何故か女神と撃ち合いする羽目になったんだが
鉢合わせた兵士の顔面がカミナギリヤさんの拳によって変形した。
これで三人目である。むぎゅっと頭を踏みつけて立ち止まる事なく走り続ける。
破壊音は徐々に近くなってきている。戦いの場は近い。
にしても…勇者というわけでもないし、人間の中でもそう強くはないのはわかるのだが…それを差し引いても呆気ない。
理由は単純である。手に持った武器にしか頼ろうとしないからである。射出系の武器だろう。そして単純な反応速度でカミナギリヤさんに勝てるわけもなく。迫るカミナギリヤさんにろくすっぽ反応しないままにぶん殴られている。ぶん殴られた瞬間に何か割れるような音がするので結界もあるのだろうが、それすら道具頼りのようだ。
ルイスが言っていたように、武装した人間でしかない。ステータスもまぁ、貧弱極まりない。私には認識出来ないらしいがレガノアの鯖読みもある筈なのだが。個人差はあるだろうが白炉だって持っているだろうに。
武器と道具にしか頼らないのならば宝の持ち腐れである。使わないのなら勿体無いので私に寄越せという話だ。
ブラドさんに言わせれば聊か釣り合っていないという奴だろう。それに……先ほどから私の目に映るクラスだ。なんちゃら家の次男、なんちゃら商会跡取りなどなど。格好は兵士なのだが本職ではない。
どうにも貴族や富豪ばかりのようだ。ぶっちゃけ警邏の為にここに居るわけではない奴らなのだろう。花人、美しい見た目の人達だった。何をしても眠り続ける荊姫。……ようするにまぁ、見目麗しい人々を性欲のままに好きに壊したいという、お楽しみの為だけに集まっている権力者達と。そういう事だ。勇者バーミリオンと同じ人種という事だ。
まともな兵士を排除して人形しかここに置かないのは単に花人さん達の人数の都合だろう。少ない砂糖を分け合うのなら人数は少ない方がいいというわけだ。
ハナから花の妖精王と破壊竜の相手なぞ勤まるような人間達ではないのだ。まともに武器を握った事があるかどうかさえ怪しい。ましてや魔法なんて使える筈もない。
うーむ。とっ捕まえてモンスターの街で競りに出せば高値で売れそうな人種である。皆さん嬉々として競り落とすだろう。
「ひぃ…、く、来るな!違う、こんなの聞いてない……!うぎゃっ!!」
「失せろ!!」
カミナギリヤさんの拳が唸った。
カエルのようにひっくり帰った男はでっぷり太っておりグロウ=デラより余程ダメダメに見える。
人形は居ない。かなりルイス達が暴れているらしい。助かるけど。
だが、そろそろ危険そうだ。いつ人形が出てきても可笑しくない。あの人形達は恐らくかなり強い。
ぶっ倒れた男の突き出た巨腹をトランポリン替わりにして大ジャンプを決めるとウルトにがっしとしがみ付いた。
「おっとと……え?
マジですかクーヤちゃん!やったー!」
「うるさーい!いいから走るのだー!」
実に、心底から、全くもって不本意極まりないがカミナギリヤさんは忙しいので仕方が無い。
それに。先ほどからあまり戦おうとしないウルトは見た目はそうでもないが実のところ、かなり先日のダメージが残っているのだろう。
こうやって私がぶらさがっていればあまり無茶はすまい。
と、何やら妙な気配がした。何か、今までとは質の違う結界に入り込んだ。
カミナギリヤさんが叫ぶ。
「神気…!……構えろ、来るぞ!!」
目の前の壁が音と共に抜けた。飛んできた瓦礫をウルトが地面に突き立てた竜槍で氷壁を作り上げ防ぐ。
雪崩れ込んできた黒い影の輪郭が崩れて消滅した。微かに残る油絵の具の臭い。ルイスの絵か。
がしゃがしゃがしゃと立ち塞がる人形達。地面を埋め尽くすのはぬいぐるみの軍団だ。
これだけの数が居れば圧巻の光景だ。
その中心に立つのはこの場にあまりに似つかわしくない一人の幼い少女。
名 エウロピア
種族 神性
クラス 人形姫
性別 女
Lv:5000
HP 2700000/2700000
MP 650000/650000
こいつが、神の人形姫。エウロピア。
確かにシルフィードほどではないが……。
「やだ!またお客さんが来たのね?
んもー!いい加減にしてよね!」
ツインテールにヘッドドレス、フリフリのコルセットスカート。足元には巨大な鞄が一つ。
クマのぬいぐるみを抱えた少女、エウロピアはがじがじとその耳を齧りながら不愉快そうな声を上げた。
「あーやだやだやだやだ!!
近寄らないでよ惨めで汚らしい底辺共!私の服が汚れるわ!お気に入りなのよ!?」
「ならばさっさと天界へと帰ればいいだろう」
「うるさいわ。私に口を利かないでくれる?可愛い私が穢れるわ。死にたいの?
ねぇ、オ・バ・サ・ン?
そろそろ小皺を気にする年齢なんじゃない?天に召されればぁ?そうすれば若いままよ?
あ、ごめんなさーい。神霊族みたいな霞なんてレガノア様はお呼びじゃないの。諦めてねー」
「…………」
おうふ。別にウルトが何かしたわけでもないが空気が凍った。
気温が明らかに下がった。ウルトが微かに震えている。
……ルイス達はどこ行った。どうにかしろ。この空気を!
「……あら?
貴女さー。例の暗黒神って奴?
うっわ、よわ!マジ?しっかも何、私より若いって許されるわけないでしょ?
…ああ、でも不細工ね。ならいいわ。……にしても、じゃあさっきのが悪魔共ってわけね。
いいもん持ってんじゃん。かっこよかったしさ。あんたにもあいつにも勿体無いわ。私が貰ってあげる。嬉しいでしょ?」
む?
くわっと叫んだ。
「お断りだ!」
「ハァ?返事なんか聞いてないんですけど?
何を生意気に返事なんかしてんのよ。あんたの意思なんか聞いてないっつーの。馬鹿じゃないの?あんたと私は価値が違うのよ。価値が。
石ころがダイヤに口利いてんじゃねっつの。私が貰うって言ってんだから喜んで差し出すのが当たり前でしょうが。
そんな事も出来ないの?これだから不細工は存在価値がないってのよ。どうしようもない不細工なんだからせめて私を不愉快にさせないようにしなくちゃ駄目でしょ?
何考えてるの?頭悪いの?脳みそツルツル?大丈夫?」
「わぁ」
こりゃいかん。グロウより話が通じなかった。シルフィード様偉い。これに比べりゃ遥かにいい。
あろう事かおばさん呼ばわりされてしまったままにずっと黙っているカミナギリヤさんの背中を恐る恐ると見つめる。
が、予想に反して特に気にした様子もなく、肩を軽く竦めたカミナギリヤさんは片手を腰に当てて呆れたように言った。
「随分と即物的な神族だな。神話に辛うじて名があるというだけの末席ではこんなものか。
……先ほどから美醜と若さに拘っているようだが。それでは自分が気にしていると言っているも同然だ」
「だから何?あんたがババアって事には変わりないでしょ?
私はいつまでも若くて可愛い、あんたはババア。分かった?
嫉妬に塗れたババア程、醜いものはないわね。聞いてるババア?
私が若くて可愛くて皆に愛されるのは当たり前だけど、あんたがババアなのも当たり前なのよ。現実受け入れたら?
ねえねえ聞いてますか!?バ・バ・ア!!可愛い私が言葉掛けてやってんのよ返事しなさいよババア!!
言い返したら?あんたの惨めさが浮き彫りになるだけだけど!ねぇねぇねぇ、バーバーアー!!ぷっ…くふふふ!やっだ、何マジな顔してんの?だっさぁ!」
うっわ。あまりの事に口を手で覆った。
カミナギリヤさんの方向を見ていられない。ウルトも明後日の方向を見たまま固まっている。
怖い。怖すぎる。怖いもの知らずとはこの事だ。
「ほら、そこの不細工。早く眷属の明け渡しをしなさいよ。
あんなに強くてかっこいいんだもの。彼らは私にこそ相応しいわ。ああいう眷属は私を愛して私に傅いて、私に仕えるのが一番よ。
早く。ぼさっとしてるんじゃないわ。私に望まれるなんてこれ以上ない幸せなのよ?
