2-2.基術式活性化・肉体
家庭科室の隅、コンセントにつなげたポットがピーピーと沸騰を知らせている。
「一週間、疲れたでしょう」
ティーバッグを入れたカップにお湯を注ぎながら本告さんは言葉を続けた。
「いきなりの不規則な生活に、体を傷めつけるような訓練。そして魔術の使用。模擬戦闘での『復旧』の連発は、今の閑馬君には相当苦しかったと思う」
出された紅茶を両手で受け取り、スツールに座る僕は頷いた。
間隔を空けながら使っているとはいえ、『復旧』の反動は予想以上に重い。回数を両手で数える頃にはこめかみが釘を刺したように軋んで、体のだるさも悪化していく。時間が経った今は治まっているが、高熱時のような体調のぐらつきにはいつまでも慣れる気がしなかった。
「自分が情けなくなったりしますけどね。他の三人は平気な顔して動いているのに、僕だけが真っ先にへばっちゃって」
「いえ、あなたはみんなと前提が違うのよ」
「前提?」
本告さんは首を縦に振り、紅茶をテーブルに置いてこちらに歩み寄ってくる。
「閑馬君は今のままだと、魔術の燃料となる魔力も足りないし、術式行使時の反動も重すぎる。だから、今からそれらを解決します」
僕の額に片腕を伸ばして、そっと手のひらを宛がった。
「あなたに今から、八年前に私が[災禍]を倒して得た魔力の一部を与える。それとセットで、体に刻まれた術式をきちんと活性化するわ」
ひんやりとした手が気持ち良かった。
「えっと、魔力を与えるって……そんなことできるんですか?」
「ええ。私の
「基術式? って何ですか?……本告さんの術式は衝撃を操るやつじゃ?」
「生まれつき備わった一人ひとつの術式、こころのかたち――それが基術式。私の『衝撃操作』は後から学んで習得した、二つ目の術式なの。坏子の『身体強化』も後天的に身につけられた術式。逆に綾佳の『吸収』や倖果ちゃんの『
「はあ」
「基術式はその人の在り方を象徴するもの。だから燃費もきわめて良い……けど、閑馬君の魔力はそれでも少なすぎる」
紅茶を飲みながら僕は聞き続ける。額に手は乗せられたまま。
「他の部員には八年前の[災禍]の魔力はもう渡してある。前提が違うってのはそういうこと。で、あなたにはその魔力を与えるついでに、術式の活性化もやってしまおうと」
唐突に額の手が光り始めた。蛍光灯の白い光が照らす部屋の中でもはっきりとわかる強い輝き。触れた温度が高まっていく。
「あなたが今うっかり『復旧』を使えるのは、肉体に刻まれた術式だけがほんの少し励起しちゃってるから。全体の数十パーセントの術式で無理矢理魔術を行使しているせいで、百パーセントの術式で魔術をきちんと運用している坏子たちよりずっと反動が重い」
明確に熱いと感じられる温度だった。白熱電球を押しつけられているイメージ。
「術式とは心の紋様――それは、肉体と意識のそれぞれに刻まれている。今回はまず、目覚めかけの肉体の式を完全に起こす。そうすれば、今みたいな反動はなくなるわ」
熱さはすでに痛みになっている。椅子から立ち上がって振りほどきたかったが、体は硬直して動かなかった。翡翠の光沢のような深い色の瞳に心身を釘付けにされている。メデューサと見つめあったらこんなふうになるのかもしれない。
「他のみんなは幼少期からじっくり起こしていったはずだけど、[災禍]までもう時間もないから閑馬君はこの場で一気に叩き起こすわ。折を見て意識に刻まれた方の術式も起こさなきゃいけないし。負担は大きいだろうけど、ガマンしてね」
語尾にハートマークでもつけかねない調子で非常にキツそうなことを告げて、本告さんはいつもみたいににっこりと笑った。
そして強烈な閃光が網膜を貫いた。
瞬間、毛細血管のすみずみにまで炭酸飲料を流しこまれたような鮮烈な覚醒感が体中を駆け抜け、
「――――」
すぐさまその通り道を焼けた蛆虫がぞろぞろ這いずり回り、案の定僕は気絶した。
膝枕の上で目が覚めた。
白い天井を背景に、本告さんが柔らかく微笑んでいた。
「おはよう」
「……おはようございます」
床に手をついて体を起こすと、ぞわりとした痛みに全身を撫ぜられた。反射的に体が硬直する。皮膚の裏側が水ぶくれでもできたかのように火照り、じくじくと疼いた。震えながらどうにか立ち上がると、目眩と吐き気がひどかった。
「これで魔力の譲渡と術式の活性化は完了。今日は一日ゆっくり寝ていなさい。その疼きも、夕食時には治まっていると思うわ」
