3-5.2015年7月8日・1
七月七日火曜日、天気は晴れ。
僕は倖果と一緒にいつものように学校へ登校した。
火曜日午前の授業は古典などの眠くなりやすい授業が多いが、この日はしっかり真面目に受けた。昼は司書室で本告さん、遠近と三人で昼食を食べた。魔術部のみんなは来なかった。倖果の作った生姜焼きはやっぱり生姜が効いていてうまかった。
午後の授業を終えて倖果と二人で家に帰り、夕食まではベッドで眠った。この日は華乃さんが早く帰ってきて、珍しく三人で食卓を囲んだ。おかずはさばの塩焼きとなすの煮びたし。ふくよかなみりんの風味が活きた煮びたしがとくに美味で、倖果も満足げに頷いていた。
食後にみんなで観たテレビでは、世界各地の珍しいお祭りが取り上げられていた。ベルギーで八月に行われるという花じゅうたん祭りに倖果も華乃さんも目が釘づけで、もっとも美しい期間は四日しかないと聞いた時には二人ともがっかりした顔を浮かべていた。
テレビを観終えて自室でのんびりしていると倖果が訪ねてきて、久々に二人でテレビゲームをした。同じ色のブロックをくっつけて消していくパズルゲーム。僕の部屋に数あるソフトの中でも、お互いの実力が拮抗しているタイトルのひとつ。
今日は僕が少し押されていた。倖果は得意そうに笑っていた。
連鎖を重ねながら僕は倖果に話しかけた。
「そういえばさ」
「何?」
「倖果は小さい頃から魔術の修行をしてきたんだよね。活性化とかさ」
「修行っておおげさだよー。でも、うん、勉強はしてきたよ」
「全然気付かなかった」
「うん。ばれないようにやってたからね」
「ごめん。なんか」
「うん」
そうして時刻は午後十時になり、倖果は自室に戻った。
制服に着替えた僕たちは、華乃さんに行ってきますと挨拶して夜の旧校舎へ向かった。
七夕の夜空は雲一つなく、真円の月がただどろどろと朧気な輪郭を浮かべている。梅雨の合間の晴れ空だった。窓から注ぐ月明かりは強く、夜の校舎をはっきりと照らし出す。本来見えていたはずの天の川は、月光に覆い隠されていた。
僕たちは旧校舎A棟の四階、長い廊下のちょうど真ん中に集まっている。
四階建ての旧校舎は空から見下ろすと、アルファベットのHの真ん中の棒を少しずらしたような形をしている。ここA棟と向かいのB棟を結ぶ渡り廊下は三階にのみ設けられており、棟の移動にはそこか地上を経由する必要がある。
[災禍]がこの廊下に現れ次第、倖果とチバ先輩は出現したのと反対側の方向の階段まで走り抜け、三階に下りた後、渡り廊下からB棟に移動する手はず。移動した倖果は窓からこちらA棟の[災禍]を見据えて『識撃』を行使する。
『識撃』――認識した対象へと、瞬間的に直接力を加える魔術。
最大威力は車を宙に飛ばすほどだというが、打撃ではないため[災禍]の堅牢な外殻を破壊することはかなわない。[災禍]の巨体を押しやるだけ――けど、それでいいのだ。
倖果はA棟のこの場所で[災禍]と直接相対する神奈坂や本告さんのサポートを行うのだから。二人が[災禍]に迫られた時には力ずくで間合いを広げ、二人とも僕の『復旧』で回復している時には足止めを行う。
必要に応じ場をコントロールするのが今回の倖果の役割だ。
……言ってしまえば、彼女は直接傷つくポジションではない。
それが僕にはちょっとだけ嬉しかった。
もっとも、負けたら元も子もないのだが。
「それにしても、全員制服姿とはね」
本告さんが苦笑する。
動きやすく、着慣れていて、可能な限り丈夫な服装――たった三つの条件で、僕たちの思考は似通ってしまったらしい。倖果もチバ先輩も神奈坂も学校の制服を着ていた。本告さんはいつもの仕事着、Yシャツとジーンズで上に白衣を羽織った姿。
下はスカートより訓練の時同様ジャージのが良かったんじゃないかと訊く僕に、女子三人は一様に首を横に振った。ズボンの方が安全だと思うのだが。女の子の気持ちはわからない。
「[災禍]の活動時間は午前零時から午前六時まで。それを越えたら[災禍]は一時的にその場から立ち消える。そして翌日の午前零時に再び現れ、活動を再開する。[災禍]も魔術師同様、人目につきたくないのかもね……私たちにとっては都合が良いわ」
