第9話 貴女のために地に堕ちようとも
サラは天界に帰り、スレイと再開することが出来た。自身の館の入り口でサラの帰りを待ってくれていたスレイに、サラは全力で抱きつく。
スレイもそんなサラを抱きしめてくれた。抱きしめ合うことで、サラは生きている喜びを噛み締めた。
しかし、そんな幸福は長くは続かなかった。スレイはサラの無事を相好を崩して喜んでくれたが、すぐに真剣な表情になる。
「サラ、君はどうやら魂を狩らなかったようだね。なら、天界に要られる今のうちに、出来る限り休んで魂を充填しておくんだ」
「……スレイ、どういうこと……?」
単純に帰ってきたサラのことを
「……どうやら、神はなにがなんでもヴァルハラで、数多くの優秀な戦士を育成したいらしい。私も、目算を見誤っていたよ」
そして、スレイはサラに絶望的な事実を告げる。
「既に第二次のヴァルハラへの派遣が決まった。その中に……君の名も入っている……しかも、次の出立まで四日ほどしかない」
「そんな……!」
必死に生き残って、ようやくスレイと再会出来た。まるで夢のような、幸せなひとときが訪れるはずだったのに。夢は夢でも、これでは単なる悪夢だ……
スレイは混乱するサラを取り敢えず館で休ませながら、分かっている情報を簡潔に伝えていく。
「目算が外れたと言ったのは、第一次の派遣組の扱いについてだ。第一次の派遣組は、おそらく優秀な人間の戦士への贄扱いだとは、最初から思っていた。肝心なのは、その後の扱いだ」
サラはヴァルハラでの疲れと、これからまたヴァルハラに向かわねばならないという事実で消沈しており、まともに話せる精神状態ではなかった。一応話は理解出来ているようなので、スレイはそのまま話を続ける。
「第一次派遣組は生き残れさえすれば、元の力が弱くとも戦士としての資質が認められる。私はそう考えていたんだ。第二次派遣組は第一次派遣組とメンバーが入れ替えられ、天界の住人の資質を試すことも兼ねているのではないかと。だが違った。違ったんだ!」
スレイの言葉にも熱が籠もる。彼女は情報を話すさいは、意識的に冷静さを保つようにしているらしい。客観的な分析を行うには、感情的になるのは好ましくないからと。
しかし、かなり激昂しているのだろう。とても普段のような、冷静な口調ではない。
「……実は第一次派遣組でありながら、第二次派遣組にも入ってるのは君だけじゃない。というより、第一次派遣組で目覚ましい戦果を上げた、ごく一部をのぞいたほぼ全員が、そのまま派遣組に組み込まれている。生き残れなかった人数分の補充要員だけが、新規のメンバーなんだよ」
サラにも、ようやくスレイが怒っている理由が
とはいえ、それなりに人間の魂を狩ることが出来た天使は、ヴァルハラに出立したものの中では、極端に魂の消耗率が低い。しかも、ヴァルハラでどう立ち回ると人間を狩れるのか、ある程度学習していることも考えられる。
だからこそ、第二次派遣組から除外されているのだろう。魂の消耗率が低すぎるし、人間側が魂を狩るのには大変厄介な相手になるからだ。
他の第一次派遣組に関しては、あまり人間を狩れずに消耗している者が多いから、優秀な人間の戦士ならそれなりに狩りやすい獲物になるだろう。
「出立までの時間も、多くの第一次派遣組が天界の魂の配分機能でも回復しきれない期間内で、第二次派遣組に追加される者への通達と準備が整うであろう最短の時間だ。狙いがあからさま過ぎる」
「……ねえ、スレイ」
「なんだい、サラ?」
サラはいつの間にか穏やかな笑みを浮かべていた。そこには諦観もあって、見るものの胸を締め付ける。
「私たちが、始めて合った時のこと……覚えている?」
「もちろん」
忘れるわけがない。あのときから、スレイは大切な者を手に入れたのだ。変わりに失ったものがあるとしても、それでももう一度やり直せるとしても、きっとまた同じ道を進むだろう。だから……
「私は本当はあそこで死ぬはずだった……スレイに合って今まで生きながらえてきたけど……貴女に会えただけで、私は十分幸せだった。だから……」
サラの決意は、きっとスレイには変えられない。彼女の心は優しくて穏やかで、けれど強くて。その心にスレイは救われてきたのだ。
「私は、人間の魂は狩らない。たとえそれで、無に還ることになっても。こんな私を、許してくれる?」
「……分かった。もう君に人間を狩れとは言わない。約束する。でも大丈夫さ。きっと今度も君は生き残れるよ」
「ありがとうスレイ……」
それから二人で、昔話をした。まるで、死別するかのような会話だった。
ただ、もうとっくにどうしようもないほど、二人の考えは離れていたのだ。そのことをサラが理解して悔やみ始めるのは、もう少し後になる。
サラの覚悟が、全て無駄だったということも。
そして、サラがヴァルハラへ出立する時が来た。
