神への挑戦

完全に振り切った。勝った。よくやったウルト。やったからスピード落とせ、心から言いたい。

けどまた追いつかれそうなので言うに言えない。いや、でももうきっとこれだけ距離があればこっちがどこに行ったかなんてわからないだろう。目印も糞もないのだ。とうに見失っているはずだ。というわけでスピードを落としていただきたい。

新幹線から顔だしたらこんな感じなんだろうか。

おぐぐぐぐ。

ぶつかる前に雲が散っていくのは見ていて楽しいのだが。

きついぞコレ。何とかならないのか。いや、多分何とかしているんだろう。カミナギリヤさんと綾音さんが。さもなきゃとうに落ちている。

あとどれぐらいで着くのだろうか。というかこれ、帰りもこうなるんじゃないだろうな。帰りはカミナギリヤさんの転移魔法をお願いしたい、いや本当に。


「おっと」


「ぎええぇぇえ!!」


再び空中ローリング。今度は何だ!

思ったが、問うまでも無かった。


「うあ…」


建造物。かなり巨大な。なんじゃこりゃ。ウルトは隙間を縫うかのようにぐるんぐるんとローリングしつつ飛ぶ。

こえぇ。回廊と回廊の僅かな空間を抜け、たけのこの如く幾つも生えている尖塔の間を潜る。

すぐ近くを、それも風越しに障害物があるのがわかるレベルの近くを飛翔されるのは真面目にやめて欲しい。心臓が痛い。

ひゅごおおおとウルトと壁の間の空気が悲鳴を上げている。ぶつかろうものなら勿論もみじおろし確定である。

しかし、この建造物。私の見間違いでなければ下が無いように見えるが。回廊のようなものも周囲をぐるりと取り囲んではいるがどこにも繋がっていないように見える。あまりにも巨大でわかりにくいが。

こちらから見えないだけで何か蜂の巣のように細ーい棒で全体を支えているのかと思ったのだが。

ウルトが棟と棟の間にぽかりと開いた空間、言ってみれば中庭のような場所に突っ込む。無論、地面が無いのだから庭など無く。そこから見えるのは雲とその隙間から覗く遥か遠い地上だけだ。

ぼふんと雲を下に抜けた。ウルトは綿菓子のようなちぎれ雲を大量作成した後、その場で羽ばたきつつ滞空する。

身を乗り出して頭上を仰げば下からではあるが建造物の全体が見渡すことができた。うむむ?


「……なんじゃこりゃ」


下から見れば、やはりどう見ても浮いている。どこを見ても棒なんてありゃしない。

のしっとカミナギリヤさんと綾音さんが圧し掛かってきた。重い。何故わざわざ。他にも場所はあるだろ。ピンポイントに私に圧し掛かる理由を聞きたい。


「凄いです、これって…」


「ヴァステトの空中庭園か。私も見るのは初めてだな」


「ヴァステトの空中庭園……」


何かラストダンジョンな風格を漂わせているな。

じーっと見てみるが人影は無い。無人のようだ。というか生き物が住んでそうにない。鳥も居ないし、動く者が居ないな。

ばっさばっさとウルトが翼を動かしながら空中庭園に近づく。ふむ、小さな岩が沢山浮かんでいる。建物の玄関らしき場所から他の建物の玄関の間に密集している辺りを見るに、おそらく足場だろう。あんな所絶対に渡りたくないが。

窓を覗き込むが、やはり誰も居ない。しかし何か変だな。なんだか覚えがあるぞ。この感じは。迷宮に似ている。


「行ってみますー?」


ウルトがのほほーんとしながら問いかけてくる。しかし、行っても何も無さそうだが。

生き物も居ないが、ウルトが好きそうな財宝も無さそうだ。

近くで見ると、石造りの建物には精巧な彫り物がしてある。女神らしいものや剣、天使に竜、ふむ。何やらストーリー性がありそうだ。

頭を巡らせて見渡せば相当な技術で作られている事がはっきりと見て取れる。

巨大な門、あちこちにある女神像、ぐるりと輪を描く幾つもの回廊。窓ひとつとっても凄まじく巨大だ。嵌め込まれたガラスも。波打つ表面はガラス技術が未熟なのではなく、人為的なものだろう。何かの模様らしい。魔術的なものかもしれないな。触らない方がいいだろう。

