Sumio-2

2-1.戦闘訓練・1/銃とチケット

 ホワイトボードに書かれたあれこれがさーっと音もなく消されていく。


「じゃ、復習してみましょうか。ノートは見ちゃダメよ。さんにーいちハイ」


「え、えっと――全高約二・二メートル、推定重量九トン。見た目はウニ殻に似た球体で、宙に浮いて移動する。厚さ二~三十センチの外殻には、ところどころ複数のレンズが付いていて、それにより周囲を見ていると思われる。外殻、レンズともに材質は非常に硬く……えーっと」


「また軟性があり、たいていの衝撃は吸収してしまう。一見金属に似ているが非伝導、電気を通さない。耐熱性、化学的安定性もきわめて高く、化学兵器の類も通じない。攻撃行動は主に二種類。①外殻を表面部で加工、鋭い突起を自在に伸ばし貫く。②外殻の一部を切り離し弾丸のように発射する」


 六人掛けテーブルの対角で弁当をつついていた遠近が、詰まった僕の言葉を継いでくれた。おうこいつはラッキーな展開だと僕は食事を再開する。倖果の作るからあげは生姜がビッと効いていてうまい。


「[災禍]攻略における最大の障害は『対射結界』である。これは[災禍]の半径二~五メートル以内の範囲に侵入してくる、空中からの飛来物および地上からの高エネルギー物体を弾いてシャットアウト、外殻への直撃を許さない。このため、近代戦の主力である銃火器をはじめ、投擲その他、結界の外からのあらゆる狙撃は無効。高速車両などを用いた轢殺も不可能。ただし、結界の内側から撃てば飛び道具も有効」


「さすが沙代さよちゃん」


 ぱちぱちぱち、と拍手する本告さんにつられて僕もぱちぱち。ふふんと鼻をならしながら、二つ結びのおさげをかきあげてちょっと得意げな遠近であった。この子は周りの人間に対してクールで知的なふうを装っており、実際頭も良いのだけれど、根っこの部分は少々おバカというか、天然の気質を感じる。


「……で、さっきから先輩たちは何の話をしてるんですか? その未来の戦車みたいなマジカル巨大ボール生物は? 火星人?」


 パックの牛乳をストローでちゅーちゅー吸いながら、うさんくさそうな目で遠近が僕をじっと見る。僕は再び返す言葉に詰まる。

 時間がもったいないから座学は昼の司書室で済ませようと告げ、本告さんは遠近もいる中でおもむろに講義を始めてしまったのだ。どう答えるべきかと本告さんに視線を送ると、本告さんは仕方ないといったように肩をすくめた。


「今度閑馬君が書く少年漫画の敵キャラよ」

「は?」

「はい?」


 僕と遠近のすっとんきょうな声が重なった。


「侵略者たる魔法使いの火星生物と人類側の選ばれし超能力ESP戦士が地球存亡を賭けて戦う近未来SF大河スペースドラマなのよ!」


 そんな設定は初耳だし執筆する予定もない。


「自分で書く予定のマンガなのに設定覚えてないんですか……だいたいなんですそのB級エンタメ、題材の時点で手垢つきすぎだし設定がややこしいです。ロクでもない」


 呆れ半分の眼差しを向けてくる遠近に、僕も半ば呆れながら返した。


「目がきらきらしてるよ」

「なっ!? そ、そんなことありませんよ?……で、どうやって倒すんですかこの子? 近づいて攻撃しなきゃいけないんですよね……ぱ、パイルバンカーとか?」


 顔を火照らせて握った拳をちょこんと自分の胸にあてながらそんなステキな武器名を挙げてしまう天性のロクデナシにB級エンタメをバカにする資格はないと思う。

 頭に夢を詰めこんでいる遠近に本告さんは笑って答えた。


「殴り倒すのよ」



 **



 バスケットボール大の光球が鳩尾みぞおちに直撃し、空気が漏れる。

 腹部に重たい衝撃が落ちて強制的に呼吸が停止した。内臓がえぐれる感触の直後、どろどろに煮詰まった吐き気が喉元にせりあがり踊り回る。踏みしめた廊下から足裏が剥がれ、重力に逆らい身体が浮いた。


