4-2.僕には倖果が大切だった

「おはよう。来ると思ったわ」

「もう放課後ですよ」


 旧校舎一階の保健室には本告さんが、部屋の最奥のベッドには神奈坂がいた。

 本告さんは手前のベッドの脇に置かれた椅子に座っている。頬には四角く切ったガーゼが貼られていた。両手の甲には包帯が巻かれており、見るからに痛々しい様相だ。

 窓からは夕陽の赤い光が斜めに射しこんでいた。

 白い部屋が茜色に染めあがる。


「よく大丈夫でしたね」

「衝壁を自分の体に集めたのよ。服の下は包帯だらけ。あなたが思うより中身はずっとガタガタよ、きっと……ところで」

「何ですか?」

「何かしらそれは?」


 僕は右手に拳銃を持って、銃口を本告さんに向けていた。

 僕の背後、保健室を出たところの廊下にはチバ先輩が立っている。


 ――チバ先輩は基術式『吸収』の他に、もうひとつ術式を隠し持っていた。

 術式の名前は『接続』。

 触れた対象と互いの術式を共有する魔術。

 共有した相手は自分の、自分は相手の術式を『接続』自体も含めて自身の魔術として行使することが可能となる。

 いわば魔術のシェアだ。

 

 先輩の考えは至ってシンプル。

 まず、先輩と僕と神奈坂でそれぞれ手を取りあって『接続』する。

 この時、僕は神奈坂とチバ先輩の持つ術式が使用可能となる。

『超越』が使えるようになる。

 そして僕には以前本告さんからもらった大量の魔力――八年前の[災禍]の魔力の一部が宿っている。これを燃料に、『超越』と『遡り』を併用する。

 五秒以上前、それよりずっと前の世界――倖果が死ぬ前の世界――に意識を遡らせるのだ。

 そして僕は、何ヶ月か何年か前のその世界で。

 倖果を乳楢から連れ出す。


「わかっているんでしょう」


 夕の光をうけて錆色に濡れる銃を構えたまま、僕は問い返す。

 本告さんはどういうわけか、僕の『遡り』を阻止するつもりなのだ。


「あなたの考えていることは大方想像がつくわ。やめておきなさい」


 本告さんは椅子から立ち上がってぴしゃりと言い放った。


「『超越』を使う危険性をわかっているの? 魔術において、自分の限界以上の出力を出すことがどれだけ危険か――最悪、発狂するわよ」

「僕があなたの言うことを信用すると思っているんですか?」


 返すと、本告さんはかすかに怯んだようだった。


「どうして『逃げたらダメ』なんて嘘をついたんですか?」


 逆に本告さんを問い詰める。

 彼女は嘘をついた。何も知らない僕を騙した。逃げたら街の住民が死ぬなんて言って、人を死に追いこむ真似をした。自分の生存率を上げるために他人の気持ちを利用した。

 それだけは許せない。

 本告さんは答えない。


「なんで騙したんですか? そんなに回復役がほしかったんですか?」

「答える義務はないわ」


 本当に、虫唾が走る女だ。


「あるでしょう。……そこをどいてください。交換条件です。どいてくれれば『遡り』の前に、『超越』と『復旧』で神奈坂とチバ先輩、本告さんの体を昨日の状態に戻します。全員の傷が完治すれば、勝率もかなり上がるでしょう」


 本当は、倖果の死体にもそうしたかったのだ。一日前に戻したかった。そうすればきっと彼女も蘇った。

 けれど彼女の死体は旧校舎の渡り廊下に残っていなかった。

[災禍]が食べてしまったのだという。


「断ったら、どうするのかしら?」

「力ずくでどかします」

「やってごらんなさい」


 そして応酬は止まった。

 代わりに、しんと静かな空気が徐々に緊張を増していく。


「…………」


 間合いは一足一刀。隔てるものは何もない。

 向けた銃口が震えていた。心臓が爆発しそうに脈打っていた。

 僕は自分の感情や人間としての尊厳、今指先を引き止めているありとあらゆる鎖を打ち捨てるべきだと考えた。

 僕は倖果を助けたかった。

 

 引き金を――絞った。


 銃声が部屋にこだまする。

 同時に青白い衝壁が本告さんと僕の中間に現れ、銃弾を天井へと弾いた。間髪入れずに踏みこんだ。銃を持っていない左手で衝壁に触れ、まだ張られていなかった二秒前の空間に『戻す』――イメージを形成――する直前、


「本気?」


 顔面を片手のひらで掴まれ、腕ずくで床にねじ伏せられた。

 僕の頭は今、床に叩きつけられたボールそのものだった。追って首から下、体がバウンドする。後頭部への鈍い衝撃に視界カメラが壊れて暗幕が降りる。真っ暗な闇に星が瞬いた。