あちこちに見受けられる繊細なステンドグラスや、窓から覗き込んだ内壁や天井に何か絵が描かれている様だが、まじまじと見ても何を描いたものかはとんとわからない。

経年劣化は一切見られない。どこを見ても、傷らしい傷や欠けの一つも無い。老朽化とは無縁でございとばかりである。建築材は石に見えるが石じゃないな。

……とてもじゃないが人の作り出したものとは思えない。少なくともまともな手段で建設なんかしちゃいないだろう。


「あの、ここって確か…教会指定の特S級迷宮では…?青の祠や魔王城と違い、何か居るとは聞いていませんが…ここに残されている武具はかなりの力を持っており、相当な価値があるとか。

 教会が攻略し、最深部の武具を持ち帰った者は即時聖人への列席を行うとまで言っていた筈です。

 空中にある上に場所も移動するという事も相俟ってそもそも発見難易度が高かったですけど…今まで辿り着くことが出来た者は皆無と聞きます。

 ギルドでは存在自体が疑われていた迷宮です」


「確かに発見は難しかろうな。この高度を飛べる生き物がそもそも稀だ。

 それに…迷宮というよりは…異界だな。主の居ない神域だ。資格ある誰かに招かれねば目の前にあっても見つけられんだろう。未だ攻略されていないのはそこが大きいだろうな。

 魔物の気配こそせんが、内部は見た目以上に広大だろう。食料や水も期待できなければ逃げ場も無い。まさに迷宮だな。

 例え侵入できたとして、勇者であっても青の祠より攻略は難しいだろう。魔物も居ないのだ。魔力や力がどれほどの役に立つか。

 求められるのは忍耐と知識。そして何より折れない精神力だな。寿命の半分を賭ける覚悟も必要だが」


「すぐ離れよう!」


冗談じゃねぇ!そんな危険な所に行けるか!!


「ふむ、いいのか?クーヤ殿」


「何がですか!危険なんでしょう!すぐ逃げるのだ!」


「我らの前にあると言う事は招かれたという事だ。何かあるのではないのか。それに、ギルドではなく教会指定の特S級なのだろう?何も居ないというのも信じがたい。

 ヴァステトの空中庭園、伝説では神との決戦の為に邪神達が作り上げ、この庭園で最後の戦いを繰り広げたとなっている。

 悪魔でも封じられているのではないのか。武具を持ち帰れば即刻聖人として取り立てるというのだ。相当な力の入れようだ」


「…えー…」


そう言われても行きたくねぇ。じろじろと空中庭園を眺める。危険がネギしょって飛んでいるようにしか見えない。

地獄のわっかを眺める。その邪神達とやらを自動洗浄で吸い込めないだろうか?しかし置く場所がない。ウルトに置くのは怖い。穴が開いて戻らなくなったらトラウマになりそうだ。かと言って近寄るのは嫌だし。

悪魔、悪魔か。ここにもルイスと同じように石にされた奴が居るのかもしれないが。

言われて見れば悪魔が作った建造物としても可笑しくない。まさしく神か悪魔、どちらかだろう。

カミナギリヤさんが言っていた通り、こうしてここに居るという事は誰か居るのだ。この庭園に人を招く事の出来る誰か。そしてこちらを招いた。私に用事のある悪魔や邪神という可能性もあるといえばある。普通に三人の内、誰かに用事があるのかもしれないが。

というか招いた奴が普通に人かどうかすら怪しいな。この迷宮そのものに意志でもあるんじゃないのか。その辺に生えてる雑草も怪しい。見れば見るほど怪しい。怪しさ無限大、大爆発である。

…うーん、聖人への列席なるものがどの程度凄い事なのかいまいちわからないが、二人の言い分を見るに滅茶苦茶に凄い事なのだろう。

特に、武具を持ち帰るというのがミソだ。手に入れて利用しようとしているという事だ。教会が利用できる代物という事だ。何があるか分かっていないなんて事はあるまい。

世間的にはあるかどうかも怪しいとされる迷宮をあると断言して美味しいエサをたらしているのだ。間違いなく何があるか知っている。伝説、ふむ、伝説か。邪神とは一体誰の事だったのやら。

というか本当に武具か?

なーんか怪しいな。本当はヘンテコ道具じゃないのか?それも物凄い力を持った系の。これをチャンスと見て回収、すべきだろうか?

お招きいただいたのだし。悩みどころである。…主の居ない神域、結界を失った青の祠、アスタレルが作ったあの碧落の異界と同じだろう。なにやら迷宮潰しな私でも危険に違いない。よし、無視しよう。さらば!空の彼方でまた会おう!


