世界に喰らいついた獣
どんなに世界を壊すとも。
この世界はその全てを許してくれる。
何故ならこの世界はあまりにも深淵で広大で、幾ら私が手を伸ばすとも小さな子供の癇癪に等しくちっぽけな私が壊せるものなどほんの砂粒のようなものなのだから。
どんなに罪を重ねようとも。
神様は私を見捨てたりなんてしない。
何故ならあまりにも遥か高みに在るあの人はあまりにも大きすぎて、私が望む限りはずっと私が傍に居ることを許してくれるのだろうから。
ザザーン。ニャアニャアと海鳥がなく小島。
一組の男女が海辺を駆ける。
一途に、情熱的に女を求めて走る男の瞳にはただ一人の女しか映っていない。
ふくふくとした頬、むっちりとしたあんよ、ぷくぷくのおてて、のたのたと走るその姿は男にとって実にたまらないものであった。
てってけと走る女を求め、己の三大欲求に忠実に従い、ただ走る。
ガサッとジャングルの中に突撃する。遮蔽物も何もない海辺は危険過ぎる。
「待てやタンパク質ぅぅあぁぁあ!!」
「ギャーーーーーーーーーーーッ!!!」
全力疾走である。
追いかけてくる原人蛮族から必死に逃げる。
この小さな島に流れ着いて漂流生活ニ日目の朝。
私は今日も元気に逃げていた。
何だあいつ。こわい。
タンパク質て!
私みたいな小さなガキンチョを食べても腹は膨れないだろいい加減にしろ!
「ひぃ、ひぃ…!」
疲れない身体の筈なのに精神的に非常に疲れる。
何せ後ろから走ってくるのは勇者だとか天使だとか生易しいものではない。
野蛮な狩人である。捕まったら最後、比喩でも誇張でも何でもなく美味しく煮込まれて焼かれて食われてしまう。
罠をあちこちに張りまくっているのが非常に厄介だ。
張られた蔓をぴょんと飛び越え、地面の色の違う所に突き当たれば直角に曲がって避ける。
頭上を時折すぎる細い煌きはピアノ線のようなものを木の間に張っているのだろう。
私の背が低すぎて引っ掛かる事は無いが、普通の大人であれば首元に来るであろう絶妙な高さである。
実に容赦の無い罠群だ。殺る気満々すぎるだろ。
「とうっ!」
視界の隅に映った暗がりにある小さな木の洞に飛び込む。
息を潜めてそっと外を覗き込めば、蛮族が肉ー肉ーと呟きながらキョロキョロとしている。
この小さな島、ニ日間彷徨っているが獣の類は未だお目に掛かれて居ない。
きっと動物性蛋白に飢えているのであろう。しかし食われるのはごめんである。
がさがさと木々を掻き分け、蛮族が向こうへ消えたのを確認しため息を付いた。
何がどうしてこうなった。
どうもこうもねぇよ!
始まりは私が海に投げ出された後のことである。
ザザーン。
ぽいっと海に向かって石を投げた。嵐の過ぎ去った凪の海は穏やかそのもの。先ほどの嵐が嘘のようではあった。
「…………」
静かだ。静かすぎた。何もない。
夕陽の差す浜辺で一人ポツンと体育座りである。せめてもの慰めは浜辺に船の残骸など打ち上げられていないことか。きっと皆さん無事に違いない。
なので早く来てくれ。じゅうじゅうとホタテがいい感じに焼けたのでガブリと食らいついた。
あーあ。
何もない小島は退屈である。
しかし何も無いので危険もない。別に眠らなくてもいいし、食べ物も水もいらないので死ぬ心配はないのだが。
暇なものは暇なのだ。というわけで私が散策に出たのは仕方が無いことだったのだ。私がそれを見つけたのは小島をぐるりと半周ほどした時だったか。
「お」
半壊した船であった。風雨にさらされボロボロだが、元はそれはそれは華美であった事が窺える船。ふむ、なにか紋章が掲げてあるな。国旗だろうか。
見ているうちにワクワクムズムズしてきた。お宝があるかもしらん。私の冒険心はたぎりにたぎっている。カマキリの如く左右に何度かステップを踏んでケツをフリフリ、威嚇のために何度か振ってから危険が無いことを確認、そりゃっとへし折れた竜骨の横っ腹、底部の大穴から内部へと飛び込んでやった。
内部もかなり酷い状態だが……進めないほどではない。水が入っていないのが大きいだろう。崩れそうな場所を避けていけば特に問題も無さそうだ。
「ふんふーん」
枝をフリフリとしつつ進む。ひしゃげたドアを覗きこめば小さな船室。船員の部屋だろう。古ぼけた海図やらなにやらが部屋に貼られている。つんと枝でつつくとそれはあっさりと崩れてしまった。潮風にさらされ劣化が激しいのだろう。
うーむ、もっと奥に行ってみるか。
ほどほどの廃墟具合にほどほどの危険度、しかしながら生命の危険というほどではない。私のささやかな冒険心を満たすには十分である。
どれどれ。よじよじと上部に行けそうな穴を見繕いよじ登る。紋章が等間隔に並べられる廊下。何やらゴウジャスである。きっとエライ奴が乗っていたのだろう。
何か面白いものがあるかもしれないな。行ってみるか。廊下の先、奥まったところにある嘗ての絢爛さが僅かに残る大穴の開いたドアを潜った。
「……ふーむ」
金やら宝石やらごてごてと飾り立てられている。しかし興味があるかと言われれば全くない。もっと面白いものはないものか。お菓子とか。
偉そうなカビ臭い机に近寄る。本やら書類やらが置きっぱなしである。羽ペンが残っているあたり、この本に何か書いている途中だったに違いない。
