13
兄と篠田さんの関係について、わたしはほとんど何も知らない。兄からは友人だということしか聞いていないのだけれど、それにしては兄の行動はなんというか……行き過ぎているようで。
震災後に兄があの街に残ったのだって、篠田さんの存在が理由の一つだったんじゃないかと思う。大学に入ってからの兄は、なんだか別人のように浮かれきっていて、かと思ったら突然沈みこんでしまったり、挙句の果てには自殺未遂だ。あれには流石にまいった。当時のわたしは今よりもずっと排他的というか厭世的な面があって、兄が望むのならそうすればいい、みたいに考えていたから、兄の行動をわたしは止めなかった。
兄をこの世に繋ぎとめたのは、篠田さんその人だ。兄を狂わせ、兄を救った。この人に対してわたしがどう思っているのか、改めて聞かれると困ってしまう。ただ、悪い印象はない。というより、篠田さんがどういう人なのか、わたしはよく知らないのだ。世間的に有名な研究者だと知ったのだって、兄の自殺未遂事件からずっと後になってからのことだ。
篠田さんがハイドの研究をしにやってくる。それには特に疑問を持ったりはしない。研究者として、ハイドのような特異なものはやはり興味をそそられるものだろうと思うから。わたしが気にかかるのは、篠田さんがどのくらい、兄の起こしたことを知っているのかという点だけだ。
あの事件はシャン・プランツが関わっていることで全国的にニュースになった。わたしが事情聴取で警察に話したことで、わたしを刺した犯人が実の兄であることも報道されている。篠田さんが傷害事件のことを知らないわけがない。未だに行方のわからない兄を、篠田さんがどう思っているのか。それこそ本人に聞かないとわからないし、考えても仕方ないけれど。
篠田さんが来るのは一週間後らしかった。研究所としてはそれまでに特設チームに入れる人員を決め、受け入れ態勢を作っておくつもりのようだ。あわよくば、わたしもそれに参加できないか。そしたら自然にハイドの現状を知ることができる。もちろんわたしは事務員であって研究員ではないから特設チームに入る資格なんてないのだろうけれど、まだ、リゼの助手の件は保留だ。クビになったわけじゃない。
リゼの助手としてなら、参加できる可能性はまだある。なにより、ハイドのことをずっと傍で見守り続けていたのはわたしだ。どのような研究内容になるのかはわからないが、力になれることがあるかもしれない。と、上層部にはったりをかますことくらいは出来るだろう。そうリゼに伝えると、彼女は「ケインめ、ぺらぺらと喋りやがって」と言って舌打ちした。
「わたしだってね、特設チームのことはソウエンに伝えたほうがいいと思ってた。けど、守秘義務があるし、慎重にならざるを得なかったのよ。それをあいつは簡単に……。他の人に喋ってなかったらいいけどねえ、もう、全くあの偽アメリカンボーイは……」
不機嫌そうに言いながら、リゼは餃子を口に放り込んだ。今日の昼ご飯は中華料理の屋台で食べている。わたしもリゼもそれぞれの仕事があるし、話をしようと思ったら昼休憩のときしかできない。終業後でもいいが、リゼはここのところさらに残業や泊まり込みをすることが増えたし、わたしは伯父が心配するのであまり遅くまでいられない。あの事件以来、伯父はわたしに過保護になった。というより、変な遠慮がなくなったと言うべきか。
「偽? 米国人じゃないの、あの人」
「じいさんが米国からの移民らしいって聞いたことはあるけど、ケイン自体はこの国で産まれてこの国で育ってる。米国にだって一度も行ったことはないらしいわ」
「へえ……でも、わたしだって、タイワン人だけどタイワンに行ったことないですよ」
「この国の人達なんてみんなそんなもんよ。ケインの何が嫌ってステレオタイプな米国人を装ってるところなんだけど、ああいや、この話はいいのよ。ケインの愚痴を言いたいんじゃないのよ」
「うん……ごめんなさい、続けて」
「そう、特設チームにね。実はソウエンはもう既に候補にあがってるのよ」
「え」
「だって実質的にハイドに一番近しい人間はあなただもの。上層部は呆れるほど馬鹿だけど、そこまで馬鹿じゃないわ。外部の研究者に公開されているデータには、まあ全てを大っぴらにしてるわけじゃないけど、主にハイドの世話をしている人物の名前くらいは書かれているわ。だから、特設チームにソウエンが参加しないほうが、不自然なのよ」
