Sumio-3
3-1.戦闘訓練・2/ふたつの復旧
I can fly! 僕は窓から飛び降りた。
ほんの一瞬何もかもから解き放たれた。ふわっと浮いて夢見心地で、幸せだった。
後は落ちるだけ。見えない力が僕の足首をつかんだ。
冷たく湿った風が足先から頭上に吹きあげ始める。ジャージの裾がめくれ上がり、お腹がしゅんと冷えて気持ち良い。裸になったみたいだった。体は今や地上を爆撃して穿たんとする人間砲弾と化している。夜闇を切り裂く一陣の僕。重力の鎖が四肢に巻きつき、体を大地へと引き寄せていく。逆立つ髪、急加速するY軸。特撮ヒーローも真っ青の強大無比なキックをくらえ、地球。
着弾。固い地面の無慈悲な反作用が足裏から脳天に突き抜けた。膝が意思とは無関係にがくりと折れる。すぐさま体はぐるりと円転、体ごと横向きにぶっ倒れた。わずかにバウンドしたりもする。
「ぅぐっ――――!」
ぱきぽきぺき。無数の枯れ枝の折れる音が体の中から鳴り響いた。全身を剣山で貫かれたような激痛に呼吸も筋肉も脈動も止まる。
体内が液状化して大きく縦に波打っている。人体は水でできていることを実感。打ちつけた体側面が爆発したみたいで、そういえば僕は砲弾だったことを思い出す。つまりこれはあれだ、地面に落として破裂した水風船だ。
腕が自然にたたまれていて、脇の下が触れあっている。
そこから『戻す』。
「――っ、ふぅ」
全身、飛び降りる前の無傷の状態に戻る。
両手をついて立ち上がり、ジャージについた土を払った。
今さっき跳んだ三階の窓を見上げると、顔を出した神奈坂さんが心配そうな目で僕を見下ろしていた。
[災禍]に迫られたら、窓から飛び降りてでも逃げろ――緊急避難の訓練だった。
「大丈夫か?」
旧校舎に入り、階段を上がって元いた三階の廊下に戻ると神奈坂さんが声をかけてくれた。後ろから本告さんが笑顔で、小さく拍手しながら近づいてくる。
「いい感じよ。ショックで固まらなくなったのは成長ね。この前みたいに、五秒に間に合わなかったら大変だから」
この前――フラれた翌日の訓練で、手のひらサイズの衝弾が首に直撃した時だ。一瞬気管が潰されて酸素が途絶え全身痺れてしまい、廊下に倒れてからもしばらく手足を動すことができなかった。結局その時は右手の甲を豪快に擦り剥いただけで済んだが、さっきの飛び降りスーサイド戦術の後『復旧』が間に合わなかったらと思うとぞっとする。
「でも戻すのがまだ少し遅い。痛みを感じてからじゃなくて、痛みと同時に戻すつもりで。最後には反射的に戻せるくらいにならないとね」
「はい。……じゃあ、今度は『位置復旧』いきますね」
開いた窓の下枠に両手と片足をかけて、ぐっと体を宙に浮かせる。
力をこめて蹴り出した。夜の空中に再度浮遊し、重力にぐいと足首を掴まれ、今度は引き寄せられる前に『戻す』。
手で触れるのは自身の胸である。
イメージする像は、窓枠に手足をかけていたつい先ほどの自分自身。
「『位置復旧』」
四方八方にめちゃくちゃにGをかけられる感覚の、その直後。
僕の体はすでに宙になく、窓枠――数秒前にいた場所にワープして戻ってきている。手足をかけたさっきとまったく同じ格好で静止している。
追って、バァンと破裂音が轟く。
「――う」
頭の中から響く音だった。痛覚とは異なる、内側からヒビを入れられたような肉体の軋みがつらい。一度崩して組み直されたジェンガにでもなった気分だった。
――痛みに慣れることにプラスして。
物の状態を戻すこれまでの『状態復旧』と、位置座標を戻す『位置復旧』。
この二つの『復旧』を使い分け、見事駆使できるようになるのが、僕の新しい課題であった。
僕は以前よりも訓練に精を出すようになっていた。
フラれたからやる気が出ません! 休みます! つーか辞めます! ではさすがに人としてダメすぎるし、それだとまるで倖果の気を引くために入部したみたいで、ちんけなプライドが許さなかった。だいたいチバ先輩や神奈坂さんにも失礼だ。