その辺の椅子を引きずってきてよじ登って覗きこめば、それはどうやら航海日誌のようであった。慎重にページを捲る。特に張り付いている、ということも無さそうだ。
文字は……へんてこな模様だが何となく読めそうである。暇つぶし、もといお宝ゲット。これでいいや。カビ臭い部屋は嫌なので外で読むか。
日誌だけを手に取り椅子から飛び降りる。ここまで来るのはそれなりに大変だったが、降りるのはまだ楽だろう。
よし、行くか。
外に出てみれば、どうやら日は沈んだらしい。
焚き火でも出してゆっくりするべし。それに、焚き火でもつけていれば船に残った皆さんも見つけやすいかもしれない。
本で適当に焚き火を出し、ぺっと濡れそぼったままの服を脱ぎ散らかした。座り込んでぱらぱらと本を開く。乾くまで替わりの服が必要だ。
えーと。
商品名 ビキニ
幼体にぴったりフィットのマイクロビキニ。
UVカット機能がついた白いだぶだぶパーカ付き。
次。
商品名 スリングショット
幼体にぴったりフィットの黒のスリングショット。
食い込みがセクシー。
いらん。
商品名 モノキニ
幼体にぴったりフィットの紫のモノキニ。
大胆な背中のカットがスケベ。
帰れ。
碌なのねぇな。どんだけだ。
「ん」
商品名 悪魔水着
可愛い悪魔っぽい水着。
バカンスにどうぞ。
まぁマシか。こやつを購入である。
現れた黒いモヤモヤとしたものが消え、いつの間にやら身体に纏っているのは確かに悪魔水着である。
デビルウィングとデビルテールが付いている。可愛いと言えなくもない気がする。まあいいか。
よし、のっしと砂浜に座り込み、本で灯り替わりに暗黒花を量産して適当にばら撒く。これでよし。
ふむ、やはり航海日誌のようである。執筆者はセイントホース号船長、クライドルフ・ヘンリー。
――――上手くいった。
我々が極秘裏に行った儀式。
各地に残る伝承。カーマラーヤ紙片、黒蛆の書、シヴァ原典、ヴォイニッチ手稿、それらと我らが王家に僅かに残されていた古代魔術の秘儀。
我々が調べあげた古の魔術。そこから構築した理論。我々は一つの術を組み上げた。そしてそれは成功したのだ。
途方も無い時間を掛けて編み上げ、現在に蘇らせしめた禁術。今まで多くの国が挑んだだろう。そして尽く失敗してきた。
この国にでも有数の魔術師達、数名の生命を対価とすることになったが我々は成し遂げたのだ。
あの我々にとっても驚異となる恐るべき力を持つ奴らをば使役する、これ以上の力があるか。
我が国は一歩、他国よりもなお先に抜きん出たのだ。失伝した異界の魂、召喚の奥義。
そこより現れた異界の者。その力は本物だった。魔族、神霊族、亜人共など全く問題にならない。
流石に勇者には及ばないが、ただの人間であれば問題はない。これならば数さえ揃えれば勇者とて倒しうる。
召喚した男は人の姿をしてはいるが受ける印象はまるで獣だ。
さしあたっては咎人の枷を嵌め、光の封印術を施した檻に収監する事とする。
我々の勝利だ。次に永遠の光の楽園へと至るのは我々の国だ。
長く待ち望んでいた国への帰還に胸が高鳴る。
――――船員が減っている。
最初は逃亡かと思ったが、どうやら違うようだ。
いつの間にか消えている。捜索の手を伸ばすが一向に手がかりは得られない。
そして奇妙な事が一つある。あの異界人だ。食事など禄に与えていないにも関わらず、一向に弱る様子もない。
水だけは与えているが……咎人の枷がある以上、異界人としての能力も使えん筈。元々頑強な種だったのか?
部下が報告してきた話も気になる。あの異界人が真夜中に檻の中で何かを貪っていたというのだ。
その時は一笑に付したが……。
――――決定的だ。
失敗した。船に乗りこんでいた三十名以上居たはずの人数は既に十を切っている。
冗談じゃない。奴は人喰いだ。咎人の枷、光魔法の封印、奴には効果がない。
思えば失踪した部下達には共通点があった。あの異界人に水を運ぶ当番だった日に失踪していたのだ。
奴め、部下を檻に引きずり込んで食ってやがった。
――――小島に漂着した。
ここからでも聞こえる檻の中から響く骨を砕き、肉を食むおぞましい音。檻はとっくに壊れている。
最早奴はこの船の中を自由に移動できる。
時折、扉を開けてくださいと部下が叩く。開けられるものか。
すぐさま何かが暴れるような音、悲鳴、それが聞こえなくなればずるずると重たいものを引きずっていく音。
もう発狂しそうだ。
――――何の音も聞こえない。
扉を叩く音。部下達とは違って悲鳴も無ければ武器を使って開けてこようとするでもない。
静かにガリガリと引っ掻いている。
腹が減った、腹が減った。それだけしか喋らない。
飢えているのはこっちも同じだ。水も食料もない。光輝の王子と呼ばれた面影はどこにもない。
鏡を覗きこんでも自分とは思えない落ち窪んだ眼窩に骨の浮いた顔、ミイラのようにやせ衰えた自分の顔が映るだけだ。
――――ガリガリと扉を引っ掻いてくる。
あの扉を開ける事だけはこのまま餓死するとしても嫌だ。
もうこの恐怖に耐えられそうもない。
手元に有るのは刃の潰れた国の宝剣だけだ。
もうこれしかない。
「…………」
ゴクリ、生唾飲んだ。
なんだこれ。怖いってレベルじゃねーよ!