「ねえ、ケインから話を聞いたときも思ったのだけれど、外部の研究者にハイドの情報が公開されてるって、どういうことなの? ハイドの存在は機密になってるはずじゃ……」
「基本的には、機密よ。誰にだって公開してるわけじゃない。研究者の中でもほんの一握りだけ。それに公開されるようになったのもここ一年ほどのことだし、あたりさわりのない内容しか公開されていないわ。それでも存在自体がビッグニュースではあるのだけれど」
「篠田さんは、その公開されている情報から、ハイドに興味を持ったってことなのね?」
「ええ……表向きはね」
「表向き?」
オウム返しに聞くと、リゼは口ごもってしまった。わたしはレンゲで麻婆豆腐をすくう。リゼは会話の合間合間に上手に食事を取っているが、わたしはつい会話に集中してしまい、食事がおろそかになってしまう。リゼの餃子はもう既に皿から消えているが、わたしの麻婆豆腐はまだたっぷりと器に残っていた。リゼが黙ってしまったのをいいことに、麻婆豆腐をひたすら咀嚼し、嚥下する。残すとリゼに怒られてしまうし、お店の人にも失礼だ。
「ううん……これはほんとに最高機密で……ああでも」
「駄目なら話さなくても」
「いや、駄目というか……話しても問題はまあ、ないんだけれど。うん、そうね、問題はないわ。ただちょっと、すごくびっくりすると思う。わたしだってまだ信じられないし」
「……どういうことなの」
「ハイドが、植物と人間のハーフだというのが立証されたって、ケインは話したのね。そのことなのだけれど、実は父親が誰なのかも判明したのよ。それが……篠田くんなの」
「えっ……ええっ?」
「ハイドがシャン・プランツ化してしまう少し前に、篠田くんから依頼が来てたの。ハイドと自分との間に血縁関係があるか、DNA検査して欲しいってね。私のところに直接よ。その……篠田くんと私は、ちょっとした関わりがあってね。知り合いかと言われると微妙なんだけれど。それで……あなたが入院している間に、DNA検査をして……。そしたら、99.98%の確率で親子だという判定が出た。それで、なのよ。それで篠田くんはハイドのことを調べたいって言ってきたのだと思う。もちろん公にはしていないけれど」
リゼはテーブルの横の灰皿を引き寄せ、煙草に火をつけた。深く吸い込んで、煙を吐き出す。わたしの頭はわかりやすく混乱していた。突然の事実に理解が追いつかない。けれども、驚くことが最近になって増えすぎているせいか、割と早く冷静さを取り戻す。
「研究って、どういうことをするんです」
「それはまだわからないわ。だからこそ、私もソウエンにチームに入って欲しいと思う。研究によってハイドが危険な目にあわないように。非人道的なことが行われないように」
「入るわ。わたし、特設チームに入る……。わたしの知らないところでハイドが危険な目にあうなんてそんなの嫌です。なにより、ハイドに……ハイドに、会いたい」
「私も、早くハイドに会いたいわ。地下三階に閉じ込められて……もう一ヶ月以上も会えていないんだもの。今、ハイドとの接触を許されている研究員はアレクサンダーさんだけ。それも鍵は上層部と軍によって管理されているから、アレクサンダーさんも自由に出入りできるわけじゃない」
「どうしてまた、アレクサンダーさんなんですか? リゼより偉い立場だから?」
「まあ、そうね。加えて、彼は上層部からの信頼が厚いのよ。私みたいに上層部に噛み付いたり、批判したりしないから。まあ、アレクサンダーさん自身が上層部のことをどう思ってるかは不明だけれどね。彼だって上層部の無能さにはとっくに気付いているだろうし」
「特設チームに入れば、自由にハイドに会えるようになるんですかね」
「どうかしらね……普通なら研究するときのみ開錠を許可する、ってなりそうだけど」
「そっか……うん、でも、ハイドに会えそうだって分かって、良かった」
地獄の底に希望の光が届いたような、そんな気分だった。わたしは残りの麻婆豆腐を片付けてしまいながら、このまま何もかもが上手くいけばいいと、そう願わずにはいられなかった。
前みたいにハイドと朝ごはんを食べて、お喋りして、屋台の通りを歩いて……そんな日常を、取り戻せたらと。そんな簡単に行くわけがないとわかりながらも、それでも。
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