神羅蓬莱鬼ヶ島

いつからか。

鬼が出る、と話があがった。それはまことしやかに囁かれ続ける。

大地に染み込み、空気に溶け込み、一つの悪しき意識となって立ち上がる。

人を喰らい、獣を喰らい、人の倫理に仇する悪しき鬼。

遠く霞む小さき島。其処に彼らは住まうのだ。人を釜茹でにし、子供に石を積ませ、この世の地獄の如き宴を開き嗤うておるのだ。

鬼ヶ島、その島はそう呼ばれた。海神の気に満ちたる日には姿を現すこと無き夢幻の島。

灰色の雲が覆う嵐の海、その最中にその島は在るのだ。

嵐が来れば人々は海に人を貢ぎ、金銀細工を貢ぎ、そして祈る。自らの安寧を。

浜に流れ着く残骸に震え、怯えながらただ祈り続ける。

いつか訪れた男は言った。己が助かりたい一心で女子供を海に流すのか、獣奴らが。

その言葉に打ちのめされたる人々は海の向こうに流した人柱を偲ぶ。

然して人々は立ち上がる。己が子供を喰わせてなるまいかと。子々孫々に至るまで鬼共に怯えさせてなるものか、と。

彼の島にて享楽に耽けたる悪鬼羅刹、鬼畜生共を悠久に封ずらんと欲す。

人々は一人の巫に鬼を誅すべく願う。




私は求め続ける、真の鬼を。





「鬼ごっこを致しましょう」


女は言った。





辿り着いた先、というかまぁ、そんなに歩いていないが。

そいつは静かな大広間に鎮座していた。

見た目は……うむ、まぁ普通の女性っぽい。どっちかといえばカミナギリヤさんの方がよっぽど鬼っぽい。

角は生えているが。ショボいな。牙もなさそうだ。ムキムキのガチムチでもない。

ちなみに一番の特徴としては死んだ目が挙げられる。マジで死んでるな、うむ。魚の目のようである。

黒い髪の毛を腰まで伸ばし、着物のような服を着ているがいろいろと怪しい。まあ鬼のパンツ一丁よりは全然マシであろう。

漂う紫がかった煙はあちこちの香炉から漂っているらしい。クンクンと鼻を鳴らしてみた。くせぇ。つまんだ。


「鬼ごっこ、ですの?」


「そう。私は鬼ごっこがしたいわ」


「ふむ、予想外じゃの。まあ良いわ。遊戯の説明を聞こうかの。

 汝、如何な遊びを所望する?」


「戯れの約定は単純明快。

 私が鬼、貴方達が逃げる。時は三刻。一人でもその時を逃げおおせれば貴方達の勝ちと致しましょう。

 この島からの解放を約束致します。私の勝ちなれば、全員共々鬼共の餌となって頂きましょう。

 簡単で御座いましょう?」


「………ふん、そのようじゃがな。鬼とは主だけか?」


「私だけ。千を数えましょう。お好きに逃げなさい。私は千の間、此処で待つ」


「千か、良かろう」


「ほ、鬼ごっことは愉快愉快。しっかと走りゃんせ」


「仕方がありませんわね」


何やらいつの間にか話が進んでいる。まぁ好きにしてくれ。

私たちはしりとりに忙しい。


「チンジャオロース」


「スロウウェル北陸ダーダロウネス公国!」


「首」


「ビール蒸し饅頭」


「ウェイロール大隊独立辺境守護五十五番隊翼竜騎士団ロイヤルローズ部隊!!」


「胃袋」


「ロールケーキ」


「……きーっ!!クルシュナさっきから食べ物ばっかりじゃんか!

 私のお腹が減るから別のものにするのだ!他にも色々あるじゃんか!!」


「幹細胞」


「うるさーい!変態も人体にこだわりすぎだわーい!!」


盛大に文句を垂れてやった。

全く、しりとりくらいまともにやれないのかこいつら。


「何を遊んでいますの。行きますわよ」


「主らに緊張感を求めるが愚かというものかえ?