しかし小島、小島か。ここだろう。
先ほどの船長室を思い出す。特に死体も無かったし、別に変なものも無かった。
もしかしたらこの日誌を書いたあとに助かったのかもしれないな。
そうに違いない。うむ。ばむっと日誌を閉じた瞬間、火で炙っていたはまぐりがぱかっと開いた。
美味そうである。よしよし、今夜はこいつを食べてもう寝るか。出やしないが一人でぽつんとしているとおしっこちびりそうだし。
あーんとはまぐりと口に頬張ろうとしたその瞬間、まさに雷が奔るがごとくピキーンと閃いたとしか言い様がない。
天啓のように降ってきたその考え。
立ち上がる。大慌てで本と枝と服を回収。ダッシュでその場を逃げる。全力疾走、後ろなど振り向かない。
だが、確かに聞こえた。何かが砂に突っ込んだ音と盛大な舌打ちが。
そうだ。私以外に訪れた者が居るとはとても思えない船。
あの扉は開いていたのだ。
死体は無い。あるわけねぇ。理由など考えるまでもない。
あの船長は自殺に失敗した。助からなかった。それだけだ。
全力疾走しながら顔だけ振り返る。
そこに居るのは何の事もない男だ。
名 クルシュナ・リーヴェ
種族 異界人
クラス 多重次元存在者
性別 男
Lv:52
HP 5800/5800
MP 2000/2000
かくして世は弱肉強食、生き残りを掛けた逃亡劇が始まった。
野生の獣か何かかあいつは。
「タンパク質、タンパク質、タンパク質」
ブツブツと呟きながらうろうろとする男は一向にこの場を離れようとしない。
時折、クワッとこちらを向くのが恐ろしすぎる。
目が合うたびに本を抱えてブルルッと身を震わせる。
……さてさて、どうしたものか。
商品名 女子更衣室の扉
一定時間、姿を隠しちゃいます。
影や音は隠れないチラリズム仕様。
動けねぇ。
奴がこの場を離れなければ音や影が誤魔化せない以上、動くことは出来ない。
しかも制限時間付き。タイムリミットは刻々と迫っている。残り時間は五分ほどだ。
買う商品を確実に間違えた。いや、正直すぐに居なくなると思っていたのだ。しかしながら奴は美味しい餌の隠れ住んでいる場所から全く離れようとしない。
魔力をケチった代償であった。これはマズい。予想以上に蛮族であった。
残り三分。離れる様子は、ない。
もはや一か八か、走って逃げるしかあるまい。
何の手も打たないままに効果が切れてしまうという最悪のパターンはなんとしても避けたい。
すーはーと静かに深呼吸。ぐっと口をすぼめて寄せて、付近を見回し逃走経路をイメージしておく。
「………」
行くか。後は天を運に任せるのみ。
残り一分。
覚悟を決めた。
そしてまさに足を踏みだそうとしたその瞬間。
蛮族が何かに気付いたかのように顔を跳ね上げる。
声を上げなかった自分を心底褒めたい。
木々生い茂るジャングルという人の身体には全く不利であろう地形をまるで感じさせない。
身体を低く伏せたままにやや前屈の姿勢で障害物を避けるというよりもすり抜けるという言葉こそが似合う動きで走りゆく姿はまさに獣のごとく。
蛮族はものの数秒で私の視界から消えた。
「…………」
何が何だかわからないが、チャンスである。
ポインという間抜けな音と共に姿が現れる。速攻本を開く。
パラパラパラと開くページは生活セット。
商品名 軒先の幽霊
一定時間、姿を完全に隠しちゃいます。
誰にも見られたくない、会いたくないアンニュイな貴女に。
即購入。値段なんか気にしてられるか。タダより高いものはない。安物買いの銭失いであった。
そしてもう一つ、船と連絡を取るのだ。呑気にサバイバルしつつ待っているという選択肢は潰えた。一刻もはやく脱出せねばムシャムシャと喰われる未来の確率が非常に高い。
「えーと」
カテゴリ生活セット。
商品名 電波通信機
特定の人物と連絡を取ります。
制限時間は三分。
三分、微妙に短くないか。
何故だ。
まあいい。兎にも角にも連絡が取れそうで何よりだ。
木の枝でちょんと購入。ずもも、と姿を見せたのはどう見てもラーメンタイマーだった。
ああ、うん。これは三分ですな。三分以外はありえないだろう。五分とか死ぬべき。そんなに待てるか。生ラーメンでも待てない。
ラーメンタイマー片手に本をめくれば連絡帳らしきものが表示されている。よしよし、うーむ……。
というか連絡とるのは別料金なのか。公衆電話みたいなものらしい。仕方がない。
見ていると相手によって微妙に値段が違うようだ。リレイディアが何故か異常に安い。パンプキンハートも安いな。
しかしこの二匹に連絡をとってもまるで無意味である。逆に無意味だから安いのかもしれないが。
ウルトとおじさんも結構安いな。カグラとアンジェラさんがやけに高い。不思議である。
とりあえずおじさんでいいか。ウルトとおじさんという選択肢ならおじさん一択だ。ウルトは話にならなさそうなので。
ぽちっとプッシュ。
ジリリーン、ジリリーンと鳴るラーメンタイマーにもう少し静かに出来ないのかと思いつつも辛抱強く相手が出るのを待つ。
「…………」
呼び出し音ががちゃっと切れる。
がさがさ、何か向こうで衣擦れの音がした。風の音も聞こえる。
微かにだが……人の声もする。どうやら繋がったらしい。ラーメンタイマーがこちこちと時間を進めている。
急がねば。
「もしもーし」
「………クーヤさん?」
「おー」
「……何故だか私の下着からクーヤさんの声がします」
「お、おー……」
最悪である。
まあいい。それよりもこちらの居場所を伝えねば。
それに皆さん無事であろうか?
「おじさん達は大丈夫?
私は何やら小さな島に居るぞー」
「あ、はい。ただ……フィリアさんが落ちてしまったみたいで……。
その、クーヤさんと一緒に流されていませんか?」
「む?」
フィリアも私と同じく海に投げ出されたのか。私が無事なのだし、おそらく無事だと思うのだが。
あとで探しておくか。ここに流れ着いているといいのだが。いや、この小島自体は大変良くないが。
「あと、その、小さな島とのことですが……何か目印はありませんか?」
「うーん……」
確かに島と一口に言っても難しいか。
目印か。考える。何か。
「そういえば変な蛮族がいる」
「へ?……あ、はぁ……」
「言葉のままの意味で食べられそうなので早く助けてください!」
「え、と、大丈夫ですか?」
「急ぐのだー!」
叫ぶと向こうで何やらがやがやと声がし始めた。
「あれ?クーヤちゃーん。ウルトですよー」
「なんでおっさんのパンツから声がすんだ?」
「あらあらまぁまぁ……クーヤちゃん、そんなところに入っちゃだめよ~?」
入ってねぇ!
アンジェラさんは時々とんでもない事を言うな。
「ったく……ガキンチョ、どこにいんだ?
