第一章 臨時講師 神(8)
「あっ!」
「似ているな」
二人は顔を見合わす。
「然様。受精卵が細胞分裂を始めて、最初に形どるのが『魚』。その内、手足が生えて『両生類』や『は虫類』の様な形になり、やがて尻尾が小さくなって『人』になる。まさしく生物の進化だ。しかし、受精した時点で始めから『人』の形を成せば良いものを、何故、そんな手間の掛かる事をしているのだろうか?」
「又、質問ですか…?」
「何、嫌がってんだよ、葉山?」
「だって、昼休みまで先生からの質問攻めにあうなんて、堪らん」
「面白い話じゃない?それに、少なくとも授業中に指されるよりは気が楽じゃないか」
「水月は俺より頭が良いから楽しいだろうが、そうでないと、先生からの質問なんてかなり参るぜ、実際」
正太は肩を竦めてみせた。
「これは済まん、済まん。では、説明だけに留めようか」
神はいじける正太を前に、済まなそうに苦笑して後頭部を掻いた。
「あれはな、新しく生まれる『人間』が、進化を学習しているからなんだよ」
「学習?」
「ああ。本来ならば、様々な生物が長い時間をかけて試行錯誤して出来た進化の道を、『人間』の受精卵はDNA〔デオキシリボ核酸。遺伝現象の主要素と考えられている〕に記憶されている、先人が覚えて来た進化の行程の最短距離を学習し、次々と変態していく事によって、短期間であの小さな受精卵は『人間』に変わる事が出来るのだ。
そもそも、人間という生き物が生命体の頂点に立てたのも、実は他の生命体の長所を学びとってそれを自分のものにしたからなんだ。例えば、魚の動きを見て泳ぎ方をマスターし、鳥が空を飛ぶのを見て航空力学を確立した様に。今では陸のみならず、水の中や空をも支配した。しかし、人はそれを当たり前の様に思っているが、かつて一つの種がそのレベルにまで達したものはいないのだよ、しかも、短期間の間に。
ここまで進化というものに貪欲になり得た生き物はいなかった。恐らく『人間』と言う種を作り出した者が居たなら、一番の良い仕事だったと思うに違いない」
神は今の自分の言葉に酔いしれたのか、感慨深げに微笑んでいた。
そんな神を見て、正太は憮然として小首を傾げた。
「……神先生。今のその説は、単なる『人間』という種の詭弁にしか聞こえませんけど?」
「何故?」
きょとんとして自分を見る神を前にして、正太は両腕を組んで首を横に振った。
「『人間』と言う種が、その存在にとって一番の仕事だったとしても、何故、そんな理想的な種であるにも拘らず、昔から互いに傷つけ合っているンですか?相手を殺してその肉を食らう訳でもない、只、自分の利益の為に殺す。
そんな愚行、他の生き物達は決してしませんよ!そんな愚かな生き物が、本当に優れた生命体だと言えるンですか?」
「葉山? 何、そんなに向きになっているんだよ?」
「むうっ…」
正太は、水月に腕を引かれて漸く自分が知らぬ内に熱くなっている事に気付いた。何故、先程まで大して関心を持っていなかった問題に、こんなに熱くなれるのだろう。
正太はふと、神の顔を一瞥した。
神は相変わらず微笑を絶やしていない。
気さくで、妙に暖かい笑みであった。
にも拘らず、何故か腹立ちを覚える。正太は神のこの笑みの中に、何か判らないが、嫌悪感を抱かずにはおれないものがあるのではないか、と独り訝ってみたが、どうしてもその答が見つからなかった。
(……この神って人……何なんだ?)
神は溜め息をついた。
「……確かに、葉山君の言う通りだ。人は、人を殺す。本当の意味での生き残る為ではなく、時として、殺したいから殺す、なんて場合もある。実に、残念だ」
神はそう言って目を閉じて沈黙した。しかし、その様は何故か憂いている様には見えなかった。
「……しかし、その行為もこうは考えられないかね?」
いきなり神はカッ、と目を見開いて正太を指した。
「……人が人を殺して食らうものが肉ではなく……相手の力を食らっている、と?」
「力?」
「そう、人は生命の頂点に立つことが出来た。だが、人はまだ進化する事を飽きず、しかし、学ぶべき生物がいない。――必然的に、その視線は外部から身内へ変わり、同じ種で特に優れた者の力を学ぼうとする。それを学び、自分の者にしていく事によって相手を超える。……そして、排除する!」
「だから……殺し合うっていうのか!」
正太は背筋に冷たいものを覚えた。
先刻の神が現われた時、そして武道館で灰原と最後の試合をしたあの時に覚えた戦慄と同じ冷たさであった。
「しかし……それなら、人間は進化する為に闘う事になる。闘い合い、相手を倒してその全てを奪って自分のものにして強くなっていく。そんな悲しい生き物なンですか、人間って奴は」
「それが事実だ」
正太の憂いに、神はにべもなく答えた。
しかし、何という冷淡な響きであろう。この神と言う男、人間の業を悟り切っているのではなかろうか。
だが、それにしても、憂いと言うものが全く見当たらない。むしろ他人を見下している不敵さが漂っていた。神と言う男にとって、『人間』とはそんなものにしか見えないのであろうか。
「おっと、少し毒づいてしまった様だね」
神は先程までの冷淡さが嘘だったかの様にその顔に相応しい暖かい笑みを浮かべた。
「ああは言ってみたが、あくまでも仮説に過ぎない。恐らく真実は、人を超越した者だけが判る事だろうね」
神は溜め息混じりに言葉を締めた。それを待っていたかの様に、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。
「あれ? 俺達、そんなに長い間話し込んでいたっけ?」
水月は信じられないかの様な顔をして鐘の音を聞いていた。
「さあ、もう昼休みも終わる。僕はこれで失礼するが、君達も早く教室に戻った方が良いよ」
「そうだな。戻るべか、なあ、葉山――」
水月は頭を掻きながら立ち上がって正太を顧みた。
そして、仰天した。
修羅がいた。
何故、そんな顔をしていたのか、正太も良く判らなかった。
只、神が魅せた、あの冷淡な顔が、正太の脳裏から離れる事が出来なかったのだ。
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