白亜の棺にて

「すぴょぴょぴょ…」


枕抱えて夢の中。久しぶりだなー、こんな感じの夢。

誰かの意識に入り込んでいるかのような、遠くから眺めているかのような奇妙な夢。

私は誰かと話しているようだ。誰かは分からない。見たことのない女性だ。うーむ、誰かに似ているな。

その瞳には憤怒。

何やら無茶苦茶に怒っているらしい。宥めとこう。どうどう。

考える。何をそんなに怒っているのであろう。いや、怒っている理由は分かっている。彼女にはそれだけの理由がある。疑問なのはそこではない。

前に会った分を弁えぬ程に命を求めた男もそうだったが。

恨めしいのならば、怒っているのならば、それを成せばいいのだ。彼女にはそうするだけの理由もあるし、力もある。目の前で銃を構える男を殺せばいい。その為に来たのだろう。

なのに何故。

憎悪と憤怒に飲み込まれた彼女は何故、静かに泣くばかりなのだろう。

光に侵食され枯れるばかりの絶望の世界。その中で彼女は声無き嘆きを叫んで絶望からの救済を求めていた。




「むぐ」


起きた。ベッドから落ちていた。

もそもそと立ち上がってベッドに戻る。時刻は未だ深夜だろう。窓から見える外はまだ真っ暗である。庭でぼんやりと光る例の花が見える。

もうちょっと寝るか。転がって枕を抱え直す。もう離さないぞダーリン。足をみょーんと伸ばしてふむと一つ息をついて思考を巡らせる。

この珍妙な夢。なんとなく察しがついている。

ギラリと推理漫画の如く目を光らせる。嘗て暗黒神だった存在。そいつの記憶だと私は睨んでいる。

私は暗黒神として生まれたわけだが。以前にこの神であった存在はどこに行った?

神とて死ぬと言っていたアスタレル。死んだのか?

レガノアに殺されたのか。ごろんと寝返りを打つ。ダーリンは離さない。だが、死んだというには酷く時間に間がある。暗黒神とは役職なのだ。暗黒魔天様がもしかしたら他の魂を暗黒神にしてくれるかもしれないと言っていた。

だと言うのに、長らく空白だったのは疑問が残る。死んだのならば次がさっさと生まれただろう。最初に私が死んだ時、僅か一ヶ月で生まれなおしている。何か特別な素養が必要、という可能性もないではないが…それならば他の魂を暗黒神にしてくれるなんて話が出てこないだろう。そもそも私を見るに特別な素養なんて臍で茶が沸く。

私が生まれた時、既に悪魔は消滅の危機だったのだ。マリーさん達もかなり前から暗黒魔法が使えなくなったと言っていた。かなりギリギリまで不在だった事になる。悪魔達。あいつら何か隠している。問い詰めたって喋りゃしないだろうがそれぐらい分かる。イースさんもそうだったが…何かある。

私が思うに…生きているのではないだろうか。今もどこかで。いや。もしかしたら本当にレガノアに取り込まれたのかもしれない。

アスタレル達は自分達が消滅する寸前まで彼女を諦め切れなかったのではないだろうか。それならば私をなんとなーく馬鹿にしているのも頷ける。私がレベル1な理由、ウロボロスの輪、先代の存在が原因ではないか?

あいつらは私を馬鹿にするような仕草をしつつ、どこか期待しているかのようだ。助ける必要の無い場面でちゃっかり手を貸してくる。何か、私に縋るかのように期待しているのだ。

暗黒神として神域を広げるという目的の最中、私に何か成し遂げさせようとしている。レガノアをぶっ飛ばす?……いや。そうではない。それはあくまで手段だ。目的ではない。

悪魔達は先代を諦めて私を暗黒神とする事を是としているのだろうか。否。これだ。諦めてはいない、未だに。消滅する寸前まで捜し求めていたのであろう存在、悪魔達はきっと今も彼女を想ってその帰還を願っているのだろう。マリーさんがそうだったように。意外や意外、それなりに義理堅いあいつら。

私は思うのだ。この暗黒神からの解放。一番手っ取り早い方法を。

先代を見つけ出せば、もしかしたら。――――きっと、皆幸せになれるのだろう。

彼女を見つけたその時、私がどうなるのかはわからないが。恐らくは元来あるべき場所に還るのだろう。それでいい。あいつらの命を懸けた願いだ。叶えてやりたい。

光は人を救わない。人の願いに応えるのはいつだって悪魔だ。その悪魔の願いならば、私が叶えなくてはならんだろう。全く、仕方の無い奴らである。




「酷いものだな。廃棄するしかない」


「…………」


簡素なベッドで正座である。

寝てる間にあまりにもダーリンを離さなかったせいか。

ダーリンは私の涎塗れでずたずたになっていた。噛み跡に爪の跡、涎の跡で酷いもんである。ていうかこの爪の跡は私か?

危ないのでお留守番を言いつけたパンプキンハートも居ないので私しか居ないのは確かだが…ちらっと左腕を見る。色の違う腕。……触手機能はない左腕っぽいもの…いや、考えると怖いのでやめとこう。


「縫い合わせれば……」


「繕った所で使えん。患者を殺す気かね。君の涎と瘴気と呪いを吸い込んで枕に見えるが最早枕とは言えんよ」


しずしずとお金を差し出して弁償した。イースさんの勧めで枕は地獄に廃棄処分した。まともな手段で処分すら出来ない代物になっていたらしい。

前々から思っていたが腕といい涎といい、私の身体の一部ってなんで私より強いんだ。納得いかねぇ。


白い霧に覆われた鬱蒼とした森。

夜明けと共に診療所を出発した。


「凄まじい霧だな」


「もうちょっとですよー」


かなり低い高度を飛ぶウルトはきょろきょろと辺りを見回している。

ウルトのもうちょっとは信用ならないので話半分でいいだろう。

上から見ると霧が雲のように見える。さて、花人か。カミナギリヤさんが言っていたように、かなりの警護体制だろう。

何せ滅んだと思われていた伝説の鉱石を生み出す種族である。人間達だって逃したくはあるまい。ついたら直ぐにルイスを召喚しとこう。

メガネタッグはあれやこれやと話し込んでいる。仲がいいな。

あまりスピードは出していないので本も開けるぐらいだ。

ぱらぱらと捲った。ふむ。何か戦闘準備をしておくべきだろう。魔力はたんまりある。昨夜吸い込んだ分はまだ取り出し作業が終わっていないが…それを差し引いても十分と言えるレベルだろう。


「あ、着きましたよー」


「なにぃ!?」


ウルトの癖に正確な事を言ってやがった。慌ててみれば、まだ少し距離があるが確かに巨大な穴。

その中心に霧からぴょこっと顔を覗かせる巨木がある。


「かなりの力を感じる。神族が居るな」


「えー…」


神族…つまりシルフィード並みの人が居るって事か。嫌だな。

しかも彼女の時と違い、逃げればいいってものじゃない。

ウルトは静かに窪地全体が見渡せる切り立った崖に着地する。各々バラバラと飛び降りて眼下に広がる霧の海を眺める。

うーむ。何か建物があるな。なんというか…ヴァステトの空中庭園とは正反対な建物だな。近代的とでも言うのか?