こっちはこの二日間探しまわってんだ。
妖精王は船室から出てこねぇし、魔術がまともに使える奴はいねぇんだからよ」
「蛮族がいる島だー!!」
「蛮族だぁ?」
「げに恐ろしき人喰いの鬼がいるのだ!」
「あはは、クーヤちゃんってそういう人に会う確率高いですねー」
「うれしくないわーい!」
「……あー、アレか。もしかして鬼ヶ島か?」
どうやらカグラにはあの蛮族について心当たりがあるらしい。
「鬼ヶ島?」
「数ヶ月前ぐらいから冒険者の間で噂になってんだよ。
北浅葱海にある小島にかなり危険な異界人が住み着いてるってよ。上陸して生きて帰ってきた奴はいねぇと聞いたけどな」
「な、なにぃ!?」
何だその危険な島は!?
もしかしなくてもここか!
「ま、迎えに行くまで頑張れや。大将」
ブツッ。
ツー、ツー。
無情にも切られたラーメンタイマーを眺める。
空を見上げる。頷いた。
逃げねば。
木の枝を倒し、指し示す方向へがさがさと草を掻き分け掻き分け進む。日はまだ高い。
何故だか蛮族が離れていった今のうちにこの小島を探索し、隠れ潜むに具合のいい場所を見繕わねば。
最悪の手段としては本で値段を度外視に効果の高い商品を何か買わねばならないだろう。
まあそれは最終手段だ。地獄の輪っかを地面に設置。
自動洗浄のつまみをぐいと捻る。
ジャガボゴと唸るトイレ。エネルギー取り出し作業中の文字が光っている。
よし。迎えもいつ来るかもわからない。
ここ最近の戦闘や西大陸での事もあって魔力量は十分と言えるが、少しでも回収しておかねば。
「……お?」
どれほど進んだ頃か。
ふと、木々の間から見える先に何やら開けた場所が有ることに気付いた。
それと、微かに何かが焼ける臭い。肉の焼ける臭いとかだったら速攻逃げるところだが、どうやら石か泥が焼ける臭いのようだ。
……音は、ない。私の目にも何も映らない。誰も居ない。
顎に手を当てて考える。虎穴に入らずんば虎児を得ず、行ってみるか?
木の枝が倒れた先にあったのだ。何かあるのかもしらん。
そーっと抜き足差し足忍び足、進むに連れて木々の隙間からは家らしきものが覗きはじめている。
あの蛮族の家だろう。意外にもそれなりに文化的に過ごしているらしい。
近くによっても特に人の気配はない。やはり誰も居ないようだ。よし、一丁調べてみるか。
小さな畑の横には窯が作られている。先程からする何かが焼ける臭いはこれだろう。覗きこんで見ればどうやら焼き物をしているようだ。
レンガと壺か?
……生意気だな。
隣の畑には瑞々しい野菜が生えている。益々生意気である。
しかも井戸まで掘っている。てってけと歩み寄って井戸の中を覗いてみた。
真っ暗な井戸からはほんのりと冷気が漂っている。
吊り下がっている桶をガラガラと滑車を使って下ろし、水を汲んでみる。ふむ、中々の地下水を汲み上げているようだ。
飲んでみた。うまい。畑に戻ってトマトっぽい奴を勝手にもいでもっしゃもっしゃと食べる。
これほど好き放題しても誰も来ない。なんだか気が大きくなってきた。
よし、家の中も捜索してみようではないか。簡素な作りのドアには鍵など無い。
取っ手が付けられているだけである。力を入れずとも扉は簡単に開いた。身を滑り込ませればそれで侵入成功である。
「…………」
ふ、む……?
思ったよりも普通だ。
この何もない小島でよくもここまで生活用品を揃えたものである。
テーブルに椅子、その辺の壺には野菜が漬け込んであるようだ。小さな壺は動物からとった脂が入っているようだ。
動物の皮を鞣したらしい布が寝床と思われる場所に敷かれている。
何だか普通すぎてつまらん。恐怖の台所をそーっと覗いてみる。
レンガを積み上げた窯に、流石に鉄を加工することは出来なかったのか深めの土器が置いてある。
別に人骨もなにもない。普通だ。
うーむと腕を組んで考える。
こうなると……もしかしたらあの蛮族にも話が通じるかもしれないな。コミュニケーションを試みるべきだろうか?
何か意思疎通が図れるかもしれない。そういえばタンパク質と叫んでいた。当たり前だが言葉も通じるし、理性も有るという事だ。
動物性蛋白に飢えすぎてああなっているのかもしれないな。
……よし、接触してみるか。コミュニケーションを取る事で危険がなくなるならばこれ以上はない。
そうと決まれば話は早い。顔を上げて、ソレが視界に入った。
何のことはない、野菜を吊り下げている紐だ。
細かな繊維を撚り合わせ強度を上げてロープ替わりとしている。それは、いい。別に構わない。普通だ。
問題はそんなところではない。
汗が噴き出る。
普通?とんでもない。普通であるからこそ異常なのだ。
じりじりと後ずさる。
接触を図るなど彼方に飛んでいった。無理無理。
あのロープ、どう見ても人毛である。
「…………」
そうだ、この小島で動物など見ていない。
あちこちにある布、鞣した人皮だ。壺の中の脂、人間から抽出したものだろう。
あの蛮族は完全に人間をただの動物として認識している。
そうとしか思えない。捨てる所なんてありません、と言わんばかりの利用っぷりだ。
何を思いながら自分と同じ姿をした人間を加工してきたのか、想像もしたくねぇ。
ゆっくりと後ずさり、ドアに手が届く距離まで来た所で背を向けてドアにむしゃぶりつく。
そのまま後ろも振り返らず脱兎のごとく鬼の住む家から逃げ出したのだった。
背中を寒いものが駆ける。人の闇を見た。恐ろしい。恐ろしすぎる。
そうして全力ダッシュであの狂気の家から少しでも離れるべく逃亡している時だった。
微かながら人の声が聞こえたのは。
「ふえぇ……ぐす、ぐすっ」
聞いた事の有る声だった。
これでは流石に無視も出来ない。
立ち止まり、そーっと顔を茂みから顔を覗かせる。
「ウッホウッホ!」
「えっさえっさ!」
「………」
うわぁ。
あのアホも船から落ちていたらしい。
蛮族とアホ。出会ってはいけない二人が出会ってしまったようだ。
しかも何だか知らんが意気投合している。
ウッホウッホと豚のように棒に吊り下げられて運ばれているのはフィリアである。
捕まったらしい。しかもガチ泣きしている。そりゃそうだ。さぞ怖ろしかろう。さしものフィリアもあんな趣味はあるまい。
どうする……?
