Sumio-7

7-1.さよならの景色

「やっ」


 ドラマチックすぎるとあれなのでナンパのノリで声をかけた。予想以上に軽薄になってしまった。反省。

 振り向いた神奈坂はあっけにとられている。というか、仰天している。金棒を全身で背負うように構えたまま、目は真ん丸、口は金魚みたいにぱくぱく喘ぐ感じで動かしていて、カッコわるいんだか可愛いんだかよくわからない表情を浮かべている。


「とりあえず[災禍]から離れよう」


 ぐいっと金棒を握った手を引っ張り、無理やりB棟の廊下に引き寄せた。そのまま手を引き廊下を走り出す。神奈坂はまだ戸惑っていたが、黙って僕についてきてくれた。

 ずっと背後で[災禍]が、このB棟廊下まで来た気配がある。

 外殻弾を撃たれる前に階段前へ走りこんだ。


「神奈坂は全速力で一階まで降りろ! すぐ追いつく!」

「え、閑馬お前――」

「いいから行けっ!」


 言い終えると同時[災禍]が僕たちのすぐ後ろに現れる。

 早い。迷っている暇はなかった。

 神奈坂はさすが、瞬時に床を蹴り踊り場へ着地、折り返して階下に姿を消した。

 僕は階段の手すりに手をかけ、


「っし、いくぞ……!!」


 その内側――上下に行き違う階段の隙間、校舎の天井から地まで吹き抜けとなった縦の細長い空間――に体を滑らせ、自由落下した。

 重力に従い、六フロア分のジグザグの中軸、階段百二段分の高さをまっすぐ落ちる。着地。足裏、膝、股関節および腰骨破損。背骨が股から突き抜けそう。『復旧』。

 神奈坂はすでに一階に下りていた。

 軽く屈伸する僕に驚嘆の面持ちを向け、彼女はわなわなと口を開く。


「閑馬、どうしてここに――」

「アイルビーバックって言わなかったっけ」

「冗談はいい! オマエ、まさか戦う気なのか!?」

「うん。それより神奈坂、さっき不健全なことしようとしてただろ」


 なるべく強く睨みつけてやると、神奈坂は少しだけ後ずさり、


「もう私しかいないんだ」


 つらそうな目を廊下へと落として、そんな悲しいことを言う。


「本告さんとチバ先輩は?」

「わからない。どっちも外殻弾を浴びたと思う」


 絶望的な言葉。

 気持ちが床に落っこちそうになるが、どうにかふんばり留まった。


「僕と先輩と神奈坂が生き延びればどうにかなる。今は[災禍]をやっつけるのに専念しよう。神奈坂、あと一発か二発、『超越』でアイツにお見舞いできる?」


 血と暗さでわかりにくいが、神奈坂の顔色は白く満身創痍なのが見て取れる。倒すか倒れるかぎりぎりの注文に彼女はゆっくり微笑した。


「何発でもいってやるさ。その後で私がミスっても、『超越』はチバが死体から回収すればあぃたぁっ!」


 NGワードに腹が立ったのでデコピンをかましてやった。僕のデコピンは倖果相手に鍛えたから結構な威力なのだ。


「うっさい。死ぬのは失礼なんだぞ。よっっく覚えとけ」


 額を押さえて上目づかいの神奈坂にびしっと指をさし、命の大切さを説いた。


「これが終わったらラーメン屋に行くぞ。再来週には夏祭りにも行く。七月は予定が目白押しだ」



 **



 反対側の階段前の廊下に移動して待っていると、ほどなく先ほど降りた階段から[災禍]が姿を現した。

 もうこのシチュエーションも何度目だろうか。けれど、これで終わりにする。


「じゃあ、僕は出るよ」

「気をつけろよ」


 階段の角から廊下に出る。長い距離を挟んで僕は[災禍]と対峙した。半フロア上った階段の踊り場から神奈坂が僕を見下ろしている。

 僕の右手には手榴弾。左手は安全ピンにかけている。

 間を見計らい、ピンを抜いた。

 来るとわかる、何故ならもう四度目だから。


「『位置復旧』」


 対象は自身。

 階段の角にワープ。

 同時に、[災禍]が今、僕のいた場所で急ストップ。


「『位置復旧』」


 イメージを再構成、対象は右手のブツ。一秒前と現在を結ぶ。もう安全ピンは抜けている。

 ふっと消えたその爆弾の、戻した座標は[災禍]の中。


 ――ドン。

 くぐもった轟音が[災禍]の内から響いてくる。


「っし!!」


 場に止まった[災禍]の体がぐらりぐらりと揺れていた。見た目に何も変わらないのは強固な[災禍]自身の外殻が内部の爆発を閉じこめた証拠だ。

 どれだけダメージを与えたかはわからないが、中身の肉の数分の一は焦げたミンチにできたはず。即座に駆け寄り[災禍]に触れる。


「『位置復旧』」


 今度は[災禍]を突進前の位置に『戻す』。

 数十メートル離れた廊下の最奥に引き戻される[災禍]。


