Negai-2
2-1.本告願の戦い
閑馬住生を殺害するには脳を一撃で破壊しなければならない。
しかし裏を返せば、彼を葬るのは銃の一つも持てば容易い。
閑馬住生が[災禍]に勝利したのは、術式の相性、彼の執念に加え、たまたま[災禍]がヘッドショットという概念を持っていなかったからに過ぎない。
「ぱん」
[災禍]を世界各地に召喚する、神制機構の最上部が生み出した術式『災禍』。
有効範囲の大きさと[災禍]の強度にリソースが費やされたのか、各個体の細かな行動まではプログラムできなかったらしい。
「――ふう」
衝弾の最高速度はライフル銃のそれを優に上回る。訓練では出さなかっただけだ。当たったら死んでしまうから。
閑馬住生の頭を廊下にぶちまけて、私はゆっくりと腕を下ろした。
頭部を失った彼の体が、どさりと土嚢のような音を立てて床に倒れる。飛び散った血肉と脳漿が後ろの坏子や綾佳にしっかりとかかってしまっている。シミになるだろう。申し訳ないことをしてしまった。
つかつかと坏子に歩み寄る。
「……え?」
彼女は立ったまま呆然としていた。その白い首筋には、夜よりも暗い粘液――『吸収』が蛇のように絡みついている。よく見れば、肩、脇の下、ウエスト、腿の間からも。
背中全体を覆われているのだろう。
彼女の背後に立つ、綾佳によって。
「願さん――チバ――な、に――ッ!」
坏子の声をかき消す、若枝を折る音が二回。
前のめりに倒れた坏子の腰に綾佳がまたがる。坏子の両腕は後ろ手に組まされ、肘から先があらぬ方向に曲がっていた。その全身にたちまち黒い闇が纏わりつく。
事ここに及び、綾佳は優秀だった。
仰向けの閑馬の死体と、うつ伏せの坏子の体が、互い違いに並んで月に照らされる。
「大丈夫よ、すぐ彼は生き返らせるから。綾佳、『吸収』」
命じると、綾佳は坏子に座ったままで横の閑馬に触れた。
伸ばした手から闇色のもやが、彼の体にも広がっていく。
綾佳が『吸収』で『復旧』の術式を奪っている間、私は閑馬の骸から注がれる魔力の奔流に身を委ねていた。
力がうねる。命が渦巻く。若返るような心地に心身を満たされる。
良い気分だった。
これだけ潤沢な魔力があれば、基術式として『遡り』を持たない私でも、十分に過去へと遡れる。
この、壊れた八年を。
「『復旧』、吸収し終えました。次は、彼を蘇らせるんですよね?」
「ええ。魔力は足りる?」
「微妙です。『恵与』お願いします」
私は綾佳に近寄り、その肩に触れた。
「『恵与』」
先ほど閑馬より奪った[災禍]の魔力のほんの一部を与える。
綾佳はどこまでも無感情だった。魔力を与え終える。
「いきます。『接続』――『超越』『復旧』」
綾佳は坏子と閑馬に接続し、彼らの術式を行使する。
失われた閑馬の頭部が元通りに復元された。この状態ではマネキン同然だ。先ほど根こそぎ奪った、生命力たる魔力をいくらか返してやらないといけない。
私はかがんで彼の髪をなでた。気持ち程度の、
「『恵与』」
「――――」
ゆっくりと、閑馬の目が開かれる。
本当に蘇生してしまうのだ。
現物の死体さえあれば死人さえも蘇らせる。こんなの、今時ならフィクションでさえお笑い草の禁じ手だ。
本当にふざけた基術式。だからこそ私はそれを望んだ。
「おはよう」
彼の腹を踏みつけて、私は柔らかい笑みを作った。
あらゆるモノは不可逆だ。モノの時間を戻せるのなら、そこには消えない罪も罰もなくなる。そうして流れる世界の価値は失われる。
『復旧』そして『遡り』は、存在自体が大きな罪。
ゆえに、とくに世界の理を乱す『遡り』は世界に禁呪と判定された。そして機構の『災禍』――禁呪殺しのシステムが反応し、乳楢に[災禍]が現れた。
だけど。もうここに在るその力を、否定する権利は誰にもない。
罪は、悪ではない。
「……どうして、[災禍]を呼び寄せたんですか」
体を床につけたまま、薄く開けた目で見つめてくる閑馬。
魔力が枯渇していて体が動かないのだろう。つま先で鳩尾を踏みにじってやると、うううと苦悶の声を漏らした。可愛らしいから答えてあげよう。
「八年前に遡るため。今倒した[災禍]の魔力も燃料に、あなたの『遡り』と坏子の『超越』を使ってね。私は、あなたたち二人に殺された六百八十九人を救うの」
正確には、前回私が倒した[災禍]の魔力も合わせて、だ。