考えるまでもない。
ここは私一人だが、何とかするしかあるまいて。
蛮族とアホ、私の勝てる相手ではないが……本を開こうとして気付く。
すっかり忘れていた。
地面に設置。
「出てこーい、メロウダリアー!」
そうだ。私には悪魔共が居たのだった。
地獄の穴から這い出たるは紅き眼の艶やかな鱗も美しく。邪眼の蛇。
「ほ、ほ。主様はあちき達の事をよくよくお忘れになりますこと」
私の襟巻きと化しているメロウダリアが可笑しそうにシャーと鳴いた。
目の前には蛮族とアホが簀巻きにされている。
否定出来ない話なので口はバッテンにしておく。
本で魔改造はしたのに悪魔を召喚するという手段はとんと忘れていた。
私の頭では稀によくある事である。
「ヒック…ヒック…」
完全に腰が抜けているらしいフィリアは鼻水たらさんばかりにしゃくりあげて泣いている。
余程怖かったらしい。
とっとこ近寄って縄をほどいてやる。
それでも泣いているので仕方がないので本で出した大きなペロペロキャンディーを与えておいた。
えぐえぐと泣きながらもしっかり受け取って口に頬張っている。
卑しい豚である。何が卑しいかってキャンディーの舐め方が卑猥なところだ。
舐めるというかしゃぶると言った方がいいだろう。流石である。
しかし、目の前の二人はどうしたものか。メロウダリアはこの二人を特に石にするつもりはないらしく、簀巻きにしただけで終わったのだが。
「この二人、どうしようかなー」
「主様のお望みとあらば、このメロウダリアが二人を見事な肉奴隷に仕立てあげてみせまひょ」
「いらん」
即答した。お断りである。
私が望むならと言ってはいるが実に残念そうにしているあたり、メロウダリアの趣味であろう。何で石にしないのかと思えば碌でもない理由であった。
私をダシにしないで欲しいものである。
「な、なんですの?
その、蛇、ではありませんわよね?」
「え?
えーと、メロウダリアだ!」
「名前を聞いたのではありませんわ!」
「あちきは悪魔でありんす。
……あんら、中々堕とし甲斐のありそうな娘ですこと。
後々、あちきのおー、きぃな蛇でたーんと可愛がってあげまひょ」
「……本当ですの!?」
やけにキラキラしだした。悪魔への恐怖より性癖らしい。ん、フィリアである。ほっとこう。
簀巻きの二人を見やる。
アホの方は頭の中で星が回っているようだ。ポコポコピーピーピーヒャララーと目を半開きにして延々と単調に呟いている。
はっきり言ってめっちゃ怖いがかなりの勢いで殴られていたし、こう見えて気絶しているのであろう。
もう一人の蛮族の方はしゃんとしているようだ。
じーっとこちらを静かに見ている。肉、という呟きは聞かないフリである。
虚ろに濁った目でこちらをただただじーっと見ている。死んだ魚か何かか。
そっと視線を外した。
「ふむ」
首元には咎人の枷。となるとやはりあの航海日誌にあった異界人というのはこいつだろう。
つけっぱなしらしい。
効果はないらしいが外しとくか。見た目もよろしくないしな。
本で奴隷解放を購入。パキンと小気味良い音と共に枷は地に落ちた。
砂をかけておいた。
「……ん?」
よしと頷いて顔をあげると、先ほどまで死んだ魚の目をしていた筈の蛮族がそこはかとなく理性のある目をしている、気がする。
死んだ魚ではなく生きた魚になった蛮族はやはりこちらを見ているがさっきよりはましな視線になった。
うーむ?
こうして改めて見れば。
奇妙な違和感が拭えない。悪霊化していたカミナギリヤさんの時にも感じた違和感。
外見と中身があっていない、そのような違和感である。
目の前で簀巻きにされている男は人間のような姿をしているが……。
どうにも変だ。何か人ならざる異形が無理矢理に人の姿を真似ているような、そんな違和感を抱く男だ。
人の姿をしているものの、受ける印象はまさに獣の姿をした怪物。
端的に言えば何でこいつ人の姿をとってんだという感じだ。絶対違うだろ。
しかしながら確かに人なのだから益々違和感ばかりが募る。
産まれ方を間違えた怪物、といえばいいのか。
いや、人間だからこそ、か?
人間だからこそこのような人でありながら人ではないヘンテコな怪物が生まれてくるのか。
何となく聞いてみた。
「えーと、クルシュナってさ。なんで人の姿してんのさ?」
「そんな事は俺が聞きたい。何故、俺は人の姿をしている?
生まれてこの方、違和感しか感じない」
本人も不満そうだ。というか話が通じた。
びっくりだ。
「肉をくれ」
「ねぇよ」
「オマエの足があるじゃないか」
「誰がやるか!!」
言葉は通じているが意思は通じていないな。
不思議そうにしているあたり、マジで私の足を肉としか思ってないのか。
暫く考え込んだ様子のクルシュナは一つ頷いて言い直した。
「じゃあそっちの肉をくれ」
「ひっ!」
しゃくりあげながらペロペロキャンディーを頬張っていたフィリアが悲鳴を上げて私の後ろに隠れた。
いや、私を盾にすんじゃねぇ!
メロウダリアがシャーッと鳴いたのにビビったようだがそれでもガッシと私の肩を掴んで離そうとしない。
悪魔より蛮族の方が怖いらしい。
「これもやらん!」
「じゃあ何の肉ならいいんだ?」
「どれもダメだわーい!
