第二章  再会の転校生(6)

「怜華ちゃん帰ってきたってな」


 重々しい顔で帰宅した正太に、店内で商品の登山靴の整理をしていた正太の父親が声を掛けた。


「え、なんで知ってんの」

「さっき友則が挨拶に来てな」


 友則とは玲華の父親の名前である。正太の父親とは高校の時からの友人であり、二人の伴侶もまた高校時代からの付き合いであった。


「本庁に帰ってくる事になってそうだ。こっちの家はまだ決まってないらしいが、玲華ちゃんは親戚の家に暫く世話になるらしい」

「親戚?」

「詳しいことは知らん」


 肝心なことは聞いてないんだな、と正太は心の中で呆れるが、一方で親父らしい、と納得している自分もいた。

 以前、父親の知人から聞いた話であるが、正太の父親は若い頃はやんちゃを通り越して粗暴な人間だったらしい。それを正太の母親に諫められて改心し、それを機に付き合いだしたのが馴れ初めだという。ありがちな話ではあるが、子供の正太には納得出来る所があった。

 妻を亡くした後、誰にも何一つ文句言わず店を切り盛りし、男手ひとつで正太を育てたこの静かな男は、正太が一番尊敬する人間であった。


「で、どうだ?」

「何」

「再会のチューでもしたか」

「おい」


 こういう下世話な所だけは唯一尊敬出来ない人物でもあった。


「冗談だ」

「わかってるよ」

「……」


 正太の父親は暫し息子の顔を見つめて沈黙する。まるで初めから何かを察していたかのように。


「……あんまし、気にすんなよ」

「何を」


 正太は少し苛立った。しかし正太の父親は何も応えず再び登山靴の整理を始めた。

 父親が何を言いたいのか、実は正太も分かっていた。

 だからこそ、怜華の態度が余計に苛立つのである。

 正太は仕方無く肩をすくめて家の中へと入っていった。


「……ん。親戚の家って言ったって、あいつこの辺りにそんな人居たっけ?」


 正太は靴を脱ぎながら傾げるも、それ以上は考えず空腹を始末する方に従った。


「やれやれ……ん? サイレン?」


 正太の父親は商品棚の並べ替えをしながら、遠くから聞こえるパトカーに一瞬気を取られた。




 正太を悩ましていた怜華はその時、夕映えの公園である男の前に立ちふさがっていた。


「まだ都内でもこんな場所があるのね」


 玲華は頬を撫でるそよ風に心地よさを覚えていた。


「ここなら人払いに苦労はしないわね。ミスターカラス?」


 玲華と対峙していたのはあのCIAのカラスであった。

 カラスは終始無言のままであった。

 だが、市澤らに散々な目に遭わされていた時とはどこか雰囲気が変わっていた。

 卑屈さを払拭し、精錬とした気を全身に漲らせるその姿。――どこかどころの騒ぎでは無い、顔つきばかりか体格まで別人のようになっていた。


「ワイは別にかまへんかったけどな」


 ようやく口を開いたカラスは笑みをこぼした。とても不快な、邪悪な笑顔であった。


「あなたが良くてもこっちが困るの。――あんた、アイツに魅入られたんでしょ、〈試しもの〉として」

「yes」

「何故受け入れたの」

「理由なんてあるかい。――選ばれた以上は従うのが我らの定め」


 玲華は思わず仰いだ。


「……それでビルひとつ……自分の部下だけじゃなく何も知らない民間人まで襲ったの?」



 玲華がその場に居合わせたのは偶然であった。警視庁の本庁に来ていた父親に呼ばれた帰り、神谷町駅から出てきた時であった。

 駅の入り口の直ぐ近くにある雑居ビルから異様な気配を察した怜華は、警戒しながらビルの中へと入っていった。

 通路には血袋と化した死屍累々が点在する、悪夢のような光景が広がっていた。

 しかし玲華は臆することなく、この惨劇の張本人を探すことにした。

 何故ならこのような事が出来る存在は、玲華にとって“敵”であったからである。