「あ、クーヤちゃん時間切れです」


「え?……うわ!!」


きりもみ回転しながらウルトが再び加速する。遠くに見えるは白い影。うぬ、追いついてきたらしい。ゆっくりしすぎたようだ。にしてもどうやってこちらの位置を把握したんだか。

上下左右に転がるようにその軌道をランダムに変えながら、ウルトは空中庭園の塔の隙間を抜ける。背後を見やれば、がっつり着いてきている。

どちらかといえばあの白い竜というより、その背に乗った奴が凄いのだろう。こちらの動きを読んでいる。

その両手で握った武器、なにやら白い物体から何か飛んできている。何だ?銃みたいなものだろうか。

ウルトの鱗に弾かれているし、カミナギリヤさんと綾音さんも飛んでくる礫を綺麗に弾いている。これではこちらに届きそうもない。数は多いが、この速度で飛びながらでは当てるのは至難の業、そもそも飛行機のようにまっすぐ飛ぶだけならまだしも、ウルトと来たらあっちゃこっちゃ曲がって転がって出鱈目である。

向こうだってそれに気付いているだろう。このままではこちらを撃ち落すなど不可能だと。

つまり、何かある。


「潮時だな。あの調子ではどこまでも追ってくるだろう。魔力探知…いや、魔力追跡か。かなり精度が高い。ここらで片をつけるべきだ。仲間を呼ばれては厄介だ」


「そうですね…。行きましょう。ここで追跡の糸を断ち切り、振り切らないと。騎乗している人は多分、勝てません。ですが、あの竜の方ならば」


うむむ、降りたい。きつそうだ。というか既にきつい。

本も開けそうにないし、降ろしていただきたい。安全な所に。


「しょうがないですねー。あんなの相手にしたくないんですけどね」


「そうぼやくな。私も同じだ。好き好んで神など相手にしたくはない。綾音殿の言うとおり、竜を狙うぞ。それしかあるまい」


「え?」


なんて言った?

神?神、神といったかこの妖精さんは!?

反転し、ウルトが咆哮を上げてその場に滞空する。

相手もまた同じようにとどまった。白の竜と白の騎士、光を反射し輝く姿は少し眩しい。

矢をつがえ、カミナギリヤさんは高らかに、歌うように声を張り上げた。


「氷雪王シルフィード!我ら、貴公に一差し舞を奉らん!……いざ、推して参る!!」


放たれた矢は光の速度を以って白い鎧に覆われた人物へ。それをまるで石礫か何かのように簡単に腕で弾いてみせる。

辺りの壁に反響するかのように、朗々たる響きとなって吟じられたその声は美しく、そしてそれに応えるかのように。兜にその手が掛けられる。

零れた髪は美しい青銀色だ。男だか女だかわかりゃしない顔つき。銀の瞳がこちらを射抜く。

――――笑った。



「よかろう!

 正面切って神に挑む汝らのその魂。鴨撃ちと舐めてかかって顔を隠すなどして悪かった!

 この氷雪王シルフィード、全力でお相手仕る!」



膝をつきたい。冗談きついんじゃないか。

天使に勇者に続いて、ついに神まで来てしまった。

顔を覆った。おおおと声を上げて慟哭する。来るんじゃなかった。

こんな近くに居た事を思えば何れ相対したのだろうが思わずに居られない。

……逃げてぇ、超逃げてぇ……。




名 シルフィード


種族 神性

クラス 氷雪王

性別 女


Lv:7000

HP 8000000/8000000

MP 7200000/7200000





化け物やないか、どうやって勝ちますのん。

いっそ落っこちて悪魔の洞窟に逃げ込もうかなァ。


強い。

その一言に尽きた。

カミナギリヤさんの矢も魔法もまるで届かず。ウルトのブレスも肉体言語も意味を成さない。

両手に持った武器は射出系の武器なのだろう。

氷雪王シルフィード、彼女は言葉通り、先ほどまで子供を相手にするかの如く手を抜いていたと言わざるを得ない。

飛来した奇妙な文様を纏う弾丸にウルトの鱗が弾けとぶ。既に蒼い巨体は血に塗れ、赤と蒼の斑と言っていい。


「痛いなー。シルフィードが厄介ですね。セロスレイドは弱いんですけど」


「ちっ!これでは結界も抜けぬか!」


「……その程度か!?花吹雪く妖精王、世界を喰らう邪竜よ!ぬるいわァ!届かん!私には届かんぞ!少しは抗えぃ!!」


浮かび上がる魔法陣。青の祠、ウルトを封じていた結界と同じだ。

雨あられと降り注ぐ光、その威力は冗談にもならない。これ以上はウルトが危険だ。本人はのほーんとしているが、限界に近いだろう。


「邪竜よ!貴様を永い時間封じ続けた力の根源たる私が目の前に居るのだ!報復するにまたと無い好機であろうが!

