第二章  再会の転校生(4)

 空は蒼かった。

 大気いっぱいに広がった春の花の香が、その蒼さの下にある校舎の屋上にも届いていた

 その屋上の端で、葉山正太は防護柵に背凭れしながら、目の前に居る市澤未来と氷室怜華を憮然とした顔で見つめていた。


「……成る程、ね。昨日の奴ら、やっぱし俺の超能力の事を知ってあんなマネしたのか。まるでハードボイルド小説かアクション映画みたいだな」

「怖かったか?」

「少しは、な」


 市澤にそう答えながらも、正太は不敵に微笑んだ。


「良く伝奇小説なんかでさ、CIAやKGBが超能力者を狙う話があるだろ?俺もこんな『力』持っちまったから、いづれ来るんじゃないかな、なんて思ってたんだけど、いざ来られると結構冷や汗モンだったぜ。こんな平和な日本でまさか銃を突き付けられるなんて思いもしなかったよ」

「……よくも呑気に言ってられるわね」


 怜華は呆れ顔で言ってみせた。


「あの場に市澤君が居なかったら、正太、彼らに攫われていたのよ」

「――それは俺だって判っているし、感謝しているよ」


 そんな怜華に、正太はきつい口調で言い返した。


「大体だな、お前さん達二人が何でCIAと敵対しているんだ?もしかしてお前ら、KGBの差し金か?」

「生憎と、そこまでドラマチックじゃないさ。第一、今年の末に破産する国の国家保安委員会では最早、仮想敵国の諜報機関と渡り合えるだけの力はもう無い」


 そう言って市澤は冷笑を浮かべる。正太はその時、市澤の言っている意味が良く判らなかった。それが、その年のクリスマスに、約六十九年間に渉り社会主義国家の頂点としてリーダーシップをとっていた北の巨大大国が消滅する事を予言しているとは、正太は知る由も無かった。


「じゃあ、何でだよぉ?」

「僕達も狙われたくちだからだ」

「狙われた――」


 唖然とする正太は、慌てて怜華の顔を見た。

 怜華は正太に見つめられ、無言なるも少し戸惑いを見せた。


「CIAは一度、僕らを狙った。だが、事態を良く判っていなかったお陰でそれは失敗に終わり、今度は葉山君を狙い出したらしい。大方、奴らも僕達を拉致する作戦の失敗に焦って、狙いを変えたのだろう」