一部は坏子や綾佳、倖果、閑馬へと渡したが、大半の魔力はまだ私に宿っている。
綾佳の『接続』が完成するまでに、予定通り八年。
この年月ならおそらくぎりぎり『遡り』を基術式に持たない、つまり閑馬より『遡り』の燃費が悪くなる私でも、遡れる。
「意味が、わかりません。僕と神奈坂が殺したって、なんですか」
「わかる必要はないわ」
「そのために、倖果は死んだんですか」
「当たり前でしょう。あまりバカを言わないで頂戴」
虫唾が走ったので脇腹を蹴り飛ばす。背中を丸めてごほごほと反吐を吐いているが、吐きたいのは私の方だった。やはり元は東城基草、理のこの字もない。
魔術師は他者のために生き、そして死ぬように作られた生き物だ。
六百八十九人の人間の命を救うために、私たち魔術師の命を費やすのは、魔術師として正しく、当然の行いである。
「私の人生は間違っていない。そうよね、綾佳?」
「あたしに訊かないでください」
坏子の上で綾佳は俯いて答えた。前髪が影になって表情が見えない。
綾佳は『遡り』が[災禍]を呼ぶ事実までは知らない。だが、先の私と閑馬との問答でなんとなく察しはついているはずだ。
それでも私に付き従う彼女は、やはり魔術師なのだろう。
「けど、閑馬君が帰ってきてくれて嬉しいわ。これで私の願いが叶う」
閑馬の意識がこの世界に帰ってこなければ、私の計画は頓挫していた。
『遡り』は彼の意識に刻まれている。彼がこの世界に生きていなければ『接続』での共有ができない。だからさっきもわざわざ蘇らせた。
私は横から彼を再度蹴りつけ、坏子の体へと寄せた。
床に片膝をついて、片足は彼の背中に乗せる。手を綾佳の方向に差し出すと、彼女も手を出し、指を絡ませた。
四人の体がつながりあうまでものの数秒とかからない。
水に潜るかのように目を閉じる。
肉体と意識に張られていく、赤い根、青い根、白、黒、灰色。彼らの術式が綾佳の手から、閑馬の背から、求めるように伸びてくる。神経を犯す熱に息をつきながら必要な術式を探し出す。
青が『超越』、灰色が『復旧』と『遡り』。
それが可能である確信が、いつの間にか心身を満たしている。
「『超越』――『遡り』」
謡うように言葉を紡いだ。
それはこの世界の八年前に贈る鎮魂歌であり、遡る世界に対する誓い。
夜が消える。
世界が逆巻く。
意識と記憶が加速していく。
本告願の本当の戦いは、たった今、ここから始まる。
**
神制機構内部で突き止めた、最悪の真実。
禁呪殺しは、機構の掲げる表向きの目的だ。他の魔術師、ひいては一般市民をも殺戮対象に組みこむ術式『災禍』の裏の目的――それは。
禁呪持ちの排除に併せて魔術師たちの命を奪い、彼らの宿す魔力を集めること。
魔術師が逃げれば、本当に手をかけて。
魔術師にとっての絶対の禁忌を、魔術の相互扶助組織たる機構のトップらが犯している。その事実は私を谷底に蹴り落とし、全身に潰れるような衝撃をもたらした。
機構でもごく一部の有力者しか把握していない機密事項を知ることができたのが、偶然なのか仕組まれた事柄なのかは今なおわからない。
絶望、憤怒、憎悪――どこまでも湧き出す負の感情は、私に冷えたものを与えた。
機構は組織だ。組織を、ましてここまでおぞましく腐敗した世界規模の集団を、私個人で変えられる道理はない。
守るべき人間、守らねばならなかった人間は、私の住むこの街にいたのだ。
想いを殺し、計画を見据えて顔を上げた、過去の私の姿が映る。
シャワーで涙を洗い流す、齢二十歳の本告願。
そのシーンをぐしゃりと踏みつけて、私はフィルムの道の上を走る。フィルムは私の記憶であった。長かった。もうすぐ目的の時点だ。
東城基草の『遡り』が活性化する前。
そこまで遡り、彼を殺す。
進む先を見ると[災禍]を殺した翌日あたりからフィルムが真っ黒に塗り潰されていた。記憶にない箇所だからか。足に力をこめる。
黒いフィルムへと踏み出す。
「――え?」
墨汁でできた底なし沼に足を突き入れたみたいだった。
足裏に感触がない。ぬる、と足首が、膝が、腿が、腰が、闇の底へと引きずりこまれる。
抵抗する暇もなかった。
私は黒いフィルムに落ちた。
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