 ……混沌を褥に蠢く常闇の神、貴様もその程度か!?その様で我らが主に挑むとは片腹痛いわ!」


おのれ!好き勝手いいくさってからにー!

ええい、しがみつくのに精一杯だが…黙ってられるかーい!

落ちるも覚悟だ。何とか必死こいて本を開く。ざらざらと捲れるがままに適当なページを開く。今にも風にぶっとばされそうである。



商品名 控えおろう


指定した相手の防呪圏の破壊、神器の一定時間の封印。

封印できるのは神器のみなので注意が必要。



即購入。値段なんか見ちゃいない。よくもやってくれたものだ。

くらうがいー!

ばぎゃん、粉々に結界が粉砕される。

シルフィードの持つ両手に持った白い塊、あれが神器なのだろう。それを黒のぐちゃぐちゃとした子供の落書きじみた模様が埋め尽くす。

どれだけの時間封じていられるかは謎だが、この隙に何とか立て直すしかない。


「ざまーみろー!」


「ぬ…っ!……ならば!!」


その手に光が集まる。魔法だろう。神器が使えないならば魔法というわけか。

この傷だ。ウルトもそうそう無茶な動きは最早出来まい、避けきれるか?


「……ちょっと無理かなー。困っちゃいましたね」


「ウルト!」


その名を叫ぶが血だらけの翼にあの力強さはもう無い。

光が視界を焼いた。

風が吸い込まれるかのように吹き抜ける。

駄目だ、当たる。

ふと、黒い影が視界の隅に映る。それは異様な速度を以ってその範囲を広げていく。

それはあまりにも唐突だった。何の前触れも無く、太陽が遮られ周囲に巨大な影が落ちる。

地鳴りのような破壊音が響いたのはその直後の事だ。

何だ?見上げて、固まった。


「……はへ?」


あんぐりと口を開ける。間抜けな声も出ると言うもの。

頭上に光を遮る巨大な影。冗談じゃない。それは塔だった。空中庭園に幾つも乱立するうちの一つ。それが崩れて落ちる。


「な……っ」


さしものシルフィードも呆然とするばかりである。

誰かが投げ飛ばしたかのように。根元から捻じ折られた塔はそのままシルフィードへと叩き付けられた。

迫りつつあった魔法ごと押し潰し、凄まじい土煙が舞い上がる。実に煙い。目がちくちくする。額もちくちくする。


「今のうちに!ウルトさん、迷宮に入ってください!」


綾音さん。輝くその瞳にどこかおじさんと同じような光を見た。どこかで見た気がする。気のせいだろうか。


「サイコキネシス…!?馬鹿な、質量もサイズも完全に無視している…、貴様、本当に人か!?」


超能力、そうか、これが綾音さんの力の正体。彼女の魂の力、魂源魔法。

……いや、それにしては規格外に見えるが。

スプーン曲げどころじゃない。異界人だからか?それにしては…。

何かに気付いたかのように、シルフィードの顔が歪む。


「……そうか、貴様…。この罪人共めが…!地獄の釜の底で悶えていればいいものを…!」


「ウルトディアス!構うな!迷宮に入れ!」


「仕方ないですねー」


翼を翻し、その虚ろな顎を開く迷宮、ヴァステトの空中庭園内部へと飛び込んだ。

柱の隙間を潜り、回廊を抜け、塔の上へと飛ぶ。広い。見た目以上だろうとカミナギリヤさんが言ってはいたが。

予想以上だ。とても小さいとは言えないウルトが建物内を縦横無尽に飛べる程である。


「この辺ですかねー」


どれほど飛んだだろうか。かなり奥まった場所まで来ただろう。

ウルトがそんな事を呟いた。


「ギャーッ!」


いきなり地面が消えた。そのまま慣性に従い投げ出されるところをがしっとカミナギリヤさんが掴んでくれたので危機一髪。危ない危ない。死ぬところであった。ウルトが飛びながら人化したらしい。

後ろ首からぶら下がる猫か何かのような摘み方だがジャストポイントを微妙に外したいまいちな部位を摘まみ上げられたので両手両足をジャキーンと伸ばしきった馬鹿猫ポーズになってしまった。だがまぁ文句は言うまい。

