第2話 三対六翼の天使

 スレイ=マスティマは天界にて生まれた特級の天使である。彼女は当初上級天使として生み出されるはずだったので、これは予想外のことだった。

 上級天使は純白の二対四翼が特徴なのに、彼女のそれは純白の三対六翼だったからである。予定外の強大な存在が生まれたことに、天界の者たちは困惑した。

 しかも、特級の力を持つ天使は両性具有であることが普通なのだ。女性や男性といった性別を持つものは二対四翼までの上級天使か下級天使に限られる。

 特級の天使の時点で稀であるのに、ましてや特定の性別を持って生まれてくるなどと。

 天界でも極稀な存在であった彼女は、しかしその力の潜在能力を期待されたために、予定外の存在とはいえ処分されることはなかった。そのまま天界で大事に育てられ、いつしか幹部クラスの強大な天使として立派に役割を果たす。

 そう期待されていた。


 スレイは、天界にいる間は心優しい少女だった。いつしか天使や悪魔は人間にとって変わられる日がくる。それまで天使は人を慈しめと教えられても、彼女は人間へ嫉妬を向けることもなかった。

 同族や人間への慈しみを忘れることなく、傲慢ごうまんになることもなく、彼女は天界の皆の期待通りに成長していた……


 それが、彼女が堕天使になるとは。それも悪魔であるサラのためとは、誰も予想してはいなかっただろう。

 ともかく、彼女にとっての転機となる、始めての悪魔狩りの命が下った。




 悪魔は神から役割を与えられたものと、天使から罪を犯して堕ちた者、そして魔界から生まれた邪悪なものの三種に分類される。

 サラ=アスモダイは、魔界から生まれたものだった。ただし、彼女はスレイと違って悪魔でありながら、邪悪な心も強大な力も持ち合わせず、ただただ怯えて暮らすだけのか弱い存在でしかなかった。

 あいつは、いつか戦場の一兵卒として死ぬだろう。皆からもそう言われた。

 大悪魔の命に反論するだけの力も逃亡する勇気もなかったサラは、悪魔の軍団の一兵卒として戦場に出るよう命令された。

 ちょうど、スレイたちによる悪魔狩りが行われようとしていたときだった。サラは前線の一兵卒として、スレイたちを足止めする盾となるために。

 前線の弱い悪魔でまず天使の軍団を疲弊させて、本隊の悪魔が天使の軍団を叩き、魔界の本陣への突入を防ぐ。そのための壁として、それだけのために命を散らせと言われて、従順に戦場に赴いていた。


「……で?」

「うう……」

 サラは、悪魔の尖兵として戦うために最低限の装備として与えられた三叉の槍を、目の前にいる三対六翼の天使に向けていた。とはいえ、戦闘を始める前から既に気圧されていて、とてもまともに武器を構えているとは言い難い。

(綺麗……)

 その少女は、金髪に琥珀の瞳の持ち主だった。短く切りそろえられた金の髪は、艶めいて光を反射しさらに輝く。琥珀の瞳には、敵意というよりも明らかにこちらに対する呆れに満ちているように見えた。

 それはそうだろう。三対六翼といえば、上級天使すら余裕で力で従える、幹部候補クラスの天使の特徴だ。目の間の天使は、きっとサラと同じぐらいの年頃で、天使や悪魔としてはとても若いのだろう。

 それでも、サラどころか本隊に所属する悪魔でも、隊長クラスでようやくまともに相手が出来るかどうかというレベルだ。場合によっては軍団長でないと止められないかもしれない。

 そんな相手に、自分が一体なにが出来るというのか。と、そこまで考えてからあることに気付く。

(女の子……? 胸に少し膨らみがあるからそう思っちゃったけど……特級の天使って性別がないんだよね、たしか……)

 自分の見間違いかもしれない。そもそも、三対六翼の天使など見る機会自体が始めてだから。これが私の最期なのだろう。でもこれほど綺麗な存在を最期に見ることが出来て良かった、とサラは考えていた。


(なんだか、感動されている気がする……)

 スレイは、特に動揺することもなくその悪魔の少女を眺めていた。なにせその悪魔の少女は、武器をちゃんと構えることさえ出来ていない。しかも、敵意を感じるどころか、なにかこちらを見て満足しているようだった。

(もう、生きること自体を諦めたような表情だな……)

 もし相手が敵意をむき出しにしていたら。あるいは、逃亡を図ろうと画策していそうだったら。それ以前に、目の前にいる悪魔が自分と同じ性別と同じ年頃でなかったなら。きっと、躊躇ためらわずにすんだのだろう。

 戦場だというのに、もう少し彼女を観察していたくなって、スレイは思わず手を出すのを止めてしまった。

(悪魔の女は、皆こうなのか……?)