「たまったモンじゃねぇな」


 正太は忌々しそうに言うと髪を掻き毟り、


「……って事は、市澤未来、あんたも超能力者か?」


 訊いてみて、正太は昨日の事を思い出した。

 正太に銃を向けたCIAの男達が、奇怪な閃光の雨を受けて倒れ、その後突然とこの少年が姿を現わした、あの事を。あの閃光が市澤未来の能力の片鱗なのであろうか。

 市澤は初対面の時と同じ様に苦笑して、


「まぁ、な。――CIAの方は然るべき所が動いたから、あれ以上は葉山君をつけ狙う事は無い」

「然るべき所?」

「そう、然るべき所」


 皇南学院の正門前を東西に走る桜田通りの一角に駐車していたBMWに、背広姿の一人の中年男が近付いた。

 馬を連想させる男であった。百八十もあるひょろっとした長身の体格もそうなのだが、何より、この細面の顔は正しく馬そのものであった。

 馬面の中年男はBMWの運転席のドアの傍に立つと、車内を隠すBMWのドアのスモークガラスを、こんこんとノックした。

 するとドアガラスがゆっくりと開き、中から憮然とした表情の白人が顔を出した。

 それはCIAのカラスであった。不思議な事に、正太の裏拳でへし折れた筈の鼻軟骨は全く損傷の跡が無かった。


「……三戸部(みとべ)! やはり、あんさんが裏で糸引いとったんか!」


 カラスはこの馬面の中年男を知っている様であった。


「カラス、あんたも懲りンやっちゃねぇ。昨日、あいつらに酷い目に遭わされたばかりやろが。――にしちゃあ、怪我一つ無ぇな?」


 カラスの顔をじろじろ見る三戸部に、カラスは困惑気味に頭を降り、


「……恍けなさんな。これがあのBoyの『力』だって事は、あんさんらも承知やろが」

「残念だが、俺もよう知らんのや、葉山正太の能力は。――未来や怜華ちゃんが、俺らも簡単に近付けさせてくれんのでなぁ」

「なめたらあかん。今回の一件、あんたら内調〔内閣調査室〕が動かん訳が無い」

「俺らが動いたぐらいで、大統領命令が下る訳が無いやろが?」


 三戸部がしたり顔で言うと、カラスは少し青ざめた。


「……Why…その事を……貴様が?」

「俺らは何でもお見通しや。――氷室怜華、葉山正太に関する調査・監視活動は本日付けをもって禁止になったんだろ?いつまでもこんな所で油売っとる場合や無いやろが」


 三戸部は、にっ、としたり顔をすると、内ポケットからセブンスターを取りだす。一本銜えて火を点し、すうっと深呼吸して紫煙を肺一杯に溜めて満喫する。


「……カラス。お前らが狙っているものはな、たかが一国家が独占していい様な代物じゃ無ぇんだよ」

「ふざけるな!貴様ら日本人〔ジャップ〕はあの力を独占して、また大東亜共栄圏〔ライジング・サン〕でも図る気なんだろうが!」


 カラスが怒鳴った途端、三戸部は咄嗟にカラスの胸倉を掴み、引き吊り出さんとばかりに引っ張る。助手席に座っていた黒服の男は慌てて懐にある銃を取り出そうと構えるが、それをカラスが苦しそうな顔で手を振って制した。


「……カラスさんよぉ、だったら、人類の栄えある未来の為に使うのが一番か?――笑わせんじゃねぇよ! そんなンざ、サル風情が人様を指図する様なモンだぜ! 京都の失点を取り戻すつもりで、『人の可能性』を潰すマネをまたしやがったら、死んだあの学生達に代わって手前ぇのデコに今度こそ鉛弾ブチ込んだるでぇ!」


 凄む三戸部に、しかしカラスは胸倉を捕まれたまま不自由ながらも失笑し、


「……はん、相変わらずのロマンチストだな、貴様は」

「打算ばかりじゃ人生詰まらんぜ」


 そう言って三戸部は鼻で笑い、カラスの胸倉から手を離す。カラスは三戸部を睨んだまま乱れた胸元を直した。


「……ワイには、貴様の様な甘い奴が裏の世界で生きてられるのか不思議でならん」

「それなりの後ろ盾があるんでな」

「……市澤未来の居る『組織』か」


 カラスは口惜しそうな顔で舌打ちし、アクセルを踏んでBMWを発車させた。三戸部は去って行くカラスのBMWに「ざまぁみろ」と言わんばかりにあかんべえしてみせた。

 カラスはバックミラーに映る三戸部の侮辱に舌打ちし、大声で悪態をついた。


「……隊長。『組織』とはいったい何ですか?」


 助手席の黒服が恐る恐るカラスに訊く。カラスは深呼吸して苛々を静め、


「貴様は知らなくても良いのだ。大国の権力さえも歯牙にも掛けない化け物の様な組織の事など、知らん方が幸せだ」


 カラスは吐き捨てる様に言うと、それ以上は語ろうとはしなかった。

 その一方で、ステアリングを握るカラスは、心の中で沸々と怒りを煮えたぎらせていた。

 葉山正太。

 マーシャルアーツに『気功』を取り入れた格闘術で無敗を誇っていた自分を、得体の知れぬ力で圧倒した巨漢。

 CIAの総指揮を執る大統領の命令を無視してまで、正太の周辺をうろつくカラスは、プライドを傷付けられた事への怒りに突き動かされていたのだ。


(くそったれ……このままでは……只では済まさんぞ)


 カラスが心の中で舌打ちしたその時、異変が生じた。

 カラスの乗る車の正面に、人が立っていた。

 それを見たカラスは思わず目を剥くが、傍らでステアリングを握る部下はまるでその姿が目に映っていないかの様に平然としていた。

 カラスは部下に急ブレーキを掛けさせようとはしなかった。カラスの意識は全て、車の正面に立つ人間に集中していた。

 カラスの乗る車は、いつまで経っても正面に居る人間との距離を狭める事はなかった。――そう、かつて正太が『思念波動』によって弾き跳ばした、暴走車の運転手が遭遇した、あの奇怪な美影が再び現れたのである。


〈強くなりたいかね?〉


 カラスは浮かされた様に頷いた。

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