Sumio-6

6-1.戦闘訓練・3/隣り合わせの死

 僕は『高一の世界』での訓練で足りなかったものをすでに見出していた。

 死だ。

 死に身を沈める覚悟だ。


「――――」


 神奈坂の金棒が唸り、下半身をダルマ落としみたいに打ち抜いた。衝撃に揺れるちぎれた上体から、肉やら腸やら脊椎やらを凧のしっぽのようにぶらぶら垂らし、僕はくるりと宙を舞う。

 刹那、体同士が触れあう場所を探す。

 思いつく。

 唇を結び『復旧』。あ、このやり方は良い。頭が吹き飛ばされない限りこの方法がベストだ。やはり人間、いっぺん死んでみなければ物事が見えてこないらしい。死ななきゃバカは治らないというが、死ねば死ぬほど賢くなるってのは新発見だ。いや実際ぎりぎり死んではいないのだけど。

 傷一つない五体満足で空き教室の床に落下する。顔を上げると目の前には僕の血飛沫、肉片、臓物のかけらが、こちらに向けてスプレーで散布したような放射状に散らばっていた。汚れてしまうのはこの際仕方がない。

 その奥、黒板の前では、当の神奈坂が怖い目、怖がる目で、倒れた僕を見つめている。

 教室の扉の窓からは、倖果の顔が覗いている。ずっとじっとこちらを凝視している。目が合うと気まずいので、なるべく見ずに訓練を続けている。


「……大丈夫、今回も成功したよ。慣れってすごいね」


 誇張ではなく、僕は即死しなければ死なない。すかさず『復旧』すればいいからだ。

 けれど、人はわりと簡単に即死してしまうんじゃないかと思った。

 思った僕は考えた。何事も慣れだ、と。

 慣らすのは意識。肉体に致命的なエラーが生じた際、どういう痛みがくるか、どういう症状が発生するかを意識の隅々にまで染みこませる。

 死の間際に何が訪れるか、理解していれば即座に対応できる。

 早押しクイズのボタンに似ていた。ボタンぎりぎりに意識をかざし、問題となる死因が視覚、触覚のいずれかから伝達されてきた瞬間に『復旧』する。違うのは、問題の内容は問わなくていい点だ。ただコンマ一秒でも早く押せばいい。

 たいてい痛みを感じる前に『復旧』を働かせられたので、さほど苦しさは感じない(というか、そのくらい早く反応しないと本当に死んでしまう)。

 模擬訓練の後で、神奈坂や本告さんに頼んで、『高一の世界』での射撃訓練の代わりにこの「死ぬ訓練」をしてもらっている。頭部の粉砕だけは控えてもらって。

 一方、並行して行っている「痛みに慣れる訓練」のほうはキツい。内臓を潰したり、腕や足を適当に飛ばしてもらったりした後、何秒間か我慢してから『復旧』する。当たり前だがものすごく痛い。痛みで頭がチカチカして『復旧』が遅れそうになるときもあるが、今のところは健康体を保てている。

 意識に砂鉄のような塵が積もっていく実感があった。おそらく死の疲労。キニシナイ。

 やっぱりかなりグロいからか、みんなドン引きなのも難点だ。

 始めて四日目となった今ではもう誰も観たがらない。


 ……教室の前で息を詰めている、倖果以外は。

 好きなんだろうか、臓物。


「……ぐ」

 

 もう一度殺ってもらおうと頼みかけた時、神奈坂が小さくうめいた。


「神奈坂?」


 うつ伏せに倒れた彼女にとっさに駆け寄り、ジャージ越しに彼女の背中に触れた。『復旧』。

 目覚めない。顔色はますます青く冷えていく。

 ぞくりと背筋に怖気が走る。


「チバ先輩!」


 廊下の外で倖果が叫んだ。

 こだました夜の旧校舎の上階から、階段を走って下りる足音が聞こえてくる。

 ほどなく先輩が教室に飛びこんできた。

 横にした神奈坂の様子を確認しながら先輩は言う。


「スミーの『復旧』はたぶん、消費した魔力や魔術の反動のダメージは戻せないんだよ。スミーが自分のこめかみの痛みを戻せないのと同じ。ツッキーは今、『超越』と『身体強化』の反動で昏睡している」


『超越』の反動――『復旧』や『遡り』と併用した時を思い出す。

 自分の中身を根こそぎ持っていかれるような感覚。

 数多の太い杭で頭をめった刺しにされる激痛。

 

 ……神奈坂は常時『超越』を『身体強化』と重ねて使っているという。

 つまり、全身に杭を打ちこみ続けながら戦っていたのか、彼女は。


「でも『高一の世界』じゃ倒れるなんてことありませんでしたよ?」

「高一ならそうだろうね。でもここのツッキーはまだ中学三年生だ。全身に刻む『身体強化』が、まだ十分に仕上がっていないんだと思う。……ねえスミー、どうしてツッキーは他の術式でなく『身体強化』を身につけているんだと思う?」

