3-4.基術式活性化・意識
夏の空気が深まるにつれて夜の到来は遅くなり、けれど七月は訪れた。
「お待ちかねのパワーアップイベントよ!」
手にクラッカーを持っていたらきっと鳴らしていただろう。射撃訓練をやり終えた僕を異様なテンションの高さでもって本告さんは部屋へと招き入れた。
時刻は草木も眠る丑三つ時。場所は前回と同じ家庭科室。
これから僕は、入部して一週間が過ぎた時に実施された「肉体に刻まれた術式の活性化」の続き、「意識に刻まれた術式の活性化」をするらしい。
本告さん曰く、僕はこれで新技――新しい魔術を覚えるのだとか。
「[災禍]出現は一週間後。七夕の夜、七月八日午前零時に現れるわ。閑馬君の魔術づかいもこなれてきたし、そろそろ『復旧』を完全な術式にしておかないとね」
「前から訊きたかったんですけど[災禍]が現れるタイミングってどうやってわかったんですか?」
椅子に腰掛けながら気になっていたことを訊く。
「ヒミツ。さて、では活性化いきましょうか。はいリラックスしてくださいねー」
電球のように光り出した右手をわきわきと動かしながら、本告さんが寄ってくる。とてもいい笑顔をしている。怖い。
がしっとその手に額を掴まれた。熱いと思った瞬間にはカッとフラッシュみたいな閃光が走っていて、同時に頭がミキサーにかけられて、世界が明滅してブラックアウト。
「おはよう」
「……おはようございます」
今度は本告さんの膝枕ではなく、テーブルに組んだ自身の腕枕の上で目覚めた。上体を起こす。上げた頭を鮮烈な痛みが貫いた。思わず目を瞑り、下を向いた。こめかみの右から左にまっすぐ
「何ができるようになったのかは理解しているわよね?」
横から本告さんの声がする。きつく目を閉じたまま頷いた。
試してもいないのにそれができると理解している。
気付いたら『復旧』ができることを知っていた、あの幼い日のように。
「じゃあ、何を身につけたか教えて? そうしたら、実際に試してみましょうか」
**
テーブルを挟んで、僕と本告さんは向かいあって座っていた。
本告さんは胸のポケットからぱっとマッチ箱を取り出した。箱の中身を見せてくれる。マッチは残り一本だった。
空箱を左手、ラスト一本のマッチを右手に持って、本告さんがふいに質問する。
「このマッチの火は、何色でしょう?」
「はい?」
マッチを持った本告さんと見つめあう。このままずっと眺めていても眼福かもなあ、と顔の造形に見とれかけた矢先、目の前で瞬く間にマッチが擦られた。
棒の先端には青い火が灯っている。
「はい、『戻って』」
ああ、なるほどと僕は思う。
目を閉じ、意識を五秒前に集中。
本告さんがマッチの火の色を問う前に――『戻る』。
「……ッ」
頭の中心点が弾けた。注射に似たシャープな痛みが走る。
自身を『位置復旧』した時に感じる、全身をよく似た別のパーツと置き換えられたような違和感。
目を開く。
「このマッチの火は、何色でしょう?」
目の前には箱を左手、擦る前のマッチを右手に、先ほどとまったく同じ表情、姿勢、声のトーンで問いかける本告さんがいる。
「青です」
「正解」
マッチを擦らずに空の箱に戻して、その箱を胸ポケットにしまいながら本告さんはゆったりと告げた。
「間違いなくあなたは『五秒前までの世界に戻れる』ようになったわけね……」
「理屈はさっぱりですけどね」
「魔術だからねー。“それができると信じていれば、やってできないことはない”。魔術とは確信だと説いた、昔の人の格言ね。いまいち威厳に欠ける格言だけど」
「やってできないことはない、ですか」
「そう、テキトーでしょ? でもそうね、あえて今のを理屈っぽく説明しようとするなら……あなたがいじっている時間の軸は、糸のイメージなのかしら」
言い終わると本告さんはテーブル越しに身を乗り出してくる。
「糸? いてっ」
本告さんの手が僕の頭に伸びたかと思うと、ぶちっと一本髪の毛を抜かれた。
「あら若白髪」
両手の指で左右の端をつまみ、先っぽが白い髪の毛をぴんと張る本告さん。
「閑馬君が元々習得していた、肉体に刻まれた術式である『復旧』が『過去の情報を現在に持ってくる』魔術だったのに対して――」
右手指でつまんだ白い先端を、左手指の黒い根元に寄せてくっつけた。
「今の、意識に刻まれた術式――『遡り』でいいかな。『遡り』では『現在の情報を過去に持っていった』わけね」
たわんだ髪の毛をまたぴんと張り直し、今度は左手指の黒い根元を白い先端の方へとくっつける。
「なるほど」
わかったようなわからないような話だが、とりあえず口では納得しておいた。