 構っていられない。

 拳を握る。


「『位置復旧』――!」


 三秒前、引き金を絞った立ち位置に、僕の体はワープで戻る。

 直後、再びまったく同じようにして頭から床へ叩きつけられた。


「お望みなら何度でもやってあげるけど」


 仰向けに倒れた僕の顔面を掴んだまま、腰をかがめた本告さんは冷たく言う。

 頭への衝撃で全身が麻痺していた。

 強い。生命として強い。僕はこの人にきっと勝てない。けれど、負けたら倖果を救えない――その時、顔を掴む手の力がゆるんだ。


「え?」


 指の隙間から、驚愕を浮かべる本告さんの顔が見えた。

 その後ろにはチバ先輩が立っていて、手を本告さんの背中に当てていた。


「綾佳――どういうつもり――」

「ごめんね願さん。あたしは、より弱い人の味方をしたいんだよ」


 チバ先輩の『吸収』――真っ黒な闇が、本告さんの背中を覆っていた。

 本告さんの手が僕の顔から離れた。力を失った彼女の体が、僕の体に倒れかかってきた。



 **



「というより、なんで止めるんですか。ここの僕が意識不明になるだけでしょう」

「それは……あなたには[災禍]の魔力も宿しているのよ? 貴重な戦力を逃すわけにはいかない」

「結局それですか……意識不明になった僕の体を殺すなり何なりしてください。殺した相手の魔力を奪うんでしょう、魔術師って奴は」

「あなた――!」


 ガムテープで巻きにした本告さんがベッドの上でわめいてる。怒り心頭の様子だが、空きベッドの上に乗せてあげただけ上等な対応だと思ってほしい。

 本告さんの魔力は、チバ先輩の『吸収』が粗方奪ってしまったらしい。時間が経てば、さながら泉が湧き出すように元の量まで回復するはずだが、現状は無力化できている。

 これで横やりを入れられる心配はなくなった。


 ――今言ったように。僕は『遡り』をした後、この世界の僕の体がどうなるかは解っている。

 この前は五秒だったから、神さまとやらが意識のコピーをとってくれた。

 だが今回は違う。少なくとも数ヶ月単位で、意識を過去へと飛ばす。

 自明だ。意識を失ったこの世界の閑馬住生の肉体は、永遠に意識を失う。


 まあ、死ぬようなものだ。


「今回のこれは、綾佳の入れ知恵ね?」

「住生が自分で考えたんですよ」


 いけしゃあしゃあと答えるチバ先輩。思いっきり嘘だ。だったが、僕にとっても心地の良い嘘だった。本告さんに睨まれ、僕も首肯する。これで今後の本告さんの、チバ先輩への風当たりが多少でも和らげばいいのだが。

 手前のベッドの本告簀巻きさんを通り過ぎて、窓際のベッドにチバ先輩と二人で近づいた。

 神奈坂はほとんど寝息も立てずに眠っていた。

 白い顔が夕暮れで赤く染まっている。生気がなく、日本人形のようだった。首まで布団を掛けているせいで胸の上下も確認できない。

 僕は神奈坂の布団をずらし、襟元の破れた制服の上から鎖骨の上あたりに触れた。


「最後にひとつ、言っておくわ」


 簀巻きが喋った。


「なんですかやかましいですね」

「あのねえ……忠告よ」


 諦めたようなため息をついて本告さんは言葉を続ける。


「あなたの『遡り』はおそらく、跳ぶ時間が長ければ長いほどその精度は落ちる。そうなれば、意識は自然ともっとも集約しやすい点――過去、思念がより強かった時点に収束する」

