16
アレクサンダー研究室に戻ると、篠田さんはノートにすごい勢いで何かを書きこんでいた。終業時間が来たこともあり、アレクサンダーさんの指示でわたしたちは解散となった。わたしは篠田さんに聞きたいことがあったのだが、篠田さんにそんな余裕がなさそうだったので、諦めることにした。アレクサンダーさんはまだ研究室に残るらしい。リゼもアレクサンダーさんに「もう少しいてくれ」と頼まれたので、残ることになった。
二人にお疲れさまですと声をかけ、わたしとケインは一緒に研究室を出た。わたしは二階の休憩室に行かないかとケインに声をかけた。ケインに聞きたいことがあったのだ。ケインは二つ返事で承諾し、わたしと一緒に階段を上がった。休憩室に入る前に、ケインが「すまない、ちょっとレストルームに!」と言ってトイレに言ってしまったので、わたしは一人、休憩室のソファに座り、彼が戻るのを待つ。するとそこに、白衣を小脇に抱えた町子が入ってきた。わたしは立ち上がり、もう気分は大丈夫なのかと聞く。町子は青白い顔のままだ。
「ねえ、ソウエン、あなた怖くないの」
「怖い?」
「あのバケモノのこと!」
ヒステリックな声が、静かな休憩室に響き渡った。何を言われたのか理解するのに、少しかかった。言葉の意味を理解したわたしの口から、驚くほど低い声がでる。
「バケモノなんて、いないわよ」
「いるわよ! あなた本当にアレをハイドくんだって、そう認めてるの? 無理よ、普通は無理よあんなの! だってシャン・プランツじゃないの! アレはバケモノよ!!」
町子が息を切らせてまくしたてる。スウッ、と、町子が叫ぶたびにわたしの心が冷えていく。町子は言いたいだけ言ってしまうと、顔に手を当てて泣き出した。わたしはその手を無理矢理つかみ、顔から引きはがす。町子の顔は酷く歪んでいて、憎悪に満ちている。
「あ、あなた、あなたおかしいわよ!」
普通じゃない、狂ってるわ! そう叫んだ町子に、わたしは吐き捨てるように言った。
「ああ、そう」
あなたがそう思うのなら、勝手にそう思っていればいい。そう言って睨みつけると、町子はわたしの手を振り払い、走って休憩室から逃げていった。
一瞬の沈黙。そしてすぐに、休憩室の入り口付近をおどおどとうろついていた茶髪の青年から声をかけられる。
「えっとー、ごめん、あの、僕が出て行けばよかったんだろうけれど」
「いいです。ガツンって言ってやれてスッキリしたわ」
わたしの言葉に、ケインは感心したように「はー」と声を漏らした。
「ソウエンさんは、強いね」
「そんなことないですよ」
「いいや、強いよ。強くて、かっこよくて、美しいよ」
あまりに率直な賛辞に、思わず顔が熱くなった。わたしの反応に、ケインも恥ずかしくなってしまったらしく、鼻の頭まで真っ赤にさせる。なんだろうこの空気……。
取りあえずわたしはケインに聞いておきたかったことの答えを、聞かなくてもよくなったことを喜んでおいた。あの状態になったハイドのことどう思ったか、なんて、そんなのハイドを悪く言われたことに怒ったわたしに「強い」とか言う時点でもうわかりきっている。この人がハイドのことを、拒否さえしていなければそれでいい。
休憩室を出て階段を下り、研究所の門をくぐると、外はもううっすら暗かった。
「最近、日が落ちるのが早いですね」
「そうだね。冬がいずれやってくるんだな」
ケインと、そんな会話をする。
「ソウエンさん。その……晩御飯とか、誰かと予定はあるのかい?」
「え、ないですけど……」
「だったら、その、僕と、いっ、いい、いっしょ、」
ケインが目を泳がせながら何かを言い掛けた、そのとき研究所の門をリゼが出てきた。
「あんたら何してんの?」
ケインは顔を再び顔を真っ赤にさせ、「なんでもないよ!」と首を振った。リゼは「まあいいけど」と呆れたようにケインに言って、「これからご飯、どうする?」とわたしに聞いた。
「どうするって、決まってないです」
「じゃあ、三人で食べに行く?」
「わたしはそれで構わないけど……」
ケインは? とリゼが聞く。ケインはものすごく不服そうに「いく」と答えた。
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