「ぐわっ――――!」


 元の位置から押し出されるように、体が後ろに吹っ飛ばされていた。

 背中から固い床へと落下。ガゴンと後頭部を打ちつけた。頭の芯に火花が飛び散る。抜け落ちかけた意識の表面に本告さんの叱咤が届いた。


「『戻し』なさい!」


 地獄のような気持ち悪さと痛みをこらえて意識を保つ。ジャージの上から腹に手を当てて『復旧』。

 途端、全身くまなく消しゴムでもかけたような錯覚が湧き起こる。


「……ふう」


 肉体へのダメージは元からなかったかのように立ち消えた。

 代わりに魔術を用いた反動でぎしり、とこめかみの奥が軋む。

 どうやら自分の体については見ていなくても戻せるらしい。元のイメージ自体がしっかりしているからだろうか。自分の身体を『復旧』したのももう随分と久しぶりだが、こうも何事もなかったふうに痛みが消えるとやや気色悪い。


「あのねえ、そんなに前に出ちゃダメじゃない。あなたは僧侶役なのよ? 簡単にダメージを許しちゃいけないの。今の、本番だったらお腹がなくなってるわ」


 戦闘を中断して、尻を廊下についた僕へとつかつか歩み寄りながら本告さんは言う。その背後、廊下の先にはズタボロのジャージに身を包み、メガネを外した神奈坂さんが立っていた。遠くからこちらを無表情で見下ろしている。

 右手には身の丈ほどもあろう、黒光りする金砕棒かなさいぼう

 ついさっきまであれを振り回す神奈坂さんと、本告さんは打ちあっていたのだ。


 ――魔術部に入部して、夜の旧校舎での訓練に参加するようになってから一週間が過ぎた。

 メインとなる訓練は旧校舎全体を用いての、本告さんを[災禍]に見立てた模擬戦闘だ。私は衝撃を操る術式――ちからの内容のことを、魔術師は術式と呼ぶ――を活用して「飛び道具が効かない」「外殻から弾を造って撃ち出す」という[災禍]の特性をうまく再現しているのよ、と本告さんは胸を張っていた。えっへん、とも言っていた気がする。

 僕に課された課題は二つ。

 一、敵と向かいあっている部員から目を離さないこと。

 二、敵の死角に隠れて絶対に致命傷を食らわないこと。

 いずれも『復旧』を使い、部員の受けた傷を回復するためだ。


「すいません。でも、前に出ないと神奈坂さんが見えないんです……」


 立ち上がって埃をはたきながら言い訳を口にする。

 神奈坂さんの動きを捕捉し続けるのは難しかった。夜目に慣れるために訓練中の照明は最低限しかつけられておらず、窓から射す月の光をありがたく感じるほどに視界が悪い。

 そして彼女は『身体強化』という術式を駆使して、縦横無尽に跳ね回るスーパーボールみたいな動きで廊下を駆ける。昔話の鬼が持つような長大な金棒を片手に。


「廊下の角や教室の出入口を生かして、死角からしっかりと坏子を見るの。今みたいに体が飛び出しすぎていたら撃たれるわ。まあ、閑馬君自身が回復する練習としてはこれも良いんだけどね。……それと、坏子。閑馬君が前に出すぎていたら注意して。あとあれくらいの衝弾は弾きなさい。そもそも後ろに通さないように」


 首だけを神奈坂さんの方に向けて、本告さんは強めに言った。


「すみません」


 表情を変えず頭だけ下げる神奈坂さんを申し訳ない思いで眺めていると、背後の階段を降りる足音がカツカツと廊下に響いてきた。


「どしたのー?」

 声に振り向くと、この棟の向かいのB棟にいた倖果とチバ先輩が戻って来ていた。訓練が中断したのがわかったのだろう。

 倖果の術式は飛び道具の効かない[災禍]相手にも遠距離から攻撃できる代物なのでB棟に配置されている。チバ先輩は倖果の護衛役だ。


「閑馬君が死んだのよ」


 ため息をつきながら本告さんが返事をする。倖果は眉をハの字に曲げて、チバ先輩はぷーっと吹き出した。人が死んだというのになんて反応だ。


「綾佳と倖果ちゃんは先にあがっていいわ。坏子はここでしばらく私とタイマン。閑馬君はいつも通りB棟の職員室で射撃訓練を三十分。終えたら一度私のところに戻ってきて」



 **



 デスクを片付けた職員室は思いの外広く奥行きがあった。そして少しの面影もなかった。

 空っぽにされた部屋奥の壁には緑色の分厚いマットが立てられ、鉄板がその前面を覆う。鉄板の上には厚紙の的がのれんのようにずらりと貼られていた。昨晩訓練から帰る前に僕自身で用意したものだ。