本告さんの話を聞きながら、太もも側面に固定した拳銃のホルスターにそっと手で触れる。
続いて制服のズボンのポケットに。歪に膨らんだそこには一個、黒いレモン型手榴弾が入っている。ずしっと重いその塊はピンを抜いて五秒で爆発する。
いずれも使うかどうかわからない代物だが、ほんの少しだけ心強い。
「以前話した通り[災禍]は自己修復機能を備えている。翌日に傷を持ち越さない。だから長引けばこちらが不利。……今夜、仕留めましょう。この世に殺せない生き物はいないわ」
最後の説明を終えて、本告さんは全員を見回してから携帯電話を取り出して見せた。
光る画面には現在の時刻が示されている。午後十一時五十五分。
耳鳴りを起こしそうな冷たい静寂が周囲一帯に張りつめる。
刻々と時が過ぎた。
僕は今、まばたきでもしたのだろうか。
視界が突然、鈍色でいっぱいになっていた。
それは音もなく唐突に、僕の眼前――手が届くほどの近くにあった。
[災禍]が、忽然と現れた。
**
鉛で作った月の模型に、大きなビー玉をまばらに埋めこんだようなビジュアル。
気色の悪い大玉は三十センチほど地面から離れて、宙に浮かんで静止している。
黒光りするこの外殻が伸びたり撃ち出されたりして、人の体を引き裂くのか。
あまりにも出し抜けに出現した、身長より頭二つ分高いその巨大な球体を正面にして。
つい呆然と、固まってしまっていた。
「倖果!『識撃』――!」
「はい!」
硬直した背中を貫く声。本告さんの鋭い命令。倖果の返答。
同時に、宙に浮く[災禍]の体が、まるでパチンコ玉みたいに視界の奥へと吹き飛ばされた。廊下の最奥まで押しこまれるように遠ざかっていく。
「隠れろバカ!」
神奈坂の叫びに立ち直る。
――[災禍]とは、私と坏子が直接戦う。
基本は廊下の中心地点、六つ並んだ教室のうち、三つ目と四つ目の間で迎え撃つ。
閑馬君は、廊下と階段の角に立って。
廊下側に顔半分だけ出して、[災禍]とやりあう私と坏子を見失わないで。
致命傷を負ったらすぐにあなたの元に退くから『復旧』で回復しなさい。
私たちが二人とも押しこまれて、あなたと[災禍]の距離が教室ひとつ分を切ったら、階段を下りて逃げる姿勢をとること――
本告さんの命令を反芻し、廊下に立つ神奈坂と本告さんに背を向ける。踵を返して[災禍]と逆方向、階段の方向へと走った。
倖果とチバ先輩はすでにB棟へと移動を開始したらしい。階段の角に身を滑り入れて、今来た廊下へと顔半分を出す。
そこはすでに戦場だった。
廊下を遮る壁のように張られた青白い光の膜――本告さんの衝壁が、廊下の奥から一定のリズムで飛んでくる何かを弾いている。弾くたび紫電のスパークが走る。弾かれた何かが教室の扉を、窓ガラスを、壁を、天井を、廊下の床を、紙粘土かガラス細工のように容易く粉砕しぶちまけていく。
破壊音が校舎に反響する。
床や壁に突き刺さったそれは鉄屑に似た塊だった。塊を撃ち出しているのは[災禍]の外殻の表面部。瞬間的に液状に波紋し、卵を産むような盛り上がりを見せ、うねり、ラグビーボールほどの塊を目に映らぬ速度で射出する。
外殻弾――外殻を加工し発たれる威力は火砲と何ら変わりない。
まともに浴びれば人体がどうなるかは明白だった。
「――――」
死の間近さに言葉を失っていると、不意に神奈坂が僕の目の前、階段前の廊下まで下がってきた。
「怪我、したのか?」
すぐに『復旧』の準備をすると、
「違う、助走だ」
言い捨て、神奈坂は腰を落とした。
右手に持った金砕棒を水平に上げて、ゆらりと構え――そして彼女は撃ち放たれた。
「――ぁああぁあぁああっっ!!」
裂帛の咆哮。硬質な物が砕ける鈍い音が耳朶を打つ。
足下の廊下を踏み砕いて、神奈坂が[災禍]へと飛び出したのだ。つむじ風が吹き抜ける。まるで空間が爆発して、そこから放たれた砲弾のよう。
彼女が描いた軌跡は
直後。
「――っ!?」
