6-2.2014年7月28日・1

 当日。

 僕は結局コンビニ以外はどこにも出かけず、一日中家でゴロゴロしていた。倖果もずっと家にいたようだ。

 ではコンビニには何しに行ったか。お菓子を買いに行ったのだ。宵越しの銭は持たない……ではないが、普段なら絶対に購入しない夏限定のリッチなポッキーをふいに一度食べてみたくなった。倖果と華乃さん、ついでに神奈坂とチバ先輩の分も買って帰り、部屋にこもっている倖果に渡してから僕も自室に戻ってベッドに寝転び漫画を読みながら食べる。ドライフルーツとココナッツがまぶされたポッキーは南国気分一直線のうまさで、これでは暑さが足りないと思い部屋の冷房と扇風機を切ったら当然至極蒸し暑くなった。ポッキーは溶けなかった。さすが高級品。

 この日は華乃さんが仕事から早く帰宅したので三人で夕食を食べた。メインのとんかつは良い肉を使ったのか旨味と肉汁に溢れており、また揚げ具合もサクっと仕上がっていていつにない絶品だった。思わずキャベツを二度おかわりしたら二人にくすくす笑われた。倖果の箸の進みが遅かったので彼女にも追加のキャベツを盛ってやったら微妙に嫌な顔をされた。

 食後は面白いテレビ番組もやっていなかったので早々に自室へと引き上げ、何をするでもなくぼーっとしていると突然倖果が訪ねてきた。

 ヒマだよー、とうるさいのでゲーム機を引っ張り出し、例のパズルゲームで遊んだ。

 今回は僕が優勢だ。僕はこのパズルゲームに負けてはならなかった。

 連鎖をしつつ倖果の様子をちらりと横目で伺うと、何か言いたそうな雰囲気だった。けれどずっと黙っていたのでこちらから話をふった。いつかしたのと似たような感じのやりとりを行い、なんとなく僕は満足した。

 そうして時刻は午後十時になり、倖果は自室に戻った。

 制服に着替えた僕たちは、華乃さんに挨拶をして夜の旧校舎へ向かった。

 チバ先輩たちに渡す予定だったポッキーは机の上。持っていくのを忘れた。





 今回の[災禍]との戦いは、前回とは決定的に違う点がある。

 チバ先輩が隠していた『接続』の術式について全員が周知していることだ。僕が遡ってきた経緯を本告さんがみんなに連絡した時『接続』の存在もバラしたらしい。

 今回は『接続』も――主に『接続』と『超越』の組み合わせも――駆使して戦う。なので当然前回とは戦術も多少異なっている。

 僕たちは旧校舎A棟の二階、長い廊下の真ん中に集まっていた。

 全員ここで、迎え撃つ。

 僕の太もも側面には、前と同じ拳銃のホルスター。制服のズボンのポケットには、黒いレモン型の手榴弾。前回はとうとう使わなかった。

 今回こそ使うのだろうか。


「……今夜、仕留めましょう。この世に殺せない生き物はいないわ」


 以前聞いたのと同じ内容の、本告さんの説明が終わった。

 本告さんの取り出した携帯電話の光る画面には、午後十一時五十六分と数字が刻まれている。

 雲ひとつない夜空に浮かぶ、半円に切られた月面が、暗い廊下をぼうっと照らす。

 無音の緊張が周囲に張り巡らされる。

 倖果が足を踏みかえた。


 何か、彼女の雰囲気が変わった気がした。

 その時、忽然とそれが現れた。やはり、すぐ目の前にであった。



 **



「倖果!『識撃』――!」


 本告さんの叫びが静謐を破る。隣に立つ倖果は、


「――――」


 呆然としていた。

 口を小さくあの形に開き、何か、忘れ物を思い出したような顔で。


「ば、バカっ!!」


 とっさに彼女の右手を掴んだ。無理やり引っ張り彼女を引き摺り後ろの階段へと走る。背を向けた[災禍]の方向から硬質な破壊音が出はじめた。

 すでに戦いは始まっている。

 倖果を引き連れ、廊下から死角となる階段の角に入り、


「何やってんだ!!」


 正面から彼女の両肩を掴んだ。

 倖果の顔は暗がりでもわかるほどに真っ青だった。

 見れば、足下が震えている。


「……倖果?」


 尋常ではない様子の彼女の名前を呼ぶと、


「……あれ? スミオ?」


 ふっと顔を上げて、僕の名前を呼び返した。

 戸惑い、不安、迷い、恐れ。倖果の感情が瞳から流れこんでくる。


「二人とも、そろそろ」


 声と気配に視線をやると、チバ先輩と神奈坂も階段の角に来ていた。倖果の肩から僕が手を離すと、歩み寄ってきたチバ先輩は唐突に倖果の頬を張った。

 轟音が反響する空間に、軽く鋭い音が挟まれる。


「戦うよ」


 毅然と告げるチバ先輩。

 片手で頬を押さえた倖果はぼんやりとした顔つきのまま、見下ろす先輩と目線を合わせ、きゅっと唇を引き結んだ。


「はい」


 階段の角から廊下を見やる。

 亜麻色の髪がたなびいていた。本告さんが単独で[災禍]と真っ向から相対している。教室一つ分離れた位置には青白い衝壁が張られており、徐々に接近してくる[災禍]が断続的に放つ外殻弾を弾き、防いでいた。無数の跳弾が廊下の四方に無作為に突き刺さっている。