あんたみたいなキモいブッサイクに嫌々ながら今まで仕えてくれた彼らに最後に至福の幸せを味あわせてあげるのがせめてもの餞でしょ。
ホラ!さっさと――――っ!?」
「ん?」
先ほどまでの威勢はどこへやら。仰け反ったエウロピアは何やら引きつった青い顔をしている。
奇妙な反応に首を傾げた。はて?
「クーヤ殿」
「ひぃっ!!」
ぽかーっと口を開けて青い顔のエウロピアを眺めていると、唐突に静かな声で背を向けたままのカミナギリヤさんに名を呼ばれる。
思わず恐怖の声を上げてしまった。負ぶさっているウルトの肩も跳ねた。
背中を向けているのでその表情は見えない。見えなくて良かった。見たらきっと後悔するので。
「絵画の悪魔達は恐らく花人を優先し、絵だけを残して彼女達の元に行ったのだろう。奥の方から気配がする。
私達が来た事には気付いた筈だ。直ぐに戻ってくるだろう。その間、私に任せてはくれないか?」
「え?だ、大丈夫なんですか?」
「心配するな。大丈夫だ」
そうは言うが……心配である。
しかしこの戦いに首を突っ込みたくないという想いも半分ある。
「……ハァ?あんたみたいなババアが何言ってんの?調子乗りすぎじゃない?」
「ふむ、ババアか。良かろう。その執着ぶりだ。余程気にしていると見える。
花人達の手向けにまずはその心をへし折ってやろう」
「は?馬鹿じゃないの?」
「あまり私も好きではないが。お前には効くだろう」
カミナギリヤさんの手から神弓ハーヴェスト・クイーンが姿を消す。
何を―――。
ばふっとカミナギリヤさんの背中から羽根が広がった。美しい巨大な蝶の羽根。
カミナギリヤさんの魔力の色、薄桃の光が花びらとなって周囲に散った。
その数は徐々に増え、やがてはカミナギリヤさんの姿をも覆い隠す。
「目くらまし?
その程度で私に届くわけ無いじゃない。ばっかじゃないの?」
確かに。目くらましなんて意味はない。カミナギリヤさんだって分かっているだろう。
……しかし、この光景。どこかで見たような。
それを思い出す間もなく、花吹雪から無数の光弾が降り注ぐ。普段のカミナギリヤさんからは想像も付かないデタラメな狙い。
床を打ち抜き、壁に穴を開けるその威力たるや。なんというか、攻撃にいつもの繊細さは微塵も無い。カミナギリヤさん、一体何を……?
一際大きな光がエウロピアの足元に着弾する。弾けた光は霧散する事なく集い、花びらと共に人の姿へと変じる。あまりにも近すぎる距離に彼女が反応する間もない。
そこから伸びた手がエウロピアの首を掴んだ。
「きゃっ!?離してよババア!その汚らしい手に触れられると私が穢れるわ!」
「ふん。捕まえた。――――で。誰がババアだと?」
「ぎゃ、なっ!?……ひぃ!?や、やめてええぇぇぇええ!!」
余裕をこいてたエウロピアが何かに気づいたかのように悲鳴を上げて暴れだした。
収束する光。花の模様に見える魔法陣が描かれる。それを見て、漸く思い出す。
いや、でもまさか。
悲鳴を上げて藻掻くエウロピアの姿が、見る見ると変わっていく。何かに吸い取られるかのように身体から光が抜け出ていく。
その内にゴミでも捨てるかのように投げられたエウロピアは――――老けていた。
三十代後半かそこらだろう。目じりには皺が寄り、肌に先ほどまでの張りの艶も無い。
髪の毛はくすみ、縮れている。
地面に転がったエウロピアは己の両手を見て、顔をぺたぺたと震える手で触り、自分がどんな姿になったかを悟ったのだろう。しばし呆然と虚空を見つめたあと、半狂乱となって絶叫を上げる。
「あぁぁぁあぁぁああぁあ!!!嘘、嘘嘘嘘嘘!!
やだやだやだやだ、私の若さが、可愛さが、嘘、返してよおぉおぉぉぉ!!
私の、可愛さ、若さ、嘘、あぁあぁあぁああ!!」
いつだったか。ウルトが言っていた。生命力を司る、その反面、老いを司るのだと。
溢れた光は空中を漂う塊となり、そのまま小さな人影となった。
空に浮かぶ羽根の生えた小鬼。額には小さな角。耳にはわさわさと花びら。
生意気でございと言わんばかりの釣り目を嘲りに歪ませ、キンキンとした甲高い声で笑った。
「キャハハハハ!!
ばぁ~か!あたしは花の妖精王なのよ!これぐらい出来て当たり前じゃない!
クスクス、みっともなーい!おばさん、そんなにショックだったぁ?
それがホントの姿だなんて、恥ずかしいもんねー?」
「いやあぁあぁぁあぁぁあああ!!!
返せ!返せぇ!!私の若さを返してよこのババア!!
早く!何してんの!?返せっつってんだよババア!!」
「ババア?やだー、何言ってるか全然わかんないしぃ?鏡見たら?
キャハハハハ!ばぁ~か!
ぷっ……うふふ……おばさん、その服やめた方がいいんじゃない?
いい年してすっごい惨めだわ!あたし、見てるだけで顔から火が出そうよ!」
「ぎゃあぁあぁぁああぁぁぁ!!」
小さな妖精王。出会った頃の反面である悪霊としてのクソガキっぷりをカミナギリヤさんは再び私達の前で見せたのである。
かくして戦いの幕は切って落とされた。
どちらがよりババアかを決める、一歩たりとて譲れぬ女の戦いである。
「キャハハハハ!!
そぉれ!耄碌しちゃってるみたいだし、あたしが鏡を見せてあげる!どう?」
クソガキになったカミナギリヤさんが嘲るかのように氷の鏡を作り出して見せた。
そこに映るのは勿論中年エウロピアである。
ひ、ひどい!!
「ぐっ……!!この、ババアがぁあ!!
私にこんな真似をしてただで済まされると……!!
思い知らせてやる!!花人共と一緒に私自らアンタにありとあらゆる拷問に掛けてやるうぅぅ!!」
「キャハハハ!やだー、こわーい!」
クネクネとシナを作って身悶えるカミナギリヤさんはエウロピアを完全に小馬鹿にしている。
「あー、やだやだ。
こんな怖いヒステリーのおばさんなんてさ。こうはなりたくないよねー。
二人もそう思うでしょ?」
何故こちらに振る!?
エウロピアが鬼の形相でこちらを振り向く。
ウルトと二人で必死になってぶんぶんと首を横に振った。
ついでに手もこっちくんなとばかりにぶんぶん振っておく。
「えー?
遠慮なんかしないでいいのにさー。誰だってそう思うに決まってるじゃない!あたしが折角鏡を作ってあげたんだから確り見なさいよ!その惨めったらしいヒステリー姿!
っていうかぁ、何をそんなに怒ってるの?あたしの親切じゃない!
おばさんの上におばかさんね!キャハハハ!」
頭を掻き毟って喚き散らすエウロピアはまさに怒髪天を衝くといった風情だ。
ギリギリと歯が欠けそうなほどに口を噛み締め、血走った眼でカミナギリヤさんを睨む顔には怒りでどうにかなりそうという言葉がしっくりくる。
「囀ってくれるわねぇぇえぇえ……。
いいわ。いいわよ。クソ生意気なアンタを細切れのミンチにしてブチ殺して、死体に唾を吐きかけて、土塗れにして汚物で汚しまくって三日三晩地上で晒し者にしてやるわ。
勿論、私の若さは返して貰うわよこのクソババアが……」
「キャハハハ!!ばっかみたい!!
あたし知ってるのよ?……人形姫エウロピア、父神に可愛がられて人形に囲まれてすごすお姫様。その美しさを見込まれて神の英雄達が奪いあったんだっけ?
けどぉ……その後は……」
「だまれえぇえぇえぇええぇえ!私の可愛いお人形達!!あの羽虫を引きずり落としてブチ殺しておしまい!!早く!!