そもそも僕は恋心表明のパフォーマンスに命を賭けられるほどクレイジーではない。少なくとも自身ではそう思っている。
加えて、今の倖果の態度があった。
あの後も倖果は何事もなかったかのように接してくれている。
普段、ケンカの翌日、弁当のおかずが僕の好物になるようなことがある。彼女なりの仲直りの合図だ。けれど今回はそういうわかりやすい変化もふるまいもなく、まるであの告白の出来事そのものが闇へと葬り去られたように、仲の良い幼なじみとして今なお気軽に接してくれていた。
なんとも思っていないのだろうか? という思考がすでに男らしくない。切り替えていなければならない。切り替えきれずに僕が気まずそうな態度をとった時、倖果から漂う「距離を置かれても仕方ないか~」みたいな雰囲気が、僕は何より耐え難かった。……もっともこれは被害妄想かもしれないが。
とにかく、フラれるべくしてフラれた奴相手に、フった側が罪の意識を感じるなんておかしい。恋愛感情ってそういうものだろう。
倖果に変な負い目を感じさせたくなかった。
だから訓練に集中して、苦しい内容にも歯を食いしばって耐えることが、倖果に、そしてみんなに示せる唯一の誠意であると考えた。
「ふぅ……」
自室のベッドに寝転がって、暗い天井を見上げている。皮膚に浮き上がっている疲労が重力に従って、ベッドに接した背中と四肢に染みこんでいく。思考はまだうまくとろけていかない。ため息をつくたびに目が冴えていく気がする。
いつの間にか外では雨が降り出していた。
耳に届く雨音は静かで、極小のラジオノイズを彷彿とさせる。
気象庁が梅雨入りを宣言してからしばらく経った。七月までもう半月もない。時が近づくにつれて[災禍]が来ることと、死についての考えが頭をよぎる回数が多くなってきていた。フラれてからは顕著であった。恋愛感情で麻痺していた死への恐怖が、まっさらになった心の表面に今さら重くのしかかっているのか。
それでも僕は逃げたくなかった。
僕は他人に必要とされた経験が、極端に少ない人間だったから。
「…………」
本告さんに、勧誘時につかれたかもしれない嘘のこと――逃げた時のことは訊かなかった。
人が嘘をつくのにはそれなりの理由があると思っている。まして命がかかっていることだ。自分の命を秤にかけて信頼をとるのもお人好しすぎるかと思ったが、嘘で脅しつけてまで入部させたかったなら、それほどまでに必要とされているのなら、僕はどうにかして応えたかった。
加えて、下手に逃げると言い出したら、本当に脅迫通りに殺されるのではないか、という恐ろしさもあった。あの本告さんの冷たさを僕は忘れられない。
「……それに」
倖果の方が嘘をついている可能性もあった。
倖果は僕を巻きこむのを嫌がっていたと、勧誘時に本告さんから聞いていた。
つまり、今から逃げても大丈夫だよ、という倖果の言葉は、僕が罪の意識なく乳楢から逃げ出せるようにするための嘘なのかもしれない、というお話。もしそうだとすると咲麻倖果は、街の人たちの命より僕一人の命を優先するなかなかの外道ということになるけど。
いや、その場合倖果たちも標的から外れるのか……ややこしくなってきた。
「とにかく」
三つ、たしかなことがある。
[災禍]が七月に、部のみんなを殺しにやって来る。
けれど誰にも逃げる気はなくて、返り討ちにしないと全員殺される。
僕は先輩にも同級生にも幼なじみにも先生にも死んでほしくない。
戦う理由はそれだけで十分だ――寝返りをうつと、机の上に置いた携帯の画面がぴかぴかと光っているのに気がついた。
立ち上がって手に取ってみると、メールが届いていた。
『明日の放課後、空いていないか?』
神奈坂さんからだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます