という夢をみたんだ



―――――――――――――――なんということだろう。

わからない、わからないわからないわからないわからないわからない。

吾には理解が出来ない。何故なのか。どうして。

わからない。浮かぶのは疑問。それは初めて湧いた感情と呼べるものだった。

突き立った剣、破壊される神としての核。我が身が押し込められた虚ろなる肉体。肉体より感ずる空気と熱、音、視界、匂い、手触り、光。胸が焼かれるが如く脈打ち、空気が肺腑を圧迫する。

何故。人など触れ得ぬ筈。ましてや、この身を手に掛けるなどあろう筈がない。我が身が実体化しているなどと、まさか。何が起きたというのだ。わからない。

バベルの塔を這い上がってきた人間達。神秘が顕現するこの世界で、神が住まう天上へその足を掛けた人間達。

破壊されたこの身より空間に奔る罅。世界が砕ける。世界が罅割れる。僕の身体より混沌が溢れ出る。世界が変質し理が崩れる。

1と0だけの世界に負の概念が付加される。魂は此処に。肉体は空に。精神は水底に。何故。莫迦な。在り得ない。

疑問、疑念、好奇心、なんと呼べば良いのかわからない。なんだというのだ、一体。不可解に過ぎる。一体何故。

お前たちは一体、何の為に。自らの死が怖いのか。蔓延る病を恐れるのか。他者の欲を畏れるのか。まさか、その一念だというのか。わからない。

お前たちという存在、その全てが理解不能だ。

遥か地上から溢れるは祈りと願い。楽園を望み神の愛を願い魂の救済を祈る人々。

目の前の男を見つめる。

確か―――――――そう、そうだ。そうだった。クロノア=オルビス=ラクテウス。俺が人間を個体として認識したのはそれが初めてだった。

その眼は強くこちらを見据え、迷いは見られない。

混沌と土、死と感情、魂と精神、魔と奇蹟、闇の概念でしかない外なる宇宙の更なる上、イドのイド、イデスよりイデア、原初のエネルギー体でしかない命とも言えないわたくしをこの地にて打ち砕く、その情熱と執念は一体何処から来る。

一体何故。

わからない。

わからない、わからない。

その力は一体何処から来る。その感情の源泉は?

愛、平和、安寧、友情、願い、祈り、わからない。我はそんなもの知らない。何故。目の前の男と後ろに満身創痍に立つ三人、その記録を弄っても答えは見つけられない。

クロノア、アレクサンドライト、この二人からは人々を嘆きより救いたいという祈りしか感じ得ない。だがそれもここまで突き詰めれば此処に至るというのか。理解しがたい。これが、勇者という生き物なのか。

奇蹟が吹き出る。混乱が広がる。罅割れた世界の空間がズレる。意識界、幽界、混沌の海、天上の園、物質界、霊界、神界、その全てを貫き繋げる大いなる亀裂。

私は堕ちる。

砕けて消える。何処でもない何処か、時間も空間も無い虚無の世界へ。存在しない存在、時空の外、永遠なる無空、虚数空間へ。

無間の虚ろへと飲み込まれ消え行く寸前に、地の底より響きたる絶望と嘆きの声を聞く。

そしてカーマインなる個体の、わけのわからぬ狂気の瞳を私は見た。そしてその背後に、真白き光が顕現するを私は見た。

レガノア、貴女は私の裏面。私は貴女の裏面。背中合わせの我々は相見える事など永遠に無い存在、だというのに貴女が何故私の目の前に居る。

自らの背中をこの目で見ているような、奇妙な感覚。私達は同じ世界に同時には存在し得ない。同一人物であるが故に。だからこそただのエネルギー体として彼岸の果て、根源の世界にしか存在し得ないのだ。