ヴァステトの空中庭園のように異常な力で作られた物質としてまともではない建造物とは間逆の性質。

白い壁。あれは…コンクリートでは?

そのように見える。イースさんの言うところの秩序と調和の建物と言ったところか。誰が作ってもああなるという手法で以って作られた物だ。なるほど、並列化か。

窪地の中に砦と言っていいであろう程の建物を作り上げている。と言ってもまだまだ鉄筋が丸見えで建設中のようだが。まぁ二週間じゃな。

何か…巡回しているな。兵士か。


「気味が悪いな。何だあれは」


「……全く同じ経路をずっと回ってますね」


「ふむ、経路どころか動き、スピード、全てが繰り返しの同一動作だな」


「あー、すっごい昔に見たことありますよアレ。何だったかなー」


……なんで見えるんだ?相当距離があるのだが。

じーっと目を凝らして見る。見えるわけがないと思っていたが見えた。

流石神様ボディである。見ようと思えば細部まで見えそうだ。ふむ。……姿はともかく、名前も何も見えないな。アレだ、黄金ゲルの神域、そこに囚われていた冒険者達に近い。

しかも全員同じ顔だ。不気味な。見た目は幼い少女のように見える。悪趣味だな。

ウルトがうろ覚えと言った面ではあったがようよう何とか思い出したらしい。ぽんと手を打った。


「思い出しました。ラプターの自動人形ですね。遺跡をずっと守ってるってだけの奴らですけど…どうやって連れ出したんですかね」


「自動人形……ふん。人形か。道理で」


「どうしましょうかねー?

 確か守りに関してはかなり厄介だった記憶がありますよ」


「同じ経路を回っているだけならば何とでもなるだろう。所詮は人形、プログラムされた動きしかしない。

 小生が先導しよう」


言うが早いか。イースさんは白衣を翻しまるで小さな段差でも降りるかのようにメガネを押さえながら軽い調子で飛び降りた。

断崖絶壁。眼下に見える霧と樹の海は遥か霞んで高低差など分からぬ一枚の絵にしか見えないレベルである。どれ程の高さがあるかなど言うまでもない。

呆気にとられるとはまさにこの事。フィリアとおじさんの替わりと言っていたが…あの二人はそんな崖から飛び降りたりしないぞ!?


「クーヤ殿、絵画の悪魔を召喚しておいた方がいい」


「うぇっ!?え、あ、はい」


慌てて地面に地獄のわっかを設置。


「出て来いルイスー!」


ぴょんっとウサギが飛び出す。

ウサ耳をもにもにとウサギハンドで折っては揉んでウサポジションを直している。


「お嬢様、中々に悪魔使いが荒いですな。

 この老体に鞭打つ所業ですぞ」


「どこがさ!」


「行くぞ!!」


「はーい」


「行きます!」


駆けるかのように崖へと飛び込む。空中へと身を躍らせた瞬間、崖にぶつかるのであろう強風が下から吹きあがりほんの僅かだけ身体が浮いた。

無論、浮いたのは極々刹那の時間だ。その浮遊感、それすらも消えればあとは落下する感覚しか残りはしない。

ひゅおっと切り裂く風の悲鳴が耳に痛い。

髪の毛が巻き上がり非常に邪魔である。あと普通に怖い。ルイス、その弾力ばっちりな毛皮でしっかり私を受け止めるんだぞ!死ぬからな!

見回せばカミナギリヤさんが腕組したポーズで直立不動で落ちている。覇王か。

先行して落ちるウルトは手に持ったアブソリュートゼロで切り立った崖から時折突き出ている岩を落ちながらも器用にこそぎ削り落としている。多分後ろに続く私達の為だろう。意外に気が利くな。後続たる私達に空に放られた破片が今にもぶつかりそうなのは目を瞑ってやる。

綾音さんは恥ずかしそうに片手でメガネを押さえながらもう片手で必死に風に煽られてばさばさと捲くれあがるスカートを押さえている。

む。その姿を見て自分の身体を見る。

昨夜買っておいた縦縞の毒々しい奇抜な服は見事に捲くれあがって絶景かな。ぱんつ丸出しである。今気づいたがぱんつに三つの抽象的な目の模様がある。キメェ。

まぁいいけど。神様たるものそんな瑣末な事は気にしないのだ。


「お嬢様、少しは慎みを覚えて頂きたいものですな。

 そのお子様用のかぼちゃぱんつはお嬢様にお仕えする私共としても聊か恥ずかしいものですので仕舞っておいた方がよろしい」


「うっせー!かぼちゃぱんつ馬鹿にすんなーい!」


どうせマリーさんのようなレースふりふりオシャレ下着には適わないわい!


