第5話 安息の日々

 スレイは、サラのその対応に困惑を隠しきれなかった。

不束者ふつつかものですが、よろしくお願いします」

 確かに一緒に暮らすことになったとは言ったが、三指で頭を下げながらそう言われると、まるで嫁を迎え入れたような気分にさせられる。

 私は仮にも女性なんだが……そう思いながらも悪い気はしなかったが



 兎にも角にも、サラに天界の住人となることを正式に認められたこと。とはいえ、やはり行動などに制約がつくこと、そしてなによりその行動を監視する役割をスレイが担うこと……それらを告げたのだった。

 サラは、やはり監視役がつくことにショックを受けている様子だった。

「そんな……スレイ様が監視役だなんて……」

「スレイで言いといったのに……あ、いや、対外的には行動の監視が主目的な以上、他者には仲よく接していると見られるのはダメだな……ふーむ、まあ二人きりのときは、スレイと呼んでくれないか。これから一緒に暮らすんだし」

 そう言って、サラの様子を伺っていたスレイだが、どうもさっきから様子がおかしい。

「……暮らす……一緒に? こんな幸せ……夢じゃないよね……?」

 サラは、スレイと一緒に暮らすことになったと聞いてから、何やら小声でぶつぶつとつぶやき続けている。スレイが監視役なことによほどの不満があるのだろうか?

「私じゃイヤかい? それなら別に他の者でも……」

「……え? あ、イヤです! スレイ様じゃないとイヤです!」

 なにやら食い気味で、やたら力説されてしまった。気を使わせてしまったのかもしれないが、本当にスレイが嫌なら、流石にここまでハッキリとは力説しないだろう……とは思う。

「いや、本当にスレイでいい……正直、同い年の天使にも私を様付けする者が多いけど、正直それはそれで息が詰まりそうになる。特権を与えられているのだから当然なんだろうが、権利には義務が付き纏うものだから。皆から尊称で呼ばれるということは、それに応えるだけの成果を上げる必要がある」

 そういって、スレイはサラの方を見やった。黒曜石の瞳は、驚きを湛えた黒曜石の如く。綺麗な黒髪のロングヘアーは、戦いには向いていないだろうが、彼女の女性的な肉体美を更に引き立てている。その髪に無意識で、くしですくように何度も触れながら、スレイは今まで誰にも話せなかった心中を語った。

「無論皆の期待には応えたいし、そのための努力を惜しむ気などさらさらない。ただ、ときどきその重責を投げ出したくなる……だから、せめて家でだけは……一人くらいは、私をただのスレイとして見てくる存在が、欲しい……」

 スレイはそういって、サラに優しく微笑んだ。ワガママを言っている自覚はあった。サラはおそらく、魔界でも恵まれた生活を歩んで来ては居なかったはずなのに。そんな少女に、自分は恵まれた環境に対して愚痴ぐち吐露とろし、甘えたことを口にしている。

 サラはこんな自分に、甘えたことを口にする者に幻滅したりしないだろうか。そう思いながらも、一度語り始めた本音は、せきを切ったように止めどない。

「不思議だね。こんなことは、誰にも話したことはなかった。でも、サラ。君ならきっと聞いてくれる。そんな気がしたんだ。幻滅したかい……?」

「いいえ!」

 サラは今までの彼女からは想像が付かなかったほど、力強い意志を感じさせる言葉を発した。なぜなら、サラは嬉しかったのだ。サラのような力の弱い存在を必要だといってくれる者がいることを。そして、それがスレイであることも。

(ああ、ワタシ……きっと誰かに必要だって言われたかったんだ……)

 スレイの役に立ちたかった。スレイの支えになりたかった。今の彼女を必要だと言ってくれるなら、サラは喜んで彼女に全てを捧げる覚悟があった。

「スレイ……私は貴女の傍にいたい……貴女の苦しみが少しでも和らぐなら、私は貴女の傍にずっといたい……だから……」

 そういって、サラは三指を立てて頭を下げ、スレイへ向かって言葉を紡ぐ。自分の今の感情を、精一杯伝えるために。

不束者ふつつかものですが、よろしくお願いします」

 スレイは複雑な心境だった。サラが受け入れてくれたことは嬉しいのだが。その挨拶と仕草は……

「あの、サラ……その、それ結婚相手に向かって言う言葉だよ……?」

 スレイはあくまで、サラがそれを知らずにやっているのだと思ったのだが。

「……え? 知ってますよ?」

 それがなにか? とでもいうようなサラの態度に、逆にスレイの方が恥ずかしくなってくる。というか、結婚相手にする作法だと知っていて、なぜそれをここで実行するのか。

 スレイはそれを聞こうとして、止めることにした。貴女と添い遂げるつもりだからです、とか。そういった、聞くにたえないレベルの恥ずかしい天然ゼリフが返ってくる予感がしたからである。