 まあ良いわ。鬼姫よ、いざいざいざ、ゆるりと愉しもうぞ。

 なぁに、その退屈、暫し忘却の彼方へと誘ってしんぜようぞ」


「ほう、それはまた。

 期待しています。今まで訪れたる者達と同じ事を申して、そして同じ道を辿らぬように。

 それでは、参りましょう。

 …………準備はよろしいか」


「無論。

 ……ふん、余は魔王ぞ。

 ようも言うた。余に対して準備は良いか、とはのう。

 抜かしよるわ」


「魔王、ふふ。

 魔王などと。取るに足り申さぬ麿虫でございましょうや。

 西の地にて魔王を名乗りたる魔族、その尽くが人の子に悪戯に遊ばれているだけではありませんか。

 世界の理すら捻じ曲げる魔力を有し、天と地の狭間、その全ての真理と遍く叡智を求める魔なる王。伝承とは程遠い。吹けば飛ぶ、塵の如し。

 時の流れとは無常なるもの。記録は欠損する。世代は移り変わる。血と共に伝わるお伽話もまた然り。

 嘗て少しばかり魔に優れた者達が居た。その程度だったのでしょう。太古においてはそれでも伝説となるには十分だったというだけのこと。

 貴女がいつこの島に入り込んだかは知りませんが。大口を叩くには些か足りないようですね」


「………ふん。余こそ主には聞きたい事がある。汝、何者なるや?

 余を封じた力。違えよう筈もない。

 神羅大封印。シヴァ原典に記された創生の神ヴィオラ=スーが世界を作り上げる際に澱となりてその重みで世界を中心へと沈め続ける、漂う者達を世界より祓う際に用いたという絵巻。

 世界創生レベルの神の工芸品アーティファクトなんぞとうにこの世から失せておる筈じゃが。アレは本物じゃったぞ。確かに神話に記されておった絵巻じゃった。

 まぁ、実際に世界創生に使われたわけでもあるまいがな。どこぞの阿呆が作った贋作と見るが道理じゃが。

 何をどうすればあの様に作れる物か。興味深いものじゃ。正気の方法ではあるまいて。

 マァ、そんな事はどうでのよいのじゃがの。神羅大封印に封ずられ、余は気付けばここにおった。

 この神域に閉じ込められ、神域のルールに則り出ること叶わじ。

 ……さて、理屈が合わぬ。確かに出られぬ。じゃが、出られる手段があるとは。どう考えても神羅大封印による封印結界内とは思えぬ。

 真に神羅大封印ならば、結界の主などというものが在るわけもなく、ましてや封じられた余達が主に干渉出来るなど在るわけがないわ。

 此処はどこじゃ?余は一体どこから来た?

 あの絵巻は本物じゃったというに、此処は贋作世界よ。入り口が本物なれど、中身が贋作とは。

 空間が捻れておったか、時空が捻れたか。何れにせよ奇妙な話じゃ。神羅大封印とは永久なる封印、出られる手段が存在しているというのがそも、おかしいのじゃ。主が居るはおかしい。余は長く脱出の方法を探っておった。出られるとは思うておらなんじゃが…主の存在に気付いた時に確信したわ。此処は違うとな。

 創生神話に記されておるはこうじゃ、絵巻に封ずられた漂う者達は永遠にこの世界に出る事も出来ずに闇へと葬られた、と。

 本物と贋作、順序が逆であろうが。最初は本物じゃった、最後は偽物なぞと。主はその答えを知っておるのかえ?」


「………神羅大封印、神話に残る神の工芸品は此処に在る。人々は望んだのです。

 あの工芸品をこの世に再び取り戻し、闇を、悪を、魔を、鬼を永遠に封ずらん、と。

 贋作などではありませぬ。汝らは出られぬ。此処は神羅大封印。嘘も真も、汝らが此処で朽ちれば消える。

 汝らが出られぬならば、それは本物だということです」


「ふん、因果の逆転だとでも?

 なるほど、この世界のルール、それを制約として作り出しておるのじゃな。

 遊戯に勝てば出られる、それを対価にこの強固な結界を生み出しておる。

 そしてその遊戯に汝が勝ち続ければ脱出者もないまま、誰ぞが脱出したという事実がこのまま観測されねば何れそれも百年、二百年のうちに真実になる。人間共の神産みでもあるまいに。

 わからぬな。では、何故此処に余は封じられたのじゃ。ただの封印結界に余が封じられるものかよ。

 本物の神羅大封印だったからこそ抗う間もなかったのじゃ。ハナから贋作ならば打ち砕いてやったわ。

 阿呆に聞くも話が通じぬ。余を封じたのは阿呆じゃがそれを指示したるは主ではないのか。主はとうに飽いておろうが。繰り返し続けた舞台、幾人消したかは知らぬ。主は何処ぞで望んでおる。敗北を。この世界の終わりを。鬼の姫よ、今一度問おう。汝、何者なるや?」


「……………魔王を名乗りたる者よ。

 私こそ貴女に問いたいわ。貴女。一体どうやって此処に来たのです?