見上げるは真白の砦。窓一つない建物、その内部を窺う術は無い。

どうにも結界が張ってあるらしい。透視能力なる力を持っている綾音さんも見えないようだ。便利そうである。くれ。

内心で無いものねだりしつつ隣に立つウサギに尋ねる。


「ねーねー、ルイスは瞬間移動みたいなの使えないの?」


「お嬢様、世の理を捻じ曲げるが悪魔の本質でございます。

 空間変質など悪魔にとっては造作も無い事。

 このルイス、この程度の結界を抜けるに何ら問題はありませんな。……ですが、悪魔の魔法は特異なもの。この地の神族に探知はされましょう。

 今回の目的を思えばここは原始的且つアナログな方法がよろしいでしょうな。神族以外に何が居るかもわからぬこの状況、それを思えばこちらの存在を最初の一手で知らせるは愚策。

 先んじて場所も分からぬ、何人生き残っているかも分からぬ花人共を人質に取られては厄介。

 一所に纏め置かれているとも限りませんからな。情報を集め、先に花人共を残らず解放し、先ずは後顧の憂いを断つのが望ましいでしょう」


「ちえっ!」


楽が出来ると思ったのに。残念な事である。


「その通りだ。誰に知られる事も無く迅速に。花人を解放しこの地の神族、その首を掻き取るのが望ましい。小生の患者の為、依代を少し解体させて貰おう。

 …この辺りでよかろう」


狂気の高さを誇る塀もこのメンツに掛かれば障害にもならないらしい。

皆さんトントンと壁を蹴るように軽い調子で登っていく。むむ、負けてられない。私より縮んでいるウサギ悪魔にしがみつく。


「よし、しゅっぱーつ!」


ひとっとびで頂点まで登り詰めたルイスは嘆息と共に呻いた。


「お嬢様、随分と肥え太りましたな。物質界の食物が珍しいのは分かりますが少しは慎んだ方がよろしい」


「ムギィィィイィ!!」


けしからん事を抜かしたウサギ悪魔のウサ耳をまとめて引っつかんでぎゅーっと引っ張ってやった。

痛いですぞ、などと言っているがY字型の鼻をひくひくとならしてどうでもよさそうに目を閉じているツラを見ればあからさまに何も感じていない。クソッ!!


「緊張とは無縁のようだな。

 結構な事だ。必要以上の精神の強張りは反応速度の低下と体力の低下、集中力の散漫、判断能力の鈍化を招く。

 では、行くとしよう」


壁上から砦の全容を手早く確認したイースさんが静かに降りたつ。

それに続くように飛び降りた先。目の前に倉庫のような建物。その壁に張り付くかのようにして隠れる。……誰も居ないな。というか誰も居ない場所を選んだのか。

ぴょこっと顔を出す。


「うーむ」


やはり例の人形達が巡回している。

本丸とでも言うべき如何にもな建物。建設中だがかなり大きい。

ささっと壁から壁へと移動しながら辺りを見回す。やはり近づくほどに警備は厳しくなるようだ。内部などどれ程のものか。


「あちらから入るとするか」


「おー」


倉庫が立ち並ぶ向かい側、建物内部へと続く小さな入り口。無論、その扉の前には人形が一人。

付近にはぐるぐると同じルートを延々と巡回し続ける人形達。イースさんはタイミングでも計るかの様に人形達の動きをじっと見つめている。

一定の速度で歩き続ける人形達、頭上の建物、近くに、遠くに立つ人形。それらをじっくりと観察し、やがて考えを纏めたらしく指をコキコキしながら立ち上がる。


「先ずは扉前の人形からだな」


通路の向こう、巡回する人形が建物の影へと消える。警備の隙間、ほんの僅かな死角。

その瞬間、刹那の隙。それを逃さず風の様な速度で目の前に立っていた人形の背後を取り頭と顎を軽く押さえたイースさんの手がまるで手品のような鮮やかさで動いた。

力など殆ど込められていないと分かる軽い動作。軽いと言ってもその速度は視認できるものではないが。

パキャン、捻られた人形の頭がぐるんと逆さに回転する。そしてそのまま崩れ落ちた人形を物陰へと音も無く引きずり込んでくる。全工程で三十秒も掛かっていないだろう。

やけに手馴れていた。というか手馴れすぎである。恐ろしい程の手際の良さ。


「…………え?医者?暗殺者の間違いじゃなくて?」


暗殺者じゃなきゃ特殊部隊である。


「そんなわけが無いだろう。小生は医者だ。

 これはただの特技というだけだ」


暗殺を特技とする医者とかギャグにもなっていない。

カミナギリヤさんが薄気味悪そうに人形を見つめながら尋ねる。


「大丈夫なのか?

 壊してしまっては何れ気付かれるのではないか」


「問題ない」


どすっと人形の頭にイースさんの指がねじ込まれた。側頭部付近の輪郭が歪む。

そのままぐりぐり。


「ひぃ!?」


がくがくと痙攣する人形の穴と言う穴から粘液が噴き出す。

壊れたテープのように口から意味の無い言葉の羅列が零れる。


「ラプターの自動人形と言ったか。造りは単純なものだ。量産型の為だろう。

 弄るのは容易い」


「ふむ、この出来ではラプター作とは思えませんな。

 型番も無いとなるとラプター本人の没後に造られた模造品かと。

 いやはや、無粋な物を造る」


「へー。この人形にそんな違いなんてあるんですか?

 僕が見たのとも全部一緒に見えるんですけど」


「見た目は全て同一規格でございますよ。ラプターの妄想上の少女を模した外観、これはどの型番でも変わりませんので。

 違うのはその性能ですな。ラプターの精神状態によって人形の出来栄えは大きく左右されるものでして。中でもずば抜けて価値が高いのは父親に犯された後の数日間、この時期に造られた人形は悪魔の中でも特に最高傑作と呼ばれておりまして。私も感嘆したものです」


「ほほう」


しげしげと人形を眺める。贋作、という事になるのだろう。私にしてみれば十分な出来に見えるが。見た目だけならば殆ど人間と変わらない。

ぶにと頬を突いてみた。粘液がついた。ばっちぃな。その辺に突っ立っているウルトの服の裾でこっそり拭いておく。よし、綺麗になった。


「こんなものだろう。立て」


イースさんの声に応えるかのように、がくがくと痙攣しながらも人形は立ち上がった。顔付近は酷いものなのだが。大丈夫なのか?

……いや、顔だけじゃなくて動きもやばいな。見ていると夢に出てきそうだ。


「この程度の造りの人形にまともな視覚と思考能力などあるとは思えん。命令外の動きの検知と音、互いの信号でのみ外界を認識しているのだろう。動いているのならば問題はない。

 見た目は人間だが性能そのものはただの自律カメラに等しい。本人達に侵入者どうこうの判断能力は無い」


「ふむ、中々の手際でございます。

 医者をさせておくには勿体無い所ですな」


「小生は元からあるものを弄くるのは得意だが1から造るのは性に合わん。

 特にこういった芸術方面の物はな」


「それは残念」


「もう二、三体ほど弄る。

 一体だけでは意味が無い。少し待っていろ。五分で戻る」


「はーい」


返事はしたものの、五分?