 ちなみにその予感は当たっていたのだが。幸いというべきか、勘が働いたスレイの機転によって、そのような第三者こそ気恥ずかしくなるような場面が展開されることはなかった。

 代わりにスレイは、現時点で最重要だと思われる内容を口にする。

「ところで……君のその服……やはりキツくないかい」

「ふえ? ……ええ!?」

 話が急に切り替わったからだろう。一瞬呆けたような口調になったサラが、急に胸の辺りを腕で抑えながら、胸をスレイの視線から出来るだけ逸そうと必死になっている。やはり、何処がなどとは言うまでもなかったようだ。

 ただ、頭隠して尻隠さずとも言ったもので、その仕草を見たスレイはさらに追い打ちをかけた。

「いや、私は胸だけじゃなくて、お尻に関してもキツイんじゃないかと……」

「きゃあ! スレイ様の……スレイの、エッチ!」

 彼女の豊満な肉体は、なにも胸に限ったことではない。それでいて腹回りはスレイと大差ないらしい。天使は力が強いほど中性に近づいていくから、スレイは別に彼女の豊満な肉体に対する憧れや嫉妬はなかった(そんなものは、とうの昔に諦観している)のだが。

 なぜ女性同士なのに、そのようなことを時々言われるのだろう。そういった理不尽さは、常々感じずには居られなかった。

「そんなことを、なんどか言われたんだけど。私たち女性同士じゃないか。どうして皆そんな風に……」

「……他の女の人にも、そういったことを言われたことがある、と」

 今度は、こちらを呪い殺せそうな目線でにらまれた。サラとしてはあくまで話の前置きであって、そこからわりと真面目な話をしたかったのだが、この様子ではそういった話は、すぐには出来そうな雰囲気ではなかった。



 スレイはしばし、サラの様子が落ち着くのをまった。スレイとしては彼女をなだめたかったのだが、何に対してサラが怒っているのか理解できていなかったので、適当なことを言えば余計に怒りを買いかねず、結局時間が解決してくれるのを待つ、妥当だが消極的かつ決め手に欠けた手法に出る以外なかった。

 幸いにも、サラはサラでスレイがそういう誰にでも甘い言葉をかけてしまう麗人なのだと諦めることで、なんとか怒りを沈めることに成功した。

「で……それがなんです」

 あくまで表面的には、だったが。

「……ああ、そうそう。その服の件なんだよ。君の服はまあ、君の出自などが分かるようにするためもあって、オーダーメイドで製作することになるだろう」

 具体的に、どうしてオーダーメイドでないとダメなのかについては、藪蛇やぶへびにならないようにするため、あえて触れないが。もしかすると、サラには胸の大きさがコンプレックスなのかもしれない、とも思う。

「ただ、それを待つ間ずっと既成品というのは、正直厳しいものがあると思う。君とて、私のサイズではキツくてしょうがないんじゃないかい?」

「……それは、そうですけど……」

 サラはまだ若干ご機嫌ナナメな様子である。とはいえ、一応会話が成立している以上、スレイはこのまま押し切ることにした。

「そこで、私の服を何着か見繕って、それを君向けに修繕して貰おうと思っている。いくらなんでも、オーダーメイドの服が仕上がるよりは、サイズの修正の方が早いだろうからね。というわけで、今から出かけるよ」

「出かけるって……私も?」

 流石にサラは面食らった様子だった。そもそも天界の皆がサラの存在になれるまでは、外出は控えた方がいいという話も出ていたはずなのに。

「流石に素人の私では、採寸は難しいよ。サイズ修正に必要な箇所も、よく分からないからね。一応、服のサイズ修正の依頼での外出くらいなら、別段問題ないだろう。私も居るわけだし」

「でも……」

「本当に、キツくないの? それにその服、サラ用に仕立てた方が絶対に可愛いよ。私では、そこまで可愛くは着れやしない」

「……スレイって本当……いえ、なんでもない。分かった、スレイがそういってくれるなら、行く」

 なぜかサラが顔を赤く染めながらも、スレイの言葉に納得した様子だったので、スレイは彼女を連れて出かける準備をすることにした。天界では服を購入する制度など無く、あくまで支給品なのだが。

 とはいえ、彼女のような特例は許されるだろう。そうでなくても、服の支給が間に合わない天使への既成品のサイズ調整の依頼自体は、比較的ではあるが少なくない事例のはずだった。

 スレイはサラがようやく本格的に機嫌を直したようなので、思わず笑みをこぼしながら彼女に向かって促す。

「それじゃあ、行こうか」



 それは、まだ天界と魔界だけが争っていた時代。人間が介入するヴァルハラが出来る前の、束の間の安息の日々。人間たちを交えた醜悪なワルツが始まるのはまだ先のことで、彼女たちはこの間に急速にその魂の距離を縮めていく。

 二人の関係が深まるほど、将来の悲劇とスレイの狂気が加速するとは、サラは夢にも思っていなかった……

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