006
朝起きると、電車は東京に着いていた。
アカリは先に起きたらしくてね。電車の外に出てみると、時刻表とにらめっこをしていたのが見えた。
ぼくに気がつくと、なに食わぬ顔で「昨日はどこまで話しましたっけ」というアカリを見て、一日で慣れてしまう程度には人間ってのは近くに人間がいて当たり前のようなものなんだな、なんて思ったな。
「ぼくらが透明人間だっていう話だろ?」
「えぇ、そうでした。わたしたちの行動は世界につじつまを合わされていくのです。リモコンや、プリントをなくしたときに、自分の過失だったんだなって思い込んで、納得してしまったり」
なんだか、ぼくは自分のことを言われているような気がして、ちょっとむずがゆく感じたな。
ぼくはめんどくさがりだからさ。そういうどうでもいいことは適当に折り合いをつけて納得してしまいがちだったんだ。
――そんなつじつま合わせを、ぶち壊しましょう。
アカリは時刻表からこっちに顔をあげて、笑顔でそう言った。
「ぶち壊すって、どうするんだ?」
ぼくは当然の疑問をぶつけてみたけど、アカリのやつは何も聞いていないかのように返事もせず、ぼくの手を引いて、駅の外に連れ出した。
人のいない都市ってのは、民家と違って廃墟のような空虚さを感じさせるものではなかったけど、それはそれで異様な魅力を持ったものだった。
少しばかり太陽が明るみを射してきた風景のなかで、あちらこちらで輝く街灯りが空虚さを掻き消しているんだよ。
きっとあの街灯りも、透明人間たちが灯しているんだろう。
全ての喧騒が失われた街ってのは、寂しいような、騒がしいような、不思議な感覚の塊なんだな。
街は、音を失ってはいたけれど、光は失っちゃいなかった。そこのズレが、この何とも言えない印象のずれを引き起こしてるんじゃないだろうか。
まぁ、きみも透明人間になる機会があれば、大都市には行ってみるべきだと思うよ。
きっと、後悔はしないね。
◆
駅を出たぼくらは、近くにあったセブンイレブンから平然と各々好きな弁当と割り箸を持ち出して、また駅の中へと戻ってきた。
普通ならそこらのファミリーレストランや喫茶店なんかでモーニングメニューとでも洒落込むんだろうけど、とても普通とは言えやしない人の消えた世界じゃ店に入ったって自分で厨房に入って作らなきゃいけない。
そんな面倒なこと、してられないからぼくらは既製品であるコンビニ弁当というやつに頼ることになる。
人生でこれだけコンビニ弁当を食べる生活ってのも初めてだけど、同時にこれだけコンビニ弁当のありがたみが身に染みたのも初めてだったな。
コンビニ弁当って身体に悪いイメージがつきまとっているから槍玉にあげられがちだけど、実はとっても素晴らしい代物なんだよ。
ぼくが感謝しているのは弁当そのものというより、手間暇の込められた手間暇の省略についてなんだけどね。
互いに弁当を持っているのを確認したアカリは、ぼくの手を引いて、北行きの列車に乗り込んだ。
「どこへ行くんだ?」と聞いて、返ってきたのは「東北です」という実に漠然とした答えだった。
弁当を開けながら返ってきた淡々としたその返答に、ぼくはそれ以上聞く気にはなれなかったな。
何かを聞いたってまともな返事が返ってくる気なんてこれっぽっちもしなかったし、何より単純な話、ぼくもそれなりに腹が減ってたんだ。
何の変鉄もない弁当箱を開いていると、おもむろに電車が走り出した。
当然のことながら、電車の心地の良い揺れのなかでの弁当は多少なりとも食べづらかった。
ぼくは揺れは好きだけど、やっぱり適材適所ってやつだなぁなんて考えて、箸を泳がせていたんだけど、ふと横を見るとぼく以上に四苦八苦してるアカリの姿があってさ。
ぼくが見ていることに気がつくと、あかりが少し赤くなって笑うもんだから、ぼくもつられて笑っちゃったな。
どうやら、ぼくもアカリも、それなりに不器用らしかった。
でも、なんだかそれがたまらなく良いことのように。たまらなく心地よく思えたのは、なんでだろう。
これはさっきから薄々と感じていたことなんだけど、ぼくは知らぬ間に頭のネジがどんどんと落ちていっているんじゃないかな。
なんて思ったけど、いまさらな話さ。
ぼくは頭のネジが一本残らず抜け落ちてない人間なんて、見たことがないからな。
きみだってそうだろ?
