サラマンダーより早い

「クソッ!クソッ!クソッ!!」


じくじくと疼く腕。その痛みに後押しされるように手にした剣。

やるのではなかった。やるのでは。

だが、もう遅い。

無用の長物と化した根元から捻り折られた自慢であった長剣を投げ捨てる。

音も無く雪に埋もれた剣を一瞥する事も無く逃げる。

この港から南か、西に逃げるか。人間とのハーフである自分なら南が良いだろう。

船はいつだったか。思い出す。確か…三日後に一本あった筈だ。運がいい。

その間を何とか凌ぎ、その船に乗り込む。それしかない。

走りながら肩越しに振り返る。追ってきている様子は無い。あの娘は身体能力はそう無い。警戒すべきはあの力のみ。

何とかなる。なる、筈だった。

可笑しいだろう、何故追いつく?

雪に投げ出された己の右腕を呆然と眺める。


「あと三本しかないの」


「ひぃっ…!悪かった!!俺が悪かった、謝るよ!もう二度とやらねぇ、本当だ!!」


月が照らしだすその娘。

煌々と輝く両目は魔族や亜人、神霊族にも目にした事が無いような尋常ならざる色。

目にも鮮やか、虹彩どころか瞳孔までも不気味なパステルピンクという狂った色の瞳は最早悪魔か何かにしか見えない。

手に持った刃渡り20センチ程の短い片刃の短刀はとても戦う為の得物には見えないが。酷く、不気味だった。


「それが?」


「ひぎっ…」


ブチブチと肉の繊維が引き千切られる音がする。それが自分の身体から聞こえてくるなど悪夢だった。

首が回る。首が。

気道が塞がれ悲鳴すら上げられない。触れられもしないのに勝手に回る首は、まるで自分の意思で後ろを向こうとしているかのようだった。

血が吹き出るのが霞みつつある視界の隅に映る。

悟った。受け入れられなかったのは、異界からの異邦人だからではない。異物だ。この世界に落とされた異物。稀に居るのだ。こんなアウトサイダーが。

実のところ―――――異界人には三種類居るのだ。東での研究結果としてそうなっている。

一つはギルド総裁のような、道端歩いていたら落っこちただとか抜かすような異界人。

二つ目が、今はもう失伝したが、召喚の儀式を経てこちらから呼び出した口。

もう一つは。

目の前に居る。何かやって落とされた口だ。人を殺しすぎただとか、神に叛逆しただとか、何かしらやらかした連中だ。

異界人の中でも、滅多に居るものではない。何かやって、死んで、誰が拾い上げて導くのか。その後にここに来るのだ。それこそ冗談でも何でもなく悪魔の使途というのも在りうる話だ。

協会で一人、同じような奴が捕らえられていると聞いたが。まさか、こんな近くに異物が居るなどと思わなかった。

男は、ブロートは東へ情報を流す役目を負っていた。故に、彼女のことは苦々しく思っていたのだ。

このギルドを総括するギルドマスター、ブロートは長年取り入ろうとしていたのだが。何を思ったかこんな娘を代理に立てて自らはクエストに出るとは。次期ブルードラゴン支部ギルドマスターと指名したも同然の行為だった。

ブロートは荒れた。準人間への道、東への永住。あと少しでそれが切り開かれるというのに。

その上に、これである。もがれた腕は切断面が酷く潰れていて回復は不可能だった。

高位光魔法でなくては無理だ。そしてこんな場所にそんな魔法を使えるような人間が居るわけも無く。

この街の医者では東とは比べ物にもならないような原始的な方法で以って傷を塞ぐしかなかった。

おかげで碌な回復も出来ず縫い合わされ、痛みと熱に疼く腕を抱え込む羽目になったのだ。そして剣を取った。結果はご覧の有様。

やるのではなかった。最後にもう一度思った。



空を見上げる。

転がる死体はいつもどおりだ。

埋めるよりも、海が近いならば流せばいい。いつもと変わらない。ここに来てからも。そして来る前も。

別に放置してもいいが。ここでは隠す必要があまりない。

彼の思考のノイズ、それを言えば殺した事を咎められはしないだろう。

大した情報は流せていないだろうが、やった事は変わらない。


「あの子は私の事、覚えていないんでしょうか」


呟きは雪に埋もれるように消えた。










「ちょっと巣に戻りたいんですよねー」


ウルトがそんな事を言い出したのはお昼を食べ終わってお茶を飲んでのまったりタイムの事だった。ちなみに私が腰掛ける椅子は私専用である。お子様用椅子とも言うが。

マジックペンででかでかとあんこくしんちゃんと書いたのでもう私のもんだ。

マリーさん達に連絡を取ってから二日。未だお迎えとやらは来ないのでクエストを皆で黙々とこなしている真っ最中である。

とはいっても、このメンバー勢ぞろいでやるような依頼がそうそうあるわけもなく。

フィリアもウルトもおじさんもカミナギリヤさんも好き勝手自分好みのクエストを受けているらしい。

私は地道にゴミ掃除や採取をしている。

後は前に作った安眠枕が大絶賛だったらしく、ちまちまと追加注文が来ている。

どうにもどんな不眠野郎でもたちどころに眠りへと誘う、それも一度寝たら永遠に起きれないんじゃないかと言うスリルを味わえる悪魔のような枕という事で人気が出てきているらしい。

というか安眠枕の製作を皮切りに、何故だか奇妙な依頼はまず私という謎の不文律が出来上がりつつあるらしいこのギルドは変な依頼が来ると大体私に回そうとしてくるのは納得いかねぇ。

なんだよ全自動自慰マシーン製作て。文字通り天に帰れよ。昇天しろ。オナホール職人の朝は早いってやかましいわ。

まあいい、それよりウルトである。


「巣ってあの青の祠?」


「いえ、違いますよ。西にあるんですよね。ここから結構近い場所なんですけど。

 ちょっと気になってるんです」


「何か置いてるとか?」


「そうなんですよ。無いなら無いで別に構わないんですけど。僕が巣に溜め込んでいた財宝ですよ」


「財宝…」


ドラゴンと言ったら穴倉で財宝集めてぐうたら生活ってイメージがあるもんな。

ウルトも御多分に洩れずトカゲらしくお宝が好きなようだ。そういや展覧会で光物に飛びついてたな。

しかしウルトが掻き集めてきた財宝か。凄そうだ。


「この街って職人が多いじゃないですか。ああいうのを見てて思い出したんですよね。どうなってるかなーって」


「ふーん…」


西の大陸か。

ここから近いというと…地図を思い出す。

遥か昔は繋がっていたのだろうかと思わせるような形で西大陸の上の方に北大陸に引っ張られるかのように出っ張って伸びている箇所があったな。あの辺りだろうか。


「行けばいいんじゃないかなー」


別に止める理由はないしな。

かなりの速度で空を飛べるウルトならば日帰りとは言わないが、二日、三日で帰ってくるだろう。

夕飯前には帰ってくるのよってなもんである。


「あ、そうですか?じゃあ、いつ出発します?

 僕は今からでもいいですけど」


「え?」


何言ってるんだ。好きに出発すればいいだろう。別に頼むような用事もないし。


「私は行きませんわよ。この後はアッシュさんとクエストを受けていますの」


「あの、すみません、ご一緒できなくて…」


「ふむ、では私が行こう。暇だからな。それに西には随分と行っていない。様子も見たいからな」


「え?」


話の流れが可笑しい気がする。

ちょっと待って欲しい。

どこと無く嬉しそうにカミナギリヤさんは顎に手を当て頷いた。


「我らカルガモ部隊、部隊資金としてウルトディアスの財宝を接収しようではないか」


気に入ったんだろうか。カルガモ部隊。

しかし我ら?何故に複数形?


「西に行くんですか?あの、差し支えなければご一緒させて貰えませんか?