人の姿をとったウルトはやはり血だらけだ。ペドラゴンとは言え、流石に心配である。その手には竜槍アブソリュートゼロ。それだけで白い冷気があたりに漂う。


「よっと」


地面に突き立て、土をほじくるかのように上へと切り上げると、その軌跡を追うかのように地面から氷塊がせり上がった。次に両サイドの壁、最後に天井。

あっという間に通路は氷に埋められちっとやそっとじゃ通れそうも無い。残念ながら彼女にはなんら意味を成さぬだろうが…足止めにはなるだろう。

通路が完全に埋まったのを確認し、全員踵を返して走りだす。私はのたのた遅いので途中でカミナギリヤさんに抱えられたが。綾音さんが普通に着いて来ている事実に正直驚きである。

ウルトは走りざま、あちこちの壁を槍で削り、私たちが駆け抜けた後を氷で埋めていく。

だが、いつまでもこうしては居られない。時間はあまり無いだろう。結界を破壊し、あのトンデモ神器を封じている今しかないのだ。

奴の足たる白い竜、あいつを何とか行動不能に追い込みこの場から全力で逃亡、その為には今、此処しかない。


「うぬぬ、行くぞ者どもー!」


号令一つ。通路を抜けた先、

カミナギリヤさんの太ましい腕から引っこ抜ける。吹き抜けの大広間。果てが霞んで見えるほどの広さ。地獄のわっかを地面に設置。全員、分かったものだったのだろう。

すぐさまカミナギリヤさんはハーベスト・クイーンをつがえて無数の矢を未だ見えぬシルフィードへと向けて放った。

光は通路の先へと消える。遥か遠くで弾ける光。――――来る。


通路の向こう、氷をものともせずに打ち砕きながら迫り来る雪の如く白い竜に跨る青銀色の女神。氷雪王シルフィード、その力はまさに神と呼ぶに相応しい。


ウルトが竜槍を上段に構える。突くでも斬るでもない。投擲の構えだ。青い光が集い、竜槍がその姿を変じていく。

そのウルトの姿を認めたのであろうシルフィードは酷く蠱惑的な表情を浮かべてみせた。目の前にある物全てを喰らい尽くす強者の微笑み。どこか感嘆するかのような、呆れるような。嬉しくて楽しくて仕方が無い。そんな顔だった。


「……クッ、フ、ハハハ!私の前に立ち、奥義を以って迎えるか!!………よかろう、汝らが全身全霊を賭けたその一撃、受けて立とうぞ!踏み潰し、蹂躙し、粉砕し、蹴散らしてくれるわぁ!!」


いつもの様な呑気な微笑みからは想像すらつかない。真っ直ぐにシルフィードを見つめる眼差しはそれこそ氷の様に凍て付き、縦に伸びた瞳孔は凶悪なドラゴンのそれだ。

びきびきと筋肉の軋む音。槍を掴むその腕が不自然に脈動する。

魔を孕んだ風を巻き込み、蒼い魔力を迸らせる竜槍は最早視界に収められぬ眩さ。広大な部屋は極寒の凍土と化し、竜槍の周囲などあまりの気温の低さに空気すらも凍り、細氷となって光を反射し屈折させ、竜槍の周囲に幻光の輪を浮かび上がらせている。

破壊竜ウルトディアス、嘗て国を一晩で氷漬けにしたという竜。こうしていると、とてもじゃないが弱体化しているなどと信じられない。

魔王と呼ばれた者達。本来であれば、どれほどの力を持っていたものか。

めぎり、槍を握る手から音が聞こえた。




「――――実は、僕は嫌いなんですよ。弱い生き物に負けるのが」



音が消えた。風が吹く。幾重もの光輪を残し、蒼の槍は床を削り、壁を削り、ガラスを粉砕し、瓦礫を撒き散らしながら氷雪王シルフィードを正面に捕らえた。ぶつかった瞬間のその衝撃たるや。