あの口を閉じさせろぉぉおぉ!!」
ぬいぐるみ達が下知に従い、カミナギリヤさんに殺到する。
空中で手を叩いて囃し立てるカミナギリヤさんを中心に円形の魔法陣が広がった。カミナギリヤさんの魔力の色たる薄桃から一瞬だけ虹色の魔法陣となり、その赤部分に染まるかの如く真っ赤な紅蓮の色となる。
カミナギリヤさんがその手に握ったのは杖だ。どこかハーヴェスト・クイーンを思わせる形状。
「キャハハハ!
応えよ!地に燃え盛る原初の炎よ、汝が身体に這いずる愚か者共を灼き尽くせ!」
魔法陣から放たれたのは赤を通り越して白い炎。部屋の気温がぐんと上がったのがわかる。
揺らぐ空気にカミナギリヤさんの姿が蜃気楼のように揺れた。
人のような姿をとった巨大な炎はその腕を振りかぶり、ぬいぐるみ達があふれる床に叩き付ける。
叩きつけられた床を中心に、炎が部屋を舐め焦がした。ぬいぐるみ達が炎の中に燃え尽き、溶けていく。後に辛うじて姿が残ったのはラプターの自動人形だけである。だが、あれではもう動けやしないだろう。
「おっと。熱いのは苦手なんですけどねー」
ウルトが嫌そうに後ずさった。
どうやら悪霊バージョンのカミナギリヤさんは魔法の方が得意のようだ。
あの杖、形は変わっているものの恐らくハーヴェスト・クイーンだ。
凄まじい威力。あの人形達はなんら特別な力など持っていない普通の人形だろう。
だが、神が扱っている事には変わりがない。それをああもいとも容易く……!
未だ残る炎の中、カミナギリヤさんは笑い転げてエウロピアを指差し、言葉を続けた。
「統合され失われた神話、あなたはそこに書かれてた神族でしょ。
父神が美しい人間を見初めて孕ませた結果産まれたのがあなた。
人間との混血が故に、老いるんだよね?
父神があなたを可愛がって人形を与えていたのも幼いうちだけ!神の英雄達も老いたあなたを見て失望して去っていく!
そしてみんなみーんな居なくなって人形だけの館に住むんだわ!
クスクス……人形姫、人形のお姫様!あなたを愛してくれるのは意思のない人形達だけ!美しさと神の寵愛を笠に着て好き放題してきたあなたに残る人はだーれも居なかった!
神話だとぉ……老いて死んだあなたを哀れんだ、嘗てあなたが蔑んだ美の女神、リレイディアがそれを救い上げるってオチだっけ?
惨めだよねー。本物の女神を引き立てるだけの役割なんてさ!だからあなたは美しい女が大嫌い!花人って美人だもんね?」
ぬいぐるみ達を燃やされたエウロピアに表情はない。真っ白な顔。唇は紫でわなわなと震えている。
ぶちっと血管が切れる音、というものを初めて聞いた。
その腕に抱きこんだぬいぐるみが音を立てて引き裂かれた。
色のない顔で、頬の筋肉をピクピクと引き攣らせながら笑ったエウロピアは感情のない声で呟いた。
「ころしてやる」
彼女の影から狂気のぬいぐるみが溢れた。
ずたずたにされた姿。その綿と布でできた腕には多種多様な刃物が縫い付けられている。悉くその刃は誰のかはわからないが血に濡れている。
そして最後、彼女の影から手を掛ける存在があった。爪を剥がされ指を折られ変形した、傷に塗れた醜い手だった。
「私を愛してくれない奴らなんかこっちから願い下げよ。
けど、あいつらは最後は私を愛してくれたから楽にしてあげたの。
あのクソ女神だけはまだ許してないけど。さぁ。出ておいで。私の可愛いお人形。まだまだ私を虚仮にした償いには足りないわ。
あいつらを殺して。そうすれば今夜は一時間だけ早く解放してあげるから。
もし負けたりしたら、そうねー。そろそろご褒美も欲しいでしょ?
新しい道具があるの。時間を掛けてたっぷりと使ってあげるわ。花人なんか凄い事になったんだから。
アンタも気に入るでしょうよ」
ずぞぞぞと這い出る人型。
私の眼にその名が映った。
名 リレイディア
種族 神性
クラス 美の女神
性別 女
Lv:8000
HP 5000000/5000000
MP 8600000/8600000
リレイディア……。
先ほど話にあったリレイディア、その人だろう。
長くの拷問によるおぞましい姿は嘗て美の女神と呼ばれていたと言われても信じがたい。
頭に被せられている、あちこち釘だのなんだのが打ち込まれている鉄製の仮面の隙間から濁った眼だけが覗いている。
しかし、エウロピアに好きにされるような女神ではない。シルフィード以上の強さだ。
一体どうやって?
疑問に思っていると、ニヤニヤと笑うエウロピアがぬいぐるみ達が刃を突き立て続けるリレイディアを蹴りながら言った。
「あっは、こいつらはね、レガノア様に従わなかった奴ら。
レガノア様に力を奪われ、神話からは消されて私の名だけが残った。今は――――私こそが神話における美の女神よ。何れそうなるわ。
ただ消えるだけの存在だったこいつを私の眷属にする事で救ってやったの。ね、リレイディア。嬉しいでしょ?このブス」
その問いに、ぬいぐるみ達を力なくも必死に遠ざけようとするばかりのリレイディアは答えない。
「嬉しいかって聞いてんのよ。返事しろブス」
エウロピアの視線を受けたぬいぐるみがリレイディアの指をあらぬ方向に捻る。
くぐもった悲鳴を上げたリレイディアががくがくと首肯したのを見て、エウロピアが満足そうに笑った。
「ふーん。美の女神ねぇ。おばさんにそんなの務まるなんて思えないけど。
それに、そのうち存在を喰われるだけじゃない。ばっかじゃないの」
「はぁ?何言ってんのこのババア。
ムカつくわね。汚らしい霞の癖にこの私と口を利くってだけでも我慢がならないってのに。
ブス、早く奴らを殺して」
「何よ。気づいてないんだ。ほんとにバカじゃん。レガノア様レガノア様ってさぁ。全治全能の外なる本物の神があんたみたいな物質界の意識集合体の神なんか必要とするわけないじゃん。おまけに人間との混血で神格が落ちてるおばか。
枯れていく世界、精霊王さえも天使になりつつあるってのに。自分だけは大丈夫だなんてさ。
レガノアの眷属化して人間に存在を喰われるまでそのままなんでしょ。救いようのないバカって居るよねー」
「……何を言ってるの?頭が可笑しくなった?
まぁいいわ。何してんのブス。さっさとして。アンタの大好きな長靴を履かされたいの?楔は幾つがいい?
ああ、もう面倒ね。人形なんだし、使われなきゃ動かないか」
「………っ!!」
跳ね上がるかのようにリレイディアが顔を上げる。
呻きながらも縋るかのようにエウロピアに手を掛けるが、彼女はそれを容赦なく蹴り飛ばした。
「リレイディア、眷属にすぎないアンタに主である私が命じるわ。
身体が壊れたっていいでしょ。壊れてもあとで修理してあげるわ。
戦いなさい。奴らを殺せ。私の前に奴らの死体を引きずって持って来て―――今すぐに!!」
リレイディアの口から絶叫が迸った。
枯れ木のような折れ曲がった、明らかに機能を失っている足でメリメリと音を立てつつも酷使し立ち上がる。仮面の隙間から泡が零れてくる様を見るに自分の意思では無いだろう。
立ち上がった姿を改めて見ればエウロピアの妄執と怨念を一身に受け続けた無残な姿。
捻くれた腕に持ちたるは彼女の神器だろう。白い竪琴だ。それを潰れた指で無理やりに奏でながらも彼女の口からは悲鳴が止め処も無く溢れていた。時折、エウロピアに慈悲を乞う言葉が混じるがエウロピアがそれを意に介する事はない。
まともな音楽とも言えない音と共に展開される幾つもの魔法陣は巨大、そして複雑に過ぎた。
神の一撃、まともに食らえばこちらの命は無い。
カミナギリヤさんもなにやらぶつぶつと呟き魔法を展開している。ウルトも槍を構えているが……どう考えても防ぎきれるものじゃない。
迷っている暇など無い。手元の本を開いた。
「この不細工共がぁ……!リレイディア!!奴らを消し炭にして!!もっと動きなさい、何よその無様は魔法は!?遅いわ!!」
「ぎゃあぁぁぁぁあぁああ!!い、たい、いたいたいたいたいたいぃぃ……!!もう許して、許してぇぇえ!!」
ゆっくりと膨らんだ光が放たれようとするその刹那。
横合いから飛び込む物があった。
そしてそれはエウロピアとリレイディア、二人をその異形の腕で薙ぎ払う。
壁に激突した二人。部屋を満たしつつあった光が霧散して消え去る。
怒りに震えながらも立ち上がったエウロピアは発狂したかのように喚き散らした。
「なん、なの、なんなのなんなの!!人間共は何してんのよ!?
クソッ!ふざけやがってぇぇえ!さっきから私の可愛い人形を……!!
何やってるの!アンタ達は私を愛してるんでしょ!?何を悪魔なんかに……!!」
「無駄な事だ。
それはもう小生の木偶だ。魂源魔法などと狂気染みた……しかも強制的な木偶化など小生としては不服極まりない。使えるものは使うがね」
ぐいと掴んだ人形の頭には幾つもの医療器具が突き刺さっている。
「小生の創り出した道具を小生が頭部と認識できるパーツに取り付けられればその全てが小生の木偶となる。魂源魔法の弱点として霊格の高い者には効かんが。
魂の無い人形ならば問題ない。それに、どうやら君の人形使いとしての能力よりも小生の木偶化の方が能力として上のようだ。君の愛される能力というものは受動的なものだ。
小生の能力は実験た、いや、木偶の意思を無視して及ぶというのが大きいのだろう。不本意だが。君の能力は恐らくだが問題なく人形達に効いている。その意思を小生が縛っているという事だろう。
木偶にするのは簡単だった。それは人間でも変わらん。既に解体したが……残念ながら魔力炉は発見できなかった。
神の依代ならば少しは知識の足しになるかね?」
「こ、この……っ!!」
やけに巨大な一体のラプターの自動人形、その異形の脇に立つ三人。
少々傷だらけだが戻ってきたのだ。
ぽいと解剖されたカエルのような姿の元人間をエウロピアに投げつけている。
どうでもいいがイースさん今実験体って言った。絶対言った。つーか実験体も木偶も同じようなもんである。言い直しても意味はないだろ。
「あ、戻ってきましたね。
って……ああ!!」
直ぐさまウルトから飛び降りて三人に駆け寄り、ルイスによじ登った。
ペドなんかにいつまでも登ってられるか。
「酷いですよクーヤちゃん!」
「うるさーい!ペドラゴンめ!」
カーッと嘆くウルトを威嚇してエウロピアに視線を戻した。
イースさんは人形の頭部を掴みながら、無機質な声で続ける。
「木偶としてしまえば身体を好きに弄くれるというのも便利といえば便利ではあるな。
四体の人形を合成し、少々カスタマイズしてみたのだが。それなりに使えるようだ。少し遊んでいきたまえ」
巨大な人形がイースさんの言葉と共にエウロピアに踊りかかった。
綾音さんがぬいぐるみ達を押し潰す。
カミナギリヤさんも再び魔法を編み上げつつある。
ウルトは指を咥えてこちらを見ている。こっち見んな。
「お嬢様」
「ん?」
ルイスが背中にへばりつく私をそのままに、踵を返す。
降ろされたのは奥の部屋の前だった。扉は閉じられているがここまで血臭が漂ってくる。
「こちらをお納めください。魂も既に解放しております故、地獄に取り込んでしまうがよろしいでしょう」
差し出されたのは赤い石が詰まった瓶だった。
これが賢者の石か。ぼんやりと赤い光を放つ石。床に地獄の穴を設置しそのまま瓶を放り込んでおいた。
自動洗浄の摘みも捻る。ずごごごと吸い込まれる魂。
振り返る。
人形姫エウロピア。
彼女を地獄に落としてやりたいと、そう願う者達が居る。再び耳元で声がした。
「神様、神様。どうかお願いです」
腕輪から吹き上がる黒の炎は既に臨海を超えているかのようだ。
叫ぶ。
「出て来ーい!……えーと、えーと」
「お嬢様、人間にはメデューサと呼ばれておりましたが……悪魔としての名はメロウダリアで御座います」
「メロウダリアー!!」
真っ黒な蛇達が地獄の穴から溢れ出た。
与えられたのはただただ痛みだった。
動けはしないが音は聞こえる。辺りから聞こえてくるのは人間の笑い声と音。
わかっている。自分がこれからどうなるのかなど。恐怖のあまりに発狂しそうだった。動けない動けない動けない。
ほんの少しでもいい。動いてほしかった。そうすれば、何が何でも自分の命を断てる。
初めは指先から。次は足先。徐々に壊されていく身体。
そこから先はまさに地獄だった。解放さえ許されぬ生き地獄。自分はきっと前世か何かでとんでもない罪を犯したに違いがなかった。
胎の中にありとあらゆるものが入れられる。骨を折られ爪を剥がされ釘を打たれ少しずつ輪切りにされる指。足の感覚は既にない。ただ熱かった。
心底興奮した人間の愉悦の声が歪んで反響しくわんくわんと頭を揺らす。
胸部への圧迫感の後、ベギンと音がしてからというもの僅かな呼吸さえも魂に響くかのような苦痛へと変わった。
そして何より耐え難いのは、石だった。
自らの体内で育ちつつある石。骨をへし折り、肉を押しつぶし、神経をこそぎ落とすその存在。
自分という存在が石に喰われていく。少しずつ、少しずつ石で一杯になっていく自分――――。
誰に届く事もない悲鳴をあらん限りに叫びながら、只管に願うだけだった。死を。強く強く、死だけを願った。
目の前が何度も何度も白くなる。がんがんと脳内を音が鳴り響く。やがて世界は極彩色に彩られはじめ、全ての音と感覚は少しずつ遠くなっていく。
そしてぶつっと何かが千切れると共に何もかもが消えてなくなった。
ただ、静かな闇だけが残っていた。
ああ、漸く解放されたのだと。
顔を撫ぜる柔らかな感触に心底から安堵した。
救いの神様が来てくれたのだ。
感覚がないからこそ、わかる。
自分が今、どれほど大いなる存在に包み込まれようとしているか。
ずっと待っていた。
神様、私をもう独りぼっちにしないでください。
幾百、幾千にも及ぼうかという蛇の大群が独特の威嚇音が重なり合う異様な音を立てて集い、形を成す。
むくりと身を起こしたその塊に二つの赤き邪眼が煌々と輝く。
あれは……左右で微妙に色が違う。すぐに気づいた。緋石とオリハルコンだ。それが眼となって輝いている。
「うわっ!」
見上げているとその塊からぼたぼたと蛇が大量に降ってきた。そこらじゅうがしゃーしゃーと鳴き声をあげる蛇だらけである。
降ってくる蛇、そのうちの一匹が見事に頭にジャストフィットしてちょんまげみたいになった。
「…………」
これはこれでオシャレな気もした。だが気のせいだろう。
ぺっと捨てた。
焦げた部屋を蛇がところ狭しと這い回る。エウロピアが悲鳴を上げた。
「きゃあぁぁあぁああ!!蛇!蛇蛇!あっち行って!あっち行きなさいよ!!