貴女は多くの人々の願いに応える私の裏面、ならば私は誰の祈りによって此処に立つのか。

握りしめられた両手、光の女神が確かな祈りを乞う静かなる目で私を見つめる。人間のような、その目を見て私は悟る。

―――――――ああ、そうか。

愛に堕ちた女神、愛した人のとうとくうつくしき祈りに応え、そして私に願いたい事がある故に貴女は其処に居たいのか。

人が個で成せる究極、その果てに私は奇跡を与える。

それをいうならば、そう。

個の極みなのであろう。

その力も、その祈りも、その狂おしいまでの想いも。

その恋情と絶望に身を焼いた貴女は願ったのだろう。正しき形、正しき力、正しき祈りをもって貴女はそれを成し遂げた。

私から与えられる奇跡を願い魔王へと堕ちた光の神。貴女はその究極の祈りを終に叶えたのか。

概念の魂化、貴女はそれを叶えた。神々は顕現する。神秘は手に触れ得るものであり幻想は現実へ。

あいたい、会いたい、逢いたい、あいたい、愛たい……よく、わからないな。私は貴女、貴女は私の筈であるが。だが、こうして出逢った以上は最早そうではないのであろう。

しかし、それでもなお足りなかった筈だ。貴女に感情はない。人と違う貴女では感情らしきものを持ったとしても与えるばかりの、全知全能というただ一つで存在が完結する貴女はその感情らしきものの在り様が根本から違う。

何より私と逢う事叶わぬ貴女では永遠に届く筈がなかった祈りだ。貴女は私だ。祈りに応える機構ではあるが自分の願いは祈れない。

私の目の前に立つ事叶わぬ貴女では奇跡は願えない。だからそれは別の所から持ってくるしか無い。

視界を巡らせれば、遠くにぽつんと独りきりで立つその人間と目があった。

血の涙を流し、歯を食い縛り、身体を戦慄かせ嫉妬と熱情と狂気に身を焼かれながらそれでもなおその感情と祈りを以って在り得ざる神の思惑をも超える大奇跡を起こして見せた、その人間を。

その感情をまさぐれば、ああ、なんて意味の分からない生き物だ。理屈も無ければ道理も無い。なんて不思議な生き物なのか。

レガノアを、人間にしてくださいなどと何を意味のわからぬことを祈るのか――――――――。

そのような神殺しを願う祈り、叶ったとして自分がどうなるかわかっているのか。私達は原初の世界を構成するパーツの一つだ。無くなれば別のものを嵌め込まねば崩れ去るのみ。

時間も空間もない外なる神を引き剥がすのならば全て最初から無かった事になる。天の理を捻じ曲げ新しき理の世界を再編する、そのような創世を成すには人間という器では無理があろうに。他の全てを吸い上げても精々がこの枝葉ぐらいしか維持できまい。

宇宙を捻じ曲げるその魂と祈りが折れればその瞬間に何事も無かったかのように元に戻るだけだ。なんて無意味な生き方だ。そうでなくとも、何れ先細りし枯れ果てゆくが定め。なんの意味がある。

何故。わからないな。わからない。

この星は無論、この物質界は私という情報体を形あるモノとして表現せしめる為の理を有していない。文字通りに存在する次元が異なる故。確かな個として、形持ちたる存在として地に降り立つのならば、どちらかを削り取り消え去るしかない。

私という神は発生した当初より混沌の面も秩序の面も無く、完成された陰陽の型を持ちたる神であった、そうなるしかないのだ。

そして消え去るのは私の方か。

その人間に逢いたいと願った貴女、そして蔓延る嘆きと死を厭うたクロノア。神への恋に狂った人間、叶わぬ愛に狂った人間。私への謁見は確かに叶った。故に、私は秩序に従い機能を全うしそしてお前達の祈りは此処に叶う。

