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 行動するなら早いうちに、だ。次の日のこと、わたしは地下三階の鍵を探すため、早朝から研究所にいた。入るとき警備員さんに「お早いですね」と言われて少しびっくりしてしまったが、なんてことはない。「お仕事頑張ってください」とねぎらわれただけだった。

 わたしは「はい」と微笑んで強く頷いた。頑張ります、待っていても仕方ないから。取りあえず、現状で自由に地下三階に行くことができる人について考える。

 リゼはまだ入れないと言っていた。リゼが入れないとなると、リゼの研究チームの人たちはみんなアウトだ。ならば他の研究員はどうだろう。リゼの研究チームと強く関わっているのはアレクサンダーさんの研究チームだ。

 アレクサンダーさんの研究チームは地上一階の奥にあり、地上階は地下階と違って階ごとの鍵はない。わたしは誰もいない廊下を、足音を立てないようにしてそっと歩く。アレクサンダー研究室のドアからは、光が漏れていた。誰かいるのだろうか。時刻は午前四時半。この時間帯は仮眠に入っている人が多いと前にリゼは言っていたが、それでも研究をしている人がいるのだろうか。


 ドアの隙間を覗き込むが、隙間が細すぎてカーテンと棚らしきものしか見えない。耳を澄ます。人声はしないが、こぽこぽという、水に入ったポンプの音がする。実験に使う魚か何かが飼われているのだろうか。わたしはドアノブに手をかける。鍵の閉まっている感触はしなかった。

 そっと開いて隙間を広げる。部屋の中には誰もいなかった。奥ももう一つ扉があり、そこには『仮眠中』という貼り紙がされている。わたしは音を立てないように室内に入り、ドアを閉める。鉄製のドアが閉じた衝撃で小さくゴゥ……と震えて、手にじわりと汗をかいた。室内を見回す。どこかに鍵かけみたいなものが都合よくないかと思ったが、もちろんなかった。室内はアレクサンダーさんの性格を表しているかのように隙なくきっちりと整理されている。


 この研究チームの中で、三階の鍵を持っている人がいるとすれば、それはやはりアレクサンダーさんだろう。しかし勝手に研究室に入って、さらに机の引き出しを開けたとなったら、きっとアレクサンダーさんはものすごく怒る……というか、不法侵入の罪なんて想像がつかない。リゼの助手という立場ならともかく、今は事務員でしかないのだ。事務員が研究室内に入るなという注意を受けた覚えはないが、事務員の誰も入ったりしないから、たぶん基本的に駄目なものなのだろうと思う。

 わたしはアレクサンダーさんのものと思わしき机を見つけ、引き出しを開ける。一番上の引き出しには、ノートとよく先の削られた鉛筆が入っていた。奥のほうを見ても、鍵らしきものはない。二段目を引き出す。犬の写真が数枚と、飴の袋が一つ。なんだかいたたまれなくて、罪悪感が増す。三段目、一番下の引き出しを開ける。ファイルにまとめられた書類がぎっしりと入っていた。駄目だ、どこにも入っていない。そう思いつつも、もう一度一段目の引き出しを開けようとした。


 そのとき、ガチャリとドアの開く音がした。


 わたしは叫び声をあげそうになって、慌てて押しとどめる。咄嗟に机の下に隠れるが、開いたドアは仮眠中の貼り紙がされている方で、つまり、わたしのすぐ背後だった。後ろ手に椅子を引いて無理に机の下に収まろうとするが、収まりきるわけがない。「誰?」と声をかけられる。弁明は無理だ。本当の理由を言うしかない。そう思いつつ振り返ると、そこには大あくびをしている茶髪の青年がいた。


「……ケインさん」

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