Tsukiko

1.増幅器

 自分のために生きるな。

 他人のために死ね。

 うわごとのように言い聞かせる父と母に、幼い頃の神奈坂るつきはにっこり笑顔で頷いていた。小さな子どもの世界の九割は親兄弟の言葉が占めている。あまりに愚直な魔術師の親の胎から生まれてしまった事実が彼女にとって幸か不幸だったか、今になってもわからないままだ。

 彼らの言う通り生きられたなら、乳楢の大火災は起こらなかった。

 あの日の災禍の原因は、私と彼の感情であった。



 親の決めた許嫁である東城の家の跡取り、基草。

 彼とは小学生の頃に出会った。

 昆虫のような眼で世界を見通す髪の短い少年だった。ぎょろりとした黒い眼差しに私が覚えた第一印象は、恐怖以外の何物でもない。

 しかし、話してみると案外気軽で、誰より優しい男の子だった。

 同じ魔術師の家系に生まれて、家柄もお互い中流程度、趣味も男と女なのに合う。小学生の時からずっと一緒だった。学校から少し離れた小さな公園で共に遊んだり、彼の屋敷でテレビを観たり、色んなゲームで競ったりした。あれこれ言いあい、笑いあいながら基草と一緒に何かをするのは、同学年の女の子たちと遊ぶよりずっと楽しくて、彼女たちに申し訳なく感じていた。そんな幸せな記憶がある。

 中学生になってからは漫画やCDの貸し借りも行った。彼の聴く音楽は流行のポップスではなく、男性ボーカルの落ち着いた洋楽が中心のラインナップであった。初めて耳にしたもの悲しげなサックスの調和やベースの振動に、私はすっかり興奮してしまって、どこで買ったのか、どう手に入れたのか、聴くたび問い詰めたりもした。父の趣味だと笑いながら答える基草。何枚もCDを貸してくれた。

 同年代に冷やかされるのを意にも介さず、基草は学校でも女子である私に話しかけて、ほい、とCDを渡してくれる。私も周りに冷やかされながらさほど気に留めずやりとりをする。

 からかわれても、事実なのだから仕方ない。

 私は当たり前のように彼を好きになっていた。彼も私を好いてくれていた。俗に付き合うと呼ばれる関係と、どう違うのかがわからない。


 そんなからかいもなくなってきた中学二年の半ば頃から。

 私はしばしば体調を崩し、学校内で倒れることが増えた。

 夜に行う魔術の修行の反動が眠っても抜け落ちず、昼の生活に響いてしまったのだ。

 放課後、基草にその件についてしょっちゅう咎められるようになった。

 夜の修行が大変なのは同じ魔術師だからわかるけど、お前はやりすぎなんじゃないか、と。


「るつきはさあ、人のために死ねって言われたら死ぬのかよ?」

「ふふ、それは極論ですよ基草さん。それに、そんなの当たり前じゃないですか」


 魔術師とは対極の思想――個の幸せを、一生懸命話す彼は可笑しかった。

 魔術師は人間である前に、人のために存在する生き物だ。

 魔術に対する価値観だけは彼とまったく噛みあわなかった。何度か倒れては話しあううちにひどいケンカになってしまったので、それからはお互いその話題は出さず、水面下に押し沈めて過ごした。

 私は幾度となく倒れ続けた。

 それでもどうにか中学を卒業し、乳楢の公立高校に進学した。

 そして当時高校三年生だった本告願さんと出会ったのだ。

 ……厳密には入学初日に教室の前で待ち伏せされた。


「小学校以来ねえ!……といっても、そっちは知らないでしょうけど」


 同じ乳楢の魔術師である願さんは、どうやら学区違いの別の公立中学に在学していたらしい。


「あなたが増幅器ね。期待しているわよ、救世主さん」


 満面の笑顔で握手を求められ、おずおず自分の片手を差し出す。両手でがっしと掴まれた。縄跳びみたいに上下に振られた。クラスメートたちの好奇の目がこの時ばかりは恥ずかしかった。