相対する両者、神と竜の力の鬩ぎ合い、余波で周囲の壁どころか、通路そのものが崩落する。

空気の上げる悲鳴が聞こえてきたのはその後だ。

数秒か、数分か、時間の感覚など分かりはしないが、拮抗していた力はやがてその均衡を崩し始める。結果は火を見るより明らかである。始めから分かっていたことだ。

蒼い光が散った。霧散する力。


彼女が蒼の光の残滓を吹き飛ばし、特攻を仕掛けて来たのはその直後の事である。

無傷。

邪竜の力は神に届かず。

目前まで迫った彼女は獲物を甚振る残忍さを奥に含んだ、鈴が転がるような声音で口を開いた。


「中々楽しませてくれた。礼を言おう。せめて一撃で葬ってやる」


勝利を確信した傲慢極まる笑み。その手に握られた神器も既に封印は解かれている。

彼女にとってそれは当たり前の事実なのだろう。

神への挑戦、それは人には過ぎた夢である、と。

初めに鴨撃ちと言い切った彼女、そもそもが最初から彼女の気紛れでしかないのだ。

儚い力で神に抗う者達に気紛れで応えたに過ぎない。彼女にとってこの結末は当然の帰結だったのだろう。

ウルトの最大攻撃が届かなかった今、最早氷雪王に抗える者など居ない。なるほど、それはある意味で正しい。

が、それは今この瞬間、この場所においては間違いだ。

何故ならば。


「――――っ!!」


横合いから氷雪王に圧し掛かる影。彼女はその攻撃に対応しきれず、押されるがままに地に膝を突いた。

蠢くそれらは実体無き絵である。

ウサ耳はやした初老のおっさんが優雅に一礼。その手に一枚の絵画。

其処から湧き出る異形の怪物達。

彼女の思っていたであろう通り、人に抗う手段は無いが。

残念ながらここには悪魔の神様という人様にはとても言えない実に恥ずかしい役職の私が居るのである。

悪魔は光を蝕むもの、そうだろう?


「ほう、誰に向かって口を聞いているのですかな?

 少々頭が高い。神の御前なれば、跪くが道理でございます」


絵画の悪魔、ルイスがパイプを吹かしながら周囲に絵の具を撒き散らす。

それらはもぞもぞと立ち上がり、ゲタゲタと笑った。


「その様で神に挑もうとは。実に。片腹痛いですな」


ぴょんとカミナギリヤさんに飛びつく。

やる事はやった。この迷宮は多少気になるが。今は放置しかあるまい。


「即時撤退、すたこら逃げるぞー!!」


「はーい」


「氷雪王、この場は我らの勝ちだな。勝利とは倒すばかりではない」


「いつかその身体、六つに捻じ切りますから」


馬鹿め!端から彼女をやれるとは思っていない。

ウルト達の狙いは最初から一匹だけなのだから。

通路には白い竜が倒れ伏している。力に耐え切れず、ウルトの竜槍に貫かれた身体、息があったとしても動くのは不可能だろう。

当初の目的通り、足は奪った。

すたこらさっさ、逃げるが勝ちである。試合に負けて勝負で勝つとはこの事よ!フハハー!

ウルトの攻撃により、建物には既に大穴が開いている。

波紋が広がる。やはりまともな手段で造った建造物ではないようだ。自己修復機能があるらしい。とっとと脱出である。

なんとなくだが…ウルトだからこそ穴を開ける事が出来た気がする。外から見るよりよほど広い。どう見たって空間が歪んでいる。この自己修復機能もどこか可笑しい。

ただ壁を塞いでいる、というわけではない。塞がりつつある壁の向こう、無限に続く回廊。当たり前だがそんなものは無かった。飛び散った窓ガラスも消え、何事も無かったかのようにフレスコ画が描かれる壁へと変質しつつある。

協会が掲げる空中庭園の攻略、不可能だ。勇者でも、だ。

魔物も居ないし、トラップもない。ただ広い。たとえ死ぬまで歩き回ったって攻略は無理だ。私の本と同じだ。無限に広がり続ける迷宮。それがここ、ヴァステトの空中庭園。

ここを造った奴はよほどの力を持った化け物だったに違いない。協会はこの迷宮の性質を知っているのだろうか?…知っているのかもしれないな。知ってて行けと言っていても可笑しくは無い。

この最深部にあるという武具、どれほどのものかは知らないが。この迷宮の凄まじさからしてとんでもない物に違いない。

……不用意に飛び込んでいい場所じゃないな。逃げよう。


「逃げるぞー!」


再び竜の姿へと戻ったウルトの背中に乗っかる。血だらけだが大丈夫だろうか?場合によっては街へと戻ってフィリアに見てもらった方がいいな。


「じゃ、行きますよー」


氷雪王は未だルイスに遊ばれている。

ふーむ。彼女は…多分この迷宮の壁を抜けない。そんな気がする。

よし。


「ルイス!」


「承知致しておりますよ。お嬢様」


空中に幾つもの絵画が浮かぶ。滝のように黒い物が湧き出てくる。

それらはとぐろを巻いて持ち上がり、その顎を開いた。

紅玉が二つ。ぱちぱちと瞬きしている様はちょっと可愛い。


「おー」


蛇だ。巨大な蛇。ウサギが蛇なんてちょっと食物連鎖に喧嘩売ってんじゃないかと思うが、まあいいだろう。

鎌首もたげた蛇は、黒い影達に相手取る氷雪王をじっと凝視しながらちらちらと舌を出した。


「そこで永遠に遊んでいれば宜しい」


「待て…!貴様らぁ!!」


「待つもんかーい!」


「ウルトディアス!行けっ!!」


カミナギリヤさんの声に答え、ウルトの巨体が持ち上がる。

ついでとばかりに馬鹿にしたように尻尾を振ってウルトは壁に開いた穴より空へと飛んだ。

その後ろ、氷雪王がその神器をこちらへと向ける。


「逃がすかァ!!」


神の力に満ちた白い光、塞がりつつある壁も間に合わない。

おのれ、神の癖に最後っ屁をかますつもりか!悪魔バリア!悪魔バリアが必要だ!!

ウサギ悪魔を探して後ろを振り返ろうとして、ガッシと襟首掴まれた。


「ぬぬ!」


なんというジャストポイント。後ろ首摘まれて持ち上げられる。その絶妙な位置を押さえる手。抗えよう筈も無い。けだものの本能に従い、私は両手両足を丸めるしかない。

尻尾があったら間違いなく尻尾も腹につけていただろう。見事。御見事。

考える。


「……けだものじゃねえよ!」


暴れた。誰がけだものだ!!


「流石はお嬢様。私どもにはその御心は理解しがたいで御座いますな」


ぐいっと高々と持ち上げられる。突き出された。煌々たる光をかざすシルフィードに向けて。

悪魔の所業であった。何をしやがる!


