3-6.2015年7月8日・2

 ほどなく全員が位置についた。

 そして[災禍]が廊下の最奥、僕たちが降りてきた階段から姿を現した。

 金砕棒を両手に持って構える神奈坂。衝壁を張る本告さん。


「…………?」


 その時僕は違和感を覚えた。

[災禍]が廊下の奥から動かない。まったくこちらに近寄ってこない。

[災禍]と神奈坂と本告さん、僕の間の長い廊下を、ぴんと緊張の糸が張りつめる。異様なまでの静寂を結ぶ。死と殺意が一直線の空間を支配する。

 打ち破ったのは[災禍]の方。


 動いたのだ。絶望的な速度で。


「――」


 僕はその突飛さに見覚えがあった。あれは陸上部に所属していた頃。放課後、先輩に初めて連れて行ってもらった、面白い場所での面白い体験。僕はちっとも打てなかったけど、今思えばプロ向けのレーンに入れられたのは所謂いじりってやつじゃなかったのかな。

 バッティングセンターのボールが、あんな感じだった。

 けれどきっと、もっとずっと速い。


「――」


 推定重量九トンの[災禍]が猛然と迫る。時速は不明。声もあげられない。この場の誰も反応できていないのはわかる。よしんば反応できたところで廊下の幅ぎりぎりのサイズの[災禍]の突進を回避できる道理はない。あの二人、とくに神奈坂の『超越』なら受け止められる道理もあるのかもしれないが、反応できていないのだから仕方ない。

 瞬く間に神奈坂と本告さんが。コンマが過ぎる。[災禍]が迫る。即座に顔を、体ごと大きく階段側へと引き戻す。

 一瞬だが、二人の体がボウリングのピンみたいに左右に吹き飛ばされたのが見えた。五体はつながっていたと信じたいが、何か、赤いものが盛大に飛び散っていた。血煙という単語が頭に浮かんだ。

[災禍]が僕の数十センチ目の前、階段の前の廊下で停まった。

 まるで停車駅に着いて、急ブレーキをかけた電車のように。


「う、わ――」


 バカみたいな声をあげて後ずさる。直後[災禍]が再び廊下側へと、バックするように引っこんだ。

『識撃』だ。今のうちに逃げなければ。とっさに階段を一息で飛び降り、膝を折り曲げてどうにか着地。足裏の痺れになど構ってはいられず、踊り場から反対側の階段へと足先を切り返しかけた時、ぬっと[災禍]が視界の端に戻ってきた。

 外殻弾が、階段の上から斜め下方――この踊り場へと放たれた。

 しかし僕はすでに跳んでいた。

 すんでのところで踊り場から、地上へと続く階段にダイブ、十七段を転がり落ちる。落ちきったところでべたんとうつ伏せになった。

 腕をついて立ち上がろうとして、


「あれ?」


 腕が両方ないのに気がついた。

 視界の両端に赤色がよぎる。数瞬頭が真っ白になり、


「――が――あぁあ――!?」


 思考が真っ赤に塗り潰された。

 幾千もの焼けた針金が肩口だんめんから背骨を刺し貫く。熱が上半身を這いずり回る。神経が焼けつく。湧き出す信号が出口を求めて行き着いた先、喉からは絶叫があがっていた。

 床に投げつけられた芋虫さながら。

 うつ伏せた体勢のままで煮えたぎる頭を回し、擦り切らせる。

 かき消えそうな理性が叫んでいだ。

 戻せ。

 戻せ。

 早く戻せ。

 でもどうやって?

 戻すには自分の体に触れないといけない。

 触れる両手がどっちもない!

 どうやってどうやってどうやって――


「…………!」


 ぐっと顎を引き、先端を首元にくっつけて――全身を『復旧』。


「く……っそ、がっっ!!」


 ふっと両腕が現れる。

 未だ続いている気がする肩の痛みは錯覚に相違ない。

 自身の作った血だまりに手をついて立ち、廊下を走って外に走り出た。


「くっ――そっ――――!」


 煌々と空で光る黄色い月が、嗤っているみたいで気持ち悪かった。どこか遠くへ逃げたかったが、足は何故か旧校舎内へと向かった。

 倖果たちのいるB棟に走り、入ってすぐ二階にまで上がった。上がってすぐのところに倖果とチバ先輩がいた。こちらの異変に気付いて移動してきたのだろう。


「二人は?」


 チバ先輩が強く訊いてくる。


「……轢かれました」


 絞り出すと、先輩は下唇を噛んだ。倖果はかすかに驚いた表情を浮かべる。


「様子を見に行く。A棟二階なら、一度三階に上がって渡り廊下を使って行こう」


 先輩の言葉に僕と倖果は頷いた。


「…………」


 必死で階段を上りながら、僕は漠然と恐れていた。

 とてつもなく大きな黒いものが、つい先刻痛みという形をもって僕の内側に侵食してきた。それは死だった。訓練のとはまったく性質の異なる負傷。本告さんの衝弾とは違う、即死を運ぶ外殻弾。前置きのない死。

