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「ハイド、リゼ、お昼一緒できなくなったんだって。あと、他の人から電話がきてたからちょっとかけなおすね。すぐ終わるから」
「わかった」
もたもたしているとせっかくの昼休憩が少なくなってしまうので、あとでかけ直すとだけ伝えるつもりで兄に電話をかけた。
しかし、数回コールしたところでセンターに繋がってしまった。留守電に「どうしたの? できれば用件はメールで」とだけ吹き込み、携帯を閉じた。足元で落ち着かなさげにわたしを見上げていたハイドが、携帯を閉じたわたしに聞く。
「だれ? ソウエン、こわいかお」
「えっ……怖い顔、してた?」
「んー、むずかしい。こわいっていうか、いやそうなかお? わるい人から?」
「悪い人からじゃないよ。大丈夫」
そんな顔になっていたとは、予想外だ。わたしはハイドに微笑みかけ、さっきまで降りてきていた階段を今度は上り始める。ハイドはそれ以上は何も言わず、わたしの手を握る。
「お昼ご飯、何にしよっか」
「えっとねー、おれ、あれがいい……えーと、にくがはさまってるハンバーガー」
「ハンバーガーには大概肉が挟まってるよ」
「そうなんだけど……ほら、ほうちょうで切るやつ」
「……あ、ケバブ? ケバブが挟んであるやつか。そういや前に食べたね」
「にくがいっぱい入ってておいしい」
「そうだねえ」
果たしてケバブバーガーの屋台を発見できるだろうか。以前はリゼに案内されてついていっただけだから、記憶が曖昧だ。わたしは一旦事務室に戻り、ハイドのポケットにいっぱい入っている紙のカエルを取り出す。
「これはお留守番させとこうね」
「カエル、でんわたいおうできる?」
「どうかなー」
それからハイドの机の脇にかけてある麦わら帽子を取り、ハイドに被せる。影ができるから少しくらいは髪が出ていても大丈夫だろうが、念のためにできる限り帽子の中に入れ込んでしまう。ハイドはおとなしくじっとしている。本当は帽子をかぶるのは嫌らしいのだけれど、帽子の理由がわかっているから、我儘は言ってこない。
言ってもいい我儘と言ってはいけない我儘とをよく理解しているハイドの健気さが、わたしはいつもどうしようもなく悲しい。けれども、「ごめんね」なんてそんな自分勝手な謝罪をするわけにもいかないから、わたしはただ小さな額を撫でた。
警備員さんに「いってきます」と挨拶し、研究所を出る。相変わらず研究所の周りだけ妙に閑散としているけれど、それでも少し歩けば屋台がぽつぽつと現れ始める。わたしのように、会社の休憩時間になって出てきたであろうスーツ姿の人、ビール瓶を片手に歩くランニングシャツのおじさん、腕を組んで歩くラフな姿のカップル、子連れのお母さん。道行く人々はみんな、それぞれの人生と事情を抱えて生きている。
ふと、わたしとハイドは他人からどう見えるのだろうと想像する。親子には見えないだろう。ハイドは十歳くらいに見えるし、わたしはまだ二十代前半だ。いくらなんでも無理がある。じゃあ、きょうだいだろうか。それにしては年が離れすぎているし、人種も全く違って見える。知り合いの子供、が一番しっくりくるのだろうか。誘拐犯に見えてたらどうしよう……。
「ソウエン、ケバブバーガーのやたい、まえにあったとこにないよ。なかった」
「あら、道覚えてたんだ?」
「うん。あそこの、フォーのやたいのとなりだった。ばしょかわったのかな」
「かもねえ。どうしよう、探しても見つかるかなあ」
「じゅうなんなたいおうりょくも、ときにはひつようだ。よっておれは、あそこのフィッシュアンドチップスでだきょうすることにする」
「オーケイ、晩御飯にきっちり野菜を食べることを約束するなら許可しよう」
「しょうだくした!」
フィッシュアンドチップスの屋台に入る。少ない席はもう既に満席だったが、立ち食いしている人も多いのでわたしたちもそれにならうことにする。本場のフィッシュアンドチップスとは違い、ボリュームは控えめで、紙に包んで食べやすいようにポテトと魚が一体になって揚げられている。
レジで先にお金を払い、カウンターの横で出来上がるのを待つ。中サイズ二つで3$。このあたりの屋台はどの店も安いけれど、ハンバーガーやフィッシュアンドチップスなどのファストフードになるとさらに安くなる。
店内は濃い脂のにおいが漂っていた。屋台と言っても、移動式の屋台とそうでないのとがあって、この店は後者らしい。厨房だけ建物の中に入っていて、客の食事スペースはテントが張ってあるだけ、という形。出店には暗黙のルールというものがあるらしく、移動式でもあまり極端に場所を変えたりしない。どの店も客入りの良い場所に出したいのは同じだ。出店者は周りとうまく人間関係を作りながら、数年単位で少しずつより良い場所へ移動していくらしい。この店は大通りに面しているため、立地的には良い場所に構えているということになる。
……という、リゼから聞いたうんちくをハイドに話しているうちに、頼んだものができあがった。店員から熱々のフィッシュアンドチップスを受け取る。味付けはされていないので、カウンターに置かれている様々な調味料を勝手に選んでつける。
「ハイド、ケチャップつけすぎないの」
「トマトはやさいなのに」
「市販のトマトケチャップには塩分や食品添加物が多く、あまり体に良いとは言えない」
「でも、ケチャップはおいしい。……なぜ体によくないものはうまいのだろう……」
「……ほどほどにね」
フィッシュアンドチップスに、ハイドが豪快にかぶりつく。案の定、口の周りが見事にケチャップまみれだ。やれやれ、と思いつつもファストフードなんて下品に食べてなんぼなので、わたしも大口をあけてかぶりつく。さくさくの衣に、ほくほくの魚の身。
「くそう、おいしいな……」
「まったくだ。イモとさかなだけのくせに」
「ふしぎだわ」
あっという間に食べ終えたハイドにハンカチを渡すため、鞄を開く。携帯のランプが光っているのに気づき、一緒に取り出す。ハイドにケチャップまみれの口を拭かせつつ、片手で携帯を開いた。「なにこれ」兄からの大量の着信と、メールも数件。最新のものを開く。
『伯父さんの家が見つからないんだけど。……迷ったかもしれない』
わたしは慌てて残りのフィッシュアンドチップスを食べ終え、ハイドの手を取って店を出る。ハンカチを折り直してもう一度ハイドの口を拭き、人の少ない路地に入る。
「ハイド、ちょっと電話するね。勝手にどこかいかないでね」
「わかった」
最新の着信は三分前だ。繋がる可能性は高い。ややこしいことになったなあと思いつつ、道に迷っているらしい人を放置するわけにもいかない。
数回のコール音の後、電話は繋がった。
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