それだけで大丈夫なのだろうか。問う暇も無い。するっとイースさんは建物を伝うパイプを掴んで体重など感じさせないような動きで姿を消した。

ふむと頷く。

暗殺者じゃないな。忍者だアレ。


「凄まじいな。あのような動きをする者は初めて見る」


「そうですねー。魔法でも何でも無いですね。単純な身体能力ですよ。力の使い方と身体の動かし方が異常に上手いんですね。あれじゃあ神族の探知にも引っ掛かりようが無い。

 医者って全部あんな感じなんですかねー」


「認識を改める必要があるな。医は塵術なり、医者とは即ち人体に精通し、気孔を練り、水面に波紋をも立てぬ動きにて敵を絶命せしめる静の武を極めた者の総称なのだな」


「いえ、違います」


綾音さんの突っ込みが冴え渡っていた。

コントをスルーして入り口に立つ人形を見やる。相変わらずがくがくしているが他の人形達が騒ぎ立てる様子はない。どうやら本当にまともな判断能力というものは無いらしい。

これならば時間も稼げるだろう。きちんとした生きた兵士が来ればすぐさまバレるが。どうにも生きた兵士は居ないようだ。建物の中の方には普通に居るかもしれないが、少なくとも外には人形以外は居ない。

恐らくだが外部からの敵を警戒するよりも内部からの脱走の方を気にしているのだろう。外など人形で十分という事だ。

まぁよくよく考えればギルドマスターである綾音さんも把握していないような隠れ潜んで生きながらえていた花人、おまけに西大陸といえば現在進行形で弾圧の真っ最中である。

外敵など考えても居ないのだろう。イースさんが居なければ花人達はその存在すら知られる事も無く伝説の鉱石を採取する為の道具とされ続けていた筈だ。私達のような外敵が来る事がそもそも想定外なのだろう。

地獄のわっかがふと視界に入る。

ルイスを呼び出す為に地獄の穴を設置した時には自動洗浄は使えなかった。が、だからと言って死んでいないというわけではない。

話を聞く限り、眠り状態というものは死んでいるわけではないからだ。眠ったまま、精神を破壊し尽くされその魂を消滅させるのだ。自動洗浄で魂の取り込みなど出来はしない。

……集落に居た住人達のうち、何人がまともな人の形を保ったまま生きているのだろうか。


「戻った」


イースさんが戻ってきたのはきっかり五分後の事であった。


「守備はどうでした?」


「東側の人形を二体、建物上部の人形を一体。

 視界には入らんだろうが念の為に近場の倉庫の警護をする人形を一体弄っておいた。十二、三分ほど監視の空白を作った。侵入には十分だろう。

 綾音。鍵を開けておいた方がいい。鍵を開けるのに手間取っては面倒だ」


「そうですね」


綾音さんがすっと目を細める。


カチャン。


ドアノブがひとりでに捻られ、開錠を告げる小さな音が響いた。

目の前に立つウサギ悪魔のウサ耳を握りこむかのようにして掴み、しゅしゅしゅと根元から先端へ両手で交互に擦りまくった。摩擦熱で気合を溜めるのだ。毛が散った。

私の無体にもルイスは相変わらずどうでもよさそうにしている。

中々にホットになった手をすりすりとハエの如く擦り合わせて音を立てない程度に手を打ち合わせる。

うむ!

気合は十分。いざ、人間の欲望を塗り固めた白の石棺へと潜入開始である。


「ささっ!」


しゅたたたとダッシュで潜入しようとしたがあっさりと襟首を掴まれた。


「うぎーっ!」


暴れる私を物ともせずにイースさんは辺りを見回している。

それを見て私も同じようにばたばたと両手両足を振りながら見回してみた。

内装は外観に反して実にまぁ適当な事である。鉄筋は丸見え、ぴちゃんぴちゃんと何処からとも無く水滴の音。

地上の筈だが受ける印象としては地下牢に近い。よくよく見ればあちこちに謎の文字と紋様。


「綾音。何か見えるか」


「いえ、ノイズが酷いです。多くの強い感情が邪魔をしてチャンネルの切り替えがうまくいきません」


「…気持ちが悪いな。何か壁に細工がしてあるようだ。惑わしの呪か何かだろう。

 あまり見ないほうが良かろう」


「うえー。頭が痛いですよここ。キンキンします」


ふむ。ばたばたするのは疲れたのでやめて熟考する。

近くに生きた人間の存在は感じられない。

この入り口は建物の半ばほどの高さに位置している。ここから選べる選択肢としては上階と下階があると言う事だ。

下か、上か。どちらから向かうべきか…。ぶらさがりながらごそごそとポシェットを漁ってテテーンと枝を掲げた。

掲げてから枝を倒しても上と下は分からんという事に気づいた。無言で仕舞った。


「クーヤ君。直感で答えたまえ。君の部屋は何階にある?」


「三階!!」


考える前に口が元気いっぱいに勝手に答えていた。

ん、変な質問だな?


「三階だけかね?全員纏め置かれているか。では階段を探すとしよう」


行き先ルーレットだったらしい。

適当すぎだろ。

ルイスがぴくぴくとウサ耳を動かし鼻をヒクつかせ、ふむと頷いた。


「人間の気配がいたしますな。このフロアに五名程。人形が七体程」


「え?居るの?」


居ないと思ったのに。

視力が落ちたのだろうか。視力と言っていいのかは知らんが。


「ただ武装したというだけの人間ですからな。お嬢様の視界には入らないのでしょう。

 獅子が蟻に気付かぬのと同じことでございますよ。物質的に視界にも入っていない上にお嬢様の興味が向いていないせいで殊更に」


「ふーん」


よくわからんが役立たずの太鼓判を押されたという事だろう。


「空気の流れが僅かにする。

 そちらへ向かうとしよう。人間は避けるぞ。人形も今は弄るのは得策ではない。面倒だ」


静かに、手探りしつつ慎重に一行は進む。時折イースさんが壁に耳をつけるのは音を探っているのだろう。

私はイースさんの手を離れたのはいいが今度は省エネモードをやめたルイスに摘まれている。ぶらぶらしながらの移動である。

勝手にどっか行くかららしい。行かないわいという抗議は黙殺された。

しかし、静かだな。足音がである。

五人という大所帯にも関わらず、無音。

直ぐ近くに居る筈のルイスに至っては足音どころか衣擦れの音すらしない。

多分このカルガモ部隊は私の預かり知らぬところで暗殺集団か何かになっていたのだろう。

恐ろしい事である。

ふと、皆さんが立ち止まった。む?