気持ち悪いわね!あっちへお行き!行けってんだよリレイディアァ!!何してやがる早く下になりなさい!!」
「うっ、かふっ…!!」
強制的に跪かされたリレイディアの背中を踏みつけ、エウロピアは迫る蛇達から必死に逃れようと足掻く。
リレイディアの砕かれた四肢はまともにエウロピアを支えきれる筈も無く頽れ、ぞわぞわとあっという間に蛇に集られ尽くし、その全身はほとんど蛇に埋まってしまった。
そうなれば背中を踏みつけるエウロピアも必然的に地に這う蛇に集られるのは自明の理である。
悲鳴を上げて這い登ってくる蛇を腕で払い、足を踏み鳴らして蹴散らそうとしているがこの数の蛇から逃れられる筈も無い。
というか蛇を払おうと足でリレイディアの身体でダンダンと勢いよく踏みつけまくっているがその度にくぐもった声と上げつつリレイディアが蛇に埋まっていっている。
足場を低くしてどうすんだ。頭の悪い奴である。
「お」
暢気に見ていたら蛇がこっちにも来た。
足ににょろーんと絡まってくる蛇の顔を見やればつぶらな赤い眼を瞬きさせ、ちょろちょろと二股の舌を動かしている。
引っつかんで顔の正面に持ってきて眺める。ふむ、プリティである。
プリティなのでぱくりと咥えてみた。
「…………」
満足したので離してやる。怯えるように逃げていった。残念な事である。
逃げていく蛇を視線で追えば――――いつのまにやら。蛇達の中心に立つ一人の女性。
長い髪の毛は蛇の鱗のように艶やか、というか蛇だな。
翠の鱗が照り照りと光っている。真っ白な肌に赤い眼。その豊満な身体を大蛇がぐるりと巻きついている。全裸である。大蛇君、もっと頑張れ。
あられも無いところが見えそうだ。
真っ赤な唇の両端をつつっと上げ、私に向かって優雅に内側に片膝を折って姿勢を僅かに落としてみせた。舞踊を思わせるしなやかな動作。
「主様、あちきをお呼びくださりましげにかんしゃ、かんしゃ。
あちきはメロウダリアと申しますほど、すえ、ながーくおみしりおきを。
のちのち、きっちんとご挨拶させていただきますよって。それにしても主様のかわいらしーこと、小さくてふくふく、ほんにかわいらし。ぜひぜひ口に食んでみたいこと」
「お、おー」
思わず仰け反った。予想外である。
なんというのか、砂糖菓子にメープルぶっ掛けて粉砂糖振りかけたような甘ったるい声。
かゆくなってきた。ババババっと顔中を掻き毟っておく。
ウサギ悪魔が口髭を手で撫でつけながら微妙そうな口調で言った。
「メロウダリア。
猫を被るにも程がありますな。お嬢様に良い顔をしようという心は私としても理解が及ばぬではないですが。
普段の君を知る悪魔からすれば耐え難い悪寒を覚えずにはいられませんぞ。それは狐の真似かね?」
「あんら、ウサギさんはあちきに喰われたいとみえる。
猫を被るだなんて、あちきは猫が嫌いでありんす」
「猫らしく蛇が好きのようですからな。
掻き毟られた鱗は平気ですかな?」
「ほ、ほ。ご冗談が過ぎるよって、……ウサギ石にされたいのか」
「ひいっ!?」
ルイスに飛びついた。何だ今の声!?
低い、そう低い。まるで男の声のように。
「あんら。主様、おどろかせてしまってごめんなすって。
わすれてくりゃさんせ、ほ、ほ」
「お嬢様、あまり近づかれぬ方がよろしい。
元になった花人共がそうなのですからな。この蛇にも性別は無いもので。
両方ついてますぞ。それも蛇らしく二つほど。とって喰われますぞ」
「…………」
ルイスに力いっぱいしがみついた。
何それ怖い。
まさかのオカマ悪魔であった。いや、両方ついているという事は厳密にはオカマとは違うのだろうが。
「あはは、凄い悪魔ですねー」
恐るべきオカマを前にしてもウルトは相変わらず暢気である。
「そんなのどーでもいいけどさー。
何とかしてよこの蛇。あたし蛇苦手なのよ!」
「まぁまぁ、主様は変わった生き物を供にされていらっしゃります。
トカゲに虫でござんしょ」
「誰が虫よ!トカゲはトカゲだけど!」
「ええ?酷くないですか!?それ本心ですよね!?」
暢気な奴らである。
綾音さんとイースさんは油断なくエウロピアを見つめている。
うーむ、何より注意すべきリレイディアは他ならぬエウロピアのせいで瀕死である。
このまま押し切れるか?
……いや、何か悪寒がする。何か居る。エウロピアではない。
それに、オリハルコンだ。どこに保存している?
何か武具を作っていても可笑しくない、カミナギリヤさんはそう言っていた。
あちらで助けたのは五人、手遅れだったものの三人。
イースさんの言葉通りなら二十数名居た筈。相当量のオリハルコンがあった筈だ。
それは、どうした。
そもそも、ここにエウロピア一人というのも解せぬ話だ。
使い物にならない人間達。
エウロピアは先ほどから人形しか使わない。
リレイディアが使う魔法はレガノアの魔法とは違った。
だとすれば、花人さん達を無理やりに肉体に留め続けた魔法を使った奴はどこに居る?
思うのと、カミナギリヤさんが悲鳴を上げるのはほぼ同時だった。
甲高い音と共に火花が散った。
「ぎっ……!!」
撃ち落されたカミナギリヤさんが蛇の上にぼてっと墜落した。
腹を押さえた手の平から血が零れる。
「重い……っ!カミナギリヤさん!」
綾音さんがカミナギリヤさんに慌てたように駆け寄る。
床に蠢いていた蛇達が光に薙ぎ払われた。
奥の部屋から現れたのは一人の男だった。欠伸を噛み殺し、寝癖だらけの頭をぼりばりと掻きつつ歩み寄ってくる。
この場にそぐわぬ明らかに寝起きな男である。
「あれ?外れちまった。弾かれたかぁ?
エウロピアちゃーん、なぁにしちゃってんの?」
蛇から解放されたエウロピアはリレイディアを足蹴にしてその人間へと走り寄った。
「遅いわ!!これだから人間は……!!」
「わりぃわりぃ、昨夜はちょっとお気に入りの子と楽しんだからさぁ。
俺ってば寝不足なんだわ。つーかエウロピアちゃん、老けたねぇ~」
「五月蝿いわね!!ぶっ殺すわよ!?」
「出来ない事は軽々しく口にするもんじゃないっしょ」
そう、肩を竦めて笑った男。チャラチャラとした如何にも軽い見た目だが……バーミリオンと同じ気配。
勇者。
その手には何から何まで赤い奇妙な武器。
髪を掻きあげ、怒りに歪んだ顔でこちらを見た。
「んで?花人達を殺しまくってくれちゃったの君達は?
殺すなんてひでぇ事しやがるな。
何してくれてんだよ。まだまだ楽しめたってのに……ふざけやがって。殺すぞ?」
「吼えますこと。主様、あちきにお任せあれ」
「う?うん。
大丈夫なの?」
「この身に燻る炎、それをやつばら、とくとあじわっていただきまひょ」
メロウダリアはそっと、その瞳を閉じた。何かを想う様に。
すぅと息をつき、再び両の眼を開く。
赫々たる石化の邪眼でメロウダリアは目の前の二人を見つめた。
「さぁさぁ、とくとごろうじろ、あちきの邪眼を覗き込むお人はみぃんな凍てつきたもうて石花と成り果て、浮世の終わりを見届けることにおなり申す。
世に二つとない神代の石像。あちきの初めの供物としてまずはそれを主様に捧げましょうぞ。ほ、ほ。
花人の魂があちきを動かす。赤き魂の嘆きと苦痛、渇望を黄泉比良坂辿りたる松明とし、きさんらすべからく地獄へと誘うべし」
「はん、やれるもんならやってみやがれよ。
花人の替わりにてめぇら、少しは俺を楽しませてくれや」
ウルトとカミナギリヤさんは手傷を負っている。
どうする……?
