兄2
「ガッ…………あ、あああ……」
ぼくの右手。ナイフが刺しているのは、ぼくの望んだものじゃなかった。
ぐらり、揺れる細い体。ゆるんだぼくの手のうちに、青白い顔がもたれてくる。落ちる鮮血。とてもとてもとても真っ赤だ。波の音がやけに高く頭の中で響く。崩れ落ちるぼくの肢体。どうして、二重の意味で向こう側に立つ少年を見る。その顔はジョーとそっくりだ。ほんと、そばかすまで生き写し。少年は呆然とこちらを見る。そんな目でみるなよ、ひとごろし。
この結果を作り出したのはきみだ。ソウエンがきみをかばって、きみの代わりに刺されて。そうしてきみは、閃光のように左手を伸ばして。蔓。ああ、蔓だ。なつかしいね、見覚えがあるよ。ぼくの胸に真っ直ぐ突き刺さって、触れるとじっとりと熱い。痛いのかなあ、なんだか、気持ち悪いね。ぶちりぶちり。ぼくに突き刺さったきみの蔓はほら、こんなにも簡単に切れる。
立ち上がると、ざあっ、と冷たいものが全身を流れて、ぼくの口から吹き出した。苦い鉄の味。きみの体には、これが流れているか? どうやらもう、人間の姿も保てていないみたいだけれど。ぼくたちとまるで同じみたいに装って、仲間にでも入れてもらったつもりだった?
支えを失ったソウエンの体が、地面にずるりと落ちていく。その肩からナイフを引き抜くと、だくだくと濁った赤が鮮やかな赤と混ざり合って溢れた。
「かわいそうになあ」
妹が産まれたときのことを思い出す。母さんは今度こそ幸せになれるって嬉しそうで、君の誕生を待ちわびて、ならなかった。大きくなった母のお腹を、ぼくだって何度撫でたことか。でも母さんが求めていたものは、やってはこなかった。裏切られた彼女はまるで不幸の源が我が子にあったかのように振る舞って。ほんとはそうじゃないってわかっていただろうにぼくにばかり期待を寄せて。君はただずっと、愛されたくてならなくて。
こんなことになるなんて、きっと思ってもいなかっただろう。けれども口先ばかりの謝罪なんてもうぼくはしたくないから、憐れむことしかできない。他人のことなんてどうだっていい。ぼくはただやり遂げたいだけだ。ぼくは間違っていない。ぼくのやっていることは正しい。ぼくは正義だ。それを証明したい。でなければぼくの産まれてきた意味が丸ごと全部なくなってしまう。
ぼくの全てはジョーのため。彼がぼくを欲しがらなくても。それが彼のためにならなくても。お願いだ、ぼくからジョーを失くさないで。どうせ理解されない。ぼくの巨大な感情は、誰とも共感されない。それでいい、ぼくが、わかっているから。
ナイフに反射する、ぎらぎらとした金の光。誰に奪われたって嫌だけど、きみがぼくの仇なのは幸運かな。バケモノめ、バケモノめ! たかだか体を繋いだだけのくせに、きみになんてやるものか。ぼくでさえ手に入れられないのに!
ナイフを握り直す。胸に刺さった蔓が、本体から引きちぎられてなお、蠢く。バケモノは蔓の向こう、人間の目をしてぼくを見ている。脳裏で必死に打ち消す既視感。体は熱くぼくの歩みは酷く遅い。全身を覆う緑と金の二重奏。喉が嫌な音を立てる。振り上げたぼくの右手が、どうしたって届かない。
「かわいそうなのは、ぼくか……」
混濁する意識。ぼくの中、新たな意識が入り込み、うるさい産声をあげた――――。
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