近くの扉が音も無く勝手に開いた。綾音さんか。ポルターガイスト過ぎていつ見ても割と驚く。

どうやら通路の向こうから人か人形かは分からないが来るようだ。

開けた部屋の中に隠れ潜み、息を殺して向こうを伺う。ドアに設けられた小さな通気孔の向こうを人影がゆっくりとした動きで部屋を通り過ぎていく。

……しかし、この人影。人形か。シルエットだけだがかなり異様だ。どう控えめに見えても人間ではない。

カシャカシャという小さな音。キリキリ、キリキリと駆動音が響く。

通り過ぎるか、と思った時だった。


「…………」


止まった。目の前である。

まさか気付いたのだろうか?

キュイ、キュイと昆虫のような音。何か探っているらしい音を全員で固唾を呑んで時が過ぎるのを待つ。

どれ程経ったか。

再びキリキリと音を立てて、カシャカシャと足を動かす音。

その内にその音も小さくなり、やがて聞こえなくなった。

ほーっと息を付いた。怖いぞここ。どんなホラーだ。

静かに立ち上がったルイスがドアに大きく絵の具で×とべったりと描いた。空気が変わった。


「お」


「……結界か」


「左様。悪魔の魔力もこの程度ならば気付かれぬでしょう。

 いやはや、驚きましたな。まさか本物も持ち込んでいるとは」


「本物?」


「あれが本物のラプターの自動人形でございますよ。

 あの形状ならば28歳頃の作品、型番は恐らく地下の扉の前に立つ父、その辺りでございましょう。

 相変わらずその狂気を余すところ無く表現した父親の肖像シリーズは素晴らしいですな。特に自殺前に作られた人形などは一見の価値がございますよ」


「へぇ…」


ラプターとやらには父親がああ見えていたらしい。


「僕が以前に見たのはまだ人の形だったんですけどねー」


「正気を保っている状態で作成された人形は全て人間の外観をしておりますれば。父親が死んで暫くは正気の事が多かったようで。一番数が多いのもその辺りですな。

 恐らくそれを見たのでございましょう」


というか全部同一規格ってどこがだ。さっきのはシルエットだけでもあからさまに違うだろ。人形はどれも同じ少女を模したものと言っていたし、きっと先ほどの異様な人形でもどこかに外に居た人形達と同じ顔が引っ付いているのだろうが……。

元のモデルが一緒ってだけじゃねぇか。

もしや本人的にはあれでも正気を保っている状態で作った人形たちと全く同じ人形を作っているつもりだったのだろうか。統合失調の画家が描く自画像のように。

……やめよう、考えるだけで恐ろしいわ。


「どうやって持ち込んだんでしょうねー。

 遺跡から絶対に離れない事で有名だったんですけど」


「神族に人形使いの素養があるのでしょう。

 そうなると、絞られますな。見たところ何の手も加えられておらず、新しい人形も無い。となれば持っている能力は人形を使うというだけのもの。

 なれば……神の人形姫エウロピア、かと」


「ああ……。そういえばそんな神族が居たな。父神から数多くの人形を与えられた美しい姫だったか。

 あまり強い神族ではないが。花人から石を搾取するには相応しかろう。この部屋も実に血生臭い事だ」


「そうですね。かなり強い感情が残っています」


「む?」


言われて隠れた部屋を振り返る。

薄暗く狭い部屋を改めればまぁ、どう見ても拷問部屋だった。顔が思わず中心に寄った。

あちこちの戸棚に瓶詰めで小さな石の欠片が詰め込まれている。床には何度も何度も洗ったのだろう。それでも落ちない明らかな血の跡。

茶色に汚れたカーテンをぺラッと捲って見ると汚れきった簡易ベッドが一つ。手枷や足枷は無い。眠った状態の彼女達には必要ないからだろう。何をされようが動けやしないのだから。

机や棚には色々な道具が散乱している。手入れなどしていないらしく、汚れに錆びに歪みで酷い道具だ。……苦痛を与えるのが目的なのだから当然と言えば当然か。

そして凄まじい臭気に顔がへちゃむくれになった。ぺっと閉めた。


「行ったようだ。空気が降りてきている。上へと続く階段が近くにある。行くぞ」


その言葉に解き放たれた猟犬の如くドアに突撃しようとした所で再び襟首を掴まれた。ブギィー!


「お嬢様には困ったものですな」


うごご。やれやれと呆れたように首を振られた。

ルイスが絵の具で×字を書き換える。再び空気が変わった。むぐっと口を閉じた。

廊下に出て暫く進むと確かに。イースさんが言っていた通り上階へと続く階段。下へは行けないようだ。上に続く階段だけがぽつんとある。

そういやこういう場所だと別々の場所に階段とかつけて外敵が進みにくくするとか聞いたな。ここもそういう構造をとっているのだろう。

覗き込んだ階段は何だか明かりも無く薄暗いし不気味だ。さっきの部屋を見た後だと今に悲鳴が聞こえてきそうである。

イースさんが先行しゆっくりと階段に足を付け静かに登り始める。

ルイスは最後尾である。私を抱えたまま最後尾とかやめて欲しいのだが。

皆さんが階段を登り始めたのを確認したルイスは何を思ったか筆を取り出ししゃがみ込むと昇降口の床に何やら描き始める。

ふむ?でかでかと矢印と棒線。そして×印。その下に大きくこう書いた。



[立入禁止]



分かり易い結界である。

悪魔の魔法ってかなり適当に見える。何だよその横に書かれたウサギさんマークは。

子供の落書きじゃねぇか。

しかし効果はあるらしい。ふと差し込む影。

見上げれば、目の前を異形が通りすぎた。引きつった声が漏れるのも致し方ない事であろう。

人間の足と手をでたらめに付けたような異形の人形であった。

頭部を幾つも幾つも連ねて弧を描く巨大な胴体。その口と眼孔から手足が生えている。

全体的には蟷螂のようなシルエットの身体。蟷螂で言えば正しく頭部であろう位置には何故だか数多くの股間がある。製作者の拭っても拭いきれぬトラウマが垣間見える作りである。

足の間にあるのは外にも居た人形達と同じ顔。ギョロギョロと目玉を動かしガサガサと動いている。

不気味な緑の目と視線が合った。が、その視線は直ぐに外れる。

人形は階段を登る私達に気付いた様子もなく廊下の向こうへと姿を消した。


「…………」


あるかどうかは知らないが心臓がばっくんばっくんいっている。こえぇ……。

ルイスの野郎、何が一見の価値があるだ。自殺前に作られた奴なんて絶対に見ないぞ。こっちのトラウマになるわ。アレでさえきついだろ。

身体を縮めてルイスにしがみ付いて離れない。あんなのと一人で対峙したくないので。

ちらりと階段の上を見上げる。

……何が居るのやら。気が重くなってきた。

壁を見れば大きく2F、3Fと書かれている。この上は三階というわけだろう。目的の階である。外から見た建物の高さからして更に上もありそうだったが。ここが外れなら登ってみる事になるだろう。

あと僅かで階段を登りきる、というところでイースさんが足を止めた。足音である。

覗き込むと私の目に映る人間の名前。かなり近い。コレぐらいの距離ならば私にも認識できるらしい。ほぼ目の前である。マジで役に立たない。

こちらに来る。どうしよう、皆さんのお顔を見回すと特に気にした様子も無くのんびりと構えている。

む?何か算段でもあるのだろうか。

大人しく見ているとイースさんが黒い墨のようなもので手早く何やら床に描いた。

矢印と棒線、×印……あれ?



[立入ヲ禁ズ]



私達の目の前を先ほどの人形と同じように欠伸しながら人間が一人通り過ぎていった。こちらに気付くことも無く。

模様の横にはウサギさんマークではなく、ヘンテコな模様。何か書いてあるんだろうが…言っては何だがイースさんはとても絵心に溢れた方のようだ。

辛うじて狐っぽく見えなくもない。犬か?

ただの初心者マークにもみえる。


「クーヤ君」


「ふぁい?」


「枝を使いたまえ。そちらに向かう」


「え、あ、はい」


ルイスから降りて言われるがままに枝を倒す。位置を確認して直ぐに枝を回収、ルイスに再びよじ登った。怖いので。


「あちらか。逆方向から多くの人間の音がするが。君が思っていたものは生きた花人達を捕らえている場所だろう。枝はそちらを示した筈。

 となれば……あちらは石の製作中か。最早生きているとは言えん状態なのだろう。何人かは分からんが。枝は迷う事無く倒れた。まともな人の形をした花人は一人も居まい」


石の製作中……。その意味は推し量るまでもない。カミナギリヤさんが睨むかのようにその方向へと視線を向けている。


「アッシュを連れずに居て良かったな。

 本人は気にしていないと言っていたが。同じような環境に居た身には辛かろう」


「うわー。ここまで血の臭いがしますね。

 凄い臭いですよ。鱗に染み付きそうでやだなー」


「酷いノイズです。……悲鳴ですね。頭が痛い……」


「神族は……ふむ。人間共と共に居るようですな。お嬢様の神器が示す先にはラプターの自動人形ばかりでしょう」


「ぬ…」


考える。

普通に考えれば、見捨てるべきだ。生きている者は居ない。ならば生きている者達を優先するのが正しいのだろう。神とまともに遣り合える戦力なんてルイス一人しかいないのだ。イースさんは解体するなんて言っていたが…異界人でも無理だろう。

……生きた花人さん達を助けるべきなのは分かる。

だが、あれを放置して他の花人さんの元に向かうというのも何ともやり切れない。それ以外にないとしても、だ。生きているとは言えない。しかし、死んでいるわけではないのだ。

神と人間達が居る石の製作場、幾らなんでもそこまで向かうには危険が大きすぎるが。

生きた花人達を救出し、今まさに石の為に苦痛に責め苛まれる彼女達を見捨てた先、その後どうなるかなど考える必要もないだろう。……出来れば一秒でも早く苦痛から解放してやりたい。

枝を見つめる。どうしようか……。


「お嬢様」


「ん?」


「我々は主の御心に沿う者達。思い悩む必要などありませんな。悪魔にとって屈辱なれば。

 二手に別れると致しましょう。どちらも救い上げるというのならばそちらの方がよろしい。人間共の場所へこのルイス、イースと綾音。

 花人達の元へ妖精王と破壊竜、お嬢様。この編成で参りましょう。

 石の作成所にて私が悪魔としての能力を使用いたします。悪魔が来たとなればラプターの人形達も花人共の元から直ぐ離れましょう。その隙にこちらを」


渡されたのは真っ白なキャンバスだった。


「その中に一時的に全員を取り込んでしまった方が早いでしょう。

 事が終わった後で出せばよろしいですからな」


「……大丈夫なの?」


ルイスは力の強さはそこまでではないと言っていた。大丈夫なのだろうか?