とりあえず本を開いては見たものの、やはり治療に関してはこれといった効果が無い。
つ、使えない……。いや、暗黒神だししょうがないけども。
ふと、ルイスが顔を上げた。
「おや、少々楽観視しすぎましたな。
戻ってくるのが思ったよりも早い。しかしここまで追跡できるとは。魔力の質を覚え、どこまでも追ってくる。
猟犬ですな。今後の為にここで刈り取るがいいでしょうな」
「え?」
「お嬢様、こちらへ」
ひょいと摘み上げられて部屋の隅に投げられた。
直後に降り注ぐは光の弾幕。ルイスが絵画を盾にそれを凌ぐ。
舞い降りるは氷雪の化身。
「……先ほどはしてやられたが。
今度はあのような手は通用せん。
武人としてではなく、レガノア様に付き従う神として、貴様らの命、貰い受ける……!」
「……シルフィード」
「あーらら、シルフィードちゃんじゃねぇの。
どうよ、俺と一夜」
「口を噤め。私も余力は無い。この依代では力は半分も出せんぞ」
「お堅いこって。俺と忘れられない熱い夜を過ごそうぜー?」
「ふざけるな。私にそのような悪趣味は無い、私をそのような下衆びた眼で見るな。穢らわしいわ」
イースさんががっしと全身を蛇に噛まれたままピクリとも動かないリレイディアの頭を鷲掴みながら、無表情に呟いた。
「クーヤ君。君が要だ。自覚はないだろうが今、この場を支配しているのは君だ。
ここは君の領域だよ。君が死ねば我々も抗う事すら出来ず死ぬだろう。乱戦になるが何とか生き延びたまえ」
頭部に頭部穿孔器具のようなものを刺されたリレイディアが立ち上がる。その手に現れる白の竪琴。
其々が武器を携える。
ちょっと待って、言う間なんてありゃしない。
光と共に建物が倒壊した。
「ギャボー!!」
ボッテーンと腹から着地した。
ピヨピヨ。星が回った。
「……はっ!?」
クワッと目を見開く。
無事か!?生きてるか!?
ばっばっと少しだけ身を起こしあたりを見回す。もうもうと立ち込める土煙。
乱戦、イースさんが言った通り、粉塵立ち込める灰色の視界の中、バッギンバギンと金属がぶつかり合うような派手な音と共に火花があっちこっちで散っている。
時折、何かが頭上を掠めるのが非常に恐ろしい。うっかり頭を上げすぎると河童ハゲになるかもしらん。いや、もしかしたらヘタを落とされたスイカみたいになるかもしれない。
車に轢かれたカエルの如く地面に張り付く。
「あわわわわ」
死ぬ、これは死ぬ!あかん!!
本を開いて何か買おうにもちょっとでも頭を上げたらヤバイ。
何かないか、何か!
カエル状態のままポシェットを漁りまくるがクズ石とエキドナの小瓶、飴玉ぐらいしか入っていない。あとは診療所で出した花の種が雑に収まっているぐらいである。
まるで意味なし……っ!まるで全然……ダメ……っ!!
「ぎゃーっ!」
とか何とか思っていると光弾が飛んできた。
ごろごろ転がって逃げる。
哀れ、逃げ遅れたポシェットは蜂の巣と化した。
飴玉やクズ石や種などそのまま入れていた物が周囲に散乱する。な、なんてことを!私の飴玉が!
「ぐ、ぬ…魂が軋む……、力のほぼ全てを失っていながらこれか…!これが暗黒神……!!」
「げっ!シルフィード!」
よりにもよって一番好戦的そうなのが来た。
いかーん!
何やらふらふらとしているが…彼女が弱っていたとて私には勝てるわけもない。
なんとか逃げねば。誰かに彼女をなすりつけねばならない。
誰か居ないか!?なすれそうな奴!
シルフィードはもう目の前だ。
「……だが、この任務、必ず果たしてみせる…レガノア様、我が忠誠、その輝きをとくとご笑覧あれ!!」
振り上げられたのは彼女の腰に下げられたまま抜かれる事のなかった白の剣。一点の曇りも無い白は空恐ろしい程の輝き。
いかん、これは効く気がする。当たったらマズイ!
逃げるのも――――間に合わない!
「受けよ、我が気高き誓いの剣を!白華氷剣、凍てつくべし!!」
「…………っ!!」
耳を劈く次元が撓む音。私の目の前にそれは広がる。地の底から響くような声とも地響きとも付かぬ音と共に黒のクレヨンで書きなぐったようなごちゃごちゃとした模様が空間を食い尽くす。
ギシギシと軋む音を立てながらもシルフィードの剣は、そこで止まっていた。
目の前に広がるその模様とシルフィードの剣が触れる場所はそこから黒の火花を散らし、薄気味の悪い模様をちらつかせている。
「ぐ、我が剣を防ぐか……!ぬ、がぁぁあ!!」
「ひえぇ……!」
少しづつ、少しづつ剣の切っ先がこちらにおりてくる。このままでは押し切られる。
というかなんだこれ。私か?いや、何もしていない。一体誰が?
視線を少しずらしたところで、その存在にすぐに気付く。
いつの間にやら出てきていたらしい。キィキィと魔物達が私の周りで奇妙な踊りをしたり妙に踏ん張ったりしている。
そういや地獄の穴は設置しっぱなしである。こいつらか!
私のポシェットから飛び出した種が成長し、あたりにはぽつぽつと花が咲いている。こいつらがそこから出てくる光を集めて結界を作っているらしい。
「おおー!」
やるではないかお前ら!
頑張れ!頑張ってください本当にお願いします!
半分程の数がキィキィと喚きながらも小さい手を振り回して結界を維持している。
残りの奴らも花の周りに集まって必死にマナを回収しているようだ。
ええい、エネルギー源たる悪魔印の花が足りん。結界のおかげで身体を起こしても平気そうだ。本を開いて種を必死に量産。鬼は外とばかりに投げまくる。
ピョコリンピョコリンとあちこちから黒い光を放つ花が芽吹く。いや、この場合は枯れ木に花をなんとかか。どうでもいい。早く咲くのだ!
「ぬ…っ!?小賢しいわァ!!」
「ギャーッ!!」
シルフィードが剣を引き、再び叩きつけてくる。再び真っ黒な不気味模様が波打った。
「貴様に届くまで一撃を入れ続けるのみ!」
なんという執念!諦めろ!
というか魔物たちがあからさまに疲れ始めている。踊りにキレがない。頑張れ!お前らはやれるはずだ!
だがしかし、既に花からマナを回収している魔物達も疲れたかのように座り込んでいる奴らがちらほらと居た。
もっと必死になれよ!最弱のレベル1のままにしておいた弊害であった。ウオオオ…!
「砕けぇ!!」
結界にヒビが入り始める。あと三分も保たないだろう。
周囲を見回すが、人形の残骸や石化させられた人間が転がるばかりで遠くから音が響いてくるだけだ。
どうにも私はあまり良くない位置に落ちたらしい。
こうなればなんとか魔物に頑張ってもらわねば!
「頑張れお前ら!」
つまみ上げて喝を入れるが顔がないので分からないが明らかにめんどくさそうにした。それぐらいわかる。
なんて奴らだ。役に立たねぇ。
静かにシルフィードが深く身を落とす。下段に構えた剣が恐ろしい程の光を発し始めた。地面がパリパリと小さな音を立てて凍り始める。ウルトの竜槍と同じように見えるがその本質は全くの逆だろう。
私を見詰める銀の瞳はどこまでも真っ直ぐで、迷いなどない。己の剣に絶対の信頼を置く眼だった。
次の一撃で決める腹づもりだ。絶対に保たない。
「うおおおぉおぉ!!」
大きく振りかぶった剣、彼女の全霊を込めた一太刀、白を孕んだ青き清浄な光が天翔ける星のように流れた。
光が結界と鬩ぎ合う。
耐えられたのはものの数秒だ。
大量の蝿でも飛ぶかのような嫌な音を立てて結界がノイズと共に消え失せる。
あ、やべ。
本を開くなど間に合うわけがない。
これは、いかん。
恥も外聞もあるわけない。尻尾巻いて逃げるべき。
立ち上がり、彼女に背を向けようとしたところで第三者の怒号が響いた。
「ガキンチョォォオォ!!伏せろやあぁああ!!」
「!!」
全く知らないその声だったが、従ったのは半ば無意識に近い。嫌な予感がしたともいう。伏せた瞬間、頭をシルフィードの剣が掠めた。河童ハゲになっていないか、本気で心配になったが触ったところ無事らしい。
直後に驟雨が如く、奇妙な弾丸が頭上から降り注いだ。
雨あられと降り注ぐ弾丸にシルフィードが反応できたのは偏にその武人としての力量によるものだろう。
私だったら絶対に反応できなかったな。
「出でよ!」
声と共に彼女の両脇に二つの神器が顕現する。それから射出される光が頭上からの攻撃、その尽くを弾き、ギャリンギャリンと凄まじい不協和音となって響いた。
「ちっ!卑怯くせぇな!」
残った瓦礫から飛び降りて来た男がその両手に握った銃を再び構える。弾丸の装填などしている様子はないが、銃口が瞬きのように断続的な火を噴く。
尋常じゃない数の弾丸が再び放たれた。
信じられないことだがその一つ一つに正確な狙いがあったらしい。先に放った弾幕を彼女の神器の壁に、第二射が彼女が持つ剣の先ずは切っ先。柄。手の甲。
シルフィードも何とかそれに対応しようとしているが……まるで剣そのものが意思を持って踊るような動きで火花と共に弾かれ続け、それに翻弄された彼女は自身がパフォーマンスでもしているかのような冗談のような奇天烈な動きで剣を離した。
「ぐ……!!」
すげぇ。
「ガキンチョ、もっと下がれや」
ぐいっと銃口で頭を小突かれた。
銃口で。
…………。
「ギャーーーーーッ!!」
悲鳴を上げて逃れた。あぶねぇ!暴発したらどうするつもりだ!!
