第4話 美しきは罪の源泉なるか
美しさは罪、などとはよく言われるものだが……
「サラが……あの悪魔の娘が美し過ぎるのが問題だとでも?」
スレイはその物議に対して内心で呆れていたものの、対峙している者がそのことを真剣に問題視していることを察して、一笑にふすのは止めておいた。
やがてスレイ自身が、そのことも原因で堕天使へと身をやつすことになるのだとしても、今の彼女たちにはそれを知る術はなかった。
スレイは神の啓示を賜るために、すぐには館に戻らず天界の中心部にある神殿へと向かったのだった。とはいえ、神からのお言葉を賜ればすぐに次の行動へ移れると思っていたのだが、それはどうやら叶いそうにない。神のお言葉を伝える代行者として、ミカエルがその場に居たからである。
代行者から話を聞かねばならない以上は、一言二言程度で済む話ではないのだろう。話が重大かはともかく、一言二言で終わるような内容なら、そもそも代行者がスレイへと話を伝える役割を担う必要が存在しないからだ。
ミカエルは、三対六翼の天使の中でも最上位に位置する、圧倒的な力と才覚の特級天使の一人である。スレイとて、彼には最大限の敬意を持って接することを当然としていた。
とはいえ、ミカエルは最上位の天使の中では力そのものより、厳格さと柔軟さを併せ持つ精神と、冴え渡る知性を評価されている者である。穏やかな物腰も合わさって、他の最上位天使と比べると比較的親しみを持たれている。
今回は、神の意志をスレイに伝える役をミカエルが担当していた。スレイとしては、最上位の天使なら彼のような天使の方が、まだ話しやすくて助かる。
ミカエルは、スレイの期待通りに穏やかな口調で話しかけてきた。やはり、かの天使は他の最上位天使よりはずっと話しやすい。
「スレイ。色々と聞きたいことはあるだろうが、まずは始めての戦場において無事に帰還したことを、ことほぎたいと思う。初陣にも関わらず、多大な戦果を上げたとも聞いている。君のような若い天使に素晴らしい才覚があることを、私たちは嬉しく思っている」
「ありがとうございます」
スレイとしては、あまり形式的なことより、早く本題に入って欲しい気持ちもあったのだが、ミカエルの言葉は形式的な言葉の中にも、誠実に彼女を賞賛する気持ちが含まれていて、それを遮る気には到底なれなかった。なによりも、彼にほめて貰えたことは素直に嬉しかった。
「さて。君も急いているようだし、形式的なことは後々誰かが話すだろうから、早速本題に入ろうか。あの悪魔の娘の件だが……」
バレていた。彼女はサラの件が気がかりだというのを隠していたつもりだったが、年長者のミカエルには、そんなことはとっくにお見通しだったようだ。とはいえ、彼の口調からはからかうような感じはしなかったので、彼自身はあくまでスレイを気遣っての言葉だったのだろうが。
「まず、あの悪魔の娘は今は君の館にいるのだが、彼女は正式に天界の住人になることを、我らが主に許されたよ。その点は問題ない」
「ありがとうございます」
スレイはそう答えたものの、ミカエルの物言いの含みの多さの方が気がかりだった。
(他になにか問題があるのか……?)
とはいえ、神に天界へいることを許された以上、すぐに処分されることだけはあり得ないだろう。スレイとしては、その点は心配する必要はもうないわけだ。
「しかし、君が彼女の服装の件を忘れていたとは。あのままの格好で天界を歩かせるなど、見世物以外の何者でもないよ。まあ、今は君の服を来ているようだから、前ほどは目立たないだろうが」
「そ、そうですね。失態でした……」
そうだった。サラの服装は天界では目立つし、あの露出ではそれ以前の問題もある。好奇の目に晒されかねないのだから、スレイの服を着せるということも含め、スレイの館に留まらせるのが上策だろう。その判断をしてくれた上級天使に感謝する。
しかし、その話は主題とはあまり関係ないように思うのだが……そう考えたスレイの判断は間違っていた。大いに関係があったのである。
「それで、彼女を天界の住人とすることに全く問題はない……と言いたかったのだがね。単純に彼女を天界の住人とすることについては、そのことを問題視する者が複数居てね」
「……?」
スレイには今いち話が見えない。我らが主たる神が許したというのに、天界の住人として扱うことの何が問題だというのか。
「彼女はあまりに美しすぎる。それが問題なんだ」
(……は?)
