運命の車輪

ぎしぎしと揺れる船。

スライム抱えててってけとお散歩である。


「ぎぃー!」


カグラの元から戻ってきたリレイディアが抗議してきた。

仕方がないな。ぽいっとスライムを放る。

どうにもこの二匹はそれなりに仲良くなったらしい。


「ぎぃー」


リレイディアがよじよじとスライムに伸し掛かってしきりと身体を揺すっている。

その首からスライムは逃げるかのごとく身を捩らせている。なんだかションベン掛けられたミミズみたいである。

二匹を眺めていると何となくだがフィリアが思い浮かんだ。何故であろうか。まあいい。ほっとこう。

船旅を堪能すべく甲板にでも行くか。

カグラ達が美味そうなものを飲んでいたし、売店でもあるのかもしらん。

歩く薄暗い廊下にはポツポツと乗客がいる。ふむ、どことなくアウトローな雰囲気だ。

まぁよくよく考えたらモンスターの街へと行ける船である。客層だってこうなるわな。そりゃそうだ。

表向きには少々豪華な極普通の輸送船らしいので一般人のような人も居るのだが。ほぼアレげな雰囲気の人ばかりだ。

むしろ善良そうな一般人がどことなく居心地悪そうにしている。もっと堂々としていただきたい。皆さんこそが正常なので。

薄暗がりでボソボソと何やらきな臭い会話をしているチンピラ達を通り過ぎ、甲板へと続くドアをよいせと開く。


「何だあのガキは……?」

「生首を連れてやがる……。ありゃあこの船の乗客の中でもとびっきりだな。あんな凶悪は奴は見たことねぇよ」

「近寄るんじゃねぇぞ。ありゃマジでやべぇ奴だ。間違いねぇよ。この俺が悪寒がやまねぇ……」

「俺だって首にされたくはねぇよ。ギィギィ鳴いてやがる。不気味だぜ……」


何か聞こえたな。ま、気のせいだろう。私はただの善良な幼女であるからして。


「おー」


扉をくぐった先は海である。当たり前だ。雪が舞う中ながら風もなく、時折流氷が現れるという観光としては中々の塩梅な甲板ではしましまパラソルの下で思い思いにくつろぐ乗客がそれなりにいる。

私もこの幻想的な風景を肴にぐうたらとしたいところだが一先ずそれは置いておいてすんすんと鼻を鳴らして辺りを探った。

目的のブツは直ぐに見つかった。ダッシュで駆け寄り、叫んだ。


「一番デカイ奴を一杯くれー!」


あいよと朗らかに笑うおばちゃんに金銭を支払い、ゴージャスなジュースをゲットである。

如何にも美味そうな。蜜柑のような見た目をした果物からは甘酸っぱい匂いがしている。

ふむ、ジュースに刺さったストローが見事なハートを描いている。二本刺さっているが特に使いどころはないので一本は捨てた。これを分けるなんてとんでもない。誰にもやらん。

ウマイウマイ。

ねんがんのジュースを手に入れたので大満足である。キョロキョロと辺りを見回すと、見知った顔を発見。カグラとアンジェラさんである。

首とスライムを伴っててってけと近寄る。ぐーたらと気楽なバカンス状態の二人はもはやただの観光客と化している。


「ぎぃー」


リレイディアが元気な声をあげてカグラに這い登る。最早抵抗の意思すらなくしたらしいカグラはジュースをすすったままに微動だにしない。

パラソルの下に置かれたイスによじよじと上り、どっしとケツを落ち着けた。猫のヒゲによれば三日後の夜あたりから嵐になるようだ。

その前にこの極楽を堪能するのである。ジュースにちゅーちゅーと吸い付き、膝の上にはスライムである。うむ、完璧だ。

パラソルの下にはイスの他にも何やら赤く光るインテリアが置かれている。何となくだが魔法っぽいので暖房のためのアイテムだろう。気が利いているな。


「どのくらいで着くのかなー?」


「あー、あの街まで確か十日ぐらいだったか。

 真っ直ぐ行くわけじゃねぇからな」


「ふーん」


結構掛かるな。まぁこっそりモンスターの街へと行ける島へ立ち寄るという形らしいのでしょうがない。

暇つぶしに本を開く。海に来たのだし、海に纏わる商品とか陳列されてるかもしらん。



商品名 ビキニ


幼体にぴったりフィットのマイクロビキニ。

UVカット機能がついた白いだぶだぶパーカ付き。



「…………」



閉じた。

いらねぇ。マニアックすぎるだろ。

くあーと欠伸を一つ。まったりタイムである。ここ暫く働き詰めだったし、休眠したってバチは当たらないだろう。

ジュース片手になんとはなしに猫のヒゲを弄くる。


「……ん?」


ふとそれに気付いた。

指し示す時刻は三日後の夕方。



[ところにより海賊注意報]



