1-3.彼女たちとのランチタイム

 昼休みの到来を告げるチャイムが鳴る。

 にわかにざわめき始めるクラスメートの声と、ガタガタと机を動かす騒音に追い出されるように教室を出た。

 片手には弁当箱を持っている。今日も三階の図書室まで赴き、奥の司書室で昼食を摂るのだ。図書委員の仕事があるわけでもないのに。


 ――中高一貫校であるこの乳楢学園には、中学から持ち上がりの生徒が僕も含めて多いため、僕みたいな奴にも顔見知りはそれなりにいる。八年前の大火災で肉親を失った人間も多いからか、たいていの生徒は思いやり深く良い人間ばかりであった。

 朝に教室で見かければ挨拶も交わすし、休み時間には昨日観たテレビのことも、好きなアーティストのことも、ネットで見かけた面白いネタについても話す。そして笑いあう。楽しさを分かちあう。

 ただその教室というところには、ちょっとだけ空気が薄いような、独特の息苦しさがあるのだ。

 人と話して笑いあうたびに僕は生物として適さない環境にいるような、水草もエアポンプもない狭い水槽に放りこまれたような錯覚に陥る。

 だからこうして僕は昼休み、たびたび外へと逃げ出していた。環境に適応できない欠陥生物にだって居場所は必要なのだ。

 古くからの知り合いであり、この学校の司書でもある本告さん。

 友好的ではあるけれど常に一線を引いている遠近とおちか

 そんな気の知れた二人しかいないお昼休みの時間の司書室は、僕がこの学校の敷地内で息詰まりなく生活できる数少ない空間なのであった。


「僕って友達いないよなあ」

 

 階段を登りながらぽつりと呟く。一ヶ月前に高校に上がってからは陸上部も辞めてしまい、身近だった男子部員たちともほんのり距離が空いてしまっていた。

 ふと覚えたひとりだという感覚が、情けなくて寂しかった。

 気分が落ちこんでしまったので頭を一振り、気を取り直して現状を見つめ直す。本告さんが隣にいるとはいえ、後輩の女の子と二人でランチ。男子高校生的には心躍らせてもいいシチュエーションではないだろうか。互いにほとんど喋らないけど。相手は中三の遠近だけど。

 加えて、今日は昼食とは別に司書室へと出向く大義名分があった。


『明日の昼休みと放課後、司書室においでなさい。詳しい話はその時に』


 昨夜旧校舎の保健室で、気絶から目覚めた僕に本告さんはそう告げた。

 家まで送るという本告さんの申し出は固辞し、倖果と就いた家路ではお互いにずっと無言のままだった。倖果は朝起きたら何事もなかったかのようにふるまい、朝食の席でも登校中も、夜の話は一度もしなかった。

 旧校舎にいた理由には、一言二言では伝えきれない、そして言いにくい何かがあるのだ。

 僕はそれを聞かなければならない。

 まだ生徒の少ない図書室に入り、貸出カウンターの脇を通り抜けて司書室のドアの前に立つ。ノックを三回し、ドアノブを回して押し開いた。


「失礼しまーす」

「あ、先生。スミオ来ましたよー」

「おお来たね青少年。さあさあこちらにおかけ」

「ああ、閑馬。昨日はすまなかった」

「あら、いらっしゃい閑馬君」

「先輩……なんなんですかこれ……」


 なんか、女の子たちがお茶してた。


「すいません、部屋間違えました」


 一礼してドアを閉めて、その場でさっと回れ右。

 六人掛けの大きなテーブルは四隅を女子に陣取られており僕の入りこむ余地などなかった。安寧の地は失われていた。即刻新天地を探さねばならない。

 屋上前の暗くて埃っぽい踊り場か、体育倉庫の裏の草むらか。草むらは暑いし蚊がいっぱいだ。ここから近い踊り場に決めてヨッシャと足を踏み出しかけた時、ぐいっと首根っこを掴まれた。


「すいませんごめんなさい勘弁してください僕には田舎に年老いた母とその面倒を見ている妹がいて二人に仕送りしなければ」

「……いや、別にとって食ったりはしないから」


 凛と響く玲瓏れいろうな呆れ声に、僕の耳は聞き覚えがあった。首をひねり横目で彼女を捉える。

 腰まで届く長い黒髪と切れ長の瞳、細い黒縁のメガネ。

 氷の彫刻のような、冷たそうだけどきれいな子だった。


「えっと……アイアンクローさん?」

「……悪かったと思ってるからその呼び方は勘弁してほしい」


 やっぱり彼女がアイアンクローさん(仮)らしい。彼女に引きずられて僕は司書室に後ろ向きのまま入室し、テーブルの真ん中の席に座らされた。

 差し出された湯呑みの緑茶をすする。誰が淹れたか露知らないが結構なお手前の茶であった。

 一息つき状況を見極める。

 背後には閉架図書の並んだ本棚。

 両脇は倖果とアイアンクローさんに固められていて身動きがとれない。

 正面には角の席から移動した、どうやら先輩らしい――三年生用の青いリボンを襟元に結んでいる――女の子が、両肘をテーブルについて組んだ指に顎を乗せて、じっくり僕の目を覗きこんでいる。