今、ミカエルは一体なんと言った? 気のせいで無ければ、サラが美しいことがまるで重大な問題であるかのように聞こえたが……
「サラが……あの悪魔の娘が美し過ぎるのが問題だとでも?」
「そうなるが……あまりピンとこないようだね。まあ、君は純粋な女性だから分かりづらいのも無理はなかろうが」
今のミカエルの言葉で、ようやくスレイにも察しがついてきた。なるほど、美しすぎるのは罪、とはよくいったものだ。
「天使の大罪たる色欲を促す……サラの容姿が、そうであると? しかし、それは……」
スレイは反論しようとした。サラが美しいのは事実だ。今はまだ容姿が若干幼い面もあるが、それでさえ男性の色欲をかきたててやまないだけの、圧倒的な美貌と色気を備えた肉体美の片鱗が、もう芽生え始めている。
とはいえ、それは責任転嫁ではないか。天使たるもの、己の欲求を抑えることが出来る精神を育むことをこそ、旨とするべきではないのか。
そう言いかけた彼女の言葉を、ミカエルが控えめな仕草で遮った。彼女が不服を申し立てることは、当然ながら想定内だったらしい。
「君の言いたいことは分かる。そして、それは実に正論だ。私も出来ることなら同族を信じたいし、天使として欲望を抑える精神の鍛錬を
ミカエルは、その言葉を一旦区切り嘆息した。彼自身、その意見が出たこと自体を嘆かわしいと思っているのかもしれない。
「今はまだいいが、彼女の将来の容姿まで考慮すると、流石に色欲を抑えきれない者が出てこない保証はない。それは、彼女にとっても不幸なことになる」
色欲に負けてサラに手を出そうとする者が出れば、サラにとっても不幸となるというのは、スレイには反論しようがない事実だった。それに確かに、サラはまだスレイと同じく成長期なのだ。今でさえ男性の情欲を誘うだけの色香を持ちながら、これ以上肉体が女性として成熟していけば、スレイはともかくサラは男性から自身の色香相応の、情欲に満ちた視線を浴びかねない。
「それに、嘆かわしいことだが彼女が悪魔であることを理由にした、我らが同族からの偏見も考えられる。彼女のせいで色欲を煽られたなどと、君や彼女を攻撃する材料として利用する者が、今後現れんとも限らん」
スレイにはそれも否定出来ない。スレイヤサラをやっかむ者が今後現れないという保証は何処にもない。だが、だからといって……
「だから、サラを処分しろと!?」
スレイはミカエルに問いかける。それではあまりに酷いのではないか。
「それではあまりに浅慮で短絡的で、狭量に過ぎる……と言うのは実の二度目なのだが」
スレイは赤面する。今の発言でミカエルはサラをかばった側だったということを、元来明敏なスレイは察することが出来たからだ。サラの処遇について善処してくれた者に対して、スレイは思わず怒りをぶつけてしまったのだから、恥ずかしく思うのも当然だろう。もっとも、ミカエルにはからかうような様子こそあれ、本来なら無礼に当たるであろう物言いを咎める気配はないが。
「とはいえ、一応そういった意見も無視するわけにはいかなかった。そこで、妥協案として女性の天使が監視役も兼ねて付きそうということで、皆を納得させることは出来た。無論、この監視というのは彼女自身の安全も兼ねてのことだ」
スレイは更に恥じ入った。最期に付け足された言葉は、監視役という言葉にスレイが不快感を示すのではないかというミカエルの配慮であり、確かにその言葉がなければ、スレイはそのことを不快に思っただろう。
(私も、まだミカエル様と比べれば遥かに若輩者なのだな……)
「それで、その監視役なのだが……私は君が適任だと思っている」
「私が……ですか?」
「嫌かな?」
ミカエルは、その言葉を優しく微笑みながら問いかけてきた。スレイが嫌だと言えば、彼は別の者を指名するのだろう。とはいえ、おそらくスレイがどう答えるかも、大体察してはいるのだ。本当に、まだまだ雲の上の存在だ。
「いえ、その任、このスレイ=マスティマが
「そうしてもらえると助かる。なにせ、出身が元悪魔となると、それだけで偏見を持つものもいるだろう。君は年若いこともあって、まだ悪魔に対する偏見は少ないようだが。君に断られた場合、か弱くとも悪魔であるものを
それもまた事実なのだろう。もっとも、スレイから見てミカエルは、スレイが断るとは露ほども思っていなかったように映る。
「彼女のことをよろしく頼む。君にとっても、魔界などのことを知って見聞を広めるいい機会になると、私は思っている」
「ありがとうございました、ミカエル様」
「では、スレイ。細い話は後で伝えるから、早く彼女の元へ行って安心させてあげるといい」
そういうと、ミカエルは身を
スレイは急いで、サラの居る自分の館へと向かう。
それを、ミカエルは微笑ましい思いで感じ取っていた……
ただ、ミカエルは同時に嫌な予感を抱えていた。
「なにも、不安に感じることはないはずなのだが……」
なにせ、スレイは女性天使である。サラの美貌と色香がいくら規格外とはいえ、それで籠絡されることなどないはずなのだ。
だがミカエルの予感は、残念ながら当たってしまう。ただ彼の考えた通り、スレイは別にサラの美貌や色香だけで籠絡されはしなかった。その意味では、彼の対策は全く問題なかった。
サラの悪魔とは思えぬ優しさと穏やかな魂。それこそが最もスレイをサラへと執着させ、スレイを狂気へと駆り立てる一番の原動力となったのだから。
「愛しているよ、サラ……」
サラにはもう、何度耳元でスレイにそう囁かれたのかさえ、分からなくなっていったのだった……
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