えぇ……。今からげんなりした。







「海賊ですの?」


「うむ」


船室に戻ってフィリア達に報告である。

おじさんは船に乗れたのが余程嬉しいらしく、手鏡を両手で握りしめたまま、スライムと首と一緒に船室の窓から海をずっと眺めている。

まあ確かに嬉しかろう。血が止まらない上に呼吸も出来ないじゃ楽しむもクソも無かっただろう。しかしちょっと乙女チックである。

ウルトは船を探検しているらしく戻っていない。カミナギリヤさんは自分の部屋から全く出てこないので姿を見ていないが、あの調子では多分残り十日すべて部屋に引きこもりだろう。

カグラがポリポリと頬を掻きながら半信半疑と言った風情で口を開いた。


「んなもんがマジで来んのか?」


「多分」


天気予報の猫のヒゲなのに海賊注意とか私自身が半信半疑である。

ところによりって書いてたし、タイミングによっては会わないかもしれない。


「困ったわねぇ~」


「……とは言っても、この船に乗船している人々を考えればその海賊の方こそ応援したくなりますわね……」


「あー」


それもそうだ。

あの暗黒街に行きたがる表を出歩けない人達ばかりだ。ちょっとばかり内蔵を抜いて売り歩いてそうな人達である。

しかも今ならもれなく妖精王と破壊竜が付いている。まあその妖精王様は今は何も出来ないが。

ぶっちゃけて言えばそのへんの海賊なんてものの数でもあるまい。……しかしなぁ。

猫のヒゲを眺める。こう見えて悪魔道具である。その辺に居るようなただの海賊について注意報を出すとも思えないのが悲しいところである。

それにだ。びびっとアホ毛が立つ。何やら来ている。受信中である。

即ち危険信号。少し用心したほうがいいだろう。何とも言えぬ嫌な予感という奴である。

えてしてそういったものは外れないものなのだ。


「海賊に嵐も来るみたいだし、この年寄り船は大丈夫なのかなー」


私の言葉に、カグラはややあってから首を傾げ、窓を見つめた。


「……嵐?

 この天気でか?」


「うむ!」


確かに雨なんか振りそうもない天気だが。

猫のヒゲの天気予報を見るに三日後の日が落ちる前には雨が降りだすのだ。風も吹いてくるだろう。夜も更ける頃には本格的な嵐になるはずだ。


「来るわけねぇだろ。さっきも船員が風がこねぇ心配してたぐらいだぞ」


「来るわーい!」


「来ねぇよ!」


「来る!」


「来ねぇ!」


ブーブー言い合っていると、アンジェラさんがうーんと頬に手を当ててことりと首を傾げて呟いた。


「本当に嵐が来るのかしら~?

 困ったわねぇ~」


「ファック!ンなもん来るわけねぇだろ。

 もし嵐が来たら床掃除でもなんでもしてやるよ。

 来たらだけどな!」


馬鹿笑いするカグラをむむむと睨めつける。

言ったな。覚えているがいい。私は執念深いのだ。三日後百倍だからな。

窓から見える空は青く、雪こそ降ってはいるが嵐など来そうもない。

言った通り、風が吹かない無風状態の心配をしたほうがいいだろう。

本来であれば。

だが、窓から見える海と空。異常はない。

背後から私に囁く者がある。


マスター、気を付けてくださいね。


そんな声が聞こえた気がした。





風が吹く。にわかに湿った空気。

甲板に立つ船員が空を見上げながらポツリと呟いた。


「……嵐が来るな」




軋みを上げつつある船。

食堂に集まった皆さんが突然の嵐の兆候に深刻な顔である。

カグラが無言でモップを動かす音だけがやたらと響いている。

つつ、とテーブルの上に置かれた蝋燭皿の端をなぞった。


「カグラー、まだまだこんなに汚れているぞー!」


ふはははと高笑いである。


「…………ファック」


呻いたカグラが雑巾を握った。ざまあみろ。


「カグラちゃん、ファイトよ~」


アンジェラさんも手伝う気は毛頭ないようだ。カチカチと猫のヒゲをいじる。ふむ、まだ本格的に嵐と呼べるものではないようだ。

フィリアが軋み音を上げる船を見上げて呟く。


「精霊が騒がしいですわね」


「うーん、ただの嵐じゃないですね。

 これは龍の力ですよ。噂の龍神でしょうねー」


竜か。そういやそんな話があったな。

どうやらマジだったようだ。


「………うぅう」


カミナギリヤさんは部屋の隅っこに丸まってプルプルとしたまま動かない。多く揺れる度に小さく悲鳴をあげている。

神霊族の皆さんが必死にカミナギリヤさんをあやしている。うむ、今回はカミナギリヤさんは私と同じくダメダメだろう。仲間である。

しかし竜か。ウルトが何とか出来ないものか。同じトカゲである。


「ウルト、その例の竜をやっつけてくるのだ!」


「えー、無理ですよクーヤちゃん。今の僕じゃちょっとなぁ」


「なんでさ」


「あの、クーヤさん。多分話が噛み合ってないとおもうんですが……」


「え?」


「クーヤさん。竜ではなく龍ですわ。

 ウルトディアス様とは違う、光に属する龍ですわよ」


リュウ、りゅう……龍、か?

