2 Le ridau se léve. 幕が上がる。

 背を預けてるドラム缶を穿つ音に、オレは短く口笛を吹いた。振動が伝わってきやがった。

「口笛吹く余裕があるなら、手でも動かせ」

「いやいや、この弾幕で何しろって言うんだ? お手上げだろ」

 向かい側の壁にへばりついて、弾倉を詰め替えてる同い年くらいの少年に肩を竦めてみせた。血みたいに鮮やかな赤毛の隙間から、茶色の目が批難の視線を浴びせてくる。痛いったらありゃしない。

 その間を、いくつもの飛弾が駆け抜けていく。狭い路地だ。飛び出せば蜂の巣になっちまうのはわかりきったことだった。

「せっかくいるんだ。少しくらい役に立て」

「って言われてもなあ。オレ、飛び道具とかは持ってないんだけど」

 得意なのは白兵戦だ。徒手空拳でならやりあえる自信があるけど、流石に真っ昼間から降り注ぐ銃弾の雨とはごめんだ。こんな青々とした秋晴れのもとで早々に死ぬつもりはない。まだ齢十七だってのに。せめて静やかな秋晴れのもとだけにしてくれ。

「……使えない奴」

 ぼそりと毒突いた少年は、アサルトライフルを構え直し、弾幕の隙間をぬって何やら黒い塊を放り投げた。銃声が止み、視線が黒い塊に集中する。黒い塊からは白い煙がもくもくと上がっている。

 横目で少年を伺うと既に走り出していた。慌てて後に続く。瞬間、煙を吸い込んで理解する。催涙ガスだ。両の目から涙が止まらないし、ひりひりする。先を行く少年は用意よくマスクをつけている。舌打ちをしながら袖口で口元を覆った。効果は芳しくないけれど、黒服の敵も同じ状態なので殴り倒して路地の奧に進んでいける。大方の敵を少年が蹴散らしてくれているから、目下の問題はこの涙と鼻の痛みだ。「はっくしょん!」……あとくしゃみも。

「待てよ!」

 咳き込みながら、突き当たりの角を曲がろうとしている少年に叫ぶけど、足を止めてくれるはずもなかった。せっかく一緒になったんだから、協力してくれればいいものを。

 立ちふさがってくる敵どもを殴り飛ばしながら、オレはため息と涙を零した。


 少年と合流したのは、角を二度曲がった後だった。途中、庭先に水やり用の蛇口がある家を見つけて顔を洗ったから、涙はもう止まってる。少年は行き止まりの高い土塀を見上げていた。

「あれ? ここまで一本道だったよな?」

 表通りから先ほどの狭い路地までの道のりも含め、分かれ道はなかったはずである。涙で視界が歪んでいた時もあったから自信はないけど。

「よく見ろ」

 銃口で示されたのは、土塀の張り紙だ。胡蝶のオペラ座——俺たちの目的地の公演チラシだ。演目は『蝶々夫人』。煽りとして『名誉のために生けることかなわざりし時は、名誉のために死なん』と名台詞らしきものがでかでか書かれている。興味はない。あるとしたらアクセスマップだが、相変わらず見当たらない。

「チラシならオレも持ってる。表でたくさん配ってたろ?」

 それを手にとって、ここまでやってきたのは自分も同じだろうに。

「違う。そうじゃない。……文字が書かれてるだろ」

 どうやら、少年はチラシのすぐ上にある東洋文字を指し示していたらしかった。黒いスプレーでのいたずら描きとしかオレには読み取れない。

「で? なんて書いてあるんだ?」

「東洋語で『上』」

「流石、東洋人」

 白い肌のオレが讃えてやったけど、黄色みがかった肌の少年は興味なさげに言葉を続けた。

「つまりはこのまま上に行けってこと」

「じゃあそうしようぜ」

「この平らな土塀をどうやって登るんだよ」

 眉根を寄せた少年に、左手の隣家を指した。扉はないが、窓なら縦に三つも並んでる。蔓系の植物も這っているし、足をかけるにはちょうどよさそうだ。さっさと行けと促されたので、さっそく窓枠に手を掛けた。直後に、銃声が響く。

