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 南半球が謎の植物――シャン・プランツに覆われてしまっても、わたしたちの生活は以前とそう変わらずにいた。


 新聞やニュースの伝える事項はどこか他人事のようだったし、難民が増えたとは言うものの、人口統制のされているこの国に彼らがやってくることはない。シャン・プランツだって研究用に輸入されることはあっても、自然には生えていない。


「つくづく平和ボケしてるわよねえ。まあ実質的な危機が迫ってるわけでもなし、そうなるのは仕方ないけれど。わたしだって目の前のことで精いっぱい。どうしようソウエン、また恋人に振られたんだけど」


 地上二階。照明もつけられていない休憩室で、リゼは深いため息をつく。朝日が濃い影を作る物憂げな横顔は、出会ったときと比べると若さこそ褪せてきているが、大人としての色気は増しているように思う。いや、単に徹夜明けで火照っているだけかもしれないが。わたしはリゼに慰め、または励ましの言葉を言い掛けて、やめる。

 ただ何となく優しくされたいだけなら、わたし以外の適任者が山ほどいるだろう。町子とかユカリとか。


「今度はどんな人だったんです。聞かなくてもだいたい分かるけど……」

「優しかった。私の話を嬉しそうに聞いてくれた。そして顔がそこそこ、良かった……」

「で、付き合ったら優しくなくなって話をめんどくさそうに聞くようになって、そしたら顔もなんだかイマイチに見えてくるようになったんですね。毎度のパターンじゃないの」

「どうして男って付き合うと冷たくなるのかしら? 今度の人は私より年上だったのに」

「年齢って関係あるんですかね。男はみんな子供だって、町子さんいつも言ってますけど」

「町子はいいわよねえ。大学時代の同級生と結婚を前提にお付き合い? はー、なによそれ」

「大学時代から付き合ってたって聞きましたよ。すごい。長いですよねえ」

「大学時代の同級生なんて気持ち悪いのしかいなかったわよ! 教授はまともだったけれど五十過ぎた既婚のおじさんだったし! それでも構わないって言うには茨過ぎるわ!」

「あー、たまにリゼの話に出てくるわよね、その教授さん」


 昔も今も恋愛とは無縁のわたしとは対照的に、リゼは将来を見据えた恋愛活動中らしかった。現状、あまりうまくいってはいないようだが。美人に産まれたからと言ってそう簡単に何もかも上手くいくものではないらしい。美人には美人の苦労があるというか、まあブスには分からない悩みが存在するのである。


「ねえソウエン。どうやったら長続きすると思う?」

「ええー、知りませんよそんなのー……」


 人と人が仲良くやっていくのに、これをやっておけば大丈夫! みたいな魔法はない。そのあたりは友人関係とか親子関係と同じように、恋愛においてもそうだと思うのだけれど。

 わたしはソファから立ち上がり、自動販売機で冷たい紅茶と烏龍茶を買ってくる。季節は夏。始業時間前の休憩室はまだ空調が働いていない。昼間ほどではないが、朝日を浴びているとうっすらと汗ばむ。海辺の街だからか、以前にいた街より空気が湿気ている。

 紅茶の缶を手渡すと、リゼは白衣のポケットからさっと1$札を二枚取り出した。今回こそ奢ろうと思ってたのにちくしょう、と思いつつ受け取る。ここで受け取らなくても、そのうち尻ポケットにねじ込まれてしまうのだ。そうしなければいけない、という使命でも受けているかのように、リゼは年下に優しい。理由はまだ、聞いたことがない。恐らくは、聞いてはいけないことではないのだけれど。人の家庭環境に関わりそうなことを聞くのがわたしは嫌なのだ。そっちはどうなの、と聞かれたときに、上手く答えられないから。


 いつの間にか自動販売機の飲み物は種類を増やしているけれど、わたしは相変わらず烏龍茶ばかり飲んでいる。リゼはたまにブラックコーヒーを飲むけれど、徹夜のための劇薬のようなものらしいので、今回は紅茶でいいだろう。リゼは紅茶を一気に飲み干すと、「いいわ、こんなことばかり話してても仕方ない」と言ってソファから立ち上がった。


「研究室に戻るわ。お昼は外でしょ? それまでには一区切りつけるから、呼んで頂戴ね」


 そう言って研究室から去るピンと伸びた背中に、わたしは「無理しないでね」と声をかける。彼女は今、シャン・プランツに寄生された動物について調査しているらしい。なんでも、以前は実を動物に食べさせることでその動物に寄生していたのが、今はもっと簡単に動物に寄生できるようになっているとか……。難しいことはわからないが、要するににシャン・プランツがこれまでよりも危険な植物に進化しつつある、ということらしい。人間の脅威になるかもしれないから、この研究には軍事も介入してきているのだとか。


 わたしは烏龍茶を飲みながら、休憩室を出て階段を下りて行く。研究のこと、恋愛のこと。それ以外の、家族とか友人関係のこと。リゼには考えることが沢山あって大変そうだ。わたしなんてほぼ、ハイドとリゼのことしか考えていない。母との確執についてはもう諦めているし、兄との関係もここ数年、なんら変化はない。最近連絡ないな、と思ったら手紙が来る、といった感じだ。

 兄の手紙は常に同じことの繰り返しだ。元気だ、うまくやっている、結婚はまだ考えていない、そちらも元気で。こんな調子だから、細かい現状についてはさっぱりわからない。こっちは日々のことや母さんの容体とか、ちゃんと書いて送っているというのに。ハイドのことは流石に守秘義務があるから何も書いていないけど。


 メールや電話という手段があるのに、手紙で連絡を取り合っているというのは、奇妙なことだと思う。けれどもわたしたちきょうだいには、この距離感が一番お似合いなのだ。直接話してしまうと、お互いを傷つけあうことになるだろう。わたしは決して兄に母のことを押し付けられたとは思わないが、兄はそう思っている。

 わたしが否定しても、あの人の罪悪感は消えない。わたしと兄との間には深い溝ができているのだ。どうしてこうなってしまったのか、責任は誰にあるのか。原因探しは虚しいからやらないけれども。

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