そこのアホの肉でも食ってりゃいいじゃん!」
「これは肉じゃない」
「な、なにぃ!?」
肉じゃないらしい。肉じゃないのか。じゃあ何だ。アホか。
「にーくー。にっくにくー、にっくにくーにっくー!」
「うるさーい!」
全く!!
肉肉とうるさい奴である。口を閉じさせるべく本を開く。
商品名 肉
地獄で今最も熱い暗黒牧場でのびのびと育てたれラた育てたラレたレ――ク―る―ののの美味しいお肉。
悪魔も垂涎モノのの暗黒印を押印された産地証明書付きの特選肉。
「おりゃー!」
現れた大量の変な肉を口に突っ込んでおいた。
生だがどうせ平気だろう。気にすまい。
クルシュナはもぎゅもぎゅと肉を咀嚼している。旨いのだろうか。
ちょっと興味がわいた。
まあだからといって食べたくはないが。フィリアも鼻を摘んで肉を眺めている。確かに酷い臭いである。
簀巻きにされたままのクルシュナは頬いっぱいに肉を詰め込んだままのしかめっ面という器用な顔で身を捩って訴えてきた。
「はふひへふへ」
外してくれか?
「やだよ……」
お断りである。
喰われたくはない。
だというのに蛮族は口の中の生肉をごっきゅんと飲み込んで再び訴えてきた。
「喰わないから外してくれ」
ホントか?信用ならないな。
「喰わない」
「嘘つけ。人間食ってたじゃんか」
「知らない」
「うおぉい!?」
知らない、だと!?
ここに来て白を切るとは中々の胆力だ。良くはないが。
「アイツラが悪い。俺に言われても困る」
「何故!?」
喰われた挙句に加害者呼ばわりとは浮かばれない過ぎるだろ。
というか何でこいつが被害者ヅラなんだ。
「ソレを付けるからだ」
ソレ、言いながら顎でしゃくったのは咎人の枷である。
いや、しかし効果がないと書いてあったが。効果があったとしてもフィリアから聞いていた効果からして特に関係があるとは思えないが。
「人間の餌なんて全く無意味だがせめて何か喰わせてくれればまだ我慢も出来た。
そうしないのが悪い」
「ぬ」
そういやそんな事が書いてあった。
そう言われればそんな気もしてくる。
呼び出しておいて咎人の枷という名の奴隷製造機をつけて檻に放り込んで食事を与えないのはよくよく考えれば相当ひどい。
しかもそういえば亜人や魔族、神霊族など全く問題にならないとか何とか書いてあった。
つまりはその状態で彼らと戦わせていたという事だ。
うむ。自業自得だな。そんな気がしてきた。
フィリアは胡散臭そうにしているが、そういえばフィリアは日誌を見ていないししょうがないな。
そもそも取って喰われかけていたし。
……いや、フィリアはあの船とは関係ないな?
やっぱり目の前の蛮族を解き放つのは危険だ。
やめとこう。
私の襟巻き蛇がシャーッと笑って鳴いた。
「おやまぁ。咎人の枷とは人間共も自業自得でありんす。
悪魔を召喚しておいて対価も支払わず、枷で理性を封じてよりにもよって暴食に食事を与えずに放置とは。
そのような馬鹿は死んで結構、無駄に生きていては食物と酸素とスペースが勿体無き事この上なし。世の為人の為、さっさとくたばるが重畳重畳」
酷い言われようだ。
悪魔的にはあの船の人間達がムシャられてしまったのは当然の事らしい。
悪魔召喚か。そういやなんか失われた秘術とか書いてあったな。異界の魂召喚の奥義だったか。
昔の秘術を復活させようとしてうっかり悪魔召喚したのか?
アホな事である。
いや、でもここにクルシュナが来たのはカグラの話では数ヶ月前って事だったが。
考える。ここに来て一ヶ月、その前に一回死んでいるので一ヶ月。
二ヶ月では数ヶ月とは言わないだろう。となれば、私が産まれるよりも前の話である。悪魔なのに。
はて?
「ふーん……?」
間があった。
「……え?」
普通に流してしまったが……なんですと?
襟巻き蛇が何やら異様な事を言った。
「……その御方も悪魔、ですの?」
「おや。主様と人間の娘にはコレが人に見えるとおっしゃります。
どう見ても獣でございましょ」
まぁ確かにそうだが。
クルシュナがどうでも良さそうに口を挟んだ。
「外してくれ。お前が名付けたんだろう。グラ=デネブと。白鳥か十字架かは知らないが。
お前は喰わない。喰えない。喰いたくない。肉をくれ」
「えぇー……」
再び肉を要求し始めた蛮族、もとい悪魔らしき男に肉を投げておいた。
もっさもっさと食べている。
これが悪魔とは。ちょっと嫌である。
しっかし肉ばっか食ってんな。
野菜食え野菜。
「野菜も食べるのだ」
「いらない」
「なにぃ!?」
即答だった。
しかしこやつの家で確かに野菜も育てていたじゃないか。食べてたんじゃないのか。
飽きたのだろうか。
「主様、ソレが食すは肉だけですえ」
「え?でも」
「正確なところを申し上げますれば食事としているのは肉ではなく魂でござります。
肉体ごと魂を喰らっておりますのえ。
植物というものは感情もなく、魂の在り様が違いすぎますよって。悪魔が食べるには適しませぬ」
「へぇ……あれ?
じゃあ、あの家は?
野菜が植えてあったじゃん」
「家?
アレか。知らない。確かに俺が住んでいた。
最近は戻ってない。誰か他のオスとメスの臭いがする。いらない。
野菜なんて育てていない」
「え?」
焼かれていたレンガと壺。
瑞々しい野菜。
最近戻っていない、という感じはしなかった。
「……それならあそこには誰が住んでたのさ?」
「知らない。見てない。近寄ってない」
マジか。
……と言うことは?