カミナギリヤさんは相手は強い神族ではないと言っていたが……。


「白炉を持たされているとは言え、たかが人間共に引けなど取りませんな」


「う、うん……」


人間、と言った事に一抹の不安が拭えない。


「ふ…。クーヤ殿、絵画の悪魔の言う通り、悩む必要はない。我々にも彼女達を見捨てるという選択肢は無い。

 どちらも救おうではないか」


「あはは、それに石にされちゃうと僕らも困りますからね。

 あれは神話級の強力な武器になりますから。ちょっとでも人間に持っていかれると困るんですよ」


「そうです。

 それに、眠っているとは言え、身体を調べる事は出来ます。繁殖の方法を突き止められれば手が付けられなくなりますから。

 私達が生きた花人達を連れ出すだけでは残った花人達を何が何でも調べ上げて花人の繁殖、もしくは複製の方法を見つけだすでしょう。それでは意味がないですから」


その言葉に顔を上げれば、なんともいつも通りの表情の面々と目があった。

……こうなってはやるしかないだろう。手を振り回した。


「お、おー!」


「全員、小生の患者だ。必要も無いのに見捨てるなどはしない。綾音、行くぞ」


「はい」


神の人形姫エウロピア、何としてもぶっとばさねばならない。

今回はシルフィードの時のように逃げればいいってものではないのだ。

床に書かれた結界からルイス達が踏み出す。その瞬間、遠くから凄まじい音がした。ガサガサと凄まじい速さで何かが這ってくる音。

――――来た。


ルイスが振り返る。


「お嬢様、心配はご無用にございます。負ける可能性など皆無でございます故。

 花人、別名をゴルゴンの眼。石化の力を有した魔の眷属でございます。

 嘗て、人間共を恐怖のどん底に突き落とした彼女達の姿は後に神格化され、一匹の悪魔を生み出した。

 二つ名は地に伏す女、宝石の眼、彼方から睨む者。

 彼女達の苦痛と生み出されたオリハルコン、奪われた賢者の石を媒介として我らが主の声に答えましょう」


その言葉を最後にルイス達の姿が掻き消える。転移魔法。

ほぼ同時にルイス達が居た場所に轟音を立てて人形が突っ込んでくる。

空振りなのは直ぐに気付いたのだろう。体勢を立て直した人形は多脚を踏み鳴らし、ギリギリと音を立てながら壁や天井といわず、這うようにして通路を走りだす。

その姿が消えたのを確認し、カミナギリヤさんは神弓を、ウルトは竜槍を取り出し構えた。


「我々も行くぞ!」


「僕、働きすぎじゃないですか?」


「トラトラトラー!進めー!」


枝の示した方向へ。

結界を飛び出し駆け出した。



「クーヤちゃん、赤い花と緑の花、貰った時に嬉しいのはどっちですか?」


「緑だー!」


「はーい」


ウルトは迷う事無く突き当たりのT字路を緑の光が見える方へと曲がった。

……さっきから適当すぎやしないか!?

聞き方も方角を聞くですらねぇよ!

枝は大雑把な方角しか分からないし建物の中だと正確な位置を把握するのは確かに困難なのだが。

だからって運任せすぎるだろう。大丈夫なのか?


「微かだが……生き物の気配がする。近いな」


「マジで!?」


あの適当さでまさかのビンゴか!

よし、よく分からんがこのまま――――。


「!!」


「……なっ!?何だ貴様、らぁ!?」


鉢合わせた男の顔面にカミナギリヤさんの鉄拳がめり込んだ。


「…………」


人間が拳で空を飛ぶのを初めて見た。

吹っ飛んでいった男は遥か先の壁にめり込んだまま動かない。

生きてんのかアレ。いや、名前が見えるので生きてはいるのだろう。虫の息もいいとこだが。


「いかん、手加減を忘れた」


「別にいいんじゃないですか?

 たいした事じゃないですよ」


「それもそうだな」


「行くぞー!」


ちょっとどうかと思ったが良く考えれば碌でもない男なのは確かなので別にいいだろう。

ぶっとばした男を通り過ぎて廊下を進んだ突き当たり。目の前にはかなり頑強そうな扉が一つ。

うむ、怪しいな。


「生臭いなー。この奥に生き物が居ますよ。多分花人じゃないですか?」


「の、ようだな。これはまた堅牢な結界だ」


結界か。生き物が居るというわりに道理で私の眼に何も見えないわけである。

どうでもいいが最近、この眼が役に立つってあんまりないな。スリーサイズなんて知ってもしょうがないのだが。

うぬぬ、何か他の特技のようなものを編み出すべきであろう。


「ん?」


ふと、遠くから微かな音が耳に届いた。爆発音というか。

……間違いなく、ルイス達だろう。ここには人形は居ない。全て向こうへ行ったのだろう。

急がねば。


「開けるぞ。二人とも下がっていろ」


「はーい」


「おー」


振り上げられた拳が扉に打ち付けられる。ゴボンと大きく鉄に円形の窪みが出来上がった。

再び振り上げられた拳。鉄と鉄がぶつかるような重い音が響く。衝撃で地面が微かに揺れるのが伝わってくる。


「フンッ!」


カミナギリヤさんの何度目かの殴打で鉄扉はひしゃげ、穴だらけになりついにひん曲がって外れた。

開けるぞって物理的すぎるんじゃなかろうか。もうちょっとこう、あるだろ。いや、いいですけども。

結界も衝撃で壊れてしまったらしい。私の眼にいくつかの名前が映る。

種族、魔族、クラスは花人。よし、大当たりである。


「失礼しまーす……」


そーっと覗き込む、明かりは無い。


「…………」


くぐもった声と共に怯えた眼差しが一斉にこちらを向いた。


「生き残りは五人か。

 奥に寝かされている三人は……手遅れだな」


一人一人、独房の中心のベッドに括り付けられるかの様に捕らえられている女性が五人。

猿轡や執拗なまでの拘束は自殺防止だろう。涙は枯れ果てたのか。汚れた顔には只只、恐怖と絶望、解放への渇望が映っている。

奥の三人は……見た目には眠っているかのように見えた。だが…美しいのは顔だけ、その身体は既に原型など残っていない。


「直ぐに解放しよう。

 時間が惜しい」


「そうですねー。奥の三人はどうします?」


「一撃で首を落としてやるがせめてもの情けだろう」


一歩、踏み出したカミナギリヤさんが怯える彼女達に言い聞かせるかのように高らかに声を張り上げた。


「花人よ!我らはイースと共にこの地に来た!

 ……直ぐに助ける!」


その言葉に、花人さん達は目の前に居る私達がまるで幻か何かのように、俄かに信じがたいと言わんばかりに暫く呆然としていたが。

やがてその瞳から透明の雫が零れ落ち、冷たい地面に幾つも幾つも小さな染みを作った。


「よいしょー!」


ぐいぐいと鉄棒を引っ張る。うん、私じゃ駄目だな。ウルトとカミナギリヤさんにお任せするとしよう。別に手を抜いているわけではない。

飴細工か何かのように牢を引き千切る二人が化け物過ぎるだけである。

ふむ、少し考えてから奥の三人に走り寄った。

近くで見れば……やはり助けられそうも無い。手を伸ばし、その美しいままの顔を撫ぜた。体温も感じられるし、柔らかい。やはり眠っているようにしか見えなかった。体の方に視線を移し顔を顰めた。

血に塗れて分かりにくいが…肉に埋もれて光を反射し輝く石が僅かに見えた。

これがオリハルコンか。

地面を眺めれば、周囲に描かれた白い魔法陣がある。

これが彼女達の命を無駄に永らえさせているのだろう。どう考えてもとうに死んでいなくては可笑しい身体だ。

この魔法陣のおかげで彼女達は死ぬ事が無い。だからこそ人間達に遠慮や手加減など無かったのだろう。

恐らくこれを消せば彼女達を解放出来る筈だ。

手で消せるのか?