 気になることがあるんです」


「え?」


話を聞いていたらしい綾音さんがちょこちょことカウンターから出てきた。


「どうしましたの?」


「西の様子が可笑しいんです。ここ最近、交易の便も少なくなってきていて調べてはいたんですが。

 今朝の事なんです。海に人が打ち上げられていて。魔族の方だったんですが…先ほど意識が戻りまして、話を伺ったところ、どうにも様子が…」


「ただの遭難者ではない、ということか?」


「はい。酷く錯乱していて…。

 彼はリグシリアに住んでいたそうなんですけど。協会が統治している区域の隣にある国なんですが。

 西の大聖卿が二年前に変わったのは知っていますか?」


「確か…ラクルド大聖卿でしたわね」


「かなり、大混乱しているらしくて。私も半信半疑で…西のギルドに連絡を取ろうとしたんですが、繋がらないんです。

 確かに状況が状況なので西にはギルドは少ないんですけど…全部です。あまりギルド同士で連絡を取り合ったりしない事が仇になってしまいました。

 いつ頃から繋がらないのか全く分からない状況です。情報が完全に遮断されています」


「それは…確かに、可笑しいですわね」


「へー、大変そうですね。西に行った人って居るんですか?」


「いえ、西に行く人は滅多にいません。出る人は多いんですけど。ただでさえあそこは酷いので…」


「先の大戦の敵種族ですものね。まるで憎悪の嵐が吹き荒れているかのような大陸ですわ」


ふーん。西で何やらあったらしい。というかなんか酷そうだ。余程の扱いをされているのだろう。

カミナギリヤさんがふーむと太ましい腕を組んで唸った。


「その魔族に詳しく話は聞けんのか?」


「すみません、不可能です。声帯が潰されていて衰弱も激しく…。私も思念会話で話を聞いただけなんです」


…そりゃ凄い。命からがら逃げてきたのだろう。

おじさんが言い難そうに呟いた。


「…それは、その。西の方で、今までの比ではない人間による魔族の弾圧が行われている、と、そういう事でしょうか…」


「……その可能性が高い、という事です。ギルドも潰されているかもしれません」


「南は様子はどうなのだ?

 亜人の扱いも魔族程ではないがそれよりはマシという程度だろう?」


「後でヒノエさんに話を伺いましょう。

 その後に西への同行をさせてくださいませんか?」


全員がこっち見た。


「ヌ」


……仕方が無い。


「カルガモ部隊、発進準備ー!!」


腕を高々と掲げて宣言した。


「お気をつけくださいまし。神降しの儀が近いですから、ヴァルキリーや天女などが巡回している可能性が高いですわ。

 それに、この辺りには竜種が多いですし」


「あの、皆さん…気をつけてください」


「うむ!」


力強くお留守番の二人に頷く。


「リーダー、いつ出発するんですか?」


「え?えーと、ヒノエさんのところに行ってから一時間後だー!」


「荷物はどれ程持ち込めるんでしょうか?」


「え?え?えーと、手荷物一つとするー!」


「バナナはおやつに入るのか」


「入らないわーい!」


途中でからかわれた気がする。

お茶目な妖精さんである。



「南かい?うーん…アタイも五年前に飛び出したっきりさね。

 何かあったのかい?」


「それが…」


鍛冶屋が軒先を並べる広場の休憩所で寛いでいた相も変わらず素晴らしいマズルを持った美女は縞々武器をくるくると回しながらフンフンと鼻を鳴らした。めっちゃ押してぇ。

見回すとあちこちに武器を研いだりハンマーでぶっ叩いている人達が居る。武器の魔改造中だろうか。防具を並べたり軽く打ち合ったりと中々の賑やかさである。

たったかと走り回る。


「……なるほどね。そりゃ気になるねぇ」


「南のギルドに連絡を取ってみます。

 協会発行の地図も更新される時期ですし、そちらも入手しましょう。もしかしたら何かあるかもしれません」


「そうさね。そうした方がいいだろうね。

 そのドラゴンに乗って西に行くんだろ?気をつけるんだよ。どうにもきな臭いからねぇ」


「有難うございます。

 あ、ヒノエさん。ギルドに香草がいくつか届いていますよ。後でお持ちしますね」


「本当かい!?ありがたいねぇ!ロディアンヌの葉はあるかい?」


「勿論です!あれはいい香りですから!」


お、美味そうな店発見。

覗き込む。ふむ、少々カラフルだがウニのようだ。丸焼きにされている。


「くれー!」


「ん?珍しいな。こんなもん欲しがるガキたぁな。

 一個400シリンだ。食い方は分かるか?」


「多分大丈夫だー!」


手に入れたウニモドキはホコホコに焼きあがっている。

どれどれ。

口の中にぽいっと放り込んだ。むむ、トゲがいてぇ。


「……ハリセンボンみてぇだな。

 割って食うに決まってるだろ。んな食い方初めて見たぞ」


「おー」


しくじったようだ。残念。

ペッと吐き出してガツガツとポシェットに溜め込んでいるクズ石で割った。


「ここが食える部分だ。後は内臓だ。ただ苦いだけだから食うな。腹も下す」


ドワーフのおっさんはスプーンで殻の内側をこそいで手渡してくれた。

ウニモドキの卵らしい。バクッと食らいつく。うめぇ。

殻は後ろに