 本告さんは窓側のマイ仕事机に座って、サンドイッチ片手に黙ってこちらを眺めている。目が三日月に笑っていてウザい。

 遠近は離れの小さな机に避難してじっと様子を伺っている。視線を送ると目をそらされた。


「僕、もう帰っていいでしょーか……?」


 どうやらここに僕の味方はいないらしい。何ゆえ僕は尋問を受ける被疑者みたいなことになっているのか? 周りすべてが女性だからか、今のこの身を取り巻く空気はなんだか性犯罪者じみている。僕は痴漢冤罪で人生を台無しにされた男のドキュメンタリー番組を思い出していた。


「まあそう言わんと。十時間ぶりだけどあたしの顔覚えてる? 昨日はよく眠れた? 頭大丈夫?」


 頭が大丈夫かはこっちが訊きたい。という言葉はぐぐっと飲みこんで、正面の先輩に短く大人しく「はい」と一言だけ答えた。

 この先輩は、夜の保健室で本告さんの横に立っていた人だ。

 苦笑しながら先輩が続ける。


「そんなカタくならなくてもいいよう。今は親睦を深めたいだけ。これから同じ部活の仲間になるかもしれないんだからさ」


 明るい茶髪を揺らして先輩は屈託なく笑う。ショートヘアのあちこちでくせっ毛がはねていて、襟足はふわふわと爆発していた。大型犬みたいな雰囲気の人だなと思った。


「親睦? 部活? 仲間?」


 いまいち要領を得ない先輩の言葉にそのまま疑問符をつけて返すと、


「一緒にメシ食おーぜ! ってことよ!」


 ドン、と先輩が巨大な弁当の包みをテーブルの上に置いた。

 見れば両脇のお二方もいそいそと弁当箱を取り出している。いきなり何言ってるんですかアンタと声が喉下まで出かけたがどうやら本気らしかった。この息苦しいどころではないむんむんする女子たちの空間で、僕は今日の昼食を摂らねばならないらしい。


「あたしはチバ。アンタは?」


 包みを開けながらふいに先輩が尋ねてきた。出身地の話だろうか。「乳楢生まれ乳楢育ち、生粋の乳楢人です」答えると先輩は笑い、


「名前だよ。まあもう知っちゃってるんだけどさ、自己紹介の順番としては訊いときたいトピックじゃん?」

「ああ、名前ですか。閑馬住生です。先輩は、チバ先輩?」

「千葉綾佳。趣味はメシ。呼び方はなんでもいいよ。ほらツッキーも」

「神奈坂坏子つきこ。趣味はとくにない。呼び方はツッキー以外ならなんでもいい。咲麻と同じB組だよ、よろしく」

「よろしく」


 アイアンクローさん改め神奈坂さんの本名および所属がわかり、僕はなんとなく安心した。襟元の赤いリボンでわかってはいたが同学年ということもあって、見知らぬ剛力無双の怪人から同い年の学生という土俵に下りてきた彼女は、昨夜よりも幾分身近に感じられた。

 表情に乏しいのが少しだけ怖いけど。


「私は咲麻倖果! ユッキーでいいよ!」


 ボケる倖果を見て見ぬふりして僕は弁当箱を開いた。

 チバ先輩と神奈坂さんがまじまじと中身を見つめてくる。


「……これは?」

「弁当ですよ?」

「ふむう……ほふぅ」


 チバ先輩が僕と倖果の、おかずがまったく同じ弁当を交互に見比べ、目を丸くしている。ついでに変なあえぎ声も出している。神奈坂さんが顎に指を当てて何か考えこんでいる。倖果が旬のリンゴみたいに顔を赤くして慌てふためいている。本告さんはやたらいい笑顔。何故か物凄い目でこちらを凝視する遠近。僕は自分がミスったことを理解した。


 こうして僕は新しく二人の女子とランチメートになってしまった。

 何がどうしてこうなったのかは、夕刻本告さんに知らされた。

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