 私は貴女など知らない。貴女の言っている事を私は知らぬ。阿呆?そこの男の事ですか?

 私はそんな男など知らぬ。神羅大封印がその男の手にあったと?

 何を言っているのです」


「………………話が通じぬな。

 では余を封じたのは真にそこの阿呆ということか。何処からか本物となった神羅大封印を入手し嘗て余を封じたと。

 阿呆が正気を失っておるのが悔やまれるのう。余こそこの男を知らぬわ。行き成り現れそして余を封じた。

 見たことも聞いたこともない男というに、巫山戯た力を有しておる。無名の人間などとはとても信じられぬ。それこそ伝説に名高い三勇者と言われても信じかねぬわ。

 ……まあよい。主が偽りを申しておらぬとも限らぬ。ゆっくりと聞かせて貰うかの」


「出来るものならば。さぁ、参りましょう」


「お」


顔をあげる。

どうやら始まるらしい。

長い話であった。最初の部分しか聞いていなかったがまあいいだろう。

別に大した話でもあるまい。

立ち上がって膝をはらう。さて、鬼ごっこか。すたこらっさっさと走るのだ。

真面目に聞いていたらしいフィリアがちらりとこちらを見た。

む?

なにやら考えているらしい。結構真面目な顔をしている。なんであろうか。

アホとクルシュナは特に何も考えている様子はないので聞いていなかったのだろう。

しかたがないのだ。話が長い。


「いざ」


「尋常に」


「――――――――始めましょう。さぁ、お逃げなさい!!

 私は鬼、今より時を数えます。

 此処はヴィオラ=スーが手にしたる神羅蓬莱絵巻、鬼ヶ島の章。人が出られるなど在り得ぬ!!

 皆此処で鬼の餌となりて消えよ!!

 それが揺るぎなき真実であるが故に!!」



「おりゃー!!」


ダッシュである。私は走るのだ。逃亡者にしてキュッとされる定めの鶏。運命に抗い自由へと至るのだ!

すたこらさっさと走り、鬼の姫の屋敷から脱出した瞬間、すぐ後ろから声がした。


「こりゃ、待たぬか」


「ぐえー」


がっしと襟首掴まれそのまま首が詰まった。

捕まる前にキュッとされてしまったようだ。


「ほ、主様は愛らしい声で鳴きますこと」


「何をするーっ!」


「勝手に突っ走るでないわ。分散するなど愚の骨頂じゃ」


「そうですわ。クーヤさん、離れてはダメですわよ」


「ぬ?」


変なことを言われてしまった。鬼ごっこで固まってどうするのだ。見てみれば全員付いてきていやがる。カルガモか。

相変わらずのようだ。しかしルールからしてどう考えてもこうして全員固まってる方がマズイのでは。

その上呑気に話し合いとかしている場合なのか?

千を数えると言っていたが大した時間じゃない。すぐに来るだろうし。

今のうちに距離を稼いで隠れ潜む方が良い気がするのだが。どうやら皆さんは違う考えらしい。


「私はクーヤさんがいいと思いますわ。何があっても起死回生の一手を打つデタラメさがありますもの」


「ふむ……そうじゃの。阿呆は論外として…主らも限界であろ?

 となれば、……余は残る側じゃな」


「その蛇は兎も角、俺は問題ない。俺には肉がある。だが、行かせるならそいつだ。

 そいつ以外に出来るとは思わない」


「ほほ、何を言うやら。あちきは主様から離れませぬ。

 ねぇ主様。あちきとらんでぶーしましょうね」


「えー…」


よくわからんがらんでぶーは嫌だ。

気分じゃないのだ。それよりも本能のままに駆けたいのだ。とっとこ暗黒神なので。


「ここは彼奴の世界、彼奴の結界。この島の何処におっても彼奴からすれば紐で括りつけた犬に等しいわ。

 ただ徒に距離など稼いでも時間と体力の無駄じゃ。いや、無駄どころか消耗するぶん悪手じゃの。

 遊戯である以上彼奴もルールに従い足で追いかけてくるであろうがの、ただただ走っても勝ちは得られぬ」


「そういう事ですわ。この遊戯に勝つ為、成すべき事は他にありますの。

 ……そろそろ時間でございますわね。この結界内では精霊も呼べませんし……仕方がありませんわね。

 皆様、後ろに下がってくださいまし」


「お前が行くのか」


「ええ。そうでございましょう?」


「ふはははは!!よかろう!!武運を祈るわよ!!」


「お言葉だけ頂いておきますわ。祈られても応える神など居ませんもの」


肩を竦めたフィリアがふと視線を流す。

そこに立っていたのは先程まで目の前に居た人物。

距離を詰めてくるでもなく、表情のない死んだ魚の目でこちらを眺めている。


「――――――――もう良いのですか?」


「お相手いたしますわ。どうぞよしなに」


「貴女はどれほど保つのかしら」


「あら、愚問ですわね。聖女となる為に必要なものを鬼姫様はご存知なくて?