思い出すのは例の人体道具である。
こいつではない、と言うことだ。ちょっと安心である。良かった良かった。
「あの人毛ロープとか作ったのはクルシュナじゃないんだ」
「あれを作ったのは俺だ」
「お前かよ!」
全力で突っ込んでしまった。
やっぱり安心じゃなかった。
悪魔は所詮悪魔である。
「やる」
垂れてきた襟巻き蛇を巻き直しているとポンと何やら投げ渡された。
「む?」
受け取った物を見てみれば巾着のようだ。
何も言われないので勝手に開いてみた。
小さな石ころに、おはじき、きらきらとする丸いビー玉が詰まっているらしい。何の事もないものだ。
何の事もないが渡してきた人物が人物だけに怪しい。
「何これ」
「石。ビー玉。おはじき」
「見りゃわかるわーい!」
馬鹿にされた気がする。
怒りも露わに暗黒神ちゃんアームを振り回すとクルシュナは不思議そうに首を傾げた。
「分かるのか」
「馬鹿にすんなー!」
「前はわからなかった」
奇妙な返事に怒りが収まった。
前?前ってなんだ。
「……何がさ?」
「話が通じるのが変だ。前は通じなかった」
「…………?」
よくわからん。
何が言いたいのだろう。
私の手元を覗きこむフィリアがつんつんとビー玉を突付きながら疑問を投げかける。
「なんですの?
この石とガラスは何に使いますの?
びーだま?」
ビー玉やおはじきというものがフィリアにはどうやらわからないらしい。
そりゃそうか。
「えーと、地面に置いてさ、指で弾いてぶつけてだな」
「ふむふむ」
「そんなことはしていない。食っていた」
「な、なにぃ!?」
「た、食べ物ですの?」
全く予想外の使い方が告げられた。
こんなもん食うなよ!食い物ですらねぇよ!
ある意味人間の方がマシである。
「人間だった時、人間の餌をいくら食ってもいつも死にそうなほどに空腹だった。
誤魔化す為に胃に詰め込んでた。石は消化出来ないし重いから少しだけ紛れた。
病院に何度も放り込まれたが子供の頃からずっとそうやって耐えてた。それだけだ」
「……………」
「……………」
ずーん、としか表現できない空気。
めちゃくちゃ重い話が返ってきた。
「それをその腕輪に入れておけばいい。
俺はお前の元に戻る。それでいいんだろう」
「ええー…」
よくわからんが戻ってほしくない。
「イーラとアワリティアの気配もする。
そいつらも戻っているんだろう。肉をくれ」
「ほらよ」
ぽいっと肉を投げた。
ばくっと食らいつくクルシュナは実に犬っぽい。
しかしイーラにアワリティア?
悪魔の魔改造に載っていた名前である。
どこで会ったのかとんと覚えがない名前なのだが。
「誰さソレ」
「俺に聞かれても困る。お前があの二人に会ったから戻っているんだろう」
「会った覚えがないな」
「それなら知らない」
面倒そうにぷいっとそっぽを向かれた。
完全に犬である。
悪魔なのに犬とは。そこまで考えて疑問が湧いた。
悪魔、そう、悪魔なのである。
だが私の目にうつるステータスは完膚なきまでに人間を示している。
「ていうかクルシュナってほんとに悪魔?
人間じゃね?」
「七大悪魔は全員、物質的な肉体を持っているからだ。俺の身体は人間だ。
地獄に行った事もない。
元の世界で眷属化した。それからここに流された。
肉体を持っているから物質界でこうして活動していられた。その代わり、最低限の悪魔の力を持っただけのただの人間に戻る。
今のお前に魂を渡すことで今度こそ本当の悪魔になるだけだ」
「……む?」
どういう事だ?
悪魔なのに地獄に行った事がない?
肉体を持っている?わけがわからん。もっとわかりやすく頼む。
フィリアがぼそっと聞いたら後悔しそうですから私聞きませんわよ、と呟いた。
言いながら若干私から距離を取っている。
「ええ、ええ、そうですわ。あの青の祠で見た悪い夢の続きでも見ているのでしょう。
何だか頭痛もしてきましたし……クーヤさん、私ちょっとお花を摘みに……」
「逃すか!」
尻尾丸めて逃げ出さんとするフィリアのおっぱいをガッシと摘みあげてひねった。
「あぁん!」
ビッチ聖女は撃沈した。地に伏せて赤い顔で震えている。
うむ、一人だけ逃げようたってそうはいかんぞ。
「主様、七大悪魔王とはまっことおかしな生まれなのでござんす。
あちき達にとっては殺してやろうかと思うほど羨ましきことこの上なし。
愛しい主様。そこで寝こけております阿呆を起こしてくりゃさんせ」
メロウダリアがチロチロと舌を出しながらガチャガチャポーンと呟くアホを示した。
えー…。起こしたくないのだが。さしものビッチビチ聖女のフィリアも真っ赤な顔のままだが嫌そうだ。好みではないらしい。
「何で起こすのさ」
「寝かせておけばいいのです」
「魂こそ完全に壊れておりますが、肉体の強さは人間の可能性の中でも指折りでございますえ。壁にはもってこい。
龍神の気配が近づいておりますほど、人の船より疾くこの地に来ましょうや。
今ひとつ、
この海域は業を招きまする。
遥か遠くの海、ザッハトルテの大境界、ここにもまた海底には未だ次元断裂による空間の裂け目があり申す。
この海域は嘗てレムリアと呼ばれた大陸があった場所。
霊的な磁場となっているこの海域は因果の糸が流れ着く場所でございますよって。
この島は今、暴食が橋渡しとなってこの海に古くからある異界と重なっておりますのえ。
子供の寝物語でありんすなぁ。
むかぁし、むかぁし、人を喰らう者共が住まう島がありまして、人々は鬼ヶ島と呼び恐れておりました、と。
この島が鬼ヶ島と呼ばれるは暴食が見境なく人間を食らっておったのを近辺の人らが古くから伝わる昔話になぞらえた故でありまするが……まさにまさに。見事な大当たり。
人の子が閨で母親にせがむ冒険譚、古き時代に人が恐れた海の向こうに見える鬼の住む島。
鬼ヶ島とはまさに、今あちき達が居るここにございます。
さぁさ、神域に繋がる魔海、主様と悪魔、そこな阿呆、因果は十分、次元が歪み空間が閉ざされまする。
この異界には人の業より生まれ出ずる鬼がぎょうさん、いるからに。
愛しい主様、ご留意くりゃさん、せ。
あちきと鬼退治と参りましょうぞ。出来るならばふたりっきり、しっとりらんでぶーとしけこみましょうね」
「なぬ?」
メロウダリアは甘ったるい口調のゲロ甘さとは裏腹にヤバい事を言った。
らんでぶーは無視した。
湿った一陣の風が吹く。
クルシュナが顔を上げた。釣られるように見上げた空はどんよりとした雲に覆われている。
やがてポツポツと降りだした雨は生ぬるく、いやに違和感がある。そう流されたとも思えない。極寒の北大陸からはさほど離れて居ないはず。
世界が断絶したかのようなあまりにも異常な速度の天気の変化。
ポッケを漁り、猫のヒゲを眺める。雨、雨、雨、雨。どこまで見ようが雨。
止むことの無い雨。
「……これは……。覚えがありますわ。
スードラ大寺院の祭壇の間と同じ空気。霊的高階層の異界……!