凄まじい轟音が鳴り響いた。幾重にも連なった空気の層をまとめて突き破るような音。金属が割れる際の独特の鋭さを伴う、聴覚を引き裂く不快な音色。
体ごと振り回した神奈坂の、金砕棒の袈裟斬りが[災禍]外殻の右上部――人間でいう左肩の位置を、粉々に打ち砕いていた。
そして、同時に。
鍾乳石のように外殻から伸びた丸太ほどの鋭利な突起が、彼女の胴体を串刺していた。
「神奈坂――!!」
思わず叫んでいた。飛び出しそうになる足をすんでのところで踏み止める。
金砕棒の破滅的な衝撃をどう殺したのか。[災禍]はぴたりと宙に固定されその場から微動だにしていない。
神奈坂の背中に生えた、角のような鉛色の外殻。
貫かれた制服の穴のまわりに、じわ、と血が広がっている。
彼女の行動は迅速だった。片手に握った金砕棒を手のひらでくるりと回し、返す刀で腹部を貫く突起を叩き折る。折れた先端を腹に刺したまま、
「――戻せ!」
宙に血ヘドを吐きながら叫んだ。
彼女は教室三つ分の距離を一足で跳び退いてきたのだ。
「っ、了解!!」
弾かれたように体が動く。廊下に飛び出し、背中から飛んでくる神奈坂を、その背に生えた突起を避けながら抱き止めた。
後ろに倒れこみながら『戻す』。
身を起こすと、生えた突起も腹部の傷も、きれいさっぱり消滅していた。
「さすが」
礼を言いすっくと起き上がる彼女は、すでに視線を[災禍]へ向けている。
僕は再び廊下から階段の角に身を潜めた。廊下の[災禍]を覗き見る。
砕かれた外殻の一部がスイカの皮のように崩れ落ちていた。分厚い層の内側には、グロテスクに脈打つ赤い筋繊維が見える。
あの中身を叩き潰せば、倒せる。
本告さんはここから二つ先の教室の位置に衝壁を張り、今なお放たれ続ける外殻弾を一発もこちらへ通していない。しかし顔には疲れの色が窺える。
本告さん一人では防御で手一杯で[災禍]に近づき攻撃するのは無理なのだ。
「もう一度――」
姿勢を低くして再度構える神奈坂。金砕棒を上げた。
そしてそこで止まった。
「――え?」
「え?」
僕と神奈坂の声が重なる。
本告さんと神奈坂を繋げるように、細い鈍色の串が二人の体を貫いていた。
赤い血がつぅっと串を伝い垂れた。さながら、焼き鳥みたいだった。
その長い長い串の根元――廊下のずっと先には[災禍]が。
「――――ッ!」
神奈坂がまたも金棒で叩き折る。同時に本告さんも、青白く光る手を腹部と背中に回し、串を握り取り、へし折った。貫かれた衝壁を手前に張り直しながら跳び退く。
僕はすぐに廊下に踊り出て、神奈坂に片手で触れて『戻す』。
それから先の神奈坂と同じように本告さんの体を受け止め、こちらも『戻す』。
数メートル先では衝壁が青白く光り、バチバチと音を立てている。リズムを上げた外殻弾の連射に軋んでいる。[災禍]がゆっくり近づいてくる。彼我の距離は教室二つ分。ひとつ分先の衝壁が軋む。[災禍]が近づく。その丸い体が衝壁に触れる――直前、大きく後退した。
「え?……あ」
否、後退させられたのだ。B棟からの倖果の『識撃』だ。
「でかしたわ、倖果ちゃん……みんな! 一旦退きます!!」
僕たちはその隙に階段を駆け下りた。
**
「次は仕留めます」
「頼むわよ……」
二フロア下り、二階の廊下を三人で駆けている。
神奈坂の宣言に答える本告さんは疲弊を隠せない様子だった。この調子で延々と戦っていたら持たないだろう。可能な限り短期決戦に持ちこまなければならない。
僕と神奈坂、本告さんは先と同じ要領で[災禍]を迎え撃つことに決めた。二人は廊下の中央で応戦、僕は今降りてきたのと反対側の階段の前に隠れて二人の回復。
「もう一撃、さっき開いた外殻の穴に同じように叩きつけてやれば、倒せる」
ぎゅっと金砕棒を握りしめ、神奈坂が声を床に落とした。僕と本告さんも同意見だった。
一度は上手くいったのだから今度もきっと通用する。
戦時においてはこうした安易さが文字通り命取りになる。
そのことを、僕らは数分後に思い知った。
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