 部屋に入ってすぐ手前の、作業机に置かれている拳銃グッズに手を伸ばす。

 弾を詰めた細長い弾倉をグリップの底部へと挿入。上から包むようにスライドを握って、四本の指と手のひらの底で引く。映画みたいに親指と人差し指だけで引こうとしたら意外と硬くて力が要ったので、女子供でも安心の引き方を採用した。

 側面のデコッキングレバーに親指をかけて撃鉄を落とす。これで発射体勢は完了。

 両手で持ってまっすぐ伸ばし、拳銃を頂点に肩との二等辺三角形を作った。

 ずっしりと重い。姿勢を保っているとぷるぷる腕が震えてきそうだ。迅速に的に照準を定め、これまた微妙に重い引き金を絞る。

 撃った瞬間、しまったと思った。


「――っつぅ」


 衝撃波が耳奥で波打ち、痛い。

 鼓膜を太鼓のバチで叩かれたみたいだった。耳栓を付けるのを忘れた。

 銃は手軽なようで面倒くさい。命を奪うための道具があんまり手軽でも困るが。

 耳栓を入れて射撃を再開。命中率は良くない。弾が切れたら弾倉を替える。四本空にしたところで、軽く痺れた手と耳の感覚に目を瞑り、宙を仰いだ。

 すると誰かに肩を叩かれた。


「リストラ……?」成績不振に振り返る。

「何言ってんの?」


 チバ先輩だった。肘にビニール袋をぶら下げ、手には黒い物体を持っている。覗いた白い断面からは磯の香りがした。


「何食べてるんですか?」

「三時のおやつ。いる?」

「いただきます」


 銃を作業机に置き、ビニール袋に入っていたおにぎりを受け取った。ぺりぺりと包装をはがして頬張る。ただのコンビニの梅おにぎりをなんだかやたらとうまく感じる。深夜の学校、無人の職員室、拳銃、硝煙臭、女子と二人きり。シチュエーションとはかくも重要だ。


「そういえば、倖果は帰りましたか?」

「一階の教室で待ってるよ。健気だねえ。愛されてるねえ」


 またか、と僕は嘆息する。

 先に帰って寝ていてほしいと言っても倖果は決して帰らない。僕の個人練習が終わるのを何をするでもなく待っている。

 戦闘の訓練を始めてから睡眠時間の貴重さを思い知った。訓練の時間は通常、午後十一時半から午前二時まで。内容は学校までの道のりと校庭のトラックを用いたランニング。終えたら高負荷短時間の過酷な筋トレをこなして、それから模擬戦闘訓練。

 翌日に学校のない金曜の夜は深夜三時まで行い、水曜と土曜の夜は休み。

 そして今日は金曜の夜、もとい日付変わって土曜の朝だった。

 昼の間はずっと眠いし、体が重くない日はない。倖果にはできるだけ家でゆっくりしてほしいのに。


「先輩や倖果はもうこの訓練、始めて長いんですよね」

「うん。中三からだから一年ちょいかな。長いといえばそこそこ長いね」


 中三から――思い返してみても、倖果は当時も疲れたそぶりも見せず生活していた。さらに彼女は早起きをして自分と僕と、働きに出る華乃さんの弁当を作っていたのだ。いったい一日に何時間眠れているというのか。


「……よし」


 おにぎりを食べ終えて、今度は片手で銃を持って腕を伸ばす。


「お、カッチョイーねえ」

「全然当たらないですけどね。反動に慣れておけって」


 狙撃の腕を磨くのが目的ではない。[災禍]に遠距離からの飛び道具は効かない。うっかり近づいてしまった時に役に立つかもしれないから、というアバウトきわまりない理由で僕は銃に慣れる訓練をしている。銃の状態をちょくちょく『戻』せば弾切れの心配がないから、あなたとはべらぼうに相性の良い武器なのよ、とは本告さん談。


