2-3.夢の終わり

 本当に、遡っていたのだろうか。

 実は『遡り』には失敗していて、今のは私の失われていた記憶を引き出しただけではないだろうか。

 どちらなのかはわからない。ただ、魔力は消費している。

 どちらも正解なのかもしれなかった。


「……願、さん?」


 坏子の声がした。彼女は廊下にうつ伏せて倒れている。

 綾佳は坏子の腰にまたがり、左手を私の右手とつないでいる。

 閑馬は私と坏子の間で、坏子とは反対向きに、並んで床に這いつくばっている。首をひねって私を見上げている。

 私は閑馬の背中を横から踏みつけている。

 月光が、横の窓から私たちを照らしている。

 夜の旧校舎だった。廊下だった。

 二〇十五年だった。


「…………」


 今、自分がどんな表情をしているか。

 壊れたオモチャのようになっている気がする。口は半開きで、目はたぶん少し見開いていて、他のものは全部停止している。

 うまく頭が働かない。

 喪失という単語がふと浮かび、パズルのピースみたいにぱちんと収まった。

 そう、私は失った。何を失った?

 使命?

 倫理?

 存在意義?


「……ああ」


 喉から小さな声が出た。何か、納得したような声。

 私が遡ることは、すでに歴史に組みこまれていた――それが一番、自然な考えだ。

 きちんと目的を果たせた閑馬と、修正不可能な私とで、いったい何が違うのだろう?

『遡り』が基術式じゃないからだろうか。


 ――どうでもいいか。

 きっと、何度試してもどうにもならないことなのだ。


 私にはもう、やることがなかった。

 先のことなど考えられない。


 この胸には、私が直接百数十人を手にかけた事実だけが残っている。

『接続』で体内に張り巡らされた、子どもたちの術式が薄ら寒くて笑えてくる。

 自分の罪を掘り返して浴びるために、私は八年間を耐えてきたのか。

 倖果を死なせ、綾佳の立場を利用し、坏子の人生を奪い、閑馬の想いを踏みにじったのか。

 なんておぞましい人間だ。

 こんなモノが、自分が、本告願が、存在していい道理があるのか。


「……ちょっと、いいかしら」


 緊迫した面持ちで凝視する彼らに、私はぽつりと声がけた。

 

 三つ、後片づけをしよう。


 綾佳の手を握ったまま、私は閑馬から足をどけ、その場にひざまずく。

 彼の背中にそっと手で触れた。

 まずは、閑馬に『恵与』。

 彼を誑かし、魔術部に入れる以前に宿っていた分量まで、魔力を返す。

 手が、ぼうっと電球のように黄色がかった光を放つ。三人は警戒を保ったまま、やや不思議そうな顔で私を見守っていた。

 魔力を与え終えた。


「……さて、次は、と」


 次は禁呪の封印だ。

 閑馬の『遡り』を『超越』『復旧』で、活性化する前の状態に戻してやる。

 体の中に張り巡らされた、青い根と灰色の根。

 できる確信を、言葉を以て、自らの耳に伝わせる。


「『超越』――『復旧』」


 イメージするのは、閑馬住生の活性化前の意識。二○十五年七月一日時点の彼の基術式。彼の意識に刻まれた術式だけを光っていない状態に戻す。ヒビ割れた地面を閉じるように。

『超越』の反動が私の側頭部を貫いた。

『接続』で広がっていた灰色の根っこが、すうっと半分、体内から消えた。


「これにて閑馬君は元通り」

「……何、してるんですか、さっきから……」


 術式が消えて気持ち悪いのか、片目をきつく閉じて閑馬がうめく。記憶と意識の連続は途絶えていないらしい。今の記憶もちゃんとある。

 少しだけ安心して、私は最後の片付けに取りかかった。

 綾佳とつないだ手を離し、立ち上がる。

 三人の方を向いたまま、廊下を数歩下がる。

 できるだけきれいな、柔らかい、優しい微笑みを作って、告げた。


「ちょっと、なかったことにしましょう」


 親指と人差し指を伸ばし、もう三つは握りこむ。

 銃の形にした右手。

 青白く光る人差し指を、私は子どものように口にくわえた。


 私は、私の感情に素直に従うことにした。



 ばきゅーん。

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