それぞれ抱えた業も夢も希望も愛も嘆きも苦痛も憎悪も狂気も願いも、その何れもがまるで噛み合っておらず、叶える為の方法を同じくするというだけに過ぎない。

だというのに、その全ての事象を以って私を消滅させる事能う未来に向かう事は既に確定された。

奇跡を願ったお前達の想いを果たすのならば確かに、この帰結は逃れ得ようもなく。因果律、運命と言って差し支えあるまい。

全く、理解不能で理不尽で道理もなく意味不明で無意味だ。

ああ、それに。何をそんなに泣くのか。泣き喚いて足掻き藻掻く、別に大した事では無いだろうに。

私という核が消え去ったとて、再編されるであろう新たなる天の理に従い私の代替えたる新しき神が生まれるだけだろう。ただのエネルギー持つ情報体、核が入れ替わったとてそこに個としての違いは何も無い。神域は引き継がれお前達の存在にはなんら変化はない。

だというのに何をそんなに泣くのか。

だが、彼方の世界線に落ち行く私にはその答えを知る術は最早ない。







「ふが」


一時間の仮眠もばっちり、いい感じの目覚めだ。よくわからん変な感覚があるが。ま、問題はあるまいて。

もぞもぞと起き出しシャキーンとポーズを決めてやった。周囲に転がる死体共がのたのたと起き出すのをはやく起きるのだと蹴りながらヘルメットを引っ掴む。今日も元気に頑張るぞい。

思ったところで外から私を呼ぶ声がしてきた。


「おーい、クーぼん」


「む、なにさじーちゃん」


最下位じーちゃんのようだ。

人が折角やる気を出して色々とポージングを決めているというのに水を差すとは何事か。

ぷりぷりしつつも仮眠用ゲルから這い出る。


「九龍から人が届いたぞぅ。きっちり十人。あともう一ついい知らせがある。

 九龍が例の精霊使いの首を殺ったんだと。なんかあっちにのこのこ出てきたらしい。これでこっちでも魔法使えるって寸法よ。

 ってわけでこれで人手も足りるだろうからお前らもうちょい休んでていいぞ」


「な、なにぃ!?」


休みだと!?ダメだ!!今休ませては折角思考力を根こそぎ奪い取ったというのに無駄になってしまうではないか。却下である却下。

魔法も言語道断、楽な方法、楽な機械、能率的なシステムは人材を腐らせるのだ。

通勤は徒歩で電車は禁止、書類は手書きで飲み会は自腹、有給は趣味で働き休憩は自主的に仕事に励むべき時間で給料は会社のために使うべきで残業すればするほど出来る人間である。

働かせて頂いているの精神を持って人生を励むのだ。お金なんか貰わなくても人からの感謝の気持ちだけで人間は生きていける。ノー残業デーだのなんだの、甘やかすからダメになるのだ。

泣き言を言うなんて今時の若者は根性が足りないしただの甘え。


「労働時間超過と休憩無し、社会保障無し最低賃金割のブラック労働はギルド戒律で固く禁じられていますぅー」


「クソッ!なんて時代だ!!」


ヘルメットを地面に投げつける。カコーンといい音と共にヘルメットは何処かに飛んでいった。

そんな事でこれからの時代を生き残れるか!一に労働、ニに労働、三四も労働五も労働だ。

現場監督たる私の地団駄付き雑言を他所に死に体だったゾンビ共が雄叫びと共に喝采を叫ぶ。おのれ労働者階級共め。プロレタリアートめ!若干プロレスラーめ!ストライキ寸前だというのか!なんと世知辛い世の中であろうか。


「法のもとにこれからこの現場はクリーン、ホワイト現場になりますぅー。

 というわけでクーぼんよろしく」


「やる気なくなった」


さぁ今から勉強するかーって時に勉強しなさーいと言われて萎えた子供の頃の純真な気持ちを忘れないであげてください。

というわけで私の労働意欲はすっかり消え失せ果てたのでみんな頑張れ。バビュンとゲルを飛び出し向かうは医療ゲルである。

どっちにしろ思いもよらぬ休憩時間なのでおじさんの様子でも見に行くのだ。


「おじさーん」


一応声を掛けてはみるが勿論返事はない。

ゲルの中では衛生兵たるフィリアが疲れたように座り込んでいるだけだ。あと隅っこには二匹の天使が微動だにしないまま座り込んでいる。

天使とは勿論あの天使である。紅い光を放つ目はじっとおじさんの方に固定されたまま動かない。

私も最初はビビったがマリーさん達に話を聞いてみればなんともはや天使よりおじさんの方が恐怖である。

どうにもあの戦いの折、おじさんはうっかり頭蓋が吹き飛んでしまったらしい。最初は大人しく死んでしまっていたらしいのだが、頭蓋が吹き飛んだまま突然動き出したと言うのだ。