「今のはたぶん意識だけを、五秒前の自分の肉体に飛ばしたのよね?」
「そうだと思います。というか、体ごと五秒前の世界に戻るってのは無理っぽいです」
意識だけならタイムトリップできる、というのもとんでもない話だが、実際できるんだから仕方がない。
それにしても実用性がない。果てしなく使い道のない術であった。五秒戻れてなんだというのだ。満員電車でチカンでもして殴られる前にさっと五秒前の世界に戻るか。そこまでのゴミクズには堕ちていない。しょうもなさすぎる自分の発想に深いため息をつくと、本告さんは「がっかりしないの」と苦笑した。
「そもそも意識と肉体の術式は、セットでひとつの基術式なのよ? 九割以上の魔術師には同じ内容の術式が刻まれていて、両方活性化しても使える魔術は一種類よ。あなたみたいに性質が分かれる基術式のが珍しいわ」
「え、でも本告さんはさっきから新技覚えるって言ってましたよね?」
ひょっとして僕の基術式がそういうものだと知っていたのだろうか。
「いやその方がテンション上がるかと思って。まさか本当に覚えられるとは思わなかったわー。スゴイスゴイ」
今度こそ僕はがっくりと肩を落とした。
それから本告さんに淹れてもらった、頭痛に効くというお茶を飲んだ。部屋全体に広がる香りは口に含むといつまでも残り、代わりに痛みは凪いだ水面のようにすうっと鎮まり、収まっていった。
お茶を飲み終え、倖果が待っているであろう空き教室へと戻る前に、
「そういえば」
「うん?」
少しだけ気になっていたことを訊く。
「僕が『戻る』前の僕は――マッチが擦られた後の僕はどうなったんですか?」
僕の意識はここにある。
なら、マッチを擦った後の世界で、この意識が失われたはずの僕の体には、まだ意識は残っているのか?
それとも、あのマッチを擦った世界自体、なかったことになったのか?
「仮説で良ければ話すけど」
「お願いします」
「わかったわ。まず、あなたが戻ってきた時点――マッチをする直前の時点から、時間軸は『マッチを擦った世界』と『擦らなかった世界』に枝分かれした。擦った世界が、あなたの意識が元々あった時間軸。擦らなかった世界が、今のこの時間軸」
胸ポケットから再びマッチ箱を出し、一本だけ入った中身を見せる本告さん。
「本来なら、擦った世界でのあなたの肉体は文字通り意識を失っているはず……だけど、五秒程度なら大丈夫。擦った世界と擦らなかった世界で、魔術の中心にいる君の体や周囲にほとんど差が生じていないから。あなたが『遡り』で意識をこの時間軸に飛ばすと同時に、元の時間軸でも意識のコピーがとられているはずよ」
「コピー?」
「ええ。だから、擦った世界の閑馬君の意識も大丈夫。そこではたぶん、私はマッチの火を消しながら『遡り』を不発で終えたあなたをからかっているはずよ」
「不発……ですか」
「そう。そういった細かいつじつまは世界――神さまかな――のほうが合わせてくれる」
『戻ってくる前の世界』の自分の意識が無事だと聞いて、僕はなんだか安心していた。意識不明で倒れていたりしたら後味が悪すぎる。殺人なのか自殺なのか判断の難しいところだが、危うく人を殺してしまうところだったのだ。
「まあ、あまり気にする必要はないわ。その時君のいる世界が、君の時間軸よ」
当たり前っぽいことを言って本告さんは笑った。
「それじゃ、そろそろ失礼します。倖果を待たせちゃってるし」
「あ、ちょっと」
質問を終えて今度こそ家庭科室を出ようとした僕を、今度は本告さんが呼び止める。
「なんですか?」
「本番前に大怪我するわけにはいかないし、この一週間は訓練も抑えめにするから。くれぐれも体には気をつけてね」
「わかりました」
「当日に学校を休むかどうかは任せるわ。昼にぐっすり眠ったほうがいいかもしれないし、普段通りの生活リズムのほうが力が出るかもしれない。疲れない程度なら、遊びに行くのもいいかもね。……いずれにしても、悔いのないように」
帰宅する道の途中、誰かに後ろを見られているような気がした。
辺りは日の出前だからまだ暗い。今来た道を振り返ると、視界の奥の遠い暗闇に小さな光の点が見えた。
光点は四つか五つ見える。
星の瞬きのような小さな光が、闇黒の中でうごめいている。
いつの間にか立ち止まっていた僕の背中に、どうしたのー、と先を歩く倖果が声をかけてきた。
僕は再び前を向いて、慌てて彼女に追いつこうと駆け出した。
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