「お、わりぃわりぃ」
ちっとも悪びれていない。
…………誰だ、お前。
サングラスを掛けた柄の悪い男と遅れて飛び降りてきたメイド服を着た異様にゆっくりした動きの女。
見たことの無い男と女。
「おいおいおい、どうすんだよこんなの」
「カグラちゃん、神様よ~?」
「みりゃ分かる。ったく、あっちこっち行きまくって追跡を離れまくるわ追いついてみりゃこの有り様……とんだトラブルメーカーじゃねぇか」
無言でこちらを見つめているシルフィードを前に、男はガリガリと頭を掻き毟った。
名は……カグラ、か。人間だ。ふむ……?
ギロッとこちらを睨んできた。何故睨む。何も悪い事してないぞ。
「……だーっ!くっそ!!こんなもん予定外だ!
何してやがるこのガキンチョ!」
「な、なんだとぅ!?」
「あらあら、まぁまぁ。カグラちゃん。こういう時は落ち着かなきゃだめよ~」
「落ち着けるか!!」
うん、落ち着かれても困る。
ていうか何だお前ら。
「おねえさんたちはマリーちゃんのお使いできたのよ~。
クーヤちゃんをお迎えに来たの~」
「…………」
ほほう。頷く。
考える。吠えた。
「ヤッターーーーーーーッ!!!」
両手を上げてバンザイである。マリーさんだ!マリーさん!暗黒神ことマジカルクーヤちゃんは今日も元気です!!
いやっほおぉぉう!!
「うっせぇ。……おい、あっちの奴らは味方でいいんだよな?」
小突かれた。
銃口で小突くのはやめろ!
「神様以外は味方だー!」
「そっちが敵かよ。逆にしてくれ。……いや、逆でも同じか」
「困ったわねぇ~」
「ちっ……。こういう場合はどうすりゃいいんだ?」
「う~ん、クーヤちゃんに静かになって貰うのに質問を一緒にしちゃうとどうすればいいのかしらね~?」
「どうでもいいだろが」
「じゃあシルフィードちゃんは敵なのね~。クーヤちゃんはどっちなのかしら~。
……あら、そうだったわ。シルフィードちゃんをどうしましょうか~?」
「………アンジェラ、ちょっと口閉じとけ」
「はぁい」
なんだかげんなりする会話をしている。
まぁいい。
シルフィードに向き直る。よし、二人も盾が出来た。
魔物達はヒィヒィと疲れきっているが何匹かは回復してきたようだ。
静かな眼差し。その奥に燃えているのは怒りか。己の手から離れた剣にちらりと視線を流してからその手を掲げた。
「凍れ」
展開される巨大な魔法陣。シルフィードの両脇を浮遊する神器がその本領を発揮する。
シルフィードの元を離れ、周囲をランダムに飛び回り始める。碌に視認さえ出来ない慣性だとか完全に無視した動きはとてもじゃないが反応なんか出来やしない。
目をぐるぐるさせる私の後ろに人間の男が立つ。
「こうなったらしょうがねぇ……。ガキンチョ、伏せてろ」
手の甲に刻まれた奇妙な紋様がぼんやりと光りを放つ。
なんだありゃ。
「この聖銃なら神にも通用するだろ?」
銃口に一つ口付け、男――――カグラは銃を構えた。
その表情に不敵な微笑みを浮かべながら。
こいつらあたまおかしい。
周囲に散る火花。甲高い音と共に地面や壁に穴が開く。バラララと適当にばら撒いているようにしか見えないが、互いにやはり狙いはきっちりつけているらしい。
何せこれだけ撃ち合っていながら互いに未だ無傷。当たりそうな奴は全部撃ち落としているのだろう。アホかこいつら。
口を開けてぽかーんとしていると横合いから銃口が視界ににゅっと入ってきた。
む?
何かを思う間もなくバギャンと目の前で一際大きな火花が散った。
「ひゃっほう!」
ひっくり返った。
「ガキンチョ、そのまま潰れてやがれ!」
「ぐぬぬ」
再びカエルである。カエル化した私の周りで魔物達がぐるぐるとマイムマイムを踊りだした。うぜぇ。
それにしても化け物かこの男。どういう反応速度だ。
一つ一つを視界に捉えているとはとても思えないが……動きを読んでいるというだけでは説明が付かない。
何せシルフィードの神器と来たら見た目には継ぎ接ぎも何もない、ただの白い箱にしか見えないというのに。
動きはてんでデタラメ、速さも一定ではなく回転しながらゆっくりと移動もしたり、と思ったら予備動作もなく一気に加速したりと常に物理法則に喧嘩を売っている。
私が持っている木の枝をちらっと見る。見れば見るほどただの木の枝である。悲しい。
まあいい。とにかくあんなものの動きを予測するなど不可能である。いくらなんでも全てを勘任せ、などという事もあるまい。
と、なればこいつ、冗談でも何でもなく目で見て撃ち落としている。信じられない。人間の限界を超えているだろう。
シルフィードの怒りに歪んでいた表情も今や感嘆するかのような顔だ。
ふむ、顎に手を当てて考えを練る。彼女とは、初対面に近い。だがこう言っては何だがとてもわかり易い。
空中庭園での事を思い出す。
正面から勝負を挑まれれば受けて立たずには居られない気質。小細工や策を弄さず、好敵手として相応しいと見れば彼女自身の力で戦わずには居られない。
良く言えばまぁ……武人らしく、真面目。
目の前の彼女はカグラが人間としては異常極まる力で自分とほぼ互角に撃ちあうのを見て、言ってみればムズムズしているといった所であろう。
そんな彼女だからこそヴァステトの空中庭園で私達と相対していた時にも味方を呼ぶという事を全くしなかった。
この状況を見るに、おそらく今この時ですら単独で動いている。
彼女は、そう。うっかりさんである。それもかなりの。とにかくまあ夢中になると他の事が疎かになる。それでいて戦となればすぐに夢中になる。非常に扱いやすい。
頑固な武人らしく考えるより戦ってどうにかするという事を好み、更に情報と言うものを軽んじる傾向。
空中庭園での邂逅から私達と戦うなどせず、一度完全に振りきったにも関わらずここまで追い付いてくるという追跡能力をこちらに悟られる事なくレガノアの元へ戻っていれば今頃終わっていた筈。それにすら気付いていない。
つまりはまぁ……真面目なバカという事である。うん。
あの様子、既に私の事が頭から抜けつつある。
「クソッ!ファック!!あのクソババア、戻ったら覚えてやがれってんだ!!
なんで俺がこんな苦労しなくちゃならねんだっつの!」
クソババア?
今日はよくよくババアという単語を聞くな。だが恐らく一番若い私には関係のない話である。生後一ヶ月舐めんな。
まあいい。この調子で彼には頑張ってシルフィードの気を引いていてもらおう。しかしメイドさんは何の為に居るのだろう。あらあらまぁまぁと笑っているだけである。いや、私が言えた義理ではないので黙っておこう。
……この銃、シルフィードに効くのか?
今のところ当たっていないのでわからないのだが。
じーっと眺める。ふむ……?シルフィード本人に効くのかと言われれば微妙な。ダメージはあるだろう。だが、かなりの数を撃ち込まねば致命傷にはなるまい。
しかし、本で弄れば結構いける気がする。やってみるか。
本を開く。
商品名 働け奴隷
奴隷を牛馬の如く働かせます。
武具と肉体に暗黒神の加護を付加し、奴隷を強化します。
奴隷の個体能力と武具によって効果時間と値段が変わります。
奴隷は後日、筋肉痛と魔力痛により動けなくなります。
迷うことなく購入。犠牲になーれ。今から祈っておいてやる、ナミアミダブツ!