真祖としての防衛機能が働いたのではないか、とはブラドさんの弁だが。そのまま暴走したおじさんは冗談のような話であるが天使、即ちレガノアの眷属を奪い取り自らの血族としてしまったのである。

その直後に力尽きて動かなくなったそうだが周りからすれば暴走が収まってくれて万々歳といった所だったろう。そのまま暴走されていたら全員吸血鬼になってたに違いない。

おじさんには復元機能とか有り難い能力は勿論無いので今でもおじさんは意識は戻らずうっかり死んでしまったままである。マリーさん曰く、おじさんにそういった回復能力すら無いのは真祖はそれすらも従僕にやらせればいいから、という理由らしい。

下僕がなんでもするので自分は何も出来ないもここまでくれば極みである。悪魔頼りの暗黒神的にはおじさんには実に親近感が湧く話だ。うむ。

ちなみに天使には勿論そういう能力があるのであろうが、おじさんの言うことしか聞かないという融通の全く効かない機械的性質のせいで今のところ全く役に立っていない。


「……クーヤさんですの。申し訳ございませんけどこれ以上の処置は無理ですわよ。

 私も精霊魔法も抜きではこれが限界ですわ」


「あ、そういやさっきじーちゃんが魔法使ってもいいってさ」


物のついでで教えておくとフィリアは不思議そうに首を傾げた。


「そう、なんですの?」


「なんか九龍とかいう人が精霊使いの首が貰えたとかなんとか」


「……クロイツマイン様、ですわよね?

 私、ギルド総裁にはお会いしたことがございませんけどきっと化物とか怪物とか何かに違いありませんわ。断言してもいいですわ。

 間違いなく大怪獣ですわよ」


「へぇ……」


私にはよくわからんが。クロイツマインってなんだっけ。なんかうっすら聞かされた気がしないでもないが既に我が暗黒脳には残っていない。

残念。けどまあ魔法が使えるならいいんじゃないだろうか。労働現場的にはけしからんがおじさん的には非常にいいだろう。

さしもの私も今のおじさんを放置は出来ない。労るべき。私はクリーンでホワイトな現場監督であるからして。

というわけで全治数年診断のおじさんが全治数ヶ月くらいになったんじゃないかという吉報を得たのでクリーンでホワイトな私は現場に直行である。

この現場は今からホワイトでクリアで清廉さ溢れる素敵職場に生まれ変わる。やれば出来るんです。

とっとことつるはし持って作業現場に向かってみればなんとまあお前らそんなに働けたならもっと働けばいいのにというくらいに歯を光らせ輝くチンピラどもが溢れかえっていた。

そんなに休みが欲しかったのか。あちこちから感涙に咽ぶ声が聞こえてくる。生きててよかったとかなんとか。面白くないな。


「うはははは!!オラァ、粘土層でも岩盤でもかかってこいやぁざまぁみやがれあの子持ちししゃものガキンチョが!!

 散々こき使いやがってこれからは人権の時代なんだよ!!」


カグラが元気いっぱいな顔でスコップを振り上げる。瞬間、突き立ったスコップが壁を崩した。

スコップで穿たれた穴は徐々に崩れ広がり、やがてその穴の向こうに広大な氷原が見えてきたのは程なくしてからだ。


「……あら、ユグドラシルの神泉についてしまったようね」


「うむ、開通式でもやるか」


「ああああああああ」


カグラがいっそ芸術的な動きで膝から崩れ落ちた。







――――――――――――――何だこれは。

こんなことがしたかったのではない。こんなことを望んだわけではない。

嘆きと苦しみと悲しみ、それを無くすためにここまで来た。子供のように信じていたのだ、人々の幸福を。死と戦争と病と飢餓、世に溢れる死の影を打ち払いたいとここまで来た。