「上がれ!」

 鋭い指示が飛んでくる。オレは急いで壁を登り始めた。身長が高くてよかったと心から思う。敵が土塀の上に身を乗り出して少年と応戦しているのが視界の端に見えた。三階の窓枠を足場にしたオレは、銃を持った相手に遠慮なく跳びかかった。土塀の向こう側に諸共転がり落ちる。幸い、大量の木材が積み上がっていたから高所からの落下にはならずに済んだ。回転が止まると同時に敵を背負い投げしてから、顎を殴っておく。

「無事か!」

「おう!」

 答えながら、木材の山を駆け上る。土塀から顔を覗かせると無傷なままの少年がこっちを見上げていた。

「他に敵は?」

 問い掛けに振り返って確認する。先ほどの路地よりは広い。突き当たりには螺旋階段がある。あとは、気絶させた男が一人転がっているだけだ。見える範囲に人影はない。

 それを伝えると、ロープを投げ寄越された。それを適当なところに結んでやる。

「ありがと」

 登りきった少年がロープを回収しながら呟くから、少しびっくりした。この程度のことではお礼は言わないタイプだと思っていたけど、違うらしい。

「……どうも」

「で、次はあれか」

 少年は、すぐに話柄を転じた。注意深く螺旋階段を観察している。

「あそこからもぞろぞろ黒服の奴らが現れそうだよなあ」

「オペラ座に辿り着くまでの勝負だ」

「その肝心のオペラ座まであとどのくらいだよ」

「チラシには徒歩十五分と書いてあった」

「嘘つけ。あの弾幕を浴びてた時間だけで十五分なんて優に過ぎただろ?」

「何もなく歩けて十五分ならあの螺旋階段の先ぐらいでもおかしくないけど、どうだろうな」

「それを期待したいぜ」

 肩を竦めて歩き出す。木材の階段を下りながら、黒手袋をはめ直した。あと何人殴れば到着できるのだろうか。少し億劫になってきた。緩慢に行くオレを足早に追い越した少年は、何やら倒れた男のジャケットをめくっている。

「何かあったか?」

「財布やペンくらいだな。あ、無線機がある。他は……蝶のブローチくらいだ」

 金色の蝶が胸元にとまっていた。なかなかお洒落を気にする男だったらしい。ストライプのシャツもお高そうだ。ちょっとむかついて軽く唾を吐き捨てる。その間に、少年は無線を繋いでいた。

「どうも。胡蝶のオペラ座を仕切ってる、FK20区の区長と話したい」

 オレは近づいて聞き耳を立てる。

「区長である我らが歌姫とのお話し合いはできません」

 雑音のあと、きっぱりとした女の声が聞こえてきた。

「用件であれば、座長である私が聞きます。挑戦者の方々」

「それじゃあ、ルールの確認を」

 滔々と話された内容は、オレの知識とほとんど相異ないものだった。

 FK——正式名称、La Fatalité de Kamikaze〈神風の運命〉の国内は巨大なゲーム会場のようなものだ。区間を移動するには、そこまでに通過した全ての区の区長による許可が必要だ。例えば、10区から9区に移動したい場合は、10区から20区全ての区長から許可が出たという証明を専用のパスポートに刻むこと。ちなみに、20区区長は胡蝶のオペラ座にて区長主演のオペラを鑑賞すること、というのが通過許可を下す条件となっている。だからオレはわざわざ見たくもないオペラのために、邪魔な黒服を薙ぎ倒しているというわけだ。

 そんなようなことをして、全20区の区長から許可が下りたもののみ、『無慈悲な神』に会う権利が得られる。『無慈悲な神』は気まぐれだが、どんな願いでも一生に一度だけ叶えてくれる、ともっぱらの噂だ。

 ——ある種の神話だ。

 FKで区間を移動するのに区長の許可が必要なのは本当だし、区長たちが一癖も二癖もあるせいで、課されるものが難題ばかりなのは有名だ。けどこれはもはや、旧時代の信仰で、『無慈悲な神』の実在は信じられていないのが現状だ。

 FK1区には、巨万の富があるとか、太古の兵器があるとか、はたまた何もないとか……好き勝手言われている。実際、FK1区へと行けたものがほとんどいないから全ては想像だ。