もしや蛇っぽいアレのことを指しているのだろうか。それは確かにウルトとは違うな。

トカゲと蛇を一緒にしては失礼だろう。


「闇に属する今のウルトディアス様では龍になどとてもじゃありませんけど――――キャッ!!」


「……なんだ!?」


大きく二度、三度と揺れる船。大波を受けた、という揺れではない。

間違いない。何かしらの攻撃を受けたのだ。

猫のヒゲを取り出す。

時間だ。






船員たちと共にまろびでた甲板、カミナギリヤさんは悲鳴を上げて船室へと逃げ帰ったが……とにかく甲板へと出る。

遠くに船影を見つけたのは見張りのおっさんであった。


「おい、船がこっち来るぞ!

 ありゃぁ……」


おっさんが言いかけたところで船が大きく揺れた。大砲でも撃ち込まれたのだろう。先ほどの揺れもこれか。

あちこちから悲鳴が上がる。


「あわわわ!」


結構な揺れに思わず尻餅である。

遥か向こうの船を見つめる。船首が横を向いている。それはつまり砲台がこちらを向いているという事に他ならない。

ウルトがのほーんとしながらこちらへ迫りつつ有る砲弾を見やった。


「ちょっと凍りますよ」


竜のブレスで凍結した砲弾は進路をねじ曲げられその尽くが海へと沈んでいく。

バタバタと人が逃げ惑う甲板を走りぬけ、手すりにかじりついた。あれは……。


「ファック、マジかよ……」


あまりにも距離がありすぎて少々わかりにくいが。

間違いない。向こうの船が掲げる旗。そこにはしっかりとドクロのマークが描かれている。

どうやら猫のヒゲは大当たりだったようだ。

海賊である。しかし、この距離はどういう事だろう。フィリアが訝しげな声を上げた。


「遠すぎますわね……?」


確かに。遠い。これでは砲弾だってギリギリだし、魔法だって禄に届かないだろう。

だというのにこの距離から撃ってくるとは。何か秘策でもあるのだろうか。

この距離で向こうから先に攻撃してくるとはそうは思えないが……。

ウルト顔をが顰めつつ呟いた。


「うーん……何か変なのが乗ってますね」


「変なの?」


私が聞き返すのとそれは同時だった。

甲板に降り立つ音。全員が振り返り、唖然とした。


「……は?」


呆気にとられるとはまさにこの事だ。

飛んだ。向こうからこちらへ。この距離を。

私の目にみえる種族は人間。魔法だろうか?

いや、それにしては……なんと言えばいいのか。魔法を使うような人種にはとても見えない。


「うわー」


ウルトが嫌そうに呻いた。

気持ちは分かる。

唖然としたままその人物を眺めるしかない。

口など利けるものか。

やたらと目をぐるぐるとさせた全裸に腰みのを纏ったままに狂気の跳躍を決めた変態が叫んだ。


「今日もお日柄がよくいいお天気でございますが皆様いかがお過ごしでしょうか!!

 本日のメニューはマジックボンブ!今日の朝ごはんはなっにいっろかっなーっ!!

 ……ごきげんよう諸君。私がアレクサンドライトである。嵐を呼ぶ右から四十二番めの永久乳歯だ。

 ところで私は誰だろうか?」


全員が一斉に距離を取った。近寄りたくないので。

…………ほんとに海賊か、コレ?


お前行けよ、いや、お前が行け。

この場に居る全員の心が一つになった。アイコンタクトで繋がるコミュニケーションリング。

人の心が一つになるとはこれほどに簡単な事だったのだ。驚きである。

腰みの変態は腕を横に伸ばし尻をふりふりとして真顔で踊っている。こえぇよ。

見やれば遠くの海賊船が近寄ってくる様子はない。うーむ……。

沈黙が落ちる。聞こえてくるのは波の音と風の音、そして揺れる腰みのの音だけだ。

リレイディアが踊る変態の前をぎぃぎぃと鳴きながらよれよれと横切っていった。

誰も自らリアクションを起こそうとはしない。ただただ目の前の変態の踊りを見ている。

気持ちは分かる。これ以上刺激して進化されたら困る。


「死ねや」


謎の踊りが耐え難かったのかカグラが問答無用で発砲した。


「フンッ!!」


「…………あ?」


力強い呼気と共に変態の腕が動いた。変態の目の前で緋色の火花が一つ散った。飛散した破片を受けた木製の床は木くずを舞い上げ、ささくれだった幾つもの傷を晒している。

腰みのの変態はいつの間にやら。その手に小さな短剣を握っていた。見たところ極普通の短剣だ。特別な効果など全くない、その辺で入手できるただ刃物というだけの物である。

この事態に一番驚いているのは発砲した本人だろう。カグラは呆然と自らが放った弾丸の哀れな残滓を残す床を見つめている。

そんなカグラをやはり真顔で見つめたまま、何事も無かったかのように変態はフリフリと腰を左右に振って踊っている。

いや、腕の動きに指先をウェーブする動きが加わったので変わってはいるのか。どうでもいい変化だが。

何をしたかなど考えるまでもない。斬り飛ばしたのだ。放たれた銃弾をあんな粗末な短剣で。

冗談みたいな話だが……先ほどの跳躍といい、只者ではない。いやまぁ、只者ではないのは見ればわかるが。

カグラが今度は片手では無く、両手にその銃を構える。その表情は真剣そのもの、先ほどまでのどこかゆるんだ空気は無い。

シルフィードとの一戦で私もあの銃の威力は知っている。神族にすら通用する二挺、普通に考えれば人間などに防げるものではないだろう。

それをあのような何の付加効果もない短剣で防ぐのだ。見た目はともかく、ただの狂人などという事があろう筈もない。


「困ったわねぇ~」


アンジェラさんが困ったように首を傾げる。困ったわねぇで済ませていい事態ではない気もするが。

黙っていたカグラが声を掛けたのは無言のままのウルトだった。


「おい、てめぇ……アイツの知り合いか?」


「知り合いってほどでもないですけどねー。

 何度か会ったことがありますよ」


「チッ……先に言えや。てめぇ最初っからマジだったな」


「そうですねー。まぁ気を抜いていい相手じゃないですよ。

 僕やマリーベルさんを正面から相手どれる人間ですし」


「……え?」


なんですと?

目の前で踊る腰みのを見やる。

マリーさんやウルトと?

しかも真っ向勝負で?

この、えーと。控えめに表現させていただけばお花畑でてんとう虫を追いあそばされていそうなデンプァが?


「……ご冗談でございましょう?」


「まさかー。人間でもあるまいし、そんな嘘を言ってもしょうがないじゃないですか」


「ど、どうしましょう……?」


「やるしかないんじゃないですか?」


ウルトが氷を吹き散らす竜槍を構える。

フィリアが風の精霊らしき奴を召喚し身構えた。おじさんはスライム抱えて私と一緒に遠巻きに眺めている。後方応援班らしく応援しておこう。頑張れ。


「ちょっと凍りますよ」


ウルトのブレス、それが引き金となった。

凍てつく魔力の暴風を変態はその踊りのリズムを加速させ摩擦で発生した熱で難なく蒸発させるというギャグか何かかとしか思えない方法で防ぎ、カグラが放ったあのシルフィードをして神器を以って防がせていた聖銃の弾幕を謎の踊りに謎の歌声を乗せて短剣一つで弾き飛ばしていく。

まぁ何が一番最悪かと言われれば短い腰みのがチラチラのチラリズムだという事だが。しまえ。


「そぉい!ヘァァ!ホアァ!ホアチャーッ!!

 フハハハハハ、テンション上がってきたな!この寒空の下、私の情熱よ天まで届け!

 君には中々見どころがある!どうだろう、私と一つあの地平へと駆けようではないか!!

 いざいざいざ!參らん、愛のその向こうへ!」


変態は弾丸を弾きながら器用に親指を立てて爽やかに歯を光らせて笑った。

若干キャラが被っているウルトが嫌そうな顔である。


「うっせぇよ!一人で行けやァ!

 ファック、んだありゃぁ……!人間じゃねぇ……!」


「行きますよー」


弾幕を壁に突撃したウルトが変態へと斬り込む。呑気な口調ではあるが本気であるのは見ればわかる。凍てついた空気、氷の粒が光を反射し美しいとさえ言える輝きを放ち舞い上がった。

右手の短剣で弾丸を斬り飛ばしながら変態は己に向かって突撃してきた竜槍を空いた左手一つ、いなすかのごとくまさかの素手で打ち払う。

冗談だろう?

姿勢を崩したウルトはそれに構いもせずに膂力だけを頼りに床板を踏抜き体勢を無理矢理に戻し、続けざまに竜槍を横薙ぎに払う。

普通に考えれば短剣一つで防げるようなものではない、が。


「軽い。うわー、相変わらず厄介だなー」


何が起こったのか理解を超えている。

変態は見上げるような高みにある見張り台の上で嵐を背景に両腕を組んで高笑いを決めていた。

……カグラの言う通り、人間とは思えない。

薙ぎ払われた槍を跳躍で空中へと逃れる事で避けた変態をウルトが正中線で綺麗に両断しようとでも思ったのか刃先を斬り上げ追撃しようとした、筈だ。

空中に逃れた変態が降りたったのは竜槍の細い刃先。ウルトの攻撃、力が掛かる絶妙なタイミングで飛んだ。破壊竜の攻撃をそのまま踏み台にしてあの高さを跳躍したのだ。

ほんの僅かでもしくじればウルトの目論見通り、今頃は二つに分裂した変態が転がっていただろう。人間技とは思われない。変態技である。何だあいつ。

背後で爆発でも起こりそうなポージングを取る変態は高笑いをしたまま降りてこない。そのまま降りてくんな。

願いも虚しくいそいそと降りてきたが。そこは飛び降りるところだろうが。何を律儀に梯子を使ってやがる。

腹立ってきた。その辺に転がっている小さな鉄屑を手に取り、投げつけた。


「降りてくんなーっ!へんたーい!!」


「アウチ!!」


我ながら見事なコントロールである。クリティカルヒットとさえ言えるだろう。

腰みのの中心部、要するに男の弱点にミラクルヒットした鉄屑に変態は飛び上がってイヤーッと叫んでいる。

この調子である。第二弾を拾い上げてぶん投げた。コキーンといい音が海に響く。


「オウッ!!オウイエシーハーシーハー!!」


釣られるかのごとく船員たちに加え、甲板へと続く扉から隠れて眺めていたらしい乗客までが混ざって全員であれよあれよとありとあらゆるものを拾って梯子に足をかけている変態に投げつけ始めた。


「そうだそうだ!!」

「降りんじゃねぇよ!」

「変態野郎が!見えてんだよ!」

「くたばれ!」


コキンコキンといい音を出しながらコントとしか思えない程にクリティカルヒットし続ける変態は今にも海に落ちそうだ。


「やっ!やめてぇ!私のせがれは…、せがれだけは!!

 マイサン!マイサンがダイしてしまう!やめっ…!やめて、やめろって言ってるでしょうが!?」


「うるさーい!」


更に投げた。しかもウルトやカグラやフィリアも参加してきた。

ウルトが氷塊を作るので心もとなかった弾数が無限になった。アンジェラさんが笑顔で氷塊を皆さんに配り歩く。

カグラの強烈なストレート、フィリアのえぐり込むかのようなフォーク。見事である。

リレイディアが囃し立てるかのようにギィギィと鳴いている。スライムはぼいんぼいん揺れている。

おじさんは辛そうに十字を切っている。あんな変態のサンの為に祈るとか聖人か。


「オーウ!マイサン!ヒッヒッフー!ヒッヒッフー!!」


天に祈るかのごとく変態は手を頭上に翳し、悶えるようにして身を捩っている。

いい具合に反り返って腰を突き出しているので当て放題である。

ウルトが投げたでっけえ氷がめぎょっとメガトンヒットした。


「ダッ……ダディイィィイ!!」


ダディかよ。まあいい。

落ちるか、と思ったがどうやら耐えたようだ。生意気である。絶対落としてやる。

コキーンコキーンと暫くいい感じの金属音とオウッ!という声が響いていたが、それを中断させたのは大きな揺れだ。

面白すぎてすっかり忘れていた。海賊船があったのだった。

あの変態はどうやら囮らしい。確かに囮としては申し分ない。あの変態のせいで完全に忘れていた。大砲が放つ音に鼓膜がビリビリと震えた。

こちらの船に近づきつつある海賊船、移乗攻撃でこちらを無力化し拿捕するつもりだろう。

舷墻にそって如何にも海賊な奴らが下卑た笑みを浮かべて武器を携えている。

だがまぁ、普通の海賊たちのようだ。特異なのはあの変態だけか?それならば。

ウルトの口元が蒼い輝きを放つ。


「ちょっと凍り―――――」


「イヤッホオオォォォウ!マイサンの仇ィイィ!!」


「うわっ……と!」


そう思いきや変態が降りてきた。躍りかかってきた変態によりウルトの攻撃が封じられる。

フィリアが精霊さんを使って迫り来る海賊船へ攻撃を加えるが、それを防いだのはやはり変態である。

変態の投げた短剣により精霊さんは掻き消えてしまった。な、何て奴だ。明らかに実体ではない精霊さんをただの短剣でやりおった。


「させん、させんぞ小娘!

 キイィィイィ、ちょっとおっぱいがおっきいからって調子に乗らないでよね!」


「なっ、なっ!?

 邪魔しないでくださいましっ!」


「…………」


おじさんの眼光が赤い光を放つ。見詰める先は変態。まさかアレを吸血鬼化させるというのか。そんな吟遊詩人が歌にするレベルの悲劇の犠牲を出させるわけにはいかない。おじさんがあんな変態をしょいこむことはない。

止めようと手を伸ばすが、その前におじさんは変態に投げられたリレイディアと一緒に床を転がっていった。


「ぎぃー」


リレイディアは元気そうだが、おじさんは目を回してしまったようだ。良かった。本当に良かった。これで自己犠牲でこの場を切り抜けようとはしまい。全く。


「フゥハハハ!

 私のゴーストが囁く、そこな男はデンジャラスであると!」


おじさんの能力なんて変態が知るはずは無い。恐らく何か、おじさんに脅威を感じたのだろう。

な、なんて厄介な……!

変態の恐るべきスペックに流石に汗が出てきた。

しかもそんな事をしている内に海賊船はこの船の横に取り付きつつある。最悪である。この変態のせいだ。腹立ちまぎれにおまけを付けてやる。

実に硬そうな石を拾って投げつけておいた。


「オウフッ!!」


船同士がぶつかる衝撃と音の中、コキーンという音が実によく響いた。

雪崩れ込んで来る海賊たち。かなりの数だ。こうなっては乱戦もやむなしであろう。

各々が武器を携え海賊たちに相対する。

一番最期に海賊船から降りてきたのは女だった。


「この船はアタシらが貰ったよ!

 お前たち!容赦するんじゃないよ、逆らう奴には上からでも下からでも鋼でもなんでもぶち込んでやりな!静かになるまでねぇ!

 死体は帆先に括りつけてハゲタカにでも喰わせときなァ!!」


答えるかのごとく海賊たちが歓声を上げる。

隻眼にフックの腕、片足は義足か。

少々オデブなおばさんだ。たるんだ肉がぶよぶよと揺れる。どうやって自立しているのか謎である。

少々オデブなおばさんはこちらを舐めるかのように見回し、舌なめずりをして勇者ヅラの竜を見詰める。


「ハッハァ!イイ男じゃないか!アタシのコレクションにいいねぇ……お前たち、アイツは殺すんじゃないよ!

 今夜のアタシの相手を務めてもらうからねぇ!何、たいした事じゃぁないよ、死に物狂いで必死に腰を振ってりゃいいだけさ!

 むさい男は飽々してたんだよ……。アンタみたいな美形を痛めつけるのは最高に気持ちよさそうだ……!」


「姉御ォ!

 頼むからもっと綺麗にヤってくれよ!

 姉御の相手になった男の死体を片付けるのは骨が折れるんでさぁ!」


「うるさいねぇ!

 じゃあアンタがアタシの相手をするかい!?」


「か、勘弁してくだせぇ……!

 俺はあんな死に方はごめんでさぁ!」


リョナ趣味のダブダブおばさんに狙われたらしいウルトがうーんと首を傾げた。


「美しいお嬢さんが僕に好意を抱いてくれるのは嬉しいんですけど、よくわからないんですよね。

 人間ってよく裸でベッドの上で絡み合ってますけど楽しいんでしょうかねー。クーヤちゃん、知ってます?」


美しいお嬢さん、言い切りおったわこの竜。

女好きの鏡である。尊敬するかのような視線を向こうの海賊たちがウルトに向けている。


「フィリアが詳しいと思うよ」


「そうなんですか?」


適当にフィリアに丸投げし、本を開く。

さて、どうにかすべきはまずはあの変態か。

酷く揺れる船、うねりを上げて荒ぶる海、嵐は益々激しくなる一方だ。噂の龍神も気になる。

空気がひりつくようにピリピリしている。リレイディアもどうやら何か感じているようだ。不思議そうに空を見上げている。

雷鳴轟く断続的な光を放つ雷雲の中、その光の中に何か細長いシルエットを見た。


「アンジェラ!中に引っ込んでろ!」


「はぁい」


乗客と船員と海賊たちが入り乱れる戦場、乱戦もいいところだ。


「おりゃー!」


「ぎぃー!」


幼女だぜヒャッハーしてきた海賊に向かってリレイディアを投げつけた。

大喜びで海賊の顔面にへばりついた生首虫のリレイディアちゃんに恐慌状態に陥ったらしい海賊は悲鳴を上げて逃げ惑い、哀れ、海に墜落していった。

うむ!ロリコン死すべし。慈悲はない。

墜落していく海賊から見事なタイミングで離脱しすとっと着地したリレイディアは実にご満悦顔である。ブルルッと一つ身を震わせ、ふいーと息をつく姿はアレだ。

何故だかベッドの上でむせび泣くおじさんとタバコを吹かして満足そうに笑う生首という映像が脳内に湧いて出てくる。

不思議である。

まあいい。ささっとその辺の樽の中に潜り込んで身を隠し、どれどれと周囲を眺める。

やはりというかなんというか、船員よりも乗客の方が戦い慣れしている。内蔵売るぞゴルァだの、肉奴隷にすんぞてめぇだの海賊より余程ガラの悪い罵詈雑言がチラホラと聞こえてくる。

攻め入ってきた海賊がまさかの乗客の客層に恐れおののいているようだ。ひぃと悲鳴を上げて自分の船に逃げ帰る奴も居る。乗り移る寸前で哀れにもとっ捕まって暗がりに連れて行かれているが。

その後、暗がりから聞こえてくる何とも言えぬアーッな悲鳴に手を合わせておいた。ナンマンダブ。

面白くないのは少々オデブ、いやもういいか。弛んだ肉をゆっさゆっさと揺さぶるモンスター級デヴおばさんである。

地団駄を踏んで唾を飛ばして叫んでいる。


「何してるんだい!それでもアタシの船に乗る男かい!?

 逃げんじゃないよ!逃げるぐらいなら戦って死になァ!」


「んな事言ったって姉御ぉ……!奴ら強いですぜ!?」


「ふざけんじゃ無いよ!

 こんな奴らはねぇ……!!」


おばさんがその辺にいる船員の頭を鷲掴み、帆柱に叩きつける。ずるずると崩折れる身体、砕けた頭蓋が柱に赤い筋を引いた。

なんという怪力。恐ろしい。ふむ……あのおばさんもただの人間ではないようだ。


「……こうすりゃいいんだよ。全く、アタシの手を煩わせるんじゃないよ!」


「ひっ!……わ、わかってまさぁ!!」


その様子を見ていたフィリアが呟く。


「あれは……あの女性、取り憑かれておりますわね」


取り憑かれている?