 その“敵”は意外にも上の階から早く現れた。そしてその変貌ぶりに玲華は困惑を隠せなかった。


「言いたい事は分かるで。――この場で相手してもかまへんが」

「こんな事しでかして、他の人たちに気づかれないと思う? そこの裏口から出なさい、誰も居ない所で相手してあげ――あ」

「ああ、そこの警備員ならとっくの昔に始末しとるから安心してエエで」


 にやりとするカラスに、怜華は舌打ちした。


 カラスの後を着いて10分ほど歩いた場所にあった教会の裏にある、人通り少ない公園に着いた玲華は、カラスのその容赦ないやり口を思い出しながら、はぁ、と嘆息した。

 思えば、あの場に居合わせたのは本当に偶然なのだろうか。


(アレに誘われたか)


 玲華は苛立ちを覚えていた。

 罠だと分かっていても避けることは出来ない。“敵”はそれを可能とし、そして怜華はそれを避けることを自ら許さなかった。


「それで――奴から何を授かった?」

「『気』の使い方を。――そして使いやすいようにワイの身体を少し調整してもらっただけや」

「『気』、ねぇ……」


 玲華は雑居ビルで血袋と化した人間を思い出した。どの遺体も内側から炸裂したような損壊の仕方をしていた。


 カラスは異様にたくましくなった身体でストレッチ体操を始めた。


「今のワイなら、お前ら〈試されしもの〉にも劣らんで。――否、ワイも充分〈試されしもの〉の資格はあるで」

「はぁ。そうですか」

「……何やその態度」


 カラスは呆れている怜華をにらみつけた。


「だって」


 と答えようとしたその時、目にもとまらぬ速さで怜華に飛びかかったカラスの右手刀が玲華の胸の谷間に深々と突き刺さった。


「〈試されしもの〉、獲ったぁっ!」

「――あんた、その程度だし」

「な――」


 カラスは思わず瞠った。玲華の豊満な胸の谷間に自らの『気』を込めた右手刀が突き刺さっているのは確かだった。

 にもかかわらず玲華は全くダメージを受けていない。カラスには何が起こっているのか分からなかった。


「2年B組の坂田さんは、あんたみたいに身体を改造しなくても同じ“能力”が使えていたのよ」

「はあ?」

「あんたの“能力”は、対象者が体内に保有する『気』に自身の『気』をぶつけて内側から破壊する内気功の一種。本来ならそれは相手の身体を活性化させる治療向きの技だけど、それを攻撃に転化させると破壊力も結構ある、嫌らしい技。雑居ビルの死体はあんたの『気』を受けて爆ぜていた。――だけどね」


 そこでようやくカラスは気づいた。

 突き刺さっていると思っていた自身の右手刀が、手首から先の感覚が無くなっている事に。

 そして辺りにきらきらと光の粒が漂っている事に。

 光の粒は、手刀が突き刺さっている玲華の胸の谷間から放出されていた。


「身体を作り替えなければ得られなかったあんたのその“能力”は、あたしは京都で既に破っている」


 カラスは戦慄した。

 これが、〈試されしもの〉だという事を。

 そして、彼女は『試練を超えた』という事実をそこでようやく思い出した。


「これが――〈氷の女王〉の――」

「砕け散りなさい。――『氷炎』」


 凜とする声が白く氷結した世界で鳴った。

 それを氷の爆炎と例えたのは隣の席に座っていた京都時代の親友の朋子であった。

 玲華は、全身から放出した凍気によって凍り付き砕け散った、学友だった〈試しもの〉が感嘆とともに名付けてくれたその技の名を心に刻むように口にする。

 カラスの手刀は怜華の胸の谷間に突き立たてた時点で凍結し分子レベルに砕かれていたのだった。

 そして今、カラスの全身は玲華が放った超凍気によって完全に凍結し粉々に砕け散っていった。夕映えの中にきらめき流れるそれが禍々しい力に魅入られた哀れな男のなれの果てだと誰が分かろうか。