「な、何をするー!」


ウサギ悪魔はふむ、と一つ頷いてから起伏の無い平坦な声で言った。


「お嬢様バリアー」


「なっ、なにいぃいぃぃい!!」


閃光が視界を焼いた。






「…………」


四肢を前に突っ張ったポーズでぷるぷるとしながらそろーっと目を開けた。


「……ん?大丈夫だな」


特に何も異常はない。

シルフィードが居た辺りを見れば既に壁が塞がっており、彼女の姿は見えない。


「さて、どれほど閉じ込めておけるものか」


「あの迷宮は時空が歪んでおりますからな。自力での脱出には時が掛かりましょう。

 一度、依代を捨て天界へと呼び戻される事になるでしょうな。そちらの方がまだ早い」


「ふん…依代を捨てるのならば死んだも同然だな。あれ程に神の力に耐えられる依代もそうそうあるまい。魂を幾つつぎ込んだ肉体だったか。あの白竜も捨てるか」


「えーと、ルイスさん。貴方でも彼女を消滅させるのは難しかったんですか?」


「私は武闘派ではございません故に。悪魔の芸術品オーパーツの創作者としては一流を自負しておりますが、力の強さでいえば中の下と言ったところでございます。

 そうですな…力の強さで言えば、黒貌か、金狐か。黒曜石の鏡、神雷。奴らのような脳筋であれば神をも消滅させましょうが」


「七大悪魔王はどうした?」


「今はおりませんので。居るといえば居ますが。彼らは特殊ですからな」


「そういうものか」


肩を竦めたカミナギリヤさんはどっかと座り込んで疲れたように首筋を揉んでいる。

うん、確かに疲れた。つーかいつまで持ち上げているのだ。そろそろ降ろして欲しい。

思って暴れていると察したのかどうなのか、ポンと放られた。受け止めてくれたのは綾音さんである。ぐぬぬ。なんだか扱いが悪いぞ。

しかし、シルフィードの最後の攻撃、そのタイミング。あれは絶対に当たったと思ったのだが。全員怪我らしい怪我も無い。


「さっきの攻撃大丈夫だったの?」


一応尋ねておく。何かあったら大変だ。


「ああ、大丈夫だ。クーヤ殿のおかげでな」


「あはは、クーヤちゃんは凄いですねー」


「お嬢様バリアを舐めてもらっては困りますな」


「バリアーにすんな!」


うぎーっと暴れる。

というか、私をバリアにして防げたのかあれが。

意外だ。身体を見下ろしてみるが、特に問題はない。

怪我の一つもない健康的なむちむち幼児ボディである。ダイエットが必要であろうか。まあいい。


「魂源魔法などお嬢様には通用いたしませんからな。

 あれは魂の力、霊格の強さがものを言う世界。それで言えばあの状況ならば神器などより投石の方がマシでございます。

 神や眷属はどうしても己の魂源や神器に頼る傾向にありますが。魂源魔法と神器でお嬢様に傷を付けたいのならばレガノアでも連れて来いという話。

 精霊魔法、文字魔法に結界術、身体術、音魔術、総じて媒介魔術、種族能力。何れもお嬢様ならば掠っただけでぽっくり逝けますが。魂源魔法だけは話が別ですな。

 例えば……そこな娘。その娘が持つ力。第六感、超感覚的知覚…一般には超能力と呼ばれるもので悪魔も持つ能力の一つですが。

 その力でお嬢様に干渉するのは不可能なのですよ。意思の力、魂の力であるが故に」


「へー…」


凄いぞ私。神様相手なら無敵ではないか。そうか、痛かったり痛くなかったりするのはこれか。

胸を張ってえばりくさってやった。威張っていいはずだ。褒めろ!


「まぁ念力で石をぶつけられれば死にますが」


「な、なにぃ!?」


全然駄目じゃないか!!

というかそれってつまりさっきの攻撃も飛んできた瓦礫にあたってればナミアミダブツだったって事だ。

危ねえ!むしろそっちの方が確率高かっただろ!

まったく!まったく!!

地団駄を踏むのは危ないので、普通にカミナギリヤさんの横に陣取った。

ふぃーとひとつ息をついて思い返す。

なんだか気になる事を言っていたな。


「七大悪魔王なんて居るの?」


なんだかかっこよさげである。生意気な。


「居ますとも。悪魔の中でもポピュラーでございましょう。既に傲慢と暴食、強欲。それに憤怒と嫉妬が物質界に居るようでございます。

 居らぬは怠惰と色欲のみですな」


「……え!?もう居るの!?」


「左様で御座います」


マジか。何で来ないんだ。私が最弱すぎて仕えんのヤダとか?……有り得る。ぐぬぬ。

クソッ!いつか見返してやる!

ボンッと音を立ててウサギ悪魔がウサギ化する。省エネモードに入ったらしい。

もにもにとウサギハンドでウサ耳を曲げたりと愛想の振りまきに余念がない。おのれ。可愛いからよせ。綾音さんがじーっとケダモノの目でルイスを見ている。女の子はああいうものに弱いものなのだ。仕方が無い。


「あの迷宮は結局なんだったんでしょうかねー」


「…うーん」


ウルトの疑問に唸る。確かに。結局何がなんだか分からなかった。

シルフィードを閉じ込めたが……大丈夫だろうか?

そもそも私の勘だ。彼女が出て来れないというのは。ウルトのように壁を破壊できたらどうしよう。


「氷雪王、閉じ込めておけるのかなー。壁に穴開けたりしないかな」


「問題などないでしょう。ああ見えて巨大な力を持っている生物ですからな。

 その竜はあの生物と属性を同じくするからこそ脱出できましたが。

 氷雪王の力では無理でございますよ」


「ふーん……生物か……生物………生き物!?」


目を剥いた。マジか。


「……あの迷宮そのものが生きている、という事か?」


「アレは生き物でございますよ。お嬢様はお気付きになりませんで?」


「知るか!!」


「肉体、周りの建造物こそこちらの世界で作り出したものですが。母体は八隻ある神舟、その一つでございます。

 その最深部にあるのはアレの制御核。ふむ、そうですな。あれもまた異界人、と呼ばれるものでございますよ。

 本来は核のみで流れてきたものが神舟という肉体を得たものです」


「えぇー…」


あれで舟なのか。なんてデタラメな。というか協会が欲しがっているものってそれか。


「神舟か…。道理で凄まじい力を持っているわけだな」


「それも嘗て時渡りの舟と呼ばれたものですからな。制御核を押さえれば時間跳躍すら可能になりましょう」


すげぇ。そんなものがあるのか。


「主を喜んで迎えたものを。不憫ですな。あぁ、お嬢様。西に行かれるのでしたらカゲイラの街に寄られる事をお勧めいたします」


「カゲイラ?」


「医者がおりますよ。竜でも診そうな変わり者の医者が」


「お」


それは重要だ。

背中を占領する竜を見つめる。相変わらず傷だらけだ。何とかするべきだ。


「えー、医者ですか?嫌です。薬臭いし銀臭いし」


「我が儘言うなーい!」


子供かよ!


「とにかく行くぞー!」


「えー」


ぶーぶーと嫌がるウルトを無理やり軌道修正させる。

医者はどこだ!



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