「神奈坂、叩き割れ――!」


 叫ぶと同時、踊り場から神奈坂が一足飛び、すとっと廊下に飛び降りた。

 すぐさま金棒を構え直す。足下の床を踏み砕き、


「――あぁぁああぁああッ!!!」


 束縛から放たれたように、風を唸らせ[災禍]へ疾駆した。

 助走距離は十二分。


「ッッ!!」


 火花の光、耳朶を叩く大音響が廊下の先から同時に届いた。

 その源、数十メートル先へと走りはじめて、僕は目に映った状況を疑った。

[災禍]の外殻が破壊されていない。卵みたいな放射状のヒビが上部に入っているだけだ。[災禍]の目の前に立つ神奈坂の手に金棒は存在しない。どこかに弾き飛ばされたのか。

[災禍]が動きを再開する――感じた直後、神奈坂がその場で跳ねた。


「――――」


 走りながら、彼女の姿に見惚れていた。

 宙にくるりと螺旋を描く、長い黒髪が美しかった。

 高い前宙から[災禍]のヒビの中心へと、真っ白な脚が撃ち落とされる。

 厚みのある外殻が歪み、砕ける。

 大きく鮮烈な破壊音が響き渡り、空間を伝わってくる衝撃はこちらの肌をも痺れさせて――


「――っらああッッッ!!!」


 夜闇を切り裂く白い流線――斧さながらに繰り出された神奈坂の右の踵が、強固な外殻を叩き割った。

 後先考えずに渾身をこめたのだろう。右脚全体から亀裂を入れたような血飛沫をあげて、体勢を崩した神奈坂は背中から床に落ちた。


「――――っ!」


[災禍]の外殻の上部に、歪な五角形に切り取られた穴が開いている。

 内側に見えるのは、赤い肉。

 今度こそ倒す――一刻も早く辿り着こうと、足にいっそう力がこもった。

 矢先、[災禍]のレンズの一つ、青い眼球の奥が光った。まるで怒り狂う獣のように。

 彼我の距離は十メートル以上。

 直感。撃たれる。秒を待たず全身が挽肉か無様な赤い蜂の巣に変わる。

 外殻が波紋を打つ。卵のような弾が隆起する。弾の先端がまっすぐこちらを向いている。

 脳裏によぎる死のイメージ――


「――来いよ」


 僕は、それを殺す。

 在るべきイメージに上書きする。


 確信すべき事柄は一つ。

『外殻の真上にしがみついている閑馬住生』。


「『未来』、」


 ひときわ大きく鋭く速い、回避しようのない外殻弾が僕の頭部へ撃ち放たれた。


 ――魔術とは確信。

 やってやれないことなどない。

 未来への指向、すでに知る世界への跳躍。

 自分がこの距離間を縮めるのにいったい何秒かかるかなんて、骨身に染みてわかっている。

[災禍]の割れた外殻を見やる。弾はすでに眼前に迫っている。

 二・二秒後の未来。

 そこに紡ぐ認識の結像。


 


「『未来跳躍』」


 言葉を結び、床を蹴った。

 途端、


「『――――――――――――――――』」


 全身の神経が爆発した。

 あらゆる臓腑が一瞬で溶けた。

 イメージに跳んだ自身の体と在るべき世界の自身の体がズレこみ軋み歪み隔たりが生じる。

 明と暗が意識に交錯する。

 体感世界がバラバラになる。

 心と体を杭が貫いた。無限の杭。理を犯した罰。前後もなく宙が割れ自己が壊れこの認識をも打ち砕かれて――


「――――――――」


 それでも力づくで目を開く。

 僕は[災禍]の丸い体の、ちょうと真上にへばりついていた。天井が近い。


「――――ぅ」


 成功した。

『位置復旧』の裏表、確信による

 止まない吐き気と全身の脈動を無視し、体の向きを反転させて、今来た廊下の方を確認する。真下の床には神奈坂が倒れていた。どうやらまだ無事な様子だった。

 目前には外殻の穴。

 ぽっかり開いたその穴からは赤黒い筋繊維が覗いている。びくびくわななき、痙攣していた。カエルの日のことを思い出した。

 これが生き物であることを初めて強く実感する。

 生きてさえいれば、当然殺せる。

 唇を舐める。直後、腹を鈍色の突起に貫かれた。脳内物質のおかげか痛みはない。ただ熱くて、魂が抜けるような強い脱力を覚えるだけだ。『復旧』。完治。その場所に生えていた突起も元からなかったかのように忽然と消えた。当然だ。上書きする僕のイメージが優先する。

 

 ――降り立った此処を地獄と決めて。

 この身を死の淵へと縛りつけ、[災禍]を其処へと引き摺り落とす――


 銃口を[災禍]の肉に突きつけ、安全装置を解除した。

 零距離速射ゼロレンジ・ラピッドファイア

[災禍]が死ぬまで撃ち続ける。僕は絶対、死んでやらない。


「ああああああああッッッ!!!!」

 