 FK1区に何があるのか。それを追い求めるのはやっぱり、ロマンだろう。子どもなら一度は夢見る冒険だ。

 ……実質の挑戦者の数は、今日ここに立つのがたった二人なことから知れるけど。

「以上がルールです。世間で認知されているのと寸分も違わないでしょう」

「だったね。……本題はここから」

 少年は声を落とした。

「手加減は無用。本気でかかってきて」

「手加減? そんなことしているとお思いですか?」

 オレは一人首を振る。あの弾幕は確実にオレたちを殺す気だっただろうに。何を言っているんだろう、コイツ。

「この程度が、最初の試練なわけがない」

「そうですか? 十分、最初に相応しいと私は考えますよ」

「未熟者の小手調べにはね。けれど、僕には生ぬるい。何時間ここで誘導され続けるのが普通? 三時間くらいかな。……僕にはそんなものいらない。さっさと本当の試練を出してもらわないと困る」

「お望みは以上で?」

「いいや。区長に伝言を頼むよ。『今から発声練習をしておいてくれ』ってね。すぐに辿り着くだろうから」

「そちらこそ、いい悲鳴の上げ方を練習しておくべきですよ。……それに、区長ではなく我らが歌姫です。ゆめゆめお忘れなきよう。失礼」

 無線は途端、雑音ばかりに戻ってしまった。用済みのそれを投げ捨てた少年は、螺旋階段に向かっていく。

「なあ、なんで今のこれが偽の試験だと思ったんだよ?」

 走り寄って背に問い掛けたけど、振り返ってはくれない。つれない奴だ。答えてはくれるだけマシなのかもしれないけど。

「偽じゃなくて、前段階だ。振り落とし用に決まってる」

「振り落としの必要性がないだろ。そんなに大勢挑戦者はいないんだから」

「知るか。虚仮威しに引っかかる奴は挑戦する資格もないってことじゃないか?」

「そんな、ヤバイわけ?」

「西洋語圏の人間なら聞いたことあるだろう。FKの試練の悲惨さを」

「噂程度に決まってるだろ。『無慈悲な神』の実在を疑う奴だって五万といるんだし。オレだってこの目でFK全体を取り囲むあの塀を見るまで半信半疑だったよ」

 高く高くそびえ立った塀は、えもいわれぬ高揚感をもたらしてくれた。まさに冒険の始まりにふさわしい。子どもの頃読んだ物語みたいだ。わくわくする。

「信じていないのか? 『無慈悲な神』を」

 少し、意外そうな声色だった。

「心の底から信じている奴なんて、もう残ってないだろ。直接会ったと言われているのは伝説の英雄か……、1区の区長だけじゃねえか」

「いないと思ってるくせに、ここに来たのか。茶化すなら故国に帰れ。僕は本気で希いにいくんだ。邪魔するなら、撃つ」

 何の躊躇いもなく、少年はオレに向かって銃口を向けた。ホールドアップしながら、ため息を吐く。

「邪魔するなんて一言も言ってないだろ。オレはオレの願いを叶える。お前はお前の願いを叶える。そのために協力だ。この場だけ手を組む。さっきの比じゃない攻撃がくるんなら、一人でも仲間はいたほうがいい。違うか?」

 少年は、銃口を下ろして肩を竦めた。

「足手まといにならないといいけれど」

「おあいにくさま」

「ご冗談を」

 お互いに笑みを浮かべ、螺旋階段を上り始めた。五階建てのビルに外付けされている螺旋階段は歩むたびに甲高い音がする。にも関わらず銃弾が飛んでこないのは、先ほどの無線の効果だろうか? 強く警戒している少年の後ろを呑気についていたオレだったが、嫌な臭いを感じて立ち止まる。二階の扉の前だった。少年に目配せをする。

「煙草の臭い?」

 訝しげに下りてきた少年が眉を寄せる。煙草は煙草でも、随分きつい臭いだ。

 さっきから扉の隙間から、うっすらと煙が漏れてきている。誰かが中にいるんだ。

 顔を見合わせた。通り過ぎるわけにはいかないだろう。

 少年の合図で突入した。

「誰かいるのか!」

 誰何の声は紫煙に吸い込まれて消えた。

 辺りは霧でもたったかのように煙が漂っている。視界がきかない。ここが廊下なのか部屋なのかすら、今ひとつ判断しかねるくらいだった。おまけに、鼻がひん曲がりそうなくらいの異臭だ。

