008

 そんな電子音楽のアルバムを二枚ほど流しきったところで、ぼくらは目的地にたどり着いた。


 なんてことはない一軒家だったな。

 特筆することもないただの一軒家だった。

 そう、ぼくらが回りに回った民家と大して変わらない、どこにでもある民家だ。


 これが小説のキャラクターってんなら、間違いなくモブだろうな。


 それくらい、何の変哲もない、民家。


 アカリはその家の庭から鉄パイプのようなものを手にして中へと入っていった。

 やけに物騒だな、なんて思ったけれど、随分と前から、おおよそこんなことだろうな、と思っていたからぼくは何も言わないことにした。

 あるいは、何も言えなかったのかもしれない。

 少なくともぼくはあの瞬間、何を言う気にもなれなかったんだ。


 なんというか、どうでもいいことばかりが頭のなかで回ってたな。

 例えば、今までぼくらが入ってきた民家もしかり、家の鍵ってのを閉めて出ていくような習慣のない家ってのはそれなりに多いらしい。


 これは人間はぼくが思っているよりずっと平和ボケしているからなのか、コンビニ弁当やCD、DVDたちのようにぼくらの生活との妥協点、折り合いの結果なのか。


 きみは気をつけなよ。

 鉄パイプ片手に見知らぬ少女が入ってくるかもしれないんだから。


  ◆


 アカリに少し遅れて、その家に入ったところでぼくはアカリにシャワーを浴びるように促した。


 変な意味じゃないよ。単純に、そろそろぼくもシャワーを浴びたい気分だったんだ。


 ついでにいえば"水に流す"だとか"頭を冷やす"だとか、そんな表現がぴったりなシャワーってのは、鉄パイプ片手の少女に勧めるにぴったりな代物なんじゃないかと思ったんだ。


 ぼくが思ったよりもずっとすんなりとアカリはシャワーへと向かっていった。

 何も言いやしなかったし、ぼくと目を合わせもしなかったけどね。


 シャワーからあがってきたアカリは真新しい白いワンピースに着替えていてびっくりしたな。

 こういうことを言うってのはあんまりぼくの柄じゃないんだけど、よく似合っていたよ。似合いすぎてるほどに、似合っていた。


 思わず「どうしたんだ?」と聞いてみると、アカリは平然と「タンスから出してきたんです」なんて言うんだ。


 まるでぼくら、RPGゲームの主人公のような価値観になってきたな、なんて思いながら心の底から「似合ってるよ」って言ってぼくもシャワールームに急いだ。


 なんせ、あのままだと、笑っちゃいそうだったからさ。

 本当、今ぼくらが置かれてる世界ってのはちぐはぐなんだよな。


 きみの世界はどうだい?


  ◆


 シャワーからあがると、ぼくは元々着ていた服をもう一度着ることにした。

 少しばかり気持ち悪くはあったけれど、着替えがないんだからしようがない。


 そもそも、ぼくには他人の家のタンスを漁るだけの度胸はないんだよ。


 なるほど、勇者ってのは、他人の家のタンスを漁るだけの勇ましさを持ってるやつがなれるんだろうな。


 そもそも、アカリの嫌いな人ってのは。あのワンピースの持ち主ってのは。おそらくきっと、アカリと同じような中高生の女の子なんだろう。

 だとしたら余計に、だ。何を堀り当てるものやらわかんないからな。

 まぁ、見てるやつなんてアカリしかいないんだけどさ。


 このときになって流石にいくらなんでも着替えくらいは持ってくるべきだったな、なんて思ったな。

 なんだかんだで家を飛び出してから最初の後悔がこれなんじゃないだろうか。


 我ながら、なんとも些細すぎる不満だね。


  ◆


 アカリに手を引かれて階段を上り、二階の一室に入ってみると、そこはやっぱり、なんというか、あからさまに女の子の部屋だなって感じの部屋だった。


 ぼくは女の子の部屋に入ったのも本当に数年ぶりのようなものなんだけど、なんだか込み上げるものは何もなかったな。


 きっと、数々の生きた廃墟に慣れすぎて、ぼくにはそこにある生活感というものをすんなりと受け入れることができなくなっていたんだと思う。


 少しばかりぼくもアカリも黙って部屋を眺めていたんだけど、しばらくしてアカリは右手に持った鉄パイプを振り回しはじめた。


 やっぱり、止めようとは思わなかったな。


 止められるとは、思わなかった。


 ただ、ぼくは眺めてただけなんだ。

 三面鏡やら、タンスやら、ベッドやらがぼこぼこになっていくその様をさ。


 一度、そう。一度だけ。丁度、部屋の窓ガラスが大きな音をたてて割れたときのことだ。


 「ぼくにできることはないか?」なんて我ながらへんてこなことを聞いてはみたんだけどさ、アカリは「見ててくれるだけで結構ですよ」って言ったんだ。


 そのときのアカリは肩で息をしているような状況だったんだけど、ぼくは彼女の言葉に従うことにした。


 なんせ、何かをしようにも何をしたものか、わからなかったからね。


 ぼくには、アカリの考えているものや抱えているものはこれっぽっちもわかんなかった。


 そもそも、目の前のこの行為が正しいのか、正しくないのかすらわかりゃしないんだ。


 これはぼくの経験則なんだが、こういうとき、やらなきゃいけないこと以外はやらないに限るよ。


 言葉だってそうさ。言わなきゃいけないことは率直に。言いたいことは回りくどく言っておけばいいんだ。

 口ってのは災いの元なんだからさ。


 そう、つまりね。口だけじゃないなら余計に災いの元になるに決まってる。


 だから、こういうときってのは、なにもしないのがベストなのさ。

 ほら、触らぬ神になんとやら。それと同じだよ。



 わかっちゃいたんだ。

 いたんだよ。



 でも、やっぱり、ぼくは最後までは何も言わずにはいられなかったんだな。


 アカリが鉄パイプでふっ飛ばしたものの中のひとつに、写真立てがあってね。


 最初は伏せてあったんだけど、吹っ飛ばされた拍子に表を向いてぼくの足元に転がり込んだんだ。


 その写真は、両親と一緒に微笑む女の子の写真だった。


 ぼくは見るものもないもんだから、視線の逃げ場所程度にその写真をじっと見ていたんだけど、見れば見るほどなんだかやるせないというか、なんともいえない気分になってね。


 あぁ、なんでだろうね。こういうときのような、肝心な感情ってのに限っていつも、いつだって、筆舌に尽くしがたいんだ。


 とにかく、どこかいたたまれなくなったんだろうな。

 ぼくは、気がつけばアカリの腕を握っていた。


「もう、やめにしないか?」


「……そうですね」


 アカリは相も変わらず肩で息をしながらそう返した。

 アカリの腕から力が抜けた拍子に床にぶつかった鉄パイプのからん、という音が何かの合図のように響いた。


 この説得には少しばかり手こずるもんだと思ってばかしいたから、ぼくはちょっと拍子抜けだったな。


 とりあえず、ぼくはアカリから鉄パイプを受け取って、そいつをガラスの破片が散らばる庭先に投げやった。


 もちろん、そのあとアカリを車の中へと乗り込ませたわけだけど、アカリは息が整っても何も言いやしなかったな。


 きっとぼくと同じで、彼女もそういうとこが不器用なんだ。

 言葉にできないような、そんな気持ちになってたんじゃないかな。


 とりあえず、ぼくは、なるべくアカリのことを見てやらないことにしたんだ。

 泣いていたら、余計に気まずくなるからさ。

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