本告さんも立ち上がった。膝についた埃を払い、ポットの方向に歩いていく。また紅茶を淹れてくれるのだろうかと椅子に座って待っていると、戻ってきた本告さんはポットを持った手を僕に伸ばし、ゆっくり斜めに傾けた。
一筋の透明な熱湯がじょろじょろ音を立てて僕の太ももを濡らした。
比喩ではなく、皮膚が焼かれていた。
「つっ――――!?」
「戻して」
鋭く告げる本告さん。
飛びあがりそうになる体を押さえつけて、息を飲みこみ、ほかほかと湯気をたてる太ももに触れる。即座に『復旧』。
すっと灼熱と痛苦が立ち消える。
ジャージの下も濡れていない。
そして、魔術の反動――こめかみの痛みも感じられなかった。
「あなたの枷はなくなった。これからは血と痛みに、本格的に慣れてもらう」
**
「大丈夫……?」
「大丈夫大丈夫もう全然大丈夫」
倖果に肩を借りて住宅地を練り歩く。
もう夜は白み始めていた。見る人が見たら今時の若者の意識のゆるさ、性の乱れに癇癪を起こしそうな朝帰りの光景だが、僕としても誠に遺憾ながらそんな色っぽい要素は道中まったく存在しなかった。パワーリストを全身に巻けるだけ巻いてみました! と言わんばかりの壮絶に重たい肉体が加速する内側の疼きにめちゃくちゃにかき回されて色艶どころではない。体内の臓物が全部溶けてジャイアンシチューになったみたいだ。
そもそも二人とも薄汚れたジャージ姿でエロスもへちまもない気がするが。
「もっとこっちに体重かけても大丈夫だよ?」
「倖果ってそんなに体重あったっけ?」
「ぶつよ?」
「ぶたないでよ」
軽口を叩きながら、寄りかかりそうになる体をどうにか持ちこたえさせる。
僕は気を抜くといつも倖果に頼ってしまっているから、意識して甘えないようにしないといけない。肩を借りないと歩くのもままならない今だからこそ、己を厳しく律さねば。
そんな気持ちを知ってか知らずか、倖果は僕の脇にいっそう潜りこんでくる。鼻先に触れた栗色の髪の毛から、甘いにおいと汗のにおいが入り混じって伝わってきた。またつい力が抜けて、僕は足下のコンクリートを意識して踏ん張り直す。
遠くに見えるなだらかな山の稜線を日が昇り切ったところで家に着いた。
大小の消しゴムを二つ並べて置いたような、シンプルモダンな白い家。三人で暮らすには少しばかり広い箱。
僕を担いだまま倖果が苦労して鍵を開ける。
「二人ともお帰りなさい。今夜も訓練、お疲れさまでした」
ドアを開くと、玄関で華乃さんが出迎えてくれた。すでにスーツに着替えており、ビジネスバッグを片手に持っている。ショートカットの清潔な黒髪を揺らして華乃さんは快活に笑った。
「お風呂沸いてるけどどっちか入る?」
「私はいいよ。スミオは?」
「僕もいい……死ぬ……ごめん華乃さん」
「今晩は活性化だったんでしょう? 願さんから聞いてる。今日は休んでなさい」
苦笑しながら華乃さんは僕の頭にポンと手を置いた。ぐらぐらして気持ち悪かった。
――華乃さんは魔術師の世界についても、倖果が魔術師であることも知っていた。実の母親なんだから当然といえば当然だ。
一方で自身は魔術師ではないらしい。
詳しいことは教えてくれなかったけど、八年前に亡くなってしまった夫が魔術師で、華乃さんはそこに嫁入りしたんだとか。恋愛結婚で駆け落ちだとか。詳しく聞いてみたかった。
「あたしはもう仕事出ちゃうけど、倖果は大丈夫? 疲れがひどいならあなたも休んでいいのよ?」
「私は大丈夫だよー。それよりごめんね、お弁当作れなくって。家のことは適当にやっておくから。行ってらっしゃーい」
平然と返し小さく手を振る倖果。華乃さんは苦笑いを深めて、いつもの癖でうなじに手をやり、踵を返して外に出た。土曜日なのに出勤である。一応代休はあるみたいだけど、社会人は毎日大変だ。
僕もうかうかベッドで死んではいられない――と思うのだが、いかんせんジャイアンシチューには勝てなかった。
キッチンに向かう倖果に朝ごはんは要らないとだけ伝える。這いつくばって階段を登っている途中で戻ってきた倖果に発見されて、連行されるようにして自分の部屋へと到着した。
「後でまた様子見に来るけど、起きてお腹すいたり、何かほしくなったらいつでも携帯鳴らしてね。今日は私もずっと家にいるから」
体を放り投げるようにベッドへ転がった僕に布団をかけてくれながら、倖果は優しく笑って言った。
自分の不甲斐なさが恨めしい。
夕食までには復活してやろうと決意して、疼きよ消えよと固く目を閉じて眠りに就いた。
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