◆
電車を乗り継ぎに乗り継いで、どうやら本当に東北に向かっているらしいな、と確信めいてきた頃だった。いや、疑ってたわけじゃないんだけど。
「わたしの、大嫌いな人のことをむちゃくちゃにしたいんです」だなんてすっとんきょうなことをアカリがつぶやいたんだ。
やっぱり人間というのは、誰彼構わず頭のネジが外れてるらしい。
「大嫌いな人?」
ぼくはそう聞いてみたんだけど、それからアカリが説明を補足する様子はなかったな。
誰にだって話したくないことのひとつやふたつ、あるんだろう。
頭にネジの抜けた穴ってやつがあるなら、そいつを埋めているのは案外、そんな些細な閉塞心なんじゃないかな。
◆
電車を降りたのは、夜になってのことだった。
ぼくが元々引きこもりだからか、一日中電車に閉じ籠ってるってのも悪い気はしなかったな。
何より、電車から降りたときのなんとも言えない田舎くささがたまらなくてさ。
なんというか、漠然とした実感でしかないんだけど、遠くへ来たんだなという気にさせてくれたね。
東京の、ちぐはぐめいた早朝の風景とは裏腹に、駅だってのに人っ子一人いやしない現状もまたそれはそれで似合っているのがこれまた面白い光景だったな。
仮にも田舎の中でも県名を駅名にかかげるまだ大きな駅であろう駅なのに、だよ。
てんで誰もいない風景がお似合いってんだから、田舎ってのは田舎なんだな、なんて思ったな。
誤解のないように言っておくと、別段、けなしているわけじゃないんだよ。
ぼくは、そう。
そんなところに非日常を見いだしていただけさ。
それが、ぼくなりの楽しみ方だったんだ。
でも、隣のアカリはなんだかよくわかんない表情をしていたな。
これからホームで野宿ってんだから彼女の気持ちもわからないでもないんだけどさ。
そう、その夜のことなんだけどさ。
ぼくは何も音がしない空間ってのはなんだか逆に落ち着かないんだな。
車の喧騒も、電車の走行音も、人の気配すらない世界ってのはきみが思ってるよりずっと静かなものなんじゃないかと思う。
深夜、自宅にいるときもそうなんだけど、ぼくはこういうとき、ガラケーやパソコンのカチカチというタップ音ってのも悪くないもんだなって思うような人間なんだな。
残念ながら、アカリがぼーっと見つめていたのはiPhoneで、ぼくも駅のコンセントから引いた充電器にぶっ差しているのはiPhoneだもんだから、カチカチ音なんて期待できやしなかった。
しようがないから、ipodをポケットから取り出して、トラックリストをぐるぐるとさまよっていたんだ。
ふと気がつくと、アカリはぼくの方を。……正確には、ぼくのipodを見つめていてね。
彼女にとっては珍しいものなのか、ぼくのipodに少しばかりの興味を示したようだった。
ぼくだって、別にこれといって聴きたい音楽があったわけじゃないから、なんとなしにアカリにipodを渡してみたんだ。
そこで、ぼくらはドラマなんかでよくあるイヤホンの分けあいっこ、なんてことをしてみたんだ。片方だけを分け合うっていう、あれさ。
最高に。これ以上ないほどにらしくない行為だな、とぼく自身、思っちゃいるけれど、海に行こうなんて思っちゃうくらいだからな。
ぼくもそういうわかりやすい青春っぽさってのに少しばかりの興味はあったのかもしれないな。
それか、やっぱりぼくもずっとどこか、おかしいんだ。
でないと、そんな気恥ずかしいマネ、できるわけがないだろ?
アカリがたどたどしく二、三ほどボタンを操作して、ぼくの右耳に流れ込んできたのはいつかTSUTAYAから持ってきたビートルズのアルバムだった。
いいね、非常に大衆的で。
歌詞の意味なんてわかっちゃいないんだろうけど、そこがまた、とてもいい。
なんたって、ぼくらは現状の意味すらいまいちわかってないんだからね。
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