「悪役らしくわかりやすい感じでお願いします」

「すごく楽しかった日や、強く後悔している日に意識が着地しやすいってことよ。噛み砕いて言えば、あなたは人生のうちでも思い出深い日に戻るわ」

「はあ」


 人生で思い出深かった日……いまいち思いつかなかった。あるとすれば中学時代の陸上部の夏合宿だが、魔術部の訓練を経た今ではそう苦しかった感じもしない。


「それともうひとつ」

「さっきので最後じゃなかったんですか」


 チバ先輩が吹き出すと同時に、本告さんはこう言った。


「そううまく事が運ぶと、ゆめゆめ思わないことね。……どこへ逃げようとしたって、人は、自分自身からは逃れられない」


 捨て台詞だった。

 すでに底をついていたと思っていた本告さんの市場株価がものすごい勢いで暴落していく。やられた三流怪人みたいな恰好でよく人を呪えるものだ。感心してしまう。

 言い捨てると本告さんは寝返りをうって、こちらに背中を向けてしまった。

 さて、本題に戻ろう。

 まずは三人の体の『復旧』だ。

 窓際からだと本告さんの体に手が届かないことに気付き、二つのベッドの間に移動する。神奈坂の鎖骨に改めて右手で触れ、空いた左手で本告さんの背中に触れる。

 そして後ろに立ったチバ先輩が、僕の背中に触れた。


「いくよ。――『接続』」


 途端、背中からプラグを刺しこまれたような異物感が体内を走り始めた。

 植物に根をはられる地面になった気分。同時に、こちらからも先輩の手のひらに何か刺しこんだような、もしくは引きずりこまれたような感覚が走った。

 根っこは背筋から胸、腹、腰、四肢へと急速に伸びていく。僕から刺しこまれた根っこも先輩のなかを犯している。お互いの神経が絡みあって熱い。溶けあって気持ちが良い。

 やがて頭の中まで根っこが完全に入りこんだのがわかった。

 気がつけば、神奈坂と本告さんに触れた両手からも互いに根っこが出入りしている。僕たち四人の体が一つにつながって、それぞれの持つ様々な根が広がり、絡みついていた。なんだか頭がクラクラした。


「準備、オッケーよ」


 少し息を荒くして、汗を垂らしたチバ先輩が言う。

 体の中から、神奈坂の根っこが一体どれなのか探し当てる。数はまばらだが、太く力強く絡みついた、青白く光る術式がそれだ。『超越』の魔術式だった。

 魔術とは確信――一日前の三人の状態をイメージ。


「『超越』――『復旧』」


 まずは背中のチバ先輩から。

 イメージを鮮明にするために、声に出して魔術を行使した。


「――――ッッッ!!!」


 瞬間、意識が飛びかけた。

 かつてない強大な勢いで体内のエネルギーが失われていく。魔力の奔流が水のように渦を巻く。『超越』によって拡張された『復旧』という穴に吸いこまれる。

 こめかみに、太く、焼けた杭で打ち抜かれたような激痛が走った。


「治った……ジャージのズボンまでなくなった。すごい。さすがだよスミー!」


 背中から先輩の喜ぶ声が聞こえる。首だけで振り返ると先輩は笑っていた。夜の旧校舎での制服姿をイメージしたせいで、履いていたジャージをも消失させてしまったらしい。


「すみません……」


 けど、たしかに先輩の肉体を書き換えた手応えがある。傷もきっかりなくなったはずだ。

 続いて僕は、本告さん、神奈坂の順番で同じように、『超越』を併用しての『復旧』を行った。

 世界が灼ける。

 星が落ちる。

 こめかみに見えない杭が三本突き立った。


「――ッ、はぁ……」


 デタラメな激痛に目を閉じる。

 額から冷たい汗が垂れて、頬を横切り顎をつたう。


「……あなた、痛くないの?」


 簀巻きのガムテープもなくなった本告さんが、驚き恐れたような声をあげる。


「痛い、ですよ。だから、黙っててください」

「そんな……『超越』の反動よ? 気がふれたっておかしくない――」

「反動なんて、っ……昔っから、慣れてるんですよ」


 痛みなどどうでもいい。気はとうにふれている。……これからが本番だ。


「……閑馬?」


 爆発めいた膨張と消滅するような収縮を繰り返している脳に、鈴の音のような声が響いた。

 目を開けて、声の先――ベッドに寝た、神奈坂坏子を向く。

 彼女もまた『復旧』されており、長い眠りから目覚めていた。


「……神奈坂」

 

 反射的に彼女から目をそらした。

 神奈坂の視線を感じる。

 僕は倖果だけを守りたかったのだ。その倖果が死んだ。

 僕が戦う本当の理由は、すでにここからなくなった。


「ごめん」

「ああ――うん」


 どういう意味をこめていたのかはわからないが、神奈坂はたしかに答えた。



 ――意識をはるか遠く、過去へと向ける。

 何もしなければ、確実に咲麻倖果はこうして殺される。

 世界は音を立てて壊れる。

 だから世界を壊さないために。その災禍を防ぐために。

 この世界の僕がくたばってでも、過去の倖果をこの乳楢から連れ出す。

 それが僕の新しい戦いだ。

 倖果が幸福に生きて、僕も幸福に生きる。

 それが正しいと、決めたのだ。


 僕はたぶん人よりもずっと、失ったものへの執着が強いのだと思う。

 基術式はこころのかたち、その人の在り方だと本告さんは言った。

 きっとその通りなのだろう。


「『超越』――『遡り』」


 僕には倖果が大切だった。

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