 背筋に氷のナイフを立てられたような悪寒が走る。

 痛みには慣れたはずなのに、あんなにも無機質なモノから放たれる死の結晶が恐ろしくてたまらない。

 いつか固めた戦う決意なんて、目前に迫った死に比べれば紙屑みたいに薄くて軽い。破壊され散らばる校舎の壁とともにどこか彼方に吹き飛ばされてしまっていた。

 三階に上がった。

 A棟への渡り廊下は教室を四つ分行った先にある。

 嗤う月が照らす廊下をひた走る。渡り廊下の前に来た時、


 右折しようとする僕の視界の隅に、鈍色のそれが映った。


「ひっ――――!」


 すぐ先の階段から、ぬるりと[災禍]が顔を覗かせていた。

 凍りつきそうになる足を無理やり回す。[災禍]がどのような経路で来たかなど考える暇も余裕もない。外側の腕を大きく振り、体ごと傾けて急旋回。渡り廊下に突入した。

 そして、隣を走っていた倖果がいないのに気付いた。

 振り向く。

 倖果は廊下と渡り廊下を結ぶT字路の交点に立ち止まっていた。階段の方向に右腕を伸ばし手を広げている。

 何かがぶつかって崩れる音がする。

 彼女は[災禍]に『識撃』を仕掛け、その場で足止めをしているのだ。


「倖果! 早く!」


 僕は渡り廊下で足を止めていた。


「今行くから止まるなスミオ!」


 かん高い倖果の叫びに、しかし僕は走り出せない。走り出したらそれが今生の別れになる気がした。

 走れないまま硬直していると、やがて倖果はくるりと向きを変え、一気にこちらへ駆け出した。


「行くよ!」

「――ああ!」


 倖果に応え、渡り廊下を突っ走る。前方で立ち止まっていたチバ先輩も、安心したように再び前を向いた。

 チバ先輩が廊下を渡り終え、僕と倖果が残り五メートルほどになった時、またくるりと倖果の体が反転した。引っ張られるように目が動作を追い、僕は首だけで後ろを振り返る。

[災禍]がその丸く大きな体を、B棟から渡り廊下に半分ほど覗かせている。

 倖果がばっと右腕を伸ばす。手のひらを開き口を開きかけた瞬間、すらりと伸びた彼女の手首から先が突如ラズベリージャムになった。影が僕をかすめ、背後で爆撃音。外殻弾が通り抜けたのがわかった。


「倖果――!!」


 倖果の空いた左手を引っ掴む。前を向き、引っ張りながら『復旧』。

 彼女の優先順位はおかしい。渡り廊下を渡って曲がれば[災禍]の射線上からは逃れられるではないか。わざわざ攻撃に転じる理由はなんだ?

 倖果は僕に手を引かれながらも[災禍]の方に治った手を伸ばした状態で、後ろを向いたまま走っている。背後の渡り廊下の奥から校舎が壊れる物音がする。


「倖果!」

「離してっ!」


 悲鳴のような声。止まりそうになる。だが、決して止まるわけにはいかない。そう考えた瞬間、僕の右肩が突如爆発した。


「――ッ!」


 死の痛み――外殻弾だった。反射的に左手を右肩へと回し『復旧』。

 抵抗を失った体でそのまま短い距離を駆けて、A棟へと滑りこむ。

 これで[災禍]の死角だ――安心してからようやく僕は、左の手が失った抵抗が、倖果とつないだ手であったことに気付いた。

 

 振り返った。

 

 倖果は渡り廊下に立っていた。

 こちらに背中を向け、腕を渡り廊下の向こうへ伸ばして立っていた。

 その先の床と壁には、鉄屑のような塊がいくつも突き刺さっていた。

 さっき彼女が後ろを向いてから、目にも止まらぬ速さの外殻弾を『識撃』で何十発発も弾いていたのだと、僕はようやく理解した。

 黒い影が倖果の足元をよぎる。今、彼女の右膝下がジャムになった。

 バランスを崩して、くるりと回りながら倒れていった。

 倒れこんでいく倖果と目が合った。

 すごく透明な瞳をしていた。

 感情がそのまま伝わってくるようだった。

 いつからかすっかりわからなくなっていた倖果が、今はすべて理解できるような気がした。そんなわけないのに。

 口が、あ、の形に小さく開いて、


 倖果のこころが床にぶちまけられた。

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