがっかりさせてしまうだろう。そう思い、わたしは何も言わずに先を歩くケインの横に並んだ。



 次の日の午後。篠田さん、ケイン、わたしの三人は、地下三階でブツクサを片手にハイドとの交流を図っていた。アレクサンダーさんとリゼは、研究室で午前中に拾ったものの検査をしている。ハイドの蔓が一本、根本から取れて床に落ちていたのだ。自然に取れたものだろうと篠田さんは言っていた。わたしは腕に蔓を絡みつかせているハイドに言う。


「この機械を使えば、ハイドの言いたいことがわかるんだって」


 ケインがブツクサのスイッチを入れ、青い光をわたしの手元の蔓に当てる。ピピッ。『言語ヲ取得シマシタ』『本当ニ 理解 デキマスカ』と表示される。わおっ、とケインが驚きの声をあげた。リゼも画面を見て、目を丸くしている。わたしは、口調なんかは再現されないのか、と思いつつ「本当だよ」とハイドに言った。ピピッ。『嬉シイデス』という表示。


「間部さんに聞いたところ、精度はかなりのものらしい。元々は通常の植物の感情を知るためだけのものだったらしいが、シャン・プランツが複雑な感情や思考を持っていることがわかってから、それを読み取って言語化できるように改造させていったらしい」


 篠田さんはそう言いながら、ノートにメモを取る。ケインがもっとお喋りしてみようよ、と言うのでわたしはブツクサをハイドに向ける。ハイドに聞きたいことはたくさんあるのけれど、何から話せばいいのかわからなかった。ピピッ、ピピッ、とブツクサが鳴る。


『ソウエン 有難ウ』

『話セル出来ル ナッタ 言タイデシタ』

『私ヲ 助ケテクレテ 有難ウ』


 思わずブツクサの画面を凝視する。蔓がわたしの目元を撫で、頬に粘液が垂れた。


『私ノ 今ノ 体 嫌デハ無イ デスカ』

「嫌なわけないよ。言ったでしょう? どんな姿でも、私はハイドが好きよ」

『トテモ 嬉シイデス ソウエン ニ ズット会イタイ デシタ』

「わたしもずっと会いたかった。一か月間、ハイドに会えなくて、寂しかったよ」

『私モ 寂シイ デシタ』


 わたしはブツクサを放り出し、ハイドの根元に駆けより、太い茎を抱きしめた。蔓がわたしの体に巻き付き、抱き返してくる。わたしの体を包む蔓は、とても温かい。ハイドが生きている。わたしの前にいる。きっと今の今まで、現実感がなかった。シャン・プランツの形になったハイドを受け入れていなかったわけではないけれど、どこかで夢か何かのように思っていた気がする。茎に顔を埋めて「ごめんね」と言うと、蔓がわたしの額を優しく撫でた。そうされていると、まるでわたしのほうがハイドの子供になった気分だった。


 ずっと抱き着いていたいくらいだったが、そういうわけにもいかない。茎から離れると、ハイドは名残惜しそうにわたしの体を蔓で撫でた。遠くから様子を見ていた篠田さんとケインがこちらにやってくる。なんだか気恥ずかしくて、わたしは白衣の袖で鼻の下を擦る。


「ハイドくん、僕のことは覚えているかい?」


 ケインがそう聞きながら、ブツクサの青い光をハイドに向ける。画面には、『勿論デス』と表示された。ケインは嬉しそうに笑う。ピピッ、ピピッ。青い光が言語を取得する。


『ソコノ 貴方ハ 誰デスカ』


 蔓が一本、篠田さんを指し示している。ケインは、「ハイドくんの体を調べる人さ」と言った。わたしはそれに、「篠田さんって言うの。外部の研究員の人よ」と追加説明する。


『注射器 嫌 デス 痛クナイケド 嫌デス』

「やっぱり今の体だと痛覚はないんだね! まあでも痛くなくても注射は嫌だよねー」


 ケインがそう言って、ハイドの蔓を握る。ハイドは嬉しそうにその蔓を上下に振った。篠田さんはひたすらノートに何かを書き込むと、ケインにブツクサを渡すように言った。


「暫く俺だけにしてくれ。ハイドに無理なことはしない」


 そう篠田さんが言ったので、わたしとケインは研究室に戻ることにした。先を行くケインの後ろ、三階フロアのドアを閉じようとしたそのとき、篠田さんの声が奥から聞こえた。


「――俺はお前の父親だ」


 わたしは咄嗟に腕時計を見たが、ハイドが篠田さんに質問したときの時間を見ていなかったので、そのときから十分経っていたのかはわからなかった。

 ドアの隙間から見た、ハイドの前に立つ篠田さんの背中は、綺麗に伸ばされていた。わたしはドアを閉じ、階段を上がって行った。


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