 聖書にある聖者の苦行、その全ての行程を修めた者だけが聖女の称号を得る資格を得るのですわ。

 私がどれほど保つかではありませんわよ。鬼姫様がどこまで付き合えるかですわ」


「……そうですか。それではその大言、真か否か。試してしんぜましょう」


来るか。いつでも本を開けるように抱え込む。

よくわからんが……フィリアはここでやる気のようだ。逃げるだけ無駄みたいな事を言っていたし、本人をどうにかするのかもしらん。

このヘンテコ世界でルールとやらを無視して勝てるのかどうかはわからないが。まぁなんとかなるだろう。多分。そうじゃなきゃ困る。

ちらりとフィリアがこちらを見る。その手にはかすかな魔力の煌めき。


「クーヤさん、無駄にしたら承知致しませんわよ」


「ぬ?」


聞き返すよりも早く。

クロウディアさんが私の手を強く引っ張った。


「小娘、行くぞ!!」


「……え?

 フィ、フィリア置いてくんです?!」


流石に予想外だ。というよりもあれは、フィリアに逃げる気がないように見える。

何を考えているのだあのビッチビチ聖女は。

ぐいっと襟首引っ掴まれてぶらぶら運ばれるが視線の先、鬼の姫に相対したままに動かないフィリアの背中。

やはり逃げる気がない。本当に何を考えているのだ。

あの鬼の姫を一人で相手にするなど無茶苦茶である。あちこちに居た鬼の総大将、他の三人はともかく私やフィリアじゃ相手にもなるまい。

勝てる見込みなどあるまいに、フィリアらしくもない行動である。強敵と見るや速攻逃げる癖になんなのだ。

動かないフィリアの姿が小さくなっていく。鬼の姫は私達を追うでもなく、フィリアの前に立ったまま。

疑問符だらけの私に答えたのは背中を向けたままに遠ざかりゆくフィリアではなくクロウディアさんだった。


「勘違いするでないわ小娘。これは鬼ごっこなどではない。

 皆があの鬼姫から逃れて終いなどという事、出来るわけがないわ。

 此処は奴の領域。まともに鬼ごっこに興じてなどとしては余らに勝ち目は無い。この世界の中にいる限り奴の手の中と言ったであろうが。

 この世界の法則も奴は自在じゃ。身体能力も奴の思うがままよ。やろうと思えば足であろうとも転移魔法と何ら変わらぬ速度で動けるぞ。

 ただ逃げるだけで出し抜くなど不可能じゃ。

 打つ手は一つ。全員で逃げるではない。全員で一人を逃がす。誰かが彼奴を引き付ける、一人ずつ相手どり限界まで時間を稼ぐのじゃ。どんな手でも構わん。

 あの娘はそれを分かっていてまず残った。余らの中ではあの娘が最も足手纏いじゃ。

 それ故に先陣を引き受けた。振り返るでない。娘への愚弄じゃ」


「ほ、ほ、主様の良き壁として立派、立派に働いた様子。

 あとであちきが、たぁんとご褒美をあげましょうねぇ」


「ぬ……」


そういう事か。

最初から勝てる筈もない鬼ごっこ。勝つ為には成すべき事がある、フィリアが言っていた言葉を思い出す。

フィリアは自分を捨てて私達が勝つために必要だから残った、そういう事だ。

トカゲのしっぽ切り前提と言うことだ。そうまでしなくては勝てないと皆わかっていたのだろう。

それにしてもフィリアは意外にもこういう時には頭がいいな。

どうするのかはわからないが、何を言うでもなく全て分かっていて時間を稼ぐつもりで残ったのだろう。

仕方がない。であるならば逃されたこっちは走らねばならんだろう。

しかし私は何も聞いてないが。誰を逃がすんだ。クロウディアさんか?

私の本で何か手助け出来るだろうか。魔力は十分といえる。



商品名 世界鈍足紀行


相手を呪い、足を止めます。

ロック数は5。持続時間は5分。



取り敢えず購入しておく。足を止めるというのがこの世界でどれほどまでに効果があるのかわからんが。

あの勇者を止めるために買った時と値段は変わらない。この値段ではこの商品はなんとなく彼女には効果がない気がする。

追加で何か買っておいた方がいいだろう。

ぺらぺらと大急ぎでページを捲る。



商品名 放課後校舎裏で待ってます


対象者をニ時間、あらゆる逆風が吹き続けるお約束状態にします。

効果が切れたあとにはほのかなラブとハッピーが待っています。



即購入。

ラブなぞ知るか。次。



商品名 ラブポーション


対象者の魔力、身体能力を一時的に引き上げると共に、体力増強、栄養強化、ストレス解消効果が得られちゃいます。



よし、これでフィリアも少しは助かるだろうか。

もうフィリアと鬼の姫の姿は見えない。効果の程を知る術はない。

遠くにチカチカと瞬く光が微かに見えるだけだ。


「あの娘がどれほどの時間を稼ぐかはわからぬが、逃げるぞ。遊戯の根本を引っ繰り返すにもこの結界内では彼奴を殺すは至難の業。

 この神域全てを消し飛ばす程の力が必要じゃ。今の余にはそこまでの力はない。

 ……主らも難しかろう。違うかえ?」


「否定はしない」


「あらゴメンナサイ、あたし、物理派なのよね。

 ヨホデリヒー!!」


「え?メロウダリアは?」


悪魔だろう。出来るんじゃないのか。

すっかり忘れていたが。アスタレルだって結界を壊していた。メロウダリアにも出来るんじゃないのか。

そうすれば全ては解決、もーまんたいってやつになるんじゃないのか。


「小娘、無茶を言うでないわ。この悪魔は既に消滅寸前じゃ。

 然様な真似は出来ぬ」


「な、なにぃ!?」


消滅寸前だとう!?

立ち止まって慌てて蛇を引っ掴む。ぐったりとしたままの蛇は成すがまま。確かに弱っているらしかった。

なんてこった!!いつの間に死にかけているのだ!!そういえば段々働かなくなっていた。弱っていたのか。

アスタレルといい、こいつらときたら無言で何て事をしやがる。言えば地獄に帰したのに。全く!全く!!

プリプリと怒って地獄の穴を設置。ぶらりと揺れる蛇を翳した。帰れば多分大丈夫だろうしな。


「……芥虫が。余計な事をいうんじゃない。

 主様が望まれるならば我らはそうする。それが眷属というものだ」


「蛇。とっとと肉を持って来い。白い肉共が来ないのは楽だがお前が消えるとあとがめんどう。

 さっきからこの世界をガンガン叩いている奴がレガノアとかいう肉塊だろう。

 お前が居なくても別にいい。いざとなればイーラとアワリティアでも呼べばいい」


「暴食が。心底貴様等が羨ましいわ。

 ……主様、あちきはまっこと物質としての身体が欲しいでありんす。

 さすればこのような無様を晒さずとも済むというに」


よくわからんが身体が欲しいってことか。後で本で出してやるからとっとと帰るのだ。

仕方のない奴らめ。


「悪魔は死にたがりだな。

 お前以外も全員そうなのか」


「あちきには関係のない話。死とは暗闇に抱かれる事、闇へと還る事。

 魂の巡る直前に刹那の謁見が叶うならばこれ以上などない」


「そうか。黒くてでかいだけだったが」


「まっこと、羨ましきこと……」


ぽいっと投げた蛇は地獄の穴に無音で吸い込まれていった。やれやれ。これで大丈夫だろう。

悪魔は死にたがりか。気をつけるとしよう。死なれては困るのだ。

これで打てる手はまさしくゲームの勝利しかなくなったわけだ。


「ふむ。悪魔が居なくなったとなれば光に属するこの世界、レガノアの干渉を防ぐ手はもう無い。

 ……来るのう。誰ぞ、彼奴を止める者はおらぬか」


「ふはははは!!私が残ろう!!

 いざや参らん、星屑のランデブーなり!!」


「安心出来ぬのう…主は何を考えておるのかわからぬ。

 主は誰じゃ?」


「鉛筆」


「……それが余を謀るつもりの言葉であれば安心したのじゃがの。

 心底本気じゃな。……全く、お主と嘗て見えた時はしゃんと喋っておったろうが。

 何があったらそうなるのじゃ。人間はわからぬ。そこまで壊れる程に何か求めるものでもあったのかえ」


ふーん。

アホは昔はまともだったのか。そうは見えないが。


「私は求め続ける、真のタンバリンを!!」


ビシっとポーズを決めているが意味不明である。

まぁクロウディアさんの言葉もわからないでもない。心配である。強さだけは確かなのでそういう意味では安心なのだが。

いやまあ、いいけど。取り敢えずこいつが次の時間稼ぎ役を引き受けるらしい。

じゃあ餞別に何かくれてやるか。武器とか。丸腰ではきつかろう。

本を開く。



商品名 霊刃ラディアント=レイズ


とっておきの秘密骨董品の一つ。

因果を断ち切りたい貴方に。



たっか。何だこりゃ。よっぽどいい武器なのか。

アホにはもったいない気がしないでもないが。まあこいつの武器と考えて出てきた商品なのでこいつに渡すのが筋な代物なのだろう。

ちょいと奮発である。ぐりぐりと枝で購入。ずもももと出てきた武器は……ふむ、随分と強そうな気がするぞ。

剣ではなく刃というのも納得の形だ。剣とは言わないだろう。短いし。短刀レベルだ。

片刃の刃は柄もなく。どうやって使うんだこれ。まさかこの柄に差し込むであろう鉄塊部分を握るのか。

どう見ても未完成の武器だ。大丈夫であろうか。まあいいや。ひょいとくねくねするアホに渡しておいた。


「頑張れ、えーと」


そういえば、アホの名は未だ呼んだ事がなかった。アホなので。

既にアホとしか覚えてなかった。

頭を捻る。見ようと思えば見れるがそれはなんだか悔しい。


「えーと。アレク!」


三文字しか出てこなかったがいいだろう。


「うむ!!任せるがいい少女よ!!」


キラリと白い歯を見せて笑うアホはびしっと親指を立てて私が渡した武器を小器用に握り込んでうむと頷いている。めっちゃ握りにくそうだが。

なんだか慣れてるな。黙って見ていたクロウディアさんが顔を顰めてアホをみた。


「………………答えは一つ、というわけかの。

 主の正体に余は心当たりがあるぞ。まさかとしか思えんが。余は奴の名前も、姿も知らん。

 他の魔王も同じじゃろう。姿なき勇者。余らはそう呼んでおった男がおる。伝説に名高い三勇者の一人でありながら誰も知らぬ男よ。

 カーマインとクロノア、あの二人に比ぶれば全く無名と言って差し支えない。教会側にさえ検閲削除でもされたかと思うほどに何の痕跡も残っておらぬ男。

 事が終われば聞かせて貰うぞ。場合によってはその頭の中身を開いてでもじゃ。逃げるでないぞ」


「あらやだ。お手柔らかに頼むわネ!」


くなりといい感じに腰を捻っているアホだがクロウディアさんは何処までも真面目だ。

アホ、気をつけるのだぞ。下手な答えは死ぬぞ。頑張れ。

小さく応援しておいた。くるりと振り返る。

視線の先に立つは一人の女。フィリアは鬼に捕まったのだろう。姿は見えない。だが、フィリアにしてはめっちゃ頑張ったのだろう。

彼女の姿からそれが伺える。

ふと思う。私は彼女の名を知らない。じーっと見つめる。

うむ、なんか見づらいな?

はて…考える前に動いたのはアホだった。手に握った小さな刃、どうやって使うのかと思っていたのだが。

ビビった。なんだありゃ。白い光がアホの手から溢れる。それは小さな棒状の形となって物質化する。

その先にある刃はもちろん私が渡した奴だ。あんな便利機能があったのか。驚きである。確かに柄いらずだな。しかもどうやら形は自在のようだ。

槍でも剣でもなんでもなれるということだろう。便利そうである。

思えばあのアホは船の上でも武器でもないただの木材だので戦っていたし、最初に持っていた短剣の使い方も中々に様になっていた。

ああいう武器は器用なアホには合うのだろう。いい事である。


「行くぞ小娘!」


「あ、はーい」


「遅い」


見ている場合じゃねえ。アホが彼女を釘付けにしている間にとっとと逃げて次の手を打つのだ。

足止めしている限り追っては来れない。今のうちである。残るは私とクルシュナ、クロウディアさんだけだ。

さて、私の本でどれほど足止めが出来るだろうか。



残りはどれほどだ?