元聖女のフィリアには何か見えているようだ。


「何にさ」


神の工芸品アーティファクトの一つ、永遠少年というアイテムですの。アイテムというよりも海域ですけど。

 あの女性の姿、間違いありませんわ。見たところ人間の女性ですけれど……この海で海賊行為を繰り返す内にアイテムに魅入られてしまったのしょう。

 人間とは思わない方がいいですわ。

 恐らくあの女性、自覚はないでしょうけれどこの海域で何十年、下手をすれば何百年も生きていると思いますわよ。

 アイテムの舞台装置にされてしまっているのですわ。アイテムに開放されない限り、自覚のないままこの海でアイテムに記載されている海賊の姿を演じ続けますわよ」


マジか。なんて嫌なアイテムだ。だが、確かに言われてみれば。

あの海賊船、かなり年季が入っている。この船もかなりの年寄りだが……どう見てもそれ以上だ。

それに……どうして気付かなかったのやら。そういやルイスが人間は私の視界に入りにくいとか言ってたな。それでか。

……あの海賊たち、何人か死人が混ざっている。おばさんと対話している人間は生きているようだ。最近になって海賊船に乗り込んだのだろう。まさかの幽霊船とは思わずに。

応戦する船員や乗客も気づいているのが何人か居るようだ。打ち倒した海賊の腐肉が放つ臭気に顔を顰めている。

と、なればこの海戦、一筋縄ではいかなさそうだ。

一番厄介な変態を見やる。あれは生きているらしい。そういや見てなかったな。じーっと目を凝らす。

破壊竜ウルトディアスをたった一人で釘付けにするという離れ業を見せるその男。



名 アレクサンドライト=ガルディッシュ


種族 人間

クラス アホ

性別 男


Lv:1600

HP 29000/29000

MP 16000/16000



「…………」


目を擦る。どうやら目が曇っているようだ。

私は何も見なかった。見なかったぞ。


「よっと」


「ホアチャ~……ホアチャーッ!!」


ウルトが変態が足場にしているロープに繋がるロープを踏み抜く。たわんだ足場を意に介した様子もなく変態は飛翔しウルトへと躍りかかっている。

短剣は失われたがそれも特に問題にしてはいないようだ。張力を利用し縦横無尽に跳ね回る変態は船の部品や床に落ちている武器をロープや布で跳ね上げては拾い、ウルトの竜槍に耐えられなくなったと見るや躊躇なくフィリアやカグラに投擲し次の得物を拾う。

帆柱と静索を足場にして人の領域を超えた戦いを展開する二人、時折カグラが嵐の中にあってもなお正確な狙いで変態が降り立とうとする足場に向けて発砲しているが、流石に船体にダメージが行くのを恐れているのかそれ以上には手を出しあぐねているようだ。

激しくなるばかり嵐。ただの船であるこちらはこれ以上海戦など繰りひろげている場合ではないのだが。向こうの船は嵐もなんのその、といった感じである。

というか……あの海賊たち、嵐である事を認識しているかどうかも怪しい。ロクでもないアイテムである。


「あわわわ……」


大波を受けては揺れる船。これ以上は危険だ。船体がバラバラになりかねない。

樽の中に潜り込んで本を開く。何かないか、何か!



商品名 魔改造


暗黒神様の乗り物を悪魔が好き勝手改造しちゃいます。

改造する悪魔によって値段は変わります。



これで大丈夫か!?ええい、ままよ。

改造者はえーと、アスタレルにルイス、メロウダリアに……イーラにアワリティア?

誰だ?

この際だ、誰でも構わない。アスタレルとルイスは狂気の値段だ。メロウダリアは安いが安すぎて怖い。

えーと、イーラとやらでいいか。それなりに安くもなく高くもないので安心感がある。

君に決めた!

木の枝掲げてぽちっと購入である。購入した瞬間、船から奇妙な音がした。


「ギャーッ!」


「キャアアァア!!

 な、なんですの!?」


恐怖である。フィリアが青い顔で私が入った樽に縋り付いてきた。ガタガタと揺れるからやめろ!

ベタベタベタベタと壁だろうが床だろうが帆だろうがお構いなしに小さな手形がびっしりと付きだす。ホラーすぎる。

バァン、樽が揺れた。

なんじゃ!顔だけだして樽を見詰める。手形が付けられていた。


「………」


少し間が合ってからバンバン叩かれだした。叩かれる度に樽が揺れる。フィリアが樽から逃げた。

待て、逃げるんじゃない!逃げるなら私を連れて行くのだ!


「ギャーーーーッ!!」


樽に最早付く場所がない程に手形が付いた。

何だ、何をするイーラとやら!

樽じゃない、樽じゃないぞ!

思ってから気付く。

今の私の乗り物は樽である。バンバン叩かれながら必死に叫ぶ。


「樽じゃねぇ!船だ船!

 ヤメローっ!!」


止まった。どうやら本気で樽が乗り物だと思っていたらしい。

クソッ!何てお茶目な悪魔だ!

樽から転がり落ちるようにして飛び出した。

どうやら魔改造される寸前だったらしい。樽は奇妙な形に変形させられつつあった。

ぶっ叩いて変形させるとか恐ろしい脳筋悪魔である。大丈夫であろうか。

それなりの値段だったのにまさかの無駄金だったか?