「ねえねえスミー」


 銃撃の合間にチバ先輩が、耳栓越しでも聞こえる大きな声で話しかけてくる。


「ディズニー映画の海賊の子分みたいな呼び方はやめてください。なんですか?」

「ユッキーとはどこまでいったの? やっぱりC?」


 銃口が思いっきり跳ね上がった。


「うわあぶなっ! 天井撃っちゃってるじゃんかーもう。破片パラパラいってる」

「危ないのはアンタの発言だ!」


 思わずタメ口で応えると「おう慌てちまってかあいいねえ」と先輩は笑い、口笛を吹いて言葉を続けた。


「好きじゃないの?」

「……別に先輩には関係ないじゃないですか」

「あるんだよこれが。部長だもん、部員のメンタル管理も仕事のうちよ……ま、思い残しはないように、ってさ」

「思い残し?」

「あたしらのうち何人かは死ぬからさあ、たぶん」


 ぴたりと空気が凍りついた。

 先輩の方を振り向いてみたら、自ずと視線が絡みあった。

 何のことを言っているかは明白だ。先輩の目は平坦だった。


「死なないように頑張ってるんじゃないですか」

「頑張れば生き残れるなら死ぬ人なんていなくなるのにね。人間死なないように頑張っても死ぬときは死ぬ」


 淡々と先輩は言い続ける。何か反論したかったが、黙って言葉の先を待つ。


「やり残したことがあるならやっといたほうがいいよ、人生一度きりなんだから。あそこであーしとけば! って嘆いたってやり直せない。で、あたしはそういう未練がなくなった仲間と一緒に戦いたい。死んでも重くないから」


 話しながら先輩は、ジャージのポケットから長方形の紙束を取り出した。やたらカラフルなのと柔らかい色調のが二枚ずつ。

 そいつらを僕の眼前に突き出し、先輩は声高らかに叫んだ。


「You告っチャイナYO!」


 意味不明だった。

 目の前の紙をよく観察する。マッチョなナイスガイと女性が抱きあう背後で何故か爆発が起こっている方は映画の、水色の空と観覧車が描かれている方は隣町にある遊園地のチケットだった。


「……つまりこれで倖果をデートに誘って、そこで告白しろと?」


 我ながら物わかりが良いと思う。


「うん」

「急すぎませんか?」

「恋に時間は関係ないYO!」

「幼なじみのアドバンテージを全否定しないでください」

「いや失敬。でもさー、好きじゃなきゃわざわざ親御さんを押しのけて弁当なんか作らないと思うんだけどなあ」


 弁当の件で僕と倖果の関係はばれている。ひとつ屋根の下に暮らす幼なじみ。弁当は倖果製だが、関係はそれ以上でも以下でもないと、二人で必死に弁解した。


「それにやっぱり好きなんでしょ、スミー?」

「好きですよ。すごく」

「ん、素直でよろしい。それじゃあ決まりね」


 先輩は僕にチケットを握らせて、おにぎりの包装ゴミをビニール袋に戻して部屋を出ていこうとする。

 なんだか勝ち逃げされるみたいで悔しいので、お礼ついでに僕もその背に問いかけた。


「ありがとうございます。ところで、先輩には何かないんですか? やり残したこと」

「あたしには元々なんにもないよ」


 さらっと言って先輩は職員室を出ていった。


「…………」


 チケットひとつ渡すのにずいぶん心を押し広げていった――今さら湧いた先輩への反感には、きっかけと気付きをくれたことへの感謝も混じっていて。

 僕はポケットに丁寧にチケットを入れて、散らばった薬莢を掃除して、次来たとき用の的を設置する。

 チケット自体それなりの値段がしたはずだ。

 いつかちゃんとしたお礼を返さなければならない。



 **



 職員室から廊下に出た時もまだ、本告さんと神奈坂さんの足音は暗く静かな校舎に鳴り響いていた。地鳴りじみた重く低い音と手拍子のように軽快な音が不規則なリズムを刻んでいる。音はすぐ下の階から。学校中を移動して戦い続けていたのだろうか。

 考えていると音が止んだ。

 階段を降りて廊下に出ると、視界の先では神奈坂さんが、仰向けになった本告さんの上に馬乗りになっていた。短く持った金砕棒の柄を本告さんの顔に突きつけている。


「私が憎い?」


 はっきりと聞こえたのは息を切らした本告さんの声。神奈坂さんは無言だった。氷の表面みたいな顔つきだった。苦笑して本告さんは廊下を二回手で叩く。ギブアップの合図だ。

 訓練を終えた二人に近づくと「かっこ悪いトコ見せちゃった」と本告さんは舌を出して笑い、先に帰るよう神奈坂さんに促した。

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