私は必死に走っていた。背後の気配は粘着くようにして離れず、ぴったりと寄り添うように後を追ってくる。

本を抱え込んで離さぬまま、後ろを振り返るが気配ばかりで姿はない。

一時間半ほど前にクルシュナが残った。残りは私とクロウディアさんとくればさて、次は私だと気合を入れたのだが。

唐突に立ち止まったクロウディアさんは思いもかけない事をおっしゃったのである。


「余が足止めをする。主は走れ」


「………なぬ!?」


まさかの私が最後発言に目を剥く。私で逃げきれるとはとても思えないぞ!

フィリア、アレク、クルシュナ。

私が逆さになっても勝てないようなメンツが残った筈だというのに、本当に時間稼ぎしか出来ていないのだ。

三人がどうなったかはわからない。だが今もなおこちらに追いすがる気配を思えば三人が捕まった事は想像に難くない。

それを思えば、私が逃げきれる筈がない。どう考えても進むべきはクロウディアさんだ。


「いやいやいや、私が残りますよ!」


いくらなんでも責任重大すぎる。どう考えたとて無謀だ。

まぁ一対一では本を使う隙などほぼあるまいに、私が足止めの役を担ったところでたかが知れているだろうが……私が逃げきる役をやるよりは遥かにマシであろう。

ここで先に進むべきはどう考えてもクロウディアさんだ。

が、クロウディアさんは目を眇めてつんと顔を斜め上30度にあげた胴に入った華麗なる見下しなお顔をなさりながら口をへの字にして面白くなさそうに拒絶を述べた。


「余が足止めをすると言ったであろうが。二度も言わせるでないわ。

 主を逃がすと余は決めた。良いか、捕まるでないぞ。

 行け!!」


「おりゃーーーーーーっ!!」


行けと言われるととっとこ暗黒神の本能が疼いて行かざるを得ない。

下知をくだされた猟犬の如く、餌を投げられた駄犬のように一直線に、すっとぶように私は走る。

クロウディアさんめ、私の使い方を心得ている。やりおるわ。この暗黒神、言い訳のしようもない完膚なき敗北である。

私の意思ではどうにも出来ない具合で暗黒神レッグが火を吹いている。

どたどたと土煙をあげながら私は走る。









振り返る。

逃がした小娘の姿は遥か遠くに霞みてやがて視界から消えた。

物理的な距離などこの結界内にあっては幾らあっても足りるものではない。

逃げる者がどれほど走るか、それはこの遊戯の勝敗に何ら関係は無し。

残る者がどれほどの時間を稼ぐかが全てにして、クロウディアの意識が向かうは目前に立つ女のみ。

これを鬼ごっこなどとは言わぬであろう。今も昔も変わらぬ懐かしき空気。闘争の悦びなどとあの吸血鬼でもあるまいに。

らしくない。なんとも、らしくない。

この胸の高鳴り、熱くなる魂、意識の底で静かに燻ぶる黒き炎。なかなかどうして。思うた以上に高揚しておるか。

聞けばマリーベルだけではなくウルトディアスまで居るというのだ。

世界はまた面白くなりそうだった。実に。

想うは嘗て謁見を果たしたる混沌。

この結界内で腐り続ける日々に、濁っていた世界が黎明を迎えた如くに澄み渡りて手を伸ばせば届くとさえ思う。

あの頃のように。

最上位精霊が持つ神域に等しい結界、飲み込んだ魂は千を超えよう。

ただの魔族であれば、何ら手を打つことも出来ずにこの遊戯に敗北したであろう神域。

数百年はくだらぬであろう時をこの結界内で遊戯の元に魂を簒奪し続けた鬼の姫。

あの鬼姫が何を求めたるかはクロウディアの知るところではない。

この結界の維持の為、全てを諦め受け入れ、飽いてなお、精神を削るようにしながら只々この遊戯に興じ続ける女の求める物など常人には理解の出来ぬ代物に相違ない。

じゃりと足で地に円を描く。魔術の組み立てなどこれで事足りる。

こちらへ肉薄しつつある女を笑った。

悪魔と踊る娼婦、あらゆる享楽の限りを尽くしたる狂宴の魔王、遊戯に勝とうなどと、ニ千年早いわ。



「さあ、鬼なる姫よ。

 余と遊ぼうぞ!!」


炎が吹き上がった。

ただの赤の炎などクロウディアからすれば児戯にも等しいが。

この黒の炉に思うがままに魔力を流し込みてこの結界諸共に爆炎の中に消し飛ばしてやればさぞや楽しかろうに。

そのような事さえ出来ぬ有り様に我が事ながら笑うしかあるまい。