 天使ならはしたないと一蹴されそうな、身体を覆う部分が少ない布地。その僅かな布地の下に、圧倒的な肉感で隠しきれていない豊満な双丘がある。

 いや、もはやあれだけ豊満な胸では、布地が少々増えた程度では到底隠しきれる訳もない。下半身の露出度も相当なものだったが、胸ともども気にならないのだろうか?

(男を誘惑するため? いや、人間ならともかく天使が相手の戦闘中……となるとこの衣装……まさかロクに装備さえ渡されていない?)

 スレイは気付いてしまった。遠くに目をやると、戦闘の準備を行っている悪魔の本隊が見えた。そちらは性別に関係なく、程度の差こそあれ身体を覆う防具を身につけている。やはり、武器以外の一切の装備品を持たされていないのだ、この悪魔の少女は。

 気付いてしまうと、もはや戦闘する気も失せてくる。というか、目の前の少女はどうせ自分が戦っても全く敵わないことを自覚しているがために、向こうから手を出す気が一切ないことが伝わってくる。

(試してみるか……)

 スレイは決断することにした。どうせこのままここに留まるのにも、限界というものがある。かといって、この悪魔の少女をただ邪悪と切り捨てるような真似は、スレイには出来そうにない。

「私の名前はスレイ。スレイ=マスティマだ。そちらの名前は……?」

 この質問に彼女が答えれば、天界で神に審判を乞うてみるのもいいだろう。どうせロクに戦える能力はなさそうだから、天界に連れて行くことそのものが危険ということはない。

 彼女に神に仕える素養があるか。天使の質問に答える素地があれば、悪魔として天使を妄信的に憎んでいるわけではないと、仲間に一応説明が出来る。

 逆に答えられないようなら、仲間に神に仕える素養があることを説明出来ない。仲間に言い訳出来る要素がなにもなければ、取り敢えず天界に連れて行くという選択肢すら、とりようがない。その場合、殺すしかないだろう。

(どうでる……?)


「……サラ……アスモ……サラ=アスモダイです」


 スレイは実のところ、悪魔の少女が素直に応じるか真剣に悩んで試したのだが、サラは実に素直に質問に応じた。一体なんのために、スレイはここまで悩んだのだろうか。

 まあ、天使の質問に素直に答えるような少女である。神の命に応じて行動する悪魔も実在するのだし、彼女にもその素養があると見ていいだろう。

 すくなくとも、天使を妄信的に憎んでいる様子は皆無だった。

「サラ、か。いいだろう。君は殺さない」

「……へ?」

「天界に連れて行くことにする。神の判断をあおぐことにはなるだろう。ただ、君が天界で従順に過ごせば取り敢えず殺されることはない……と思う」

「……え? ……ええ!?」

 サラという悪魔の少女は事態についていけないようだが、もうスレイは次の行動を決めていた。流石に戦場で何もしない時間が長すぎた。そろそろスレイ自身は戦場に向かう必要がある。

「誰か、ここに! スレイ=マスティマが申言です!」

「はい、スレイ様、なんでございましょう……?」

 その様子に、悪魔の少女であるサラは驚いた。分かってはいたが、二対四翼の上級天使がスレイには従順に従っている。この上級天使でも、サラ程度一瞬で無に還すことなど容易たやすいだろうに。

「このサラという悪魔の娘……生かして天界へ。神の審判を仰ぎたいと思います。スレイが神に仕える素養を認めた、という口添えも忘れることなきよう」

「……悪魔を? ……分かりました。スレイ様がそう判断されたのなら」

「サラ。いくら私でも貴女が抵抗すれば貴女ごと処罰される。抵抗さえしなければきっと、貴女は天界で暮らす変わりに生き延びられる。自分で、好きな方を選びなさい」

「はい……スレイ様……」

 悪魔の少女は、むしろスレイに心酔したような表情でこちらを見ていた。これなら抵抗される心配はないだろう。とはいえ、種族こそ違えど同じ年頃らしい少女からそう見られるのは、なんだかこそばゆい感覚だった。

「スレイ、でいい」

 そういうと、スレイは今度こそ戦場で悪魔を狩るために飛翔を始めた。もうサラのことは心配していない。今は戦場に集中しなければならないし、おそらくサラの様子からして、天界で生き延びることそのものは許されるだろうから。




 これが、二人の出会いである。この出会いがなければ、スレイが堕天使に堕ちることはなかったのだと、サラは今でも後悔している。

 自分はこのとき、スレイに出会わずに死んでいれば良かったのだ……と

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