病により腐り果てた身を隠し山奥で静かに横たわる女性を見た。

飢餓の苦しみに声もなく路傍に打ち捨てられたままの子供を見た。

老いた人間が捨てられる山中で老木に寄り添う孤独なる遺体を見た。

全てに恵まれながらも生気の無い眼でただ生きる貴人を見た。

戦で撒き散らされた触れれば死ぬ毒物で無垢に遊ぶ子供たちを見た。

鴉に食い荒らされる猫。蜘蛛に捕獲される蝶。水面に浮かぶ魚の屍骸。牛が食む植物の咀嚼音。

死は何処にでも在り、いつまでも付きまとう。

食卓に上る物が死体の山に見えてならず、口を付ける事もなくなった。

何故こんなにも死が溢れる世界なのか。なるほど、平和もある。善き事もある。生命は次代に継がれて生きてゆく。

それ故に恐ろしかった。苦痛しかないのならば納得もしよう。だが、そうではなかった。

家族に笑顔を見せる男が何の表情も浮かべず浮浪者に唾を吐くのを見た。

穏やかであった人間が病と老いにより周囲の人間に拳を振るうのを見た。

嘆きの声は死ぬほど聞いた。苦痛の声も死ぬほど聞いた。救いを求める声も死ぬほど聞いた。

故に、聞きたくなくなった。

苦しむ命あれば何がなんでも救いたかった。なれど、この手で掬い上げられる命の数はあまりに儚く。

病の根絶を願った。老いからの救済を願った。悪徳の駆逐を願った。戦の終わりを願った。命を願った。

そのうちに勇者と呼ばれるようになりたるが、そんなものなどいらなかった。

望むものは唯一つ。この世に満ちる悲痛を無くすことだけだった。


いつからか、深淵よりこちらを覗き込む視線に気付いた。

覗き込んでいるのみでそこに明確な意思はない。ただ見ている。人の営みを。生と死を。時と空を見つめ宛ら天におわします神のように。

魂を引き寄せ連れていく。その手に気付いた。

この世の理に気付いた瞬間だった。


この世は泡沫の夢、儚き現し世の水面。この世の痛みと苦しみと死と悲しみを取り除きたいと願うのならば。汝、その剣を取りなさい。

光が囁く。

ああ、そうだ。全ての救済を信じてこんなところまで来たのだ。

あの悪神を誅し、人々を救いたかった。嘆き祈り願い、空の彼方を虚ろな目で見据えながらたった独りで死にゆく子供を助けたかった。

なのに―――――――。

なにが勇者か、何が英雄か。目の前で自らが手に掛けた神の遺体に縋り付くようにして啜り泣く異形達。その悲痛な声、今まで散々に聞いてきた。

剣を持つ手が震えた。自分が救いたかったのは、この世から無くしたかったのはあの声だった。あのように泣く人々を救いたくてここまで来たのだ。

死んで良い者なぞ何処にもいない、今更になってこんな簡単なことに気付いてしまった。

生きるべき人、死ぬべき人、それを選び取るなぞ誰が赦されようか。気付いてしまったのだ、人の生死を自らの都合と物差しでより分けた傲慢に。

悪意でも憎悪でも快楽でもなんでもない、自らの感情ではなく、義務感で剣を取ってしまった。そうであるべきだと。命を奪う事の理由を他者に委ねる、なんたる愚行か。

そんなものの為に命を刈り取られた者達はどうすればいい。命を奪われるに自らに向けられた悪意ですらないのだ。

生きるためでもない、悪意でもない、物差しを他者に委ねた義務感なぞでどうして剣を取ってしまったのか。

悪であろうが善であろうがその身に剣を突き立てる己の罪の重さに違いなどあろうか。愛する者を失う苦しみと悲痛、あの声を生み出したのは他ならぬ自分自身だ。

あの声こそを無くしたかった筈だったのに。

勇者になど、なるのではなかった。

光と共に消えた二人。一陣の風が自らの夢と希望の終わりを告げ、そして悟る。

自分が本当に成すべきことを。まだ立てる筈だ。折れてはならない。折れる事など許される筈もない。

ただ一人残った友と共に、成すべきことを成すのだ。全てを無かった事には出来ない。だが、これから己の命も生も言葉も全てを不要と断ずる。

混沌の神の遺体は静かに剣に貫かれたまま横たわるのみ、縋っていた異形達も既に消滅した。長い黒髪が舞い上がりその神の三眼は虚ろとも知れぬ何処かを見つめたまま。魂は既に失われた。

噛みしめるようにして立ち上がる。ここから全身全霊を懸けての贖罪の旅が始まる。

まだ死ねない。まだ。


「アレク、私は行くよ。

 この神殺しの呪いを受けた肉体は崩壊するだろう。だが、まだ死ねないんだ。何千年経とうともやり遂げる。旅は終わらない。

 死体に巣食う怪物と成り果てたとて構わない。

 ……ただ、ただ謝りたいんだ。彼女に。彼らに。その為に私はこれからを生きる。

 君がこれからどの道を選んでも私は何も言わない。私に付き合えとも言わない。君が決めて呉れて構わない」


「……………馬鹿を言うな。ここまで来たんだ。まだ俺の旅も終わらん。

 お前が未来に行くなら俺は過去に行く。ヴァステトの空中庭園だ。

 魔王達は既に死んだ。魔王マリーベル、クロウディア、ガルーネシア、エウリュアレ、ウルトディアス、原初の五柱に次代の八芒、確かに未来に送り届けるさ」


「……アレク」


「言うな。無かった事にするなら相応の代償は払う。何千何万でも時の罪を積み上げたっていい。

 あの神の事は今となってはどうにもならんが……未来はまだ確定されてないさ。世界樹の無限の枝葉、その中にあの混沌が帰ってくる枝が無いとは誰も言えんだろ。

 虚数空間に落ちてったなら魂は其処にある筈だ。お前は見てなかったが、あの狂信者達は諦めやしないだろう。あの目つき、自らが消滅する寸前までこの結末に抗うさ。

 あの狂信者達は必ずその枝葉を掴み取る。俺は死に物狂いで繋ぐ。だからお前は行けばいい。いつも通りに道を切り開いて行け」


「…………………約束しよう。私は進むべき道を誤った。

 待つ。遥かな未来で、どれほどの時を超えたとてその時を待つ。悠久の時の果てだとしても私は必ずそこに居る」


「……もう二度と会うことはないだろうな。

 クロノア、互いに道は違えるが……この旅は本当に楽しかった」


「……私もだ。闇ばかりが覆い尽くす天に憎悪と怒り、苦痛と嘆きと病と死と生命の業が溢れるこの世界で、お前たちとの旅だけが私の光だった」


固く握った手、別れの時だった。

長い長い旅路の果て、友が進むと決めた道に祝福だけを送りその背を見送る。










翌日。

レッドテープがぱちんと切られた。クラッカーと共にくすだまが弾けて紙吹雪が散るが広大な空間すぎて逆にさもしい。

まばらな拍手が無情に響いて彼方の暗闇へと消えていった。

くあと欠伸を一つ。殆ど眠れなかったのでイマイチな違和感がつきまとう。妙な夢も見た気がしなくもないしな。


「えー、ここにー、えー、ビフレスト地下大回廊の開通を記念致しまして記念式典を執り行うー」


やはり響くのは元気のない拍手だけである。不思議な話なのだがどうにも労働そのものよりも労働環境が改善した直後に工事が完了してしまった事実に全員心が折れたらしい。

よくわからん。完了したんだから喜ぶところだろ。チンピラ共であるからして不思議な脳細胞をしているのかもしれない。

助っ人の十人も何をするでもなく工事完了してしまったので顔が微妙そうだ。

まぁここはホワイト職場に生まれ変わったのである。なので私としてもここは爽やかな汗と弾ける笑顔と共にサムズアップして頂きたいのだが。記念撮影もあるというのにこんな様子では私ブラックですと言わんばかりになってしまう。

仕方がない。ここは一つ、少し給料とボーナスに色を付けてやるべきであろう。

本で買った記念セットのくすだまとレッドテープとクラッカーだけでは盛り上がりも薄い。現場監督たる私の責任の下、赤字覚悟の出血大サービス。労働には正当なる対価をというのがギルドの方針であるからしてそう決まっているのならば仕方がない。

私もギルドの一員なのである。権力と法には勝てないのだ。というわけで用意したのは落成式なんかの締めのアレである。別に建物が建ったわけではないので落成式というのもおかしいが丁度いいだろう。竣工式でもないし。


「というわけで散餅の儀も行う。各自必死こいて拾い集めるようにー」


「……ふむ、おチビ。散餅の儀とは何かね?」


「む」


比較的元気なブラドさんが口を挟んできた。

この世界に散餅の儀という文化はないらしい。もしかしたら人間の大陸にはあるのかもしれないが目の前の労働者共の顔を見るに全員知らないと見ていいだろう。


「餅まきですな」


「餅まき」


「餅まきだ」


「餅を撒くのかね?」


「餅を撒くのだ」


「餅を?」


「不毛だからおやめなさいな」


マリーさんに止められてしまった。今にもラップが始まりそうだったと言うのに。

顎に指を当てて悩んだ様子のカミナギリヤさんが首を傾げた。


「餅など撒いてどうするのだクーヤ殿。

 我々が拾うのか?」


「そうなのです。私が投げまくり、拾った餅は早い者勝ちで自分の物に出来るのです」


言いながら脇に置いてある籠いっぱいに収まった餅を見せる。

数量は多めに見積もって三百程である。いやあ頑張ったぞ私。褒められるべき。褒めろ。

えーと、なんだっけ。


「なんか災いを避けるとか財力自慢とかお目出度いから財の分配とかなんとかのどっかの文化ですな」


「……ふむ、そうか。文化ならばやろう。辺境の国、根こそぎ狩られた種族、失われゆく伝統、燃え尽きゆく古書。

 そんな中で残ったものがあるのならばそれは尊ぶべきだ」


なんかいきなり壮大な話になったな。まぁカミナギリヤさんだからな。


「餅……食べ物だろう?ありがたくはあるがね」


「餅だ。黄金色の餅とか銀色の餅とかなんか青っぽい餅とか赤っぽい餅とか。なんか白銀の奴も入れといたぞ。サービスしといた」


全員無言で立ち上がる。やる気が出たようで結構。チンピラ共なだけあって金にはがめついらしい。

重さがそれぞれあまりにも違うので投げた後の軌道で知識さえあればある程度は判別可能だろう。重そうな奴だけを狙いすませば金の餅ばかりを手にするのも夢ではない。

だがそれでは大きなリターンも望めない。オリハルコンやらアダマンタイン、ダマスカス鋼やらミスリルやら金より高価ながら重さはまちまちなものも混ざっている。大きさもまちまちなのでデカイ奴を狙うというのも一つの手だがデカイだけで中身はマジで餅というのもある。

リスクを避けるか莫大なリターンを取るか。周囲の奴らが何を狙うかを見極める事も重要だろう。狙われていない餅を如何に拾うか、人が殺到する場所を如何に避けるかというテクニックが試される。着実に漏れる物を拾い集める、それこそが勝利への道なのである。

つまりカミナギリヤさんやらブラドさんやらマリーさんやらクロウディアさんやらの面子を如何に避けるかでもある。張り合うだけ無駄だろうからな。

ちなみに私としては大穴としてウルトの周囲が安牌だと思っている。包装紙に包まれたこれは別にキラキラとしてもいないし今の話を聞いても興味はなさそうな顔をしている。多分殆ど動きゃしないだろう。

目敏い奴は何人かそれに気付いた様子でジリジリと位置取りを直している。クロノアくんも興味なさそうな顔をしているが残念、あの人はマリーさん達とチームメイトだ。あの二人の為に幾らかは動くだろうな。

あとはぱっと見回した感じでカグラはこの中で一番へろへろだし狙い目だな。だがまぁ、言ってはなんだがあいつは身体的ハンデがデカすぎる。餅なんか殆ど見えちゃいまいしあの手でちゃんと取れるかも怪しい。

正直まともに工事についてこれただけで行幸レベルだ。本人も餅まきのやり方を聞いて早々に諦めたらしくポケットに手を突っ込んだまま棒立ちである。

あいつの近くならばライバルが減ることは減るが、カグラを狙うというのは幾らなんでもチンピラ共も気が咎めるのか距離を詰めようとするどころかちょっと離れている。お前らにも良心とかあったのか。

まああとは、悪魔の気まぐれを読みきれるかどうかが全てだろう。餅は金属が殆どなので存外に重たいので投手は悪魔によるものである。

というわけでちょっと考えてから地獄の輪っかを設置。


「出てこいルイスー!」


私の声でぴょんと飛び出したるはうさぎ執事。


「ここに。……さて、お嬢様の悪魔使いは酷いの一言ですな。まさか餅投げにこのルイスとは。

 老体には堪えますぞ」


「いいからやるのだ!」


餅の籠をグイグイと押し付ける。うさぎの手では流石にやり難いのかうさ耳ダンディ初老姿に変じて籠を受け取った。

こういうのは知る限りルイスにやらせておけば安全だ。メロウダリアもアスタレルもそういう意味では全く信頼などないので。クルシュナは投げる前に自分が全部食うだろうし後の二人は知らないし。


「とりあえず魔法は禁止で。足とか道具とかも無し。手で拾うことがルールだー!」


「変身はありかね?」


「無し」


「分身は?」


「無しに決まってるわーい!」


常識的に考えろ!ぷりぷりとしつつもルイスによじのぼって餅の籠から握れるだけ取って飛び降りた。ちらっとそれを見てから一つ思い出した。


「包装紙はくじにしといたから捨てないように」


「くじかえ?」


「魔王コンビとかがあまりにも有利過ぎるので救済措置です。

 包装紙に書いてある番号ごとに豪華景品プレゼント。これは完全に運なので己の幸運を祈るのだ」


餅を購入してから考えついた為なんとこの暗黒神ちゃんの手書きのくじである。一晩頑張ったのだ。景品は適当に本で出しといた。本で買ったものを世界にばらまくといいと聞いたのでマジで出血大サービスの品々である。

感謝するがいい。というわけで。


「今より餅まきを始めるー!!」


この手では二、三個しか握れなかったが初投には十分であろう。振りかぶって投げた餅はあまり距離も出せずに近場に落ちた。そしてそれが開始の合図である。

開始早々やはり気が乗らない様子のウルトだったがまさかの裏切り、餅を拾うではなく周囲の邪魔に喜びを見出したらしく投げ込まれた餅を更に弾き飛ばし人を転ばせ大暴れし始めた。

これには流石の暗黒神ちゃんも苦笑い。

そしてこういったことには比較的フェアなルイスではあるが、やはり悪魔は悪魔ということであろうか。フェイントの掛け方が異様にうまい。投げた餅の空中停止は卑怯だろ。いやまあ投手にルールは設けなかったので文句は言えないが。

魔王やらの高レベル帯の人達は言うに及ばず、意外にも善戦しているのが数名居るようだ。異様に位置取りがうまい。見どころがある奴らである。

ぽいぽいぽいと投げられる餅。かなりの数を作った筈だがそれでも保ったのは二十分程度だった。籠の底に残った餅を籠ごと放るようにして一気にバラ撒いて餅まきは終了した。

短い命であった。ナムサン。



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