 高校生になってからも魔術の修行は厳しくなる一方だった。

 しかし魔術の、とくに新しい術式の習得は十代のうちに行うのが基本だ。人は成長するに従って思いこみの力が格段に減る。新しい幻想しきに確信を持てなくなる。

 登校直後や通学路での失神、昏倒を何度も繰り返し、結局私は学校に通わなくなった。非常に大事な時期だったから、休学してでも修行を続けた。

 基草とも一緒に遊ばなくなった。

 私自身、学校よりも基草よりも、魔術の方がずっと大事だった。

 私は、世界を救う使命をこの身に背負っていたのだから。



 **



 増幅器。

 あらゆる魔術の最大出力を、魔力の限り無制限に高める器。

『超越』を基術式に刻まれた私の、なりたい自分。将来の夢。

 数年前から世界中で[災禍]が魔術師たちを脅かしている。そこに増幅器の私が颯爽と現れて、みんなを危機から救うのだ。

 どんな魔術とて、極限の威力を持てば[災禍]を倒しうる矛と化す。

 多くの命を救える。

 しかし私の『超越』の術式は、対象を自身にしか指定できなかった。

 そこで私が幼少期から学んでいた術式が『接続』だ。

 他者と魔術を共有する『接続』。この術式さえ習得すれば、他人の術も増幅できるようになる。私は増幅器として完成される。


 君は[災禍]を倒す切り札になる――


 両親以外にも、色んな大人たちが家に訪れてはそう言ってくれた。私をほめて、頭をなでてくれた。私が人の役に立てると考えると胸が弾んで、ますます訓練に必死になった。

 世界を救う使命に酔い。

 魔術の反動がすこぶる愉悦で。

 術式を刻む心身の痛みすらも最高に心地良く。

 ある日見事に[災禍]を倒して、私も死んでしまう光景を考えるたび、胸が熱くなり、ドキドキした。

 学校に通う義務もなくなった私は一日中憑りつかれたように魔術を学び『接続』を刻んだ。その時期の記憶は定かではない。常に全身に電気を流されていたかのような感覚が残っているのみだ。


 そして、十七歳になった頃。

 私は『接続』を完全に習得した。





「使い物にならない」


 神制機構本部に訪れた私たち神奈坂に下された、私の性能テストの評価だった。

 テストでは何人もの強い魔術師と『接続』して『超越』を行使してもらった。併用者の大半は頭を抱えて倒れ、数人は吐血し、残りは失神した。

『超越』は、反動が大きすぎたのだ。

 軽自動車にF1のターボを吹かせるようなものらしい。併用者にも私自身にもただでは済まない負担を強いる。私はとっくに慣れていたから、それがいかに破滅的な反動かをちっとも理解していなかった。

 それまで私のことを救世主だ、戦女神だとほめそやしていた機構の人たちは、私が欠陥品だとわかると手のひらを返して去っていった。


 私の価値は喪失されたのだと、認めるわけにはいかなかった。

 他者のために生まれ生きる私が、在り方を曲げてはならない。

 併用者の『超越』の反動を、なるべく自分で負うようにすれば良い――その夜からすぐ『超越』の術式を組み替える修行を開始した。

 数日後、脳がバツンと弾けて、私は意識を失った。

 長く深い昏睡から目覚めて、自室の暗い天井を見上げた時。

 十七歳の私ははたと気付いた。


 私にはもう、未来がないのだと。


 ――ただ人のために生きてきた。

 ――自分のためのものは何もない。

 ――なりたいものにはなれそうにない。


 私から魔術を取ったら何も残らない。

 私はそんな、がらんどうの人間だった。

 

 数日後、私は高校に復学した。


「おかえり」


 放課後の帰り道で、優しく微笑みながら基草が頭をなでてくれた。

 空の茜色が眩しくて痛くて、私は彼の胸に飛びこんでぐちゃぐちゃになった。

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