まぁとりあえずやってみるか。消そうとしゃがみこんだ時だった。ポシェットが視界に入った。

……本で何とか出来るだろうか?

イースさんは治療には向いていないと言っていたが……助けられそうならそちらの方がいいだろう。

ペラペラと本を捲る。

治療、治療と……無いな。加護と干渉か?

ページを捲っていると、どこからともなくヒヤリとした空気。微かに風が吹いた。

何やら視線を感じ、顔を上げる。

勿論、御伽話の姫のように眠り続ける三人が居るだけだ。

気のせいだろうか?

首を傾げてみてもやはり視線を向けてくるような人は居ない。


「……?」


まぁ、いいか。

再び本に視線を戻そうとして―――耳元に、声。




「神様、どうかお願いです。力をください」




「ひゃっほう!」


飛び上がった。

大慌てで振り返る。

花人さん達の様子を見るカミナギリヤさんと拘束具を毟り取るウルトが居るだけである。

幻聴にしては嫌にはっきりとした声だったが。

ふーむ、どっかでこんな感じの声を聞いたな。どこだったか。

脳裏に過ぎったのはウサギだった。

ふむ?


……そういえば、ルイスが言っていたな。

二つ名は地に伏す女、宝石の眼、彼方から睨む者。


目の前に横たわる三人を見やる。

いっそ穏やかとさえ言える寝顔。

もう一度その顔に手を這わせる。暖かく、柔らかい。

彼女達に残った物はもう魂しかない。肉体は完膚なきまでに壊され尽くし、精神もとっくに壊れている。見れば分かる。

残されたその魂を以ってそれを願うというのならば、叶えてやるべきだろう。

ぱたんと本を閉じ、白の魔方陣を手でさっさと掃えば、それは呆気なく壊れた。

地獄の穴を床に置き、漸く苦痛しか生み出さない肉体から解放された彼女達の魂を取り込む。

身体は…うーん、ちょっと無理だな。

仕方が無い。個人的にはご遠慮したいのだが……ええい、ままよ。

思い切って肉の塊に腕を突っ込んだ。

うわぁ、生暖かい。非常に嫌である。しかし我慢だ。

ぶちぶちと繊維を引き千切り、何とか石を引っ張り出した。

残りの二人も取り出しておく。そして回収したオリハルコンを地獄へ。

よし、これでいい。


「行くぞー!」


「あ、もういいんですか?」


「お前達、不便を押し付けてすまないが我らに余裕は無い。

 この絵画に入って貰う。何。直ぐに出してやる」


広げたキャンバスは未だ真っ白だ。

怯えた様子の花人さん達だったが、ニヒルに片頬を上げて笑ったカミナギリヤさんに意を決したのか小さく頷き返した。


「イース様も、こちらにいらっしゃるのですか…?」


「ああ。お前達を助けに来ている」


「………っ!」


その言葉に、堪えていたものが決壊したのかどうなのか。

その瞳から滂沱の如く涙が次から次へと溢れ出てくる。


「……すみ、ません。すみません…!すみませんすみません……!ヒック、あり、がとうございまふ…っ!

 もう、駄目だと思ってました…!このままここで石になるのだと、皆のように、地獄の苦しみを味わった末に、壊れるんだと、うぐ、ひっ…!」


「あはは、大丈夫ですよ、美しいお嬢さん達。美しい貴女達に涙は似合わないですから。

 僕がお守りいたしますよ」


「わー、超外してるわー」


「え?何でですかクーヤちゃん!?」


ウルトはいつでも残念な奴だな。

そこは黙って肩を抱くとかそんなのだろ。マリーさんならナチュラルにそうするぞ。間違いなくハンカチまで差し出すだろう。ペドラゴンの三枚目め。

差し出したキャンバスに花人さん達はヒックヒックとしゃくり上げながらも、その指を伸ばした。

ひゅるんと吸い込まれる身体。三人の遺体も同じくキャンバスへと。全てが終わった後、彼女達の手によって弔って貰うのが一番いいだろう。

掲げて見ると、真っ白だったキャンバスには絵が入っている。光差す森の中で穏やかに微笑む女性が五人。天使のような風情で女性が三人、五人を祝福するかのように描かれている。特殊な染料らしく、その瞳だけがキラキラと光を反射し輝いていた。

伝説に名高い石化の魔眼を持つ怪物、メデューサの瞳の如く。

おー…。


「クーヤ殿、その大きさは流石に動きが鈍る。これに入れるがいい」


「お」


カミナギリヤさんが差し出したのは悪魔の芸術品オーパーツ、ベッドの下だった。

持ち歩いているらしい。

まぁ確かにでかいし、二人は大事な戦力だし、かといって私が持っていて壊れたら大変だ。

この絵画はちっとやそっとじゃ壊れないとは思うが。

絵画をベッドの下に押し付けると、ぱっとその姿が消え、水晶の中にカミナギリヤさんの里の引越し道具と一緒に絵画が映り込んでいる。

収納完了したらしい。便利な道具である。


「うむ、じゃあルイス達のところに――――だわぁ!!」


凄まじい揺れに立っていられず思わず尻餅をついた。

未だ余韻に揺れる建物。ミシミシと壁が軋みを上げた。

慌てて三人で部屋を飛び出し、外の様子を伺う。

再びどこか遠くから破壊音が響いた。

二階よりはマシな作りというだけの廊下をぽつぽつと照らすランプがちかちかと明滅する。

ぱらぱらと天井から塵が降ってきている。多分崩れはしないだろうが…。

いや、ルイスと綾音さんが本気で暴れたらちょっと怪しいな。


「戦いは既に始まっている。直ぐに向かおう」


「あーあ、酷い巣帰りだなー」


「では行くぞー!」


ポシェットから出した本と枝をいつでも使えるように抱えなおして走り出す。

地獄の腕輪を眺める。ゆらゆらと黒い炎が揺れて踊る。

神の人形姫エウロピア、そしてここに居る人間達。

首を洗って待っているがいいともさ。

地獄で彼女達が待っているのだから。彼女達は望んでいるのだ。同胞の為、誇りの為、自らの手で奴らを地獄に叩き込んでやりたい、と。


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