思った瞬間、船がひしゃげた。めきめきと音を立てて軋む船。


「………………」


大丈夫にはとても思えない。キャンセル出来るだろうか。


「な、なんだぁ!?」


「ええい、一体何だい!?」


周囲の人々も気付いたようだ。変形し始めた船に。

悲鳴と怒号が響く中、船が歪むのがわかった。

こりゃやばい。床板があちこち弾け飛ぶ。しかも更に激しさを増した嵐に煽られた波が打ち寄せ甲板を舐める。

流されるのも時間の問題だ。恐らくはこの事態にガチ泣きしているであろうカミナギリヤさんと一緒に船室にいればよかった。

後の祭りである。一際大きな手形が付いた帆柱がへし折れる。イーラとやらは改造にやる気満々のようだ。やめて欲しい。本当に。

何か手を打たねば海賊でも無く変態でもなく悪魔の改造で死ぬ。やばい。買わなきゃよかった。

あたりを必死に見回して気付く。

おじさんだ。目を回しているおじさんだけ不思議と波をかぶっていないのだ。

何でだ、直ぐに当たりは付いた。おじさんの胸元が微かに光っている。あれは……ディア・ノアの手鏡。あれか!

どうやら本当に海難の加護が付いているようだ。まあ効果のほどはおじさんが平気そうなのを見れば知れる事ではあったが、あれなら平気かもしれない。

しゅたたたっとおじさんに這い寄ってへばりつく。

フィリアとカグラもそれに気付いたらしい。慌てた様子で走り寄ってきた。


「クソッ!何だこりゃ!」


「気分が悪くなってきましたわ……」


やはりここには波が来ない。

余裕が出来たのでゆさゆさとおじさんを揺さぶって起こした。


「おじさーん!大丈夫かー!!」


「うーん……」


頭を振りながら起き上がってきたおじさんは……ふむ。特に怪我もないらしい。よしよし。

ズゴン、底部から響いた音にそりゃもう全力で叫んだ。


「イーラ!ソフトに!もっとソフトにやるのだ!

 死ぬ!死ぬから!!」


軋みが止まった。私の前に手形が二つぽんと付けられた。どうやら手を付いて謝っている感じである。

本人なりに反省しているようだ。


「もっとゆっくり揺れないように慎重にやるのだ、いや、やってください!本当にお願いします!」


了承したらしい。手形がぽんぽんと離れていった。よし、これでいい。目下の危機は去った。

が、何かに気付いたかのようにフィリアが顔をあげる。

カグラも何やら感づいたらしい。銃を構えて空を睨む。


「ぎぃー」


リレイディアが空を見上げて一つ鳴く。

降り注ぐ雷雨。スコールってレベルじゃない。明らかにこちらに敵意を感じる嵐。

白く煌めく鱗が船体を揺らす。先ほどとは違い、イーラの手によるものではない力で船が歪んだ。

変態と撃ち合ったままのウルトが面白くもなさそうに声を上げる。


「何か用ですか?

 僕らは君に用事なんかないんですが」


応えたのは静かな頭に響くかのような声。


「口を開かないで頂きたい、邪竜め。

 お前など封じられたままでいれば良かったのですよ」


ウルトから視線を外し、ちらりとこちらを見た蛇龍は私に向かって吐き捨てるかのように言った。


「……不浄なる闇よ、ここにお前の居場所はないと知れ。

 海が穢れている。海の荒神、疫神が息を吹き返してしまった。その手鏡もよく戻してくれたものです。

 ……おぞましい」


「むむ!」


何やらきちゃない呼ばわりされた。このプリティクーヤちゃんに向かって許さん。

むきーっと石を投げようとした瞬間、怒りに満ちた声が聞こえた。


「なれば、物質界になど来なければいいのである。態々不浄の地に降り立ち文句を言うなど、愚にもつかぬたわけ者が。

 浄界で永遠に怠惰と魂を腐らせながら過ごしていればよい。そもそも海を荒ぶらせているのはそなたでしょう。

 多くの船を沈めておきながら汚い物だからと省みることすらしない、人の臭いに塗れた汚らしい愚か者め。欲望が立ち昇りまるでヘドロのようだ。

 私はそなたが不快でしょうがない。あの竜神のように焼き滅ぼしてやる」


「わっ!」


風が吹いた。海に波紋を広げるかのごとく。


「ひぇ……!」


小さな悲鳴はおじさんのものだ。振り返ればそこには一人の女性が居た。

美しくはあるが、どこか恐ろしい。その身体は透き通っており、実体ではないのだろう。

フィリアが叫ぶ。


「大禍の魔女、ディア・ノア……!?」


「汚らわしい、汚らわしい、汚らわしい。

 大禍の魔女などと呼ばわれるのは不快である。

 私の身体を我が物顔で這いまわる汚らしい蛇め。

 不快だ、不快だ、不快だ。身体が痛い。痛い痛い痛い。私は憎悪し続ける。怨みは消えぬ。この痛みを誰が癒してくれようか。

 海の塩が私の傷を焼く。人の生命が私を穢す。浄を求める神の声が私を奈落へと突き落とす。

 ……消え失せろッ!!」


あの龍になどとても及ぶものではない力。怨嗟の声に答えるかのように海が荒れる。

狂気的な高さの波が船を襲った。イーラに魔改造されている途中の船はバラバラにこそならなかったが、それでもこの高さの波など甲板に立つ私達に耐えられる筈もない。

海に叩き付けられるかのようにして投げられた私には他の甲板に居た皆さんがどうなったかさえわからなかった。

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