子供騙しの魔力しか扱えぬ様なぞ、以前では考えもせなんだ。

炎などものともせずにクロウディアを捕まえんと迫る女の後を追うが如くに雨が降り出す。

炎に炙られた雨が蒸発し水蒸気となって辺りに立ち込める。その炎霧の中に立つ女はクロウディアを見つめながら静かに答えた。


「居なかった」


「……何?」


「……鬼など、何処にも居なかった。

 私が見たものは人の業だけ。此処には鬼など最初から居なかった」


世界が書き換わる。

女が描く絵巻物語は墨を流しながら女の世界を彩りて広がる。

神霊族とも、魔物や眷属とも違う神域結界。

クロウディアとて覚えのあるものだ。無論、早々居るものでもないが。

ラプターの自動人形、永遠少年、人の狂気と業が生み出す形を伴い顕現する精神世界。


「この力、魔族でもない、亜人でも、神霊族でもない、そなた――――――――」


「此処は私の領域、私の世界、私は伝承に謳われたるこの鬼ヶ島で待ち続ける―――――――真の鬼を!!」


魂からなる結界領域、目の前の女が如何なる者か、もはや問うまでもない。

悪鬼羅刹が住まう嵐の間に揺蕩う幻惑の島、そこに住まうていたのは鬼などではない。


「―――――人間とはのう!!」


「――――神羅大封印。海に、風に、土に、炎に、万物に解けたる我が魂が、汝を封印します!

 人々は望んだのです。神羅大封印、その顕現を!

 鬼が居ないなどと…こんな馬鹿な話はありません……あっていい筈がない…!

 私は何の為に、誰の為にあんなものに耐えたのです……!

 あんなものが人間であった筈がない…!!人間であって良い筈がない!!

 でなければ、わからないではないですか……私の命は何だったのです……神羅大封印の依代となる為だけに在った私の存在は何だったのです…!!

 私は信じ続ける、私こそが神の工芸品であると!!

 真の鬼、真の邪悪がこの世にあると……!!」


「余は魔王クロウディア、たかだか八百かそこらしか生きておらぬ尼巫女めが、戯れ言を抜かしやあぁああぁぁああ!!」


光が爆ぜた。








遠くで爆発音。立ち止まりはしない。

必死こいてひーこらと私は走る。

残り時間はおそらく10分もあるまい。短い時間だが、これを逃げ切るのは至難の業であろう。


ここで追いつかれるわけには行かない。

理由はわからないが私は皆さんにこの役目に選ばれたのだ。

皆さんは私がどうにかできると思ったのだろう。そうでなくば今、私が此処に立っている理由はないのだ。

この本か、あるいは別の何かか。何かが信頼に足ると思われたのだ。

そこは私の知る所ではないが……聖女のフィリアに、暴食のクルシュナ、素性は知らんがアホみたいに強いアレクに、魔王クロウディアさん。やる気を出すに十分だった。

この信頼に報いるのだ。何もせずに捕まるなどと出来よう筈もない。

やらねばならんだろう。出来ることは何でもやるのだ。

私は本を開く。

どうにもこの世界で彼女に干渉するのは魂の変質やら、ああいう系統になるらしい。ボカスカ買えるような代物じゃない。

姿はちゃんと認識できるし触れることも話すこともできるが、多分彼女は実際に私達の目の前に居るわけではないのであろう。端末みたいなもんであろう。

となれば以前に勇者に使ったような物理的な足止めはおそらく通用しまいて。ばばばっと本を捲る。目的の商品はすぐに見つかった。

ここから先は一種の賭けに近い。あの龍を思い出す。そう、うなぎである。

彼女はどうにも出来ない。だったら出来ることと言ったら私をどうにかするのだ。これしかない。

二度と買わねぇと誓ったばかりだが大人の事情って奴の前にはそんなもんは風の前の塵に同じ。

おりゃーと大量購入してやった。出てきた山と積まれたそれを私は暗黒神リスとなってとにかく頬袋に詰め込む。

時間はない。後が怖いとか何がどうなるかわからないとか言っている暇はないのだ。

みっしりと頬いっぱいに頬張り、なんとかぐぐと喉を動かしてその全てを胃袋に収めた。



商品名 きび団子


食べた人をパワーアップさせちゃいます。

脅威の百万馬力。鬼もなんのその。



ボカーンと星が爆発した。


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