「おい!」

 オレも少年に続いて叫んではみたものの、煙にまかれてしまう。

 無言のうちに、オレたちは背中合わせになっていた。

「無事か?」

「勿論」

 尋ねると元気な返事返ってくる。

「ここは広い部屋らしい。天井の明かりが大きい。よく見ると壁に文様がちらほら見える」

 確かに、目を凝らしてみれば、煙の向こうに東洋系の文様が見え隠れしてる。さっきから東洋に縁のあるものが見当たるのは、なぜだろう。ここは西洋だってのに。

「いらっしゃい」

 五里霧中の如き状態の中、しゃがれた声がぽんと響いた。

 少年と無言で頷きあって、声のした奧へと足を進める。次第に、ぼんやりと人らしきものが見えてきた。

「とって喰いやしないよ。ほら」

 ひび割れた爪先がこちらに伸びて手招きをしている。蝋燭の傍に座っていたのは、歯のない口を大きく開けた婆さんだった。白髪に色とりどりの玉や紐が括りつけられ、耳には蝶を象った大きな飾り、唇は不健康そうな紫色がたっぷりと塗られている。服は壁にあったような文様が刻まれた布をぐるぐると巻きつけてあるだけだ。よく見るとその壁も文様の刻まれた布を飾ってあるだけなのが、婆さんの背後で知れた。

「一人ずつそこの椅子に座りな」

 指し示されたのは、この部屋に不釣り合いなパイプ椅子だ。どこかのゴミ捨て場から拾ってきたらしく、座るとがたがた揺れた。ちなみにオレが先に座ったのは、背を銃口で突かれたからだ。怪しいから実験台になれって意味が込められていたのは、目を合わせなくてもわかった。

「あんた、名は?」

 もくもくと紫煙を吐き出させながら、婆さんが聞く。オレが眼前で咳き込んでも素知らぬふりだ。年寄りは耳が遠いってことにすれば大抵許されるんだからなあ。

「フィリップ・アレス。マチュー・アレスとジャンヌ・アレスとの子だ」

「ありがと。それじゃあ、フィリップ。卜する前に一つだけ。あんたは、運命を信じるかい?」

「さあね。そんなの知るか。嫌な運命なら変えてみせる。それだけだろう?」

「そうかい。これからあたしが卜するのはあんたの運命だ。これはほとんど必ず起こることだけど、実際はあんた次第だ。せいぜい上手く使っておくれ」

 そうして、笑った婆さんはオレに紫煙を吹きつけた。突然のことに咳き込んでる間に、婆さんは朗々と詩を詠い上げた。


 黒い日に果たされる

 青き鳥の居場所を忘るるなかれ

 失うと得るは同時に満たされる

 先は選ぶよりも託されよ


「意味は自ずとわかってくるよ」

 得意げに空っぽの口を見せつけて笑うから、オレは早々に少年と場所を変わってやった。意味不明の詩にこれ以上耳を傾けていたくはない。

「さあ、あんたの名は?」

「……都月浩とつきひろ

「イロ?」

 オレが聞き慣れない名前に首を傾げると、ぎろりと睨まれた。

「な、なんだよ」

「西洋語を扱う連中はみんなそうだ。イロじゃなくて、浩だ。hをきっちり発音しろ」

「んなこと言われたって……」

「慣れない言語だ。許してやんなよ。伝説の英雄が使ってたような言葉、こいつには扱えないよ」

「……真面目に勉強すれば、使えるようになる、かも」

「どうだか」

 学のなさを見透かしたような態度に、言い返せないのが歯痒い。確かに本は冒険物語ぐらいしか読まなかった。学校での成績も下から数えたほうが早かった。それでも、多少はできるようになるさ。多分。

「伝説の英雄が使っていた言葉だと、なぜ思う?」

「名の響きが西洋語でも東洋語でもない。加えて伝説の英雄の名に近い。それだけの理由さ。さて、ヒロ」

 婆さんは流暢に少年の名を呼んだ。

「あんたはどうだい? 運命を信じるかい?」

 きっぱりと首が振られた。

「僕は、運命なんて信じない」

 毅然とした声だった。

「もし、本当に運命なんてものがあったとしたら、それに逆らうために、僕はここに立ってるんだ。まだ僕は、生きているんだから」

「運命は運命。時には逃れられないことだってある。……自分の力ではね。それでも、あんたは立ち向かうのかい」

「変えてみせるさ。自分の力で」

 しばらく黙ってイロを見ていた婆さんは、やがてゆったりと微笑んだ。

「つれない子だ。でもこれは通過儀礼だから、ちゃんと聞いていきな」

 オレと同じようにイロにも紫煙を吹きつけた婆さんは、力強く詠った。


 青い日に安堵する

 偽物の時を刹那と心得よ

 変わらぬものを変えるために駆けるべし

 過去への対価は道筋の友


「なかなか、面白い二人だ。せいぜい、楽しく生きてくれ」

「言われなくても!」

 そう叫んだ声は、イロの白い目のせいで虚ろに響き渡ったような気がした。

「で、次はどこに行けばいい」 

 微妙な雰囲気をことともせず、イロは淡々と尋ねる。

「ええっと、座長から道案内を頼まれたので、異例ですけど私がご案内します」

 すらりとした褐色の手が靄の向こうから伸び、二十歳そこそこくらいの男がすまなさそうに現れた。今までの敵とは違って黒服じゃなく、ラフにくすんだ色のパーカーを羽織っている。全体的にくたびれた格好をしていた。首にかかっている鍵の束が動くたびにじゃらじゃらと音を立てた。

「どうも。初めまして、でいいですよね。私は本来、20区管轄じゃないんですけれど、ちょうどいいからと駆り出されてしまって。なんだか、20区の試練が甘いと言われたのが座長のお気に召さなかったようでしてね。すみませんが、代役の私がお相手を務めさせて頂くということで、何卒よろしくお願い致します」

 見た目からほど遠い慇懃な態度だった。

「私のことは、一先ずプーカとでもお呼び下さい。いたずら好きなんで」

 茶目っ気たっぷりにウインクしてみせたプーカに対し、イロは冷ややかだった。

「あんたを倒せばいいってこと?」

 銃口がまっすぐプーカの胸に向いていた。

「それは、殺せばいいの間違いでは? イロさんは、どうやら人を殺すのが不得手なようですね。尊いことではありますけれど、生半可な覚悟で武器を持つのはおすすめしませんよ」

「生半可? 馬鹿言うな。僕は僕の願いを叶えるためならなんだってやると決めたんだ。人くらい殺すよ」

「簡単に人を殺すと豪語する人ほど、殺せないというのが私の持論なんです。特に銃なんか使ってる人はね。まあ、不慣れに刃物を持つよりは生存率は上がるでしょうけど」

 のらりくらりと歩き回りながら話すプーカは、ふとオレの目の前で足を止めた。

「それよりも、フィリップさん。私はあなたに決めてもらいたいんです。選択肢は二つに一つ。イロさんを殺して自分がオペラ座に行くか。自分が死んでイロさんがオペラ座に行くか。どちらがいいですか?」

 両手を広げて、あまりにもオレに有利な二択を提示した。唐突なことに、きょとんとしてしまう。まさか選択権がオレに与えられるとは思ってもいなかった。

「どうして僕に選ばせない! どうしてそっちの男なんだ!」

「言ったでしょう? あなたは人を殺せない」

「その減らず口、二度と叩けないようにしたっていいんだ」

「ルールに逆らうんですか? 先ほど運命に逆らうと言っていたように。私を殺すというならそれも致し方ありませんが、20区区長がその結末に満足するとは思えません。自分勝手にルールを破って先に進める場所ではないんです。このFKは。せめて筋を通して頂かないと。なぜなら、曲がりなりにも神の国でありますから」

 プーカは楽しそうに笑みを浮かべた。

「何が望みだ」

「何にも。私はただ、座長に頼まれたように演じているだけです。急な登板で、演技にお見苦しいところがあるのは目を瞑っていただければと思います」

 盛大な舌打ちと、鋭い睨みが飛んでくる。オレのせいじゃないだろうに。理不尽な奴だ。

「ルールは? もう一回言ってくれ」

「はい。では今一度。私は二人の人物をご案内するわけにはいきません。ですが、どちらかに決めることも許されていません。決定権はフィリップさんに与えよというのが座長の指示です」

 「嫌がらせだ」とイロが悪態をつくが、無視して話は続けられる。

「よって、フィルさんは自らがオペラ座に行くか、イロさんがオペラ座に行くかと決めてほしいのです」

「片方が死ななきゃいけないのは?」

「それぐらいの覚悟もない者はこの先に行く資格なしということです。お二人は『無慈悲な神』に願いに行くのでしょう? まさかその間何の犠牲も払わずにいられるなんて幻想を抱いてはいませんよね。他人の死を背負うくらいの覚悟は持っていてほしいものです。それともあなたがたの願いはその程度で諦められるものなんですか? 願いのために生きることが叶わない時には、願いのために死んでいくとでもいうのですか? それは喜劇ではなく悲劇ですよ」

 プーカはよりいっそう楽しそうに笑みを深くする。

「つまりは、FKの入り口である20区も決して甘くはないということですね」

 随分とあっさりと言う。おかげでイロが余計苛立っていた。オレがイロを殺して行くと言ったら、蜂の巣にする気満々って顔だ。めんどくさい。なんでオレに選択権を投げたんだか。イロに投げれば一発でオレが殺されて終わるだろうに。

「でもあなたがたは幸運なほうですよ。知り合い同士で殺し合わなければならないときもありますから。まだ罪悪感も少なくて済むでしょう?」

「そんな問題かよ……」

 髪をかきながら悩むが、そんな簡単に選べることでもない。諦めて床に座り込む。ポケットから取り出した愛用のジッポを開け閉めすることで何とか気を紛らわそうとした。うまくはいかなかったけど。

「さっさと決めろ!」

 苛立ちが存分に込められたイロの声色は、まるでオレにさっさと死ねと言っているようなものだった。自分本位な奴はいいよな、楽で。

「そうだな。なら重さ比べでもしよう」

「重さ比べ?」

 訝しげに眉をひそめるイロを身振りで座らせる。

「だから、何を『無慈悲な神』に祈るのかってことだよ。どっちのが大事かとりあえず話し合う。どうだ?」

「馬鹿か?」

 オレの名案は一刀両断された。

「なんでだよ? いい案だろ?」

「願いだけならまだしも、命が懸かってること忘れてんじゃないだろうな?」

「そうだけどさ、じゃあどうやって決める?」

「僕に聞くなよ! 選択権ないんだぞ!? 悩むくらいなら僕に行かせろよ!」

「死にたくないから勘弁」

「ほら! じゃあやっぱり僕を殺すしかないじゃないか!」

「人殺しはしたくない主義」

「願いと他人の命とどっちが大事だよ!」

「秤にのっけられるもんじゃねえだろ」

「願いだろ! 普通!」

 イロが息を切らせていた。どうしてこんなにムキになるのかわからない。

「お前の願いってなんだよ。そこまで必死になるものってなんだ?」

「赤の他人になんて口が裂けても言えない」

 純粋な興味だったんだけど、イロは頑として口を割ろうとしない。まあ、いいけどさ。

「じゃあオレの願いは聞けよ。文句はなしだ。とりあえず、聞いてけ。オレは、記憶を取り戻したいからFKに来た。所謂、記憶喪失なんだよ。難しく言うと、心因性の逆行性部分健忘ってところだったかな。部分的に過去が思い出せないってことだ。ある時期に関する記憶がさっぱりない。十三くらいの時期に何が起きたのか、すっかり忘れた。そのせいで、オレは二人の人間の存在そのものを、忘れてしまった。妹のキーラと弟のリチャードだ。念のため補足しておくと、二人と血は繋がっていない。……というのは後々父親から聞いた話で定かじゃないが、まあ嘘でもないだろ。そこまで似てもいないから。キーラもリチャードも記憶喪失後の姿はちゃんと覚えてる。食べ物の好みだって言える。けど、きちんと家族として認識できているわけじゃない。突然現れた部外者。よく言えば客人や友達としてしか認識できてない。記憶をなくして五年経った今もぎこちない関係が続いてる。それを解消したい。そのために二人に関する記憶を思い出したい。心因性の場合、最悪一生記憶が戻らないこともあるらしい。そんなのは勘弁だ。だからオレは、神に祈りにきたってわけ。わかった?」

「くだらない」

 感想は、その一言だけだった。

「そう思いたければ、思えばいいけどさ」

 流石に、感情を押し殺すので精一杯になった。

「誰かを忘れるってのは、その存在が消えることなんだよ」

 崩れて落ちて、なくなって消え失せる。それらを取り戻せるのかわからないという恐怖を、味わったことがないからくだらないなどと軽んじられるんだ。

 存在しないはずのそれらがいる恐怖。

 存在するはずのそれらを忘れてしまった恐怖。

 原因がどちらにあるのか、欠陥がどちらにあるのか。見つけるのは容易くて。その判定が下されて、間違っていたのはお前だったと指摘されて。

 でもそれらは、確実に違和感でしかない場合。

 どう行動することが正しくて、どう行動することが間違っている?

 誤ってしまった脳は、どこに向かえばいいんだろう。

 正しさを計るための定規は折れてしまった。定規にバツがつけられてしまった。ならば新たな定規が必要だ。その新たな定規も見つからないのなら、古い定規を見つけ出すしかないんだ。

 だって、オレだって、ごちゃごちゃの脳のままは嫌だから。

「だからオレは、二人のことを思い出す。少しでも早く」

「やっぱり、僕ほど切実じゃない」

「それを決めるのはイロじゃない」

「イロじゃなく浩だ」

「どっちだっていい」

「よくない!」

 冷静な奴かと思ってたけど、こうやって改めて向き合うとただの駄々を捏ねる子どもにしか見えない。所詮、同じ年頃のガキってことか。

「決まりそうです?」

 見てわかるだろ、とは言い返さなかった。こっちをかき回したいだけの奴に付き合う義理はない。

「ちなみに、自死すると言ったら? オレ、武器らしい武器は持ってないんだけど」

「それはそれは都合がよろしい。座長から預かっているナイフが一本ありましてね。お使いください」

 変わらずのにこにこ顔で、プーカは鞘にしまわれたナイフを取り出した。せっかくだからと立ち上がって受け取って、こいつの目笑の意味を悟ってしまった。ナイフに刻まれている銘にため息が漏れる。気まぐれな発言が身を助けることもあるらしい。

「名誉ってのが、つまり願いだと?」

「さあ? どうとでも受け取ってください」

 終始にこやかな男が少し気持ち悪かった。

 オレは鞘を取っ払って、踵を返す。怒りに燃える目をした少年と視線が絡む。

「なあ、イロはその願いのために死ねるか?」

「叶えるための手段がそれしかないなら、堂々と死んでやる」

 迷いのない双眸だった。

 自然と頬が綻ぶのが自分でもわかった。

「オレもだ」

 返答すると同時に、前触れもなくまっすぐに駆けた。ナイフを胸元に引きつけて、唖然としてるイロが身動ぎ一つしただけで殺せるように、まずは眼球に狙いをつけた。イロは指一本動かさず、瞼を馬鹿みたいに大きく開いた。

 その真横を、疾走する。

 イロがオレを視線で追っているのがわかるけれど、振り返りはしない。目指す場所は、一つだ。紫煙の先、煙草をふかしてる婆さんに遠慮なく跳びかかった。抵抗はなかった。大人しいもんだ。おかげで人質作戦は大成功だ。首元にナイフを突きつけるのも忘れちゃいない。

「婆さんを殺されたくなかったら、オレたち二人を胡蝶のオペラ座に案内しろ」

「脅し……?」

 あっけに取られたようなイロの呟きがなかなかに面白かった。

「そ。脅しだ。『名誉のために生けることかなわざりし時は、名誉のために死なん』。オペラの演目『蝶々夫人』の名台詞らしいぜ」

 オレは、イロにナイフに刻まれた銘を見せつける。そこにはオレが読み上げた通りの文言がある。それでもまだ、ぽかんと口を開いたままなのが可笑しい。いつまで惚けてるんだか。

「でもこの演目はどうやら喜劇じゃなく悲劇らしい。願いのために生きることが叶わない時には、願いのために死んでいくのは確かに悲しすぎる。そんな運命、オレはまっぴらごめんだね! だから、ルール違反してでも出ていくよ。それがオレの一番選びたい答えだ」

「一つお聞きしていいですか?」

 プーカは眉一つ動かさず、平静を保っていた。

「なんでもどーぞ」

「なぜ、イロさんを助けたんです? 殺してしまえば楽だったのに。あなたは選択権を持っていたじゃないですか」

「オレの願いをくだらないと言い捨てやがったからだ」

「は?」

 顔を顰めるイロに横目を向ける。理解できないとその表情がありありと告げていた。

「そんだけ、大事な願いなんだろうよ。だったら、どっちも叶えるしかない。嫌な運命なら変えてみせる。それだけだ」

「やるねえ」

 口笛を吹く代わりに、婆さんの口からは紫煙が吐き出された。首元にナイフを突きつけられてるっていうのに、いまだ呑気に煙草をふかしやがって、たいそう肝が据わった婆さんだ。

「で、これは合格になるのか? ルール違反でつまみ出されるのか?」

「どうなんでしょうね? 私は20区がどういう理念で動いているか完全に把握はしていないのですよ。想定外の事態ですから、むしろ紫煙の卜者さまにお聞きするのがよろしいかと」

 名指しされた紫煙の卜者とやらは、片眉を上げた。

「FK20区のお役目は、神に祈る資格があるか、その覚悟と運命を試す場所のようなもの。運命においては、先の卜で証明済み。残る覚悟も十分だとは思いませんか? 名誉のために生きる覚悟はフィリップもヒロもあるようだ。ねえ、座長」

 最後の呼び掛けに、一同が振り返った。

 黒服が一人、逆光を背負って立っていた。どうやらその光は出口らしき場所から漏れ出ているらしい。そのせいで顔までは見えないけれど、おそらくイロと無線で話していた座長だろう。

「我らが20区の試練。お気に召していただけましたか?」

 座長はハイヒールをわざとらしく鳴らした。

「自分では選択できない。決定権は初対面の人間が持つ。まさに、君にぴったりの試練でしたでしょう?」

 思ったよりも、生ぬるい試練だという台詞を根に持っていたらしい。オレはナイフを下ろしながら苦笑する。

「FKとはそういう場所なのです。運命は人の手に委ねられることも多くあります。しかし、その程度で絶望してもらっては困ります。時には潔く名誉のために死すことも重要ですし、そうすべき場面も存在します。ただし、名誉のために希望が絶えるまでは見苦しくも足掻くこと。それが何より大事なのです。わかりました?」

「最初の、射撃の意味は」

 掠れた声を、イロはやっとのことで吐き出したらしかった。

「あんな中途半端に外してばっかで、何がしたかったんだよ」

 苛立ちと怒りがこもっていた。

「生ぬるいと君が言った通り、あれは殺すためのものではありません。この先殺されないためのものです。君のゴム弾を詰めた中途半端なアサルトライフルとは意味が違うのです。我らが歌姫はお優しいので、死者を無闇に増やさないよう慈悲をくださっているのです。おわかりですか?」

「情けをかけられてたってわけ? ……かっこわる」

 鼻を鳴らして自嘲するイロの肩は予想以上に落ちていて、正直意外だった。もっと、自信満々な奴だと思っていたんだけど。

「イロ」

「なんだよ」

 不機嫌な声が飛んでくる。名前について言い返してこないとは、なかなかに重傷だ。

「もっと気楽にいようぜ。オレは最後まで、イロが願いを口にしなかったこと、なかなかの根性だと思ってる。そんだけ大事なら、恥を掻いたとしたってかっこ悪くたって、進もうぜ」

 座り込んだままのイロに手を伸ばした。イロはしばらくオレの手を見下ろしてたけど、手は借りずに一人立ち上がった。

「ありがと。でも僕はお前じゃなく、『無慈悲な神』に認めてもらいたいんだ」

 小生意気に睨みをきかせてくるのが、少し笑えた。

「それもそーだな。座長! ナイフあんがと」

 紫煙の中を突っ切っていって、鞘に収めたナイフを手渡した。

「どういたしまして。君も、お疲れ様でした。本当のところを言うと、もう少々穏便な解答をしてほしかったのですが、今回は良しとします。兎にも角にも、胡蝶のオペラ座へようこそお越し下さいました」

 そう言って、座長が身を退けた先はそのままオペラ座の入り口になっていた。赤く柔らかそうな客席がずらりと並んでいるのが、上手側から臨めた。視線を部屋に戻すと、座長と婆さんが深々と腰を折っていた。

「さあ、早く座ってくださいよ。歌姫が今か今かとお待ちですよ」

 プーカは一人、満面の笑みを浮かべてオレたちを追い立てた。

 胡蝶のオペラ座は、赤と金で統一された煌びやかな劇場だった。金の柱に赤い幕が舞台をそっと覆い隠していた。高い天井からは巨大なシャンデリアがつり下がっていて、口をぽかんと開けてしまう。左右のボックス席にも二階席にも人はいない。贅沢な貸し切りだ。

「胡蝶のオペラ座、本日の演目は『蝶々夫人』。どうぞ最後まで、ごゆっくりご鑑賞下さいませ」

 機械越しに聞こえてきた座長の声に、オレとイロはそれぞれ好きな場所に悠々と腰掛ける。やがて、客電がフェイドアウトしていって、いつの間にか音楽が流れ始める。オペラなんて全く興味はなかったけど、少しわくわくしてきた。

 本当の物語が始まるのはここからだ。

 さあ、幕が上がる。


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