「『超越』『接続』『識撃』。ユッキー、いくよ」

 

 チバ先輩が静かに促す。赤く光る両手を倖果、神奈坂とつなぎあわせた。

 僕は彼女たちの少し後ろへ下がる。

 倖果だけが角から廊下へと顔を出して[災禍]をその視界に捉えた。


「いきます。『超越』――『識撃』」

 

 言い終えると同時。

[災禍]の周辺に刺さっていた外殻弾が一斉に消えた。

 否。発射されたのだ。

 元いた[災禍]の外殻へと帰るように、吸いこまれるように。

 同時に[災禍]の周囲――半径三メートル――にぼうっと光の膜が張られた。対射結界。あらゆる飛び道具を無効化する[災禍]絶対の防御壁。膜の外側の外殻弾は弾かれ、再び壁、天井へと跳弾する。

 しかし倖果が『識撃』をかけた弾は、結界の内側にも存在し――ギィンと、金属が割れる際の独特の高音が耳を裂く。


「っし――!」


 それらは必然、[災禍]の丸い外殻に、墓標のように突き刺さった。

 思わずガッツポーズを取ってしまう。表面に刺さるだけに留まらず、内部まで貫ければ理想だったのだが。

 あの深く突き立った外殻弾を神奈坂が金棒で打ち抜けば、ただ叩くよりも広い面積の外殻を効率良く破壊できる。神奈坂自身の負担も少なく済む。


「っうぅ、う――」


 ささやかな歓喜を打ち消したのは、幼なじみの悲鳴であった。

 倖果が二人と手を離し、両手で頭を押さえてうずくまっていた。


「倖果!」


 即座に駆け寄り背中に触れる。『復旧』。

 倖果の苦悶は消えてくれない。

 彼女の額と同期するように僕の背筋を冷や汗がつたう。


「『超越』の反動か」


 忌々しげに神奈坂が言い捨て、すっと階段から廊下に出た。足を開き、重心を腰に落として、金棒を水平に構えている。

 飛び出す――そう思った瞬間には、その姿はもうそこになく。

 踏み砕かれた廊下の素材が、ただ中空に跳ねていた。

 驚きの声をあげるいとまもない。

 本告さんを、

 衝壁を、

 向かってくる外殻弾をすり抜けて、

 彼女は[災禍]の前へと詰め寄り、


「――――ッ!!」


 裂帛を以て金棒を一閃。

 前面に刺さった外殻弾を、杭の要領で[災禍]に打ちこんだ。先より一段と激しい轟音が廊下全体に響き渡る。


「っし―――――……え?」

 

 拳を握った僕と先輩から、こぼれたのは歓喜でなく驚愕。

 外殻弾はさながら釘のように深く[災禍]の身にめりこんだ。

 ただし周囲の外殻には、不思議とヒビ一つ入ってはいない。

 外殻が壊れない――予想、期待に反する展開に僕らがあっけにとられた直後、


 神奈坂がめちゃくちゃにされた。


 その白い手の中の金棒が、ガゴンと音を立てて床に落ちる。


 宙に彼女の細い体が影絵のように浮かび上がっている。

 四肢胴体を貫いているのは数多の細い鈍色の棘。

 伸びた根本には当然[災禍]。

 棘をつたい、ぴちゃりと滴る鮮血。


 神奈坂が、デタラメな昆虫標本みたいに宙に縫いつけられていた。


「神奈坂――!」


 半ば反射的に廊下へと飛び出していた。

 致命傷を負ったら即座に彼女は階段前まで退く。僕は『復旧』で回復する。それが作戦の基本であった。けどあれじゃそもそも抜け出せない。早く僕の方から近づかなければ神奈坂は当然死ぬ。

 本告さんの脇を通り過ぎ、一瞬開いた衝壁を抜ける。

 神奈坂へ、[災禍]へと疾走する。

 距離は教室一つ分。残り三秒。十分間に合う。


 その時[災禍]表面のレンズの一つがぎらりと瞬いた。


 来る――身を貫く衝撃に意識を照準。

 外殻弾が放たれた。死をもたらす鼠色の弾丸は真正面を走るこの胸へ迫り――着弾し貫くその寸前、小さな青い膜に弾かれた。

 衝壁。

 振り向かずに本告さんに感謝し、神奈坂を貫く棘の先端に触れた。


「『復旧』」


 対象は[災禍]そのものである。

 棘を生やす直前の状態へと『戻す』。

 刺さった外殻弾を残したまま、すべての棘だけがふっとかき消え、神奈坂が床にぽとりと落ちる。広がった黒髪に触れ『復旧』。彼女もまた無傷の体に戻る。

 時を同じくして[災禍]が目の前から遠のいた。廊下の奥へ引きずりこまれるようにしてずるずる下がっていく。反動から立ち直った倖果が『識撃』で押しやったのだろう。

 僕は神奈坂を背負うように肩を貸した。

 背後で衝壁が外殻弾を弾き、跳弾が校舎を破壊する音を聞きながら、階段に戻り、上階へと移動した。

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