第二章  再会の転校生(3)

 翌日。

 新学期を迎えた皇南学院高等部の一角にある葉山正太の居るクラスで、一人を除いて、驚きの声が上がった。

 転校生。

 それも、この皇南学院の小等部から在学している者達が特に驚いた。

 氷室怜華。

 腰まで延びた、梳くと光を散らしそうな亜麻色の綺麗な髪を冠し、誰一人未達の高峰に深々と降り積もり、月光の下で淡く煌く白雪の様な美貌の持ち主。

 少し色褪せ掛けた、可憐な少女の頃の記憶より外面的にも内面的にも成長しているのは明らかであったが、それでいて、昔の彼女が失われていない様に見えるのは、朝のホームルームの始めに、怜華が正太のクラスの担任の雨宮教師に連れ添って現れた時、かつての旧友達に見せた笑顔がとても暖かったからだった。


「皆さん――と、言っても、一部の人達だけになるかも知れないけど、敢えて『只今』、って言わせて下さい。これからも、宜しくお願いします」


 気取った挨拶であったが、しかし今の怜華には良く似合う挨拶であった。


「おっほン」


 怜華の傍らで、最近白髪が目立ち始めた雨宮教師は、ざわめく教室内の皆を諭す様に業とらしく咳払いして、


「あ~、氷室君の事は知っている者もいるだろう。氷室君は七年前、この学校の小等部に在学していた事もあり、お父上のお仕事の都合で京都へ転校していたのだが、この度、家庭の事情で彼女だけ東京に戻って来る事になり、再びこの学校で勉強する事になった。皆んな、仲良く勉学に勤んでもらいたい、以上」


 雨宮教師は事務的な口調で怜華を紹介した。


「……席は…葉山の隣が空いているな、ほれ、後ろの方にいるあのデカブツの所だ」

「デカブツは酷いや、先生」


 雨宮教師に笑われながら指され、正太はすねてみせた。

 担任教師に促されて、怜華は正太の隣の席にやって来た。


「よお」


 正太は隣に立つ怜華に、何処か気怠そうな口調で挨拶する。椅子に腰を下ろして怜華を見る正太の視線の高さは、そこに立っている怜華の両目の位置とほぼ同じだった。怜華の身長が低過ぎるのではなく、正太の座高が常人より高過ぎていたからである。これではデカブツ呼ばわりされても文句は言えまい。

 怜華は、そんな正太に何処となくよそよそしく無言でお辞儀して席に着いた。

 朝のホームルームが終わり、一時限目の数学が始まる。二時限目は英語、三時限は古文、四時限目は物理であった。

 そして、昼休みになった。

 結局、午前中、隣同士に座る正太と怜華は一言も言葉を交わさなかった。

 正太は午前中ずっと仏頂面で過ごしていた。滅多に見せぬ正太の余りの不機嫌な様子に、今年、教師生活二年目の英語の講師は怯んでしまい、ヒアリングの順番を正太の所で思わず飛ばしてしまった程である。

 正太にとって幼なじみである氷室怜華がこの学校に帰って来て、更に自分の隣に座っているにも拘らず、この様に憮然としている理由は、小学校の頃からこの皇南学院に通う級友なら大体、検討はついていた。

 そしてその理由を知る者は、これが嵐の前の静けさではないかと、戦々恐々として見守っていた。だが、昼休みに入った途端、正太はいきなり怜華の方を向いたのでいよいよか、と緊張した刹那、


「弁当持って来た?今、学食工事中で使えないんだが」


 仏頂面はそのままに、のほほんと親切に言う正太に、怜華は無言で自分の鞄を指し、持って来てあると意思表示する。正太は、そう、と言って平然と自分の鞄から取り出した弁当を喰らい始めたので、密かにほっと胸をなで下ろした。

 正太は、机の上に既に食べ終わった空の弁当箱を広げたまま、椅子に背凭れして沈黙していた。

 その隣で、怜華は他の級友達と歓談していた。冷たそうな美貌の持ち主が意外と気さくだったので、昔の怜華を知らぬ級友の女生徒達も、昔からの友達の様に気楽に話して笑っている。怜華は半日でこの七年間のブランクを取り戻した様である。


「ねぇ、氷室さん。京都から来たんだって?」


 正太のクラスの女生徒で、放送部員で饒舌家でもある、別名「放送局」のあだ名を持つ冬馬〔ふゆま〕が、他の級友を押し退け、肉感的な身体を寄せて怜華に耳打ちする様に訊いてきた。


「実はぁ、去年から都内の学校で噂になっているんだけどぉ。――京都のある高校で去年の秋に集団殺人事件が起きた、って話があるんだけどぉ、何か知っているかしらぁ?」

「その噂は耳にした事があるわ。――デマよ」


 怜華は肩を竦めて苦笑いした。


「本当ぉ?」訝る冬馬。「でもぉ、噂になる位だからぁ、元になった事件があっても良いと思うんだけどぉ?」


 冬馬は外見に似合わないのんびりとした口調の主だが、言っている事はなかなか鋭かった。

「さあ?あたしは、デマだ、って事しか聞いていないけど。でも、本当は実際にあったのかも知れないね」

「そう?ところで、前の学校、って――」


 冬馬が話を変えようとしたその時、


「怜華君」


 教室の外の廊下から、怜華を呼ぶ声がした。

 怜華はその声に反応して即座に廊下を見た。怜華とおしゃべりしていた級友達には余り聞き覚えの無い声であったが、その澄んだ声につられて廊下を見た。

 傍らにいた正太だけが、その声の主を知っていた。つい昨日、耳にしたばかりの。

 怜華の噂を聞き付け、廊下から遠目で怜華を見て上せていた他のクラスの男子学生達の群れを、宛らモーゼが十戒の石版をもって海を割るが如く二つに分けた、一人の男子学生。

 市澤未来であった。


「市澤……未来……!」


 正太は、あの謎の少年が怜華と同様に、水月が居る隣のクラスに転入していた事は知っていた。

 怜華が教室に現われた同時刻、隣の教室のホームルームでも同様にざわめいていた。但し、そちらは女生徒だけが騒いだ。

 類稀なる美形の少年が転入して来たのだから無理も無い。TVや雑誌に出て来る二枚目俳優やモデルなど霞んでしまうくらいの美貌を持ちながら、近寄り難い印象を決して与えない茫洋とした雰囲気の持ち主で、ひょうきんな面も持っていた。入室するなり、いきなり一席設け、傍らで煙にまかれて唖然としていた担任教師をも笑い転がせた――と二時限目と三時限目の休憩時間に怜華の噂を聞き付けて見に来た水月から正太は聞いていた。市澤も怜華同様に級友達と半日足らずで馴染んでしまったそうだ。

 そんな市澤が、怜華を呼んだ。意外な展開に、周りの一同は、この美形二人の関係を一斉に勘ぐり注目する。

 正太と怜華の関係を知る者は、同時に正太の顔も伺い見た。

 正太は平然と市澤を見ていた。特に気にしている様子はない。顔を向けたらそこに居ただけぐらいにしか思っていない様にも見える。


「あと、葉山君も」


 市澤が、怜華の次に正太を呼んで手招きすると、級友達は一斉にざわめいた。


「は、葉山君、あの彼と知り合いなの?」


 予想外の出来事だったのか、冬馬は唖然とした表情で正太を見た。しかし、正太は何も答えず、席から立ち上がった。

 それを追う様に怜華も立ち上がった。そして、話していた級友達に、ご免ね、と詫びて、先に市澤の許へ歩み寄る正太の後をついて行った。

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