ついでにもう一つ。まさかのセレブ買い、同時購入である。
商品名 控えおろう
指定した相手の防呪圏の破壊、神器の一定時間の封印。
封印できるのは神器のみなので注意が必要。
シルフィードの結界が砕ける。飛び回っていた神器が蜘蛛の巣に絡め取られたが如く失速し地に落ちた。
「しまっ……!!」
「ざまーみろ!」
シルフィードの砕けた結界と封じられた神器に不思議そうにしながらもカグラがその隙を逃さず、両手の銃をシルフィードへと向けた。
「……何だか知らねぇが、そこで這いつくばっててくれや!…………あ?」
カグラの不思議そうな声。トリガーを引かれた銃から弾丸が放たれる事はない。
……ん?
おや……聖銃とやらの様子が……?
何か、揺らめく黒の光がぞわぞわと両手の銃へと集う。光は銃身に吸い込まれるかのようにして消えていく。吸い込む度に色がどす黒く染まっていく。
その様子はそう、まるでエネルギーをたらふくチャージでもしているかのような。
「―――――――」
カグラが何か言った。だが、なんと言ったかはわからない。
銃から放たれた光をも吸い込む黒の魔弾に飲み込まれ消失する空間。
亡者の呻き声のような音が辺りに反響し響く。
その半身を闇に飲まれ、崩折れるシルフィードの姿が微かに見えたが、それもすぐに黒に塗りつぶされ何も見えなくなる。
上も下もわからぬ程の次元の歪み。こ、これは……!!考えるまでもない。やり過ぎである。
「ギャワーッ!」
悲鳴を上げた。近くに立つカグラのコートの中に隠れる。撃った張本人とは言え、立っていて大丈夫なのだろうか?
上半身が無かったらどうしよう。恐ろしいことを想像してしまった。
多分大丈夫だろう。多分。そういや加護を与えたのは銃だけではなかった。それで平気そうに立っているのか。いや、多分呆然としているのだろうが。
兎にも角にもこのコートの中でやり過ごすしかない。メイドさんは大丈夫だろうか?後ろに立っていたのだし、彼女も大丈夫だとは思うが。
大気の震えが収まったのはどれ程耐えた頃だったか。
コートからひょこっと顔を出す。闇が蹂躙し尽くした後。スプーンでくり抜いたかのようにカグラの立つ場所から前は一直線に建物どころか地面までも綺麗に消滅している。遠くには大穴が空いた崖。真っ黒い穴はどこまで続いているのかも分からない。
シルフィードは、……居た。
だが、長くは持つまい。肩口から先、肉体の三分の一を失った彼女は力なく大地に膝を付き、動く様子がない。
よし、いける。
あの肉体は依代と言っていたし、肉体をどうこうしたところで彼女自身がどうにかなるとは思えないが……。
ルイスが言っていた通り、彼女にレガノアの元に戻られては困る。ルイスに絵画を使ってもらうか、もしくはメロウダリアになんとかして貰うか?
辺りを見回す。土煙はだいぶ收まってきている。あの二匹、まだエウロピアとあの勇者を相手にしているのだろうか?ここに居た人間達はその辺に石になって散乱している。生き残りが居るとも思えない。残っているのはエウロピアと勇者だけだと思うのだが……。
あちらにはカミナギリヤさんとウルトは手傷を負っているからともかくとして、悪魔二匹に加えて綾音さんにイースさん、イースさんに良いように使われているリレイディアが居るのだ。
だというのに、こちらに戻ってくる様子がない。そこまでの二人とは思えないが……。
エウロピアは悪魔に敵わないだろう。と、くれば……勇者のほうが厄介だったのか。フィリアが居ればアイツの事も知っていたのかもしれないが。
ちらりとシルフィードを見やる。どうする……?
考えていると、空気がかすかに揺れた気がした。
「……?」
気のせいか?
呆然と自分の銃を見つめていたカグラが弾かれたかのように顔を上げた。
「…………っ!!伏せろてめぇら!!」
頭上から飛来した何かをカグラの黒い弾丸が撃ち落とした。
それを皮切りに次々と何かが降って来る。
多くの人形達と、舞い上がる、白の羽根。
私達の四方を囲む、人形達とそれは白い獣であった。虎のようにも見えるが……羽根を生やした獣なぞお目に掛かった事はない。
ただの獣ではない。
その中心に立つのは、奇妙な奴だった。天使、に見える。
そして真白の光り輝く羽根が舞う中、ケラケラとした哄笑が響いた。
声の出処は、シルフィードがいた場所。
振り返る。
「こういうの棚ぼたって言うのかね~?
俺ってば日頃の行いがいいからねぇ。シルフィードちゃん、君はもう俺のモノだよ」
「……う…が…」
うへぇ。思わず顔を顰めた。ぐちゃぐちゃと蹂躙される身体。大地が見る間に紅に染まる。
「ちっ……趣味がわりぃな。
撃ち殺すか?」
「あらまぁ、カグラちゃん。彼、強いわよ~?」
「……だろうな。あいつ、神族を喰いやがったな。
ありゃあ守護天使……通りで、あー、かなりデカイ神族を喰ったなアイツ……!
眷属の召喚か。大精霊まで従えてやがる。厄介だな……!!」
神族を喰らう?恐ろしい奴である。
アイツ、思ったよりも厄介きわまる奴だった。ここに来て敵の手勢が増えた。
どうしたものか。肉体と武具の強化があるとはいえ、カグラ一人には荷が重い……!
「シルフィードちゃん、後でたっぷりと俺と楽しもうぜ。時間はいくらでもあるからさ。
花人と違って魔法なんか掛けなくてもシルフィードちゃんは頑丈だろうし、楽しみだねぇ?」
苦痛に呻くシルフィードの身体が少しずつ勇者に喰われていく。異様な光景だった。勇者の影に飲まれるようにシルフィードの身体が少しずつ沈んでいく。
沈んでいる、というには語弊があるか。咀嚼されている。ばつんばつんと肉を断ち切る音。
カグラが忌々しそうに呟く。
「力を取り込みやがるか。もう一人の神族も喰われたか?」
もう一人の神族……エウロピアか。
周りを取り囲む人形。エウロピアの人形使いの能力か。どうやらマジで能力ごと取り込めるらしい。
「困ったわねぇ」
「あわわわわ!!」
「ファック!!手が回らねぇ!!」
よもやこれまで、ナムサン!
必殺のクーヤちゃんローリングサンダーをお見舞いし派手に散ってやろうかと思った直後、私を呼ぶ声があった。
「お嬢様」
「お」
「すみません。眷属に梃子摺りました。ですが、かなりの数を駆逐できたと思います」
「エウロピアは喰われた。依代を解体し損なったな。リレイディアも壊れてしまった」
「あれ?知らない人が居ますねー」
「……何よ、変な奴らね」
「おおお、者共、よくぞ戻ったー!」
両手を振り回してヨダレを垂らして喜んだ。
生きる望みが湧いてきた。全員戻ってきたのだ。
よしよし。
しかしカミナギリヤさんとウルトは……やはり戦えまい。平静を装ってはいるが、かなり顔色が悪い。
大丈夫であろうか?
メロウダリアが半分石化しつつある恐怖の声を上げる人間を引きずりながら獣たちを睥睨した。生き残りが居たらしい。
だが、ものの数秒で最後の生き残りは居なくなった。手を合わせとこう。
地獄にウェルカムしといてやる。地獄で花人さん達がやんやと両手を上げて大歓迎している気がするし、どうせ碌でもない男だろう。成仏してくれ。
「さぁさ、あちきの目を見や。雑魚に用はあらしまへんえ」
メロウダリアに怯えたように後ずさる獣達。メロウダリアの抗いがたい力を孕んだ声が響く。
「見よ」
石化の魔眼が猛威を振るった。
そしてそれが第二ラウンドの合図となったのである。
じっと勇者を見る。名はレイカード、神喰らいの男。
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