 余りにも一方的な、差が有り過ぎた勝負であった。

 暫くして怜華は仰いだ。

 安堵しているようにも、何かを後悔しているようにも見える姿だった。、


「……あたしは……それでも……正太を……」

「これが“試練”を超えた者との差だ」


 その声を聞いて玲華は慌てて呟く事をやめ、声を追った。


「……市澤君」

「僕の出番はなかったようだ」


 市澤は凍結しかけている木陰からゆっくりと現れた。


「出番? ずうっと見ていたくせに」


 玲華はカラスに従ってついて行ったのは、直ぐ近くで市澤の気配を察していたからであった。


「“試練”を超えた〈試されしもの〉に何の心配が必要かい?」


 市澤はどこか意地悪そうに聞く。玲華は肩を竦めてみせ、


「……市澤君ならあいつがやらかす前に何とか出来たんじゃないの?」

「たらればは勘弁してほしい。僕は神様じゃない」

「左様で。――神様にも色々居るからねぇ、貧乏神とか死神とか」

「強いて言うなら疫病神かな」

「自分で言うな」

「疫病神ならある程度自覚はあるが。――僕だけじゃないが」


 市澤のその言葉に玲華はむっとした。

 意地悪や冗談で言ってる訳では無いのは玲華にも分かっている。


「……二人で学校をひとつ壊滅させているからね」

「もうゴメンだろそういうのは」

「当たり前よ!」


 玲華は感情的になった。しかし市澤の言い回しが癪だったからでは無い。

 これはあくまでも前哨戦。

 “敵”との――〈試しもの〉たちとの悪夢のような戦いの幕開け。

 カラスはその“敵”から届いた新たな戦いの招待状であった。


「玲華君、しかし今回は我々が試される訳じゃない」

「分かってる――それでも――あたしは――」


 玲華はもう一度仰いだ。

 視線の先に広がる夕映えに視えるその顔の主はまだ、自らが渦中に居ることすら理解していなかった。


「…………ところで。質問いい?」

「何?」

「その両手に持ってる袋は」

「そこのスーパーが特売だってチラシで見て、ここまで遠征に来た」


 市澤は両手に下げていた、野菜で満杯のポリ袋を掲げて見せた。


「ふっふっふっ、今夜はカレーだ」

「ちょっと待って」


 玲華は困惑し、


「また?」

「また、とは何だ。今度は根菜カレーだ」

「おとといは野菜カレーだったじゃない! てかなんでカレー作る時肉類使わないのよ!」

「カレーは肉を使わないのが美味しいのだよ居候君」

「居候いうな。お父さんが早く東京の家見つけてくれるまで仕方無く間借りしているだけよ」


 どうやら玲華が世話になっている親戚の家とは、この暢気な野菜カレー好きの男の家のようだった。


   *    *    *   *   *   *


 玲華の能力によって凍結し粉々に散ったカラスの身体は風に流され、ビルの谷間をすり抜けていく。

 それはまるで帰還するように、先ほどカラスが惨劇を繰り広げた雑居ビルの屋上へと到達する。

 そこに居たのは、あの神であった。

 光の帯と化したカラスの身体は、まるですがるように神の周りで滞留する。

 神は暫し無言でそれを受け入れていたがやがてため息を漏らし、


「大人は過ぎた力を持つと、直ぐに欲張ろうとする」


 神は屋上の端から階下を見下ろす。地上では大量殺人事件の通報を受けた警察が、米大使館からやってきた職員たちと揉めている最中であった。CIAの人間が大量に殺害されたこの事件はトップダウンによって日本の警察で扱う事が叶わず、被疑者不明のままこのまま闇に葬り去られるのであろう。


「私が貴方に命じたのは、無駄な殺戮とあの二人を相手にする事では無かったはず」


 そう言って神は光の帯を右人差し指でつついた。

 すると光の帯は膨らみ、霧散した。一瞬光の粒はカラスの苦悶する顔を作り出した。まるでそれは断末魔のようであった。


「……やはり若者には若者に相手をして貰うのが一番ですね。――今までのように」


 神は笑った。

 その笑顔はとても神々しいものであったが、同時に薄暗い残忍さも窺えた。

 神よ、何を図る?

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