 引き金を引く。

 引く。引く。引く。

 引く。引く。引く。刺される。『復旧』。

 引く引く貫かれる。『復旧』。

 引く引く引く引く刺され貫かれ『復旧』。

 引く引く引く引く引く引く刺され撃た刺さ『復旧』『位置復旧』。

 引く引く引く引く引く引く引く引く引く撃たれ引く引く刺され『復旧』。

 引く撃たれ撃た撃たれ『復旧』撃たれ撃た『復旧』刺され『復旧』『位置復旧』。

 手が飛ぶ。足が飛ぶ。胸が散る。腹が裂ける。肩が爆ぜる。膝が舞う。頭だけは死んでも消させない。位置をずらし、飛び降り、『位置復旧』の座標をコントロールし、五秒の空隙に身を滑らせる。

 自身が降らせる血の雨に踊る。

 屠る対象の上で無様に這い回り互いの死を進める僕の姿は、殺しの亡者に他ならない。

 銃弾が切れるたび、致命傷を負うたび『復旧』。

[災禍]を銃で穿ち続けながら、自分の即死だけは許されない。継続する死に身を焼かれながらほんの少しずつ死を分け与えていく。

 突起の生える速度が上がる。

 外殻弾がばら撒くような撃ち方に変わる。

 股間から胴体をまっすぐ縦に貫かれた。裂けていく。首を曲げる。裂けた。破れた。水風船みたいにバシャっと血が弾ける。脳が無事ならどうでもいい『復旧』。

 熱い。

 苦しい。

 つらい。

 ぼやける。

 軋む。

 弾ける。

 霞む。

 揺らめく。

 テレビをつけてはすぐ消して。繰り返される明滅と暗転。思考と視界のミキシング。ぶつんぶつんとブラックアウト。正常化。ハレーション。またブラックアウト。

 何もかもが痺れてしまった世界の中で、やることだけははっきりしていた。

 戻して撃つ。

 ただそれだけを動作に組みこまれた、自動人形のように。

 すべてはこいつを殺してから。

 それまでは己を忙殺する――


「――――」


 すべき――


「――――そ」


 なのに。

 飛散する血と肉とはらわたのなかで、顔中に散らばるそれを洗い流すかのように。

 とめどなく涙があふれ出てきた。


「――――そ――」


 意味がわからない。

 みんなを助けると決めて戻ってきたのに。

 この世界の責任を果たすために来たのに。


 どうしてか、倖果の顔が浮かぶのだ。


 引き金を絞るたびに、『復旧』で傷を治すたびに。倖果の景色が甦ってくる。


「クソッ――――」


 慌てた顔、むくれた顔、呆れた顔、白けた顔。

 照れた顔、悲しむ顔、泣いた顔、笑った顔。

 制服、エプロン、私服、ジャージ。

 部屋着、パジャマ、朝顔の浴衣。

 家、学校、映画館、ファミレス。

 遊園地、観覧車、神社の境内。

 旧校舎。

 寂れた公園。


「――クソッ――――!!」


 視界がにじむ。こぼれた涙が次から次へと頬をつたう。

[災禍]に作った銃創から、悲しみの原料が湧き出してきているかのようだった。

 繰り返す一連の動作の中で、声にならない声をあげ、吼え続けている自分がいる。

 その叫びに何を乗せて、何を吐き出しているのか。

 最後まで自分でもわからないまま。

 涙にぼやけた目を見開いて、引き金にこめた感情を、もはや完全に動きの止まった[災禍]の体に何十、何百と撃ちこみ続けた。





 ふっと、鈍色の地面が消えた。

 突然廊下に肩から落ちた。『復旧』。

 すぐさま首で振り向くと、そこに[災禍]はいなかった。


「……あれ?」


 床に這いつくばったまま、呆然とその空間を眺める。

 廊下には、月の光が落ちていた。

 数えきれない薬莢が散らばっていた。硝煙のにおいに満ちていた。

 静かだった。

 上体を起こした。

 両手で銃を、その宙空へとまっすぐ構える。


「閑馬」


 そっと誰かに背中を抱かれた。

 耳元で、もういい、という声が聞こえた。


「…………神奈坂?」


 血に汚れた神奈坂の顔が、頬の横にあった。

 閉じた睫毛が月明かりにきらめいている。


「もう、いいんだ」

「…………」


 その声に、手の力が抜けた。

 銃が床に落ちて、がしゃんと空虚な音を立てた。

 僕の心に、すべてが、ようやく、本当の意味で落ちてきた。



 かつてあった当たり前の日常は、二度と帰ってこないのだと。

 それを奪い取っていったものが、とうとう消えたこの場所で。

 傷一つない体を抱えて、子どものように泣きじゃくりながら、僕は事実を受け容れた。

 月はもう、何の表情も浮かべていなかった。

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