「『超越』と組み合わせて、とんでもない膂力を得るため……じゃないんですか?」

「半分正解。もう半分はね」


 チバ先輩はそこで一息ついて、


「『超越』の反動を、肉体の強化で無理やり誤魔化すためだよ」


 ひどく悲しげに、そう漏らした。





 倖果は先に家へと帰らせて。

 僕とチバ先輩、神奈坂は、本告さんの車で先輩の自宅へと向かった。

 乳楢には何十人かいる親なし子。中でも天涯孤独の神奈坂は、チバ先輩の家に同居させてもらっているらしい。僕と咲麻家の関係と似たようなものだろう。


「……うわぁ」


 緊張感もなくため息が漏れた。

 学校から何キロか離れた小高い山の、頂上に近い峠道の裏手。絵本に出てくるような洋館が暗闇を纏いそびえ立っていた。

 荘厳な門扉の脇にあるインターフォンを押すと、ほどなく奥の玄関扉から英国風家事使用人服姿――俗に言うメイド服――の女性が出てきた。品のある三十代って感じの。


「神奈坂様!」


 チバ先輩が背負う神奈坂を見て、メイドさんは声をあげて駆け寄ってきた。門扉を開き、あたふたと様子を伺っている。

 そしてその目が突然、先輩の後ろに引っこんでいた僕の方へと向けられた。

 鋭利な眼差しにこめられた感情は、明確な憎しみ。


「ジュジュさんは薬の用意をして。ベッドまではあたしが運ぶから」

「……承知致しました。本告様、閑馬様、ご足労いただきありがとうございます。以後はこちらで処方致しますので、どうか本日はお引き取り願います」


 誠に申し訳ございません、と硬質な声で続け、深くお辞儀するメイドさん。

 先輩がメイドさんに聞こえないような小声でささやく。


「ごめんねスミー。でもわかってやって」


 そうしてチバ先輩とメイドさんは屋敷へと入り、僕と本告さんだけが取り残された。本告さんが顎で車を指す。

 僕らは再び車に乗りこんだ。

 暗く、曲がりくねった山道を車で下りながら、助手席の僕は運転席へ問う。


「神奈坂は大丈夫なんですか?」


 日付け変わって、今日は金曜日の朝、夜明け前。

[災禍]の発生予定時刻は日曜日の午前零時である。残り時間はあと二日もない。


「以前から坏子が倒れることはあったから、気にしないでいいわ。今晩は無理だろうけど、明日の夜――[災禍]までには起きてくれるでしょう」


 前を向いたまま返す本告さんに、僕はさらに続ける。


「神奈坂が仕上がっていないってどういう意味ですか?」


 さっきはチバ先輩が、そして終業式の日には本告さんも言っていたことだ。『身体強化』の術式が、まだ完全ではないと。

 神奈坂は二つの魔術の反動で昏睡した。

 それは、本告さんに活性化してもらう前『復旧』のたびにこめかみを痛くしていた僕みたいなものなのだろうか。


「閑馬君。あなた、空を飛べと言われて飛べる?」


 質問には答えず、逆に本告さんが関係のないことを尋ねてきた。

 戸惑いながらも返答。


「いや、そりゃ無理ですよ。いきなり無茶苦茶言わないでください」

「そうね、無茶苦茶。でも触れた物を元の状態や場所に戻したり、遠くに見える物を動かしたりするのも、同じように無茶苦茶よ」


 あ、と声をつく僕をよそに本告さんは話し続ける。


「魔術は確信に基づく。深層心理、無意識レベルで可能だと思う術者の確信が、外界に自己認識を押しつける行為――魔術を実現するのよ。……さて、ここで問題。この場合、新しい術式を覚えるっていうのは、どういうことでしょう?」

「新しい魔術をできると思いこむこと……ですか?」

「間違っていないけどぬるい。術式の習得ってのはね、自己洗脳なのよ」


 洗脳。いかにも気味の悪い単語だ。


「基術式の延長や、似た術式ならまだ習得しやすいし、ある日突然覚醒したりもするんだけど。自分のこころのかたちとまるで無関係な別個の術式を覚えようとなると、心身に相当な負担がかかるわ。人格が変わってしまう、壊れてしまうことだってある」

「壊れるって――」

「何年も何十年も、体と心にあらゆる刺激をかけて自身を洗脳していくの。できる、やれるってね。基本的には、刺激の中でも一番実感の大きい、痛覚を用いて」


 淡々と本告さんは話す。

 神奈坂の基術式『超越』と、後から覚えた――もとい、この『中三の世界』で今覚えようとしている術式『身体強化』には、何ら類似点が見つからない。

 つまり神奈坂は、現在進行形で自己を作り変えているのか。

 苦痛と昏睡を挟みながら。


「魔術の最大出力を上げる『超越』の反動はとてつもなく大きい。常人ならそれだけでも発狂するでしょうに、坏子は無関係の、まだ習得しきれてない術式を使いながら、どちらの反動にも耐えている。……健気よね。おかげで学校にも通えない」

「え? 学校って?」


 愕然とする。

 神奈坂は、乳楢学園に通っていないのか?


「あら、知らなかったの。あの子、一日中魔術の修行で学校に行けていないのよ」


 きょとんとした目を一瞬こちらに向け、本告さんはすぐ視線を前に戻した。


「…………」


 初めて知らされた事実を前に。

 僕を睨んだメイドさんの眼差しを思い出す。

 僕の存在は今、神奈坂を[災禍]との実戦に向けた訓練へと強制的にいざない、さらなる負担を強いている。メイドさんもそれを知っていたのだろう。

 あのメイドさんも、神奈坂を大切に想っているのだ。

 人の周りには人がいる。当たり前のことだった。

 ……僕の周りにはあんまりいないけど。陸上部に「捻挫した」と連絡したら、あっさり夏休み中の練習を休む許可が取れるあたり、誰も僕など気にしていないのだと思う。都合が良かった。夏の大会もこれでパー。

 まあそれはいい。

 僕はあのメイドさんにとって――いや。

 チバ先輩や本告さん、神奈坂に倖果、そして彼らを想うすべての人たちにとって。

 災厄を運んできた悪魔に他ならない。

 それはこの『中三の世界』でも、前の『高一の世界』でも、何ら変わらない。


「…………」


 窓から車外に視線をやる。

 東の空が薄明るくなっていた。

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