7-2.僕の世界

「大丈夫か?」

「大丈夫」


 時間にして一分ほどだろうか。

 うずくまりから立ち上がった僕に、神奈坂が心配げな声をかけてくれる。

 大丈夫ということにしておかなければならない。今はチバ先輩と本告さんの安否の方が重要だ。とくにチバ先輩。彼女が無事なうちに見つけ出さなければ『接続』が失われてしまう。致命傷は『超越』『接続』『復旧』の組み合わせで治す必要がある以上、ぐずぐずしてなどいられない。

 神奈坂は足を負傷して走れない。

 逆に僕は無傷であった。そして戦う前よりも力に満ちていた。

 泣いている間に、倒した[災禍]の宿していた魔力が濁流のように流れこんできたのだ。生命力の泉を力ずくで押し広げられる感覚に僕はしばらく戸惑っていたが、十秒も待たずに膨大な魔力は体と意識に吸いこまれた。

 全身から熱と光を放っているような、見えない湯気が立っているような錯覚。

 いつまでも走り続けられそうな気力が体中に満ちている。

 神奈坂は置いて、単身でこの棟から探していこう――決めたところで、


「スミー!」


 廊下の反対側から、先輩の声がした。


「先輩!」


 慌てて駆け寄ると本告さんも一緒だった。チバ先輩には目立った外傷はないが、本告さんの腹部から腰はべっとりと血にまみれている。表情は苦悶、額には脂汗。

 僕は二人の間に入って肩を貸し、神奈坂のいるところに戻った。

 そして三人に『超越』『復旧』を行い、全員を全快させた。

 こめかみに杭を打ちこむのもこれで最後にしたい――しゃがみこんで凄絶な頭痛に耐えていると、すぐ横に寝かせていた本告さんがすっくと立った。

 双眸がしんと冷えている。

 見上げる僕を蔑むように見下ろす。


「どうして私を助けたの?」


 ぽつりとこぼし、本告さんは背を向けた。

 廊下を教室二つ分歩いたところで、再びこちらに振り返る。


「戻ってきた理由は見当がつくわ。『向こうの世界』でも倖果が死んだのでしょう?」


 表情も目も声色も、機械めいて無機質だった。


「やられたのは……中三の、神奈坂です。倖果は、生き残った」


 頭が痛い。荒れる呼吸で吐き出すと、本告さんの目が見開かれた。


「ならどうして戻ってきたの?」

「勝手にここからいなくなるのは、失礼だからです」


 言いながら僕も立ち上がる。ホルスターからそれを抜く。

 本告願に銃口を向けた。

 倖果を殺したのは[災禍]であり、僕であり、彼女だ。


「意味がわからない。反動で狂ったの?」


 本告願もまた、青い光で手を包む。

 腕をゆっくりと水平に上げ、光る手のひらをこちらへと向けた。


「……閑馬?……願さん?」


 僕の背後で神奈坂が困惑した声をあげる。彼女の隣に立っているはずのチバ先輩は何も言わない。じっと成り行きを見守っている。

 本告願が酷薄な笑顔を作る。わざとらしい表情だった。


「それともまた遡るつもりなのかしら? 今から三ヶ月前あたりに戻れば、坏子ももう出来上がっている。二度の[災禍]戦で蓄積したノウハウを活かして、咲麻倖果も神奈坂坏子も死なせない、最良の未来を選び取る……そのつもり、なのでしょう?」


 言葉を繰る本告願は顔つきとは裏腹に、おそるおそる様子を伺う子どものように映った。まるでそうであってほしいかのような物言い。


「僕はもう遡らない」


 僕はそれを、自分の感情ごとばっさりと切り捨てた。

 この世界の閑馬住生ぼくと、遡った世界の閑馬住生かれを殺して。

 失敗したらやり直して、繰り返すたびに悲しい世界を作り出して。

 壊した世界の骸の上で、最後に笑顔でいられるわけがない。


「……僕は。僕の、みんなは」


 思い出す。

『中三の世界』のチバ先輩は、今どんな顔をしているのだろう。

 ジュジュっていうメイドさんは、他のお手伝いさんは、本告願は、倖果は。

 神奈坂を好きだった人、神奈坂に救われた人は。

 どんなふうに生きているのだろう。


「僕の世界はここだけだ。……ここだけなんだ」

 

 ――戻りたい。

 その感情を、衝動を、願いを。

 それはただの感傷だと、歯を食いしばって噛み殺した。


「……物語に酔った子どもが――」


 吐き捨てた本告願の眼差しには、夜の暗さをも絡め取るようなあらん限りの憎悪がこめられていた。対照的に、手のひらの光が強さを増す。

 銃口の照準は本告願に定めたまま、感情を排し、思考だけを声にする。


「だから、僕は本告さんにも死んでほしくない」


 ぴくりと、本告願の片眉が動いた。

 僕は本告願が憎い。殺したいほどに。否、殺したい。

 けれど、そんな彼女にも家族や友人がいるかもしれないのだ。その人たちから彼女を奪う権利が僕にあるとは思えない。

 ただ彼女に、理由を訊きたかった。

 内容次第で本当に引き金を引いてしまうかもしれないけれど。


「……ねえ、あなた」


 本告願の伸ばした腕の、手首から先がおじぎをした。力を抜いたようだった。

 青白く光る手のひらが、廊下の床へと向けられる。

 同様に目を伏せて、彼女は静かに問う。


「私が[災禍]を呼び寄せた理由。知りたいかしら?」


 頷く。


「ならここで一度、私に殺されて」

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