サラはもう覚悟を決めていたから、穏やかな笑みでスレイの元から去っていった。スレイも、そのサラを穏やかに微笑んで見送っていた。ただ、スレイがなぜそんな表情だったのか、サラはまるで理解出来ていなかった。
ヴァルハラの大地は、やはり血の色で緋色に染まっているかのように、サラには思えた。ここが、自分の死に場所なのだと思うと、なんだか物悲しくなってくる。もう少し、綺麗な景色の場所が良かったのに。
サラは今回も、主戦場から離れるように移動していた。スレイの言った通り、天界で回復した魂は十分とは言えない。今回は、前回と違って逃げている間に時間切れで生き残れた、という事態にはなるまい。
そういえば、なんで天界の住人だけは一定時間生き残れば天界に帰還出来るのか。スレイに聞いてみたところ、『流石にそういう優遇措置を一つくらいは設けないと、天界の住人が反乱を起こしかねないから』ということらしい。
とはいえ、実質的にはそれほど天使たちに有利な条件ではないのだが。ただ、確かにそれがあるから、天界では不満があってもかろうじて暴動は起こっていないらしい。
それなら、ここまであからさまな措置をとらなくても良いだろうに。そう思うが、向こうは向こうで複雑な事情があるらしい。もう帰れないだろう場所の今後について考えるのは、無意味な気もするが。
ああ、でもスレイがいるから……
自分が死んでも、スレイがいる間は天界はなんとか均衡を保っていて欲しい。思いつくのは、そういった自分が死んだ後のことばかりだった。
そんなことをつらつらと思っていたからだろうか。自分が複数の人間から標的にされているということに、サラは包囲網が完成するまで気づかなかった。
「そんな……!」
実のところ、人間たちの間で自然といくつかの組織が出来上がるのではないか、ということはスレイが予測していた。より強い者に隷属することになろうとも、複数で狩りを行う利点の方が大きいだろうから、と。
天使側も複数で固まって行動する案は出ていた。サラがそれに参加しなかったのは、彼女が元悪魔だからでもあるが、彼女に人間を狩るつもりがないということも大きい。組織に組み込まれれば、自然と役割が割り振られる。そうすれば、人間を全く狩らないというわけにはいかなくなる。
だから、仲間と連携行動を取ることはサラの信条からして不可能だった。
それが仇になった。ただ、奇妙なことに彼らはあまりサラを攻撃しようとはしなかった。距離を詰めることを優先していた。
「殺すなよ! その方が、楽しみがいがあるからな!」
ある男が命令したその声を聞いて、ようやくサラは理解した。スレイがいった通りだった。サラは、狩りの獲物というよりは、もっとおぞましいことを目的として、狙われているのだ。それが嫌だったから、こうして単独で逃げまわっていたのに。
(ダメ……数が多すぎる、逃げきれない……!)
せめて、綺麗な身体のままで死にたかった。男たちの慰み者になるのはごめんだった。なのに……
(もう、どうしようもないの……?)
サラは人間を傷つけたく無かったが、いまさら方針を変えたところで大した意味さえない。正直なところ、彼女の戦闘力はあまりに低い。複数の人間を相手に立ち向かえるほどの戦闘力など、どのみち彼女にはなかった。
(怖い、怖いよ、スレイ……!)
「助けて、スレイ……!」
恐慌状態に陥ったサラは、思わずスレイに助けを求めていた。居るはずがないスレイに助けを求めるなんて。それにスレイがここにいたとして、サラを助ける手段は限られている。
それに、流石にこの状況でスレイが穏便な手段を選択するとは到底思えない。そう思うと、スレイがいないほうが良かったのかもしれない。サラはそう思ったのだが、
「ああ、やっぱり君には私がついていないとダメだったね」
幻聴かと思った。幻聴ではないと知った時に、最初に感じたのは喜びだった。サラには思考を巡らす余裕がなかった。ただ、スレイの声で冷静になると、しだいに戸惑いが大きくなる。そして、声がした方向を見て、それは次第に困惑から恐怖へと変わっていく。
「なんで……なんで……!」
サラは、声のあらん限りを尽くして叫んだ。それは、彼女がようやくスレイの狂気の片鱗を垣間見た瞬間でもある。
「なんで、翼が黒いの! スレイ!!」
「いや、だって思わず同族も殺しちゃったからさ。ああ、君を追っていた人間たちは大丈夫だよ。そちらも、私が一人残らず殺しておいたからね。もう、なにも心配する必要はないよ。私がずっとついているから」
スレイは笑っていた。三対計六の漆黒の翼。それは天使を殺して堕天した証。
人間と天使を虐殺して、スレイは穏やかな微笑みを浮かべていた。どうしてそんな笑みを浮かべることが出来るのか。サラには分からなかった。
ただ、スレイがどうしようもなく狂ってしまったことだけは、今のサラにも理解出来た。
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