第一章 臨時講師 神(6)

「『思念…波動』?」

「そう。思考者の思念を、人間が生きる為に消費する生体エネルギーを触媒にして波動エネルギーに転換させて放出する能力の事なの。あたし達は生体エネルギーを使う事から、『オーラ』とも呼んでいるの」

「『オーラ』?――流行りの『気功法』で言われる『気』みたいなものですか?」


 しかし美女はゆっくりと頭を振った。まるで教え子に丁寧に教えている教師の如く。


「……『気』とは少し質が違うわ。『気』というものは放出者が最初から備えていたものでは無く、自然界や宇宙に存在する超エネルギーの事で、『気功法』はそれを吸収し、一気に放出する技能なの。簡単に言えば、空気を吸って吐く呼吸運動と同じ。訓練次第では使える『気』の量が多くなって、『気功』の威力も比例するわ。

 だけど、『オーラ』……『思念波動』に関しては話が違うの。これは各々が予め備えている生体エネルギーを放出する為に、その力の違いは著明に出るわ。無論、訓練次第では波動力を大きくする事も可能だけど、使用者の生来の器量が強く左右する為に、『気』程には顕著にならないの」


 そう言うと、美女は正太の身体をまじまじと見た。まるで何かの品定めをしているかの様である。彼女に見られる正太はでかいなりをして、気恥ずかしそうに苦笑いする。


「……うん」美女は腕を組んで頷き、「君の巨体、伊達じゃ無いね。君の全身には、常人の何倍もの量の生体エネルギーがみなぎっているわ。あたしにはそれが見えるのよ」


 美女の言葉に正太はきょとんとする。正太にも不断は見る事が出来ぬ力の波動が、この美女には見えるのか。

決して目に見える事の無い正太の周りに立ち籠める光の波動が、美女の玲瓏たる瞳に映えている事を、正太は知る由も無かった。


「その膨大な生体エネルギーを維持する為に、身体が自然に大きくなったのよ」


 絶世の美女に感心された正太は照れ臭そうに頭を掻く。彼は今までその巨体の事で誉められた事は皆無だったのだ。誉められても精々、高い所にある物を取ってやった時位であった。


「それだけ膨大なエネルギーがあれば、『思念波動』のパワーも凄そうね。だけど、トラックを跳ね飛ばす位では、まだまだ未熟な力ね」

「未熟――あれで?」


 正太は困惑した。


「『思念波動』が為す真の力はあんなものではないわ。――しかし、何れ君はその力を知るでしょう」


 そう答えて、美女は店内に設置されたTVに目をくれる。TVは夕方のニュースを放映していた。


『速報です。今日午後五時三十分頃、東京・渋谷区・恵比寿三丁目交差点付近でトラックの横転事故が発生しました』

「さっきあったパトカーのサイレンがそうか」

「ええ。さっきの出前の帰りに現場を通り掛かりましたよ。凄い事故だったなぁ、トラックは横倒しになって運転席がグチヤグチャ、きっと運転手もグチャグチャね?」


 TVの横でニュースを見ているマスターの呟きに、ウエイトレスは嬉々として答える。マスターは、スプラッター映画鑑賞が趣味という従業員のそんな性格を掴みあぐねて呆れ半分に苦笑いした。

 ウエイトレスの言葉に正太も反応をする。

但し、こちらの方は暗澹として、何かを堪える様に唇を噛み締めていた。


『警察の発表に依りますと、原因は運転手の急性心不全に因る運転ミスとの事で、奇跡的にもトラックは歩道に乗り上げる前に横転し、歩行者に死傷者は出ておりません。事故当時、現場には夕食の買い物帰りの通行人が大勢通り掛かっていた為に、一歩間違えれば大惨事となるところでした。

 尚、事故を起こした運転手は病院に運び込まれる途中、息を吹き返し、軽いかすり傷程度だった為、警察署にて、本人と勤務先の責任者から勤務内容に無理がなかったか、事情聴取を行ってます。それでは次のニュースです。本日、午後四時過ぎ、京都府――」

「良かった。誰も死んでいなかったか」


 正太はほっと胸を撫で下ろした。


「流石ね」

「え?」


 美女の呟きに、正太は視線を戻した。

 美女は、魅惑的な眼差しで正太に呉れて微笑んでいた。


「ここまでのレベルになっているなんてね。でなければ、私達が追われた甲斐が無い」


 正太は美女の呟きが良く理解出来なかった。

 もっとも、正太はこの美女の正体について未だ理解していない。彼女の美貌に魅了されていなければ、彼女の言動にとてもついて行く気にはならなかっただろう。


「いったい、何が?」


 漸く正太は疑問を口にする事が出来た。


「何でも無いわ」


 美女は嬉々としたまま席を立つ。


「訊きたかった事はだいたい聞けたわ、有り難う。こちらから誘っておいて御免なさいこれで失礼するわ。此所の支払いはあたしが持つから」

「はあ……」


 正太は飽気に取られながらも頷く。

 席を立った美女は支払いを済ませた後、正太の方に振り向いた。

 穏やかなその表情は、正太の目にはとても神聖なものに見えてならなかった。


「葉山正太君。君はこれから、その能力〔ちから〕故に試練を迎える事でしょう」

「えっ」

「しかし、決して挫折してはいけません。守るべき者の為に、君の力を、そして人を信じる心を失わないでね」

「え……? いったいどういう事ですか? それに、どうして俺の名を――そもそも俺は未だ名乗っちゃ……」

「折角だからひとつアドバイスしてあげる」

「え」

「貴方、もう少し世界の理に触れたほうが良い。世界の理を理解していないのだから、力の使い方にブレがあって当然。媒介する物質の属性を理解する方が的に当たるわ」


 いったい何のアドバイスなのか。正太は美女の真意を計りかねた。


「いったい、貴女は何者なんですか?」

「あたしの名は――」


 美女は暫し考える素振りを見せ、


「……西の彼方ではイシュタルやガイア、もう少し近くではヤミーだったかしら。北ではフレイアね。此処ではイザナミと呼ばれているけど。――そうね、良いのが有ったわ。あたしの名は『イブ』。それで良いかしら?」

「はあ?」


 困惑する正太は、その時ばかりは担がれているのではないかと訝った。


「じゃあね」


 美女は無邪気にウインクしてみせて外へ出て行った。


「あ、一寸……」


 正太は慌てて美女の後を追い掛けて外に出る。

 外は既に日が落ち、闇の帳が降りていた。

 美女の姿は、闇の中に消え去っていた。もう、何処へ去ったか知る術も無い。


「いったい……何だったんだ?」


 夜に取り残された正太は一人、少し冷めた秋風の舞う歩道に呆然と立ちつくしているしかなかった。

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