クーヤさん、油断してはいけませんわ。風よ、金色の光よ、我が元へ来たれ!」
迷うこと無く風の精霊さんを呼び出したフィリアの顔は大真面目だ。これはヤバそうである。
気配を探るかのように周囲を見回しながらクルシュナがぐいぐいと巾着を私の顔面に押し付けてきた。
「さっさと受け取れ。
肉じゃない不味い餓鬼が来る。あいつらは好きじゃない」
ちえっ!
危険ならば仕方がない。腕輪を適当に地面に置いて巾着を投げ入れておいた。
フィリアが嫌そうにアホの頭ピシピシ叩いて起こしている。
「……ハッ!?ここは一体、私は誰!?
そしてお前たちは船でマイサンを手に掛けた鬼畜共!おのれ、私にイヤらしい事をするつもりであろう!?
ヌルンヌルンのごんぶと触手を私に絡みつかせて種付けする気だろう!
させん、させんぞ!!私の鍛えあげられた括約筋の力を思い知らせてやるんだから!」
あ、デジャブ。
フィリアを見上げた。不自然に横を向いたままこっちを向こうとはしない。
アホは叫びながらグリンと腰を捻って尻で八の字を描いてみせてくる。縛られながらも器用な奴である。
「そんな事はしないわい。ちょっと盾になるのだ」
「よかろう!!」
「いいの!?」
言っておいて何だが即答されると不安である。
縄をほどいてやったアホはくなっとシナを作り、頬を両手で押さえて潤んだ瞳で虚空を見つめながら答えた。
別に比喩でもなんでもなくマジで何も無い空間にしっかりと焦点を合わせて見つめている。
「頼み事にはノーと言えないセンチメンタルな私。
天使様が私にお告げをする。汝、椎茸であれ、と」
「ああ、そう……」
海賊でもなさそうなのに海賊船に乗っている理由がわかった。
しかしちょっと可哀想である。
盾にするのだし何かあげようではないか。えーと。
「ほら、肉やるからさ」
ぽいっと肉を投げた。
アホが食らいつく前にクルシュナが食らいついた。
悲しげな顔でアホはもっさもっさと真顔で肉を頬張るクルシュナを見つめている。友情が壊れたらしい。
しょうがない。適当に肉を量産し両方に与えておいた。仲良くしろよ。
「ほ、主様。来ますえ」
「うむ!」
メロウダリアの言葉の直後、地響きと共になぎ倒されていく木の先端が見えた。
距離はそうない。すぐに来るだろう。手を打って気合を充電。
よし、本と木の枝を装備。準備は万端、来るなら来い!
この暗黒神、ハングリークーヤちゃんが目にもの見せてくれるわ。
木々を薙ぎ倒しながら、ついにそいつは姿を現した。
「…………」
「…………」
フィリアとほぼ同じタイミングで反転する。そのまま全力ダッシュである。遅れてクルシュナとアホが付いてくる。
戦略的撤退って奴だ。
雨の中、バキバキと木を払いながら進みでてきたそいつはまさに鬼。
身長はどれほどだ?
既に巨人と言って差し支えない。
炎のような蜃気楼を纏う、見上げる程の巨大な鬼は人喰い鬼と呼ばれるだけの事はある。腰元の布は明らかに人皮だし、口元には歯に引っ掛かったままの人骨。
しかもである。
クルシュナが面倒くさそうに呟く。
「サイズが大きい。数が多い。肉じゃない。やる気がでない」
「ヨーホデリヒー!」
「な、なんなんですの!?あれは!?」
「これは愉快。あくたむしの如く湧き出る事」
巨大な鬼を筆頭に、わらわらと出て来る。尋常じゃない数である。
サイズはマチマチだが……小さい奴でも普通にカミナギリヤさんを超えるぐらいはある。
行く手に遮るかのように次々に湧いてくるが、隠れ潜んでいたとは考えられない。
クルシュナが肉じゃないと言っていた。私の目にも何も映らない。魂ある生き物ではない。暗がりから無限に生まれてくる鬼。
どうするか。
接近してきた鬼の一匹をクルシュナが片手で引き倒し喉元に食らいついて喉笛を食いちぎる。吹き出る血は赤いが、異常な赤さ。まるで朱墨か何かのような鮮やかな色。
景色が歪む。鬱蒼と茂っていたジャングルが巨大な岩が乱立する白と黒の墨絵の世界へと変質する。走っている地面が地面かすらわからなくなる。
アホが突然目の前に現れた凶悪な大きさの鬼を素手で吹き飛ばした。相変わらずアホである。
「これでは方向がわかりませんわ……ど、どうしますの……!?」
「……仕方がない。俺の家に行く。あそこは俺の家、俺の領域だ。
知らない奴が二匹住み着いてて嫌だが、仕方がない」
口元を赤くしたままのクルシュナが二匹目の鬼をゲットしつつ方向を変える。
こいつの家を知らないフィリアは特に気にした様子はない。アホは理解していないだろう。
メロウダリアは愉快そうにシャーッと鳴いているだけである。
向かうは別の意味で鬼の家。正直言って行きたくないのだが。あの人毛ロープをまた目にせねばならぬというのか。
憂鬱である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます