ヤンデレ地獄

谷崎伊呂波

第1話  放課後


 手足を椅子に括り付けられて身体を固定され、自由がきかない。

 その部屋は灰色のコンクリートに四方を囲まれて裸電球だけがつるされていた。

 裸電球の白光は綺麗で、彼女の薄気味悪い笑顔だってどこか親しみのある、__愛情の窺える笑みに見えなくはない。

 白い柔肌。鴉のような黒くて艶の在る長い髪。薄ピンクの、幸が薄そうな唇。細くて均整の取れた眉。長くてカールの掛かった睫毛。病的なまでに美しい__美貌。

 彼女は幸の薄そうな唇を三日月のような歪め、口端を吊り上げている。

 手には歪な形のペンチが握られていた。

 それから、何も言わずにその歪なペンチを右目へと持って行き、情け容赦なく突き刺した。

 赤い鮮血が彼女の美貌に降り掛かり、それがただの彼女の美貌をより際立たせるスパイスでしかない事は周知の事実だった。

 ごぼごぼと柘榴(ざくろ)の粒果(つぶ)が瞳の奥から毒々しく零れ落ち、彼女が右目に突き刺した歪なペンチを引き抜くと、右目はぽっかりと穴が開いていた。

 黒々しい穴からは赤ワインの様な鮮血が吹き出て、共々醜悪な香りを噴出させる。

 歪なペンチを握った彼女の手は血によって濡れていた。

 それは穢れではなく、寧ろ清めに見える。

 ぼたぼたと赤かったり黒かったりする鮮血が滴り落ち、それでも彼女は笑っていた。

 凶悪な笑みは、かえって彼女の色香を引き立たせる。

 歪なペンチの先には肉がこびりついていた。

 ピンク色の筋繊維が、捩じり切った人の皮膚が、引き千切った瞼が、__歪なペンチの丁度刃の部分に、変に膨れ上がった球体部があって、そこに抉り取られた“眼球”が綺麗に保管されている。

 彼女は抉り取った“眼球”を手に持った。

 そして手の中でころころと転がしながら、最後は苺に噛り付くみたく、不気味な笑みを浮かべて唇を眼球に触れさせた。

 不気味に、心底“愛している”と言いたげな表情で彼女は見下ろし、それから彼女はそっと唇と唇を重ねた。

 右目を抉られて醜悪になったのにもかかわらず、永遠の愛を捧げて、キスをした。

 短いキスだった。





「っていう、夢を昨日の夜見たの」


 放課後の誰もいない教室。

 僕の対面に座る霧崎累(きりざきるい)は悪びれもせず、不敵な笑みを浮かべてそう言った。


「そんなこと言ってないで、累も手を動かしなよ。累がちゃんと手伝ってくれたらすぐに終わるんだからさ」

「あら、それでは啓君とあまり放課後のおしゃべりが出来ないじゃない。もっとこの時間を楽しみましょう?」

「…家に帰ったって、話すことはいくらでもできるのに…」

「今がいいんじゃない」


 そう言って累は再び笑みを浮かべた。

 圧倒的に、絶対的に、誰がなんと言おうと__それこそ病的に美しい累のその笑顔には魔力が秘められていて、僕はそれを使われてしまうと何も言えなくなってしまう。

 だから、累はずるいと思う。


「それでね、私は先の話で何が言いたかったかと言うと、啓君ならどんな状態でも、どんな醜悪な姿であっても、それこそ啓君が死体だとしても愛せると言う事なの。ねっ、素敵でしょう?」

「…それで、僕は其の話を聞いてどういった反応を取るべきなんだ?」

「ううん、反応なんか求めていないわ。だって人に窺いばかりたてる人生なんてつまらないもの。それならいっそ他の人の反応なんて二の次にして自分の言いたい事、やりたいことをやるべきだと私は思うわ。まぁ、これは私の意見でしかないんだけど。

 それで、私は反応が欲しかった訳じゃないの。ただ知ってほしかっただけ。啓君ならどんな状態でも愛せると言う事を」


 大胆な愛の告白、は日常茶飯事の事だから特に気にしない。

 それに、その病的なまでの愛情の矛先が僕に向いていることだってあまり気にしない。累が狂っているのは今に始まった事じゃないからね。


「僕が聞いている限り、累は僕を愛することよりも殺人衝動の方が強くない?」

「まぁ!そんなことないわ!人を壊れているみたいな風に言わないでくれるかしら。これでも私、学校では才色兼備と品行方正で通っているんだから」

「……二面性を持っている所が実に累らしいよ……」


 呆れて言葉を無くす僕と、「あら、二面性を持っている方が楽しいじゃない」とわざとらしく言ってみせる累。

 でも累は確かに学校では優等生として通っている。何に対しても誰に対しても清純な対応で、これのすごい所は心の中から、決して自分を偽ることなくありのままの姿で対応しているから素直に感心する。

 累は一言でいうと無邪気なんだ。

 誰の干渉も受けることなく、何でもかんでも楽しそうに引き受ける。

 だから本人はあまり思っていないかもしれないけど、勝手に生徒や先生からの信頼が厚くなる。

 僕はそんな所が、累のすごい所なのだと思う。

 でも、常日頃から累と接している僕が、あまり累の事をすごいと思い込めないのは累と接し過ぎているからだとも思う。


「それに私、他の人を見てもちっとも殺したくならないもの。私はあくまでも啓君しか殺したいと思わないわ。これって“純愛”と言う奴かしら」

「それが累の中の純愛だとすれば、相当累は狂っているよ。

 でも、確かに僕以外を殺したくならないと言うのは少し変だよね。というか、そもそも僕を殺したいと言うのが変なんだけれど、それはこの際置いといて。普通の殺人衝動なら、何でもかんでも殺したくなるはずだろう?」

「そうなのよね。そのはずなのよ。でも啓君以外興味がない。だからこれは__啓君に対する愛だと思ったわ。えぇ、間違いないはず」

「まぁ、そうだよね。他の人を殺したくなったら、累の場合は見境なく殺しちゃうでしょ。それこそ授業を受けている最中とか、急に立ち上がって後ろの人を突き刺したり」

「もう、啓君はすぐにそうやって私の向けた愛情表現を無視するわ!人の話をすぐに逸らす所、私よくないと思うわ!!」

「あぁ、ごめんごめん。つい考え事をしちゃったんだ。そんなに怒らないで」


 累は席から身を乗り出して、顔を接近させる。少し膨らませた頬に、眉間に皺を寄せて怒っている様を呈した。

 僕が累から身体を遠ざけて釈明すると、累は大人しく席についてくれた。


「僕だって累が僕の事を好きでいてくれるのは分かっているつもりだよ。でも、その、なんていうか、上手く言えないんだけど実感がないと言うか、累を好きになれないと言うか」

「啓君、すごく酷い事を言うのね。私少し傷ついたわ」

「ごめん。そう言うと思ったからこれまで言えなかったんだ。でも、勘違いしてほしくないのは、累はすごく美人だし、すごく僕の好みだと思う。それに付き合いも長いから、累と一緒にいて不快だと思ったことは一度もないよ。これは僕の本心からの言葉だ」

「じゃあ、啓君は一体何がいけないの?私は啓君の事、殺しちゃいたいくらい“好き”よ」

「……う~ん……何がいけないんだろうねぇ。あまりにも距離が近くて、累の事を意識できないのかなぁ……」

「……そう。なら、そうねぇ……こういう場合だったら、啓君ならどうする?

 __このクラスの最前列の、廊下側から二番目の席にいる哀川黄泉(あいかわよみ)さんが啓君の事好きって言ったら、どうする?」

「哀川さんって、確かこのクラスで一番人気だったよね。可愛いって、前に聞いたことがあるよ。……どうなんだろう、好きって言われたらかぁ……。累は、哀川さんと僕がつきあったらどうする?」

「……多分だけれど、とても哀しむわね。今の私じゃ考えられないくらい哀しんで、きっと、__いえ絶対に哀川さんを殺してしまうわ」

「累は度々物騒な事を言うよね……」

「えぇ、だって本心からだもの」


 にこやかに微笑んでみせる累だったが、よくよく見ると薄らと開いた瞼の奥の瞳は笑ってなどいない。確実に本心からの言葉だった。

 でもそれじゃあ、


「それじゃあ累の世界は、まるで僕が中心にいるみたいじゃないか。累はこれまで色んなことを楽しんでやっていると思ってたけど、そうじゃなくて、ただ周りの事に興味がなかっただけじゃないの?」

「……。えぇ、そうかもしれないわ。……興味がなかった……。つまり、だとするなら、この胸に抱いた、啓君への殺人衝動は……」


 累はそれまで浮かべていた笑みを消し去り、机の何処か一点を見つめて動かなくなる。

 不意に長い黒髪がはらりと垂れたとしても累は一度の瞬きも挟まず、無表情に黙考する。

 それはまるで糸の切れた傀儡(くぐつ)のように、指先さえ動くことはなかった。

 フリーズして、屍の様に、色を消した空っぽな瞳で累は物思いに耽る。

 僕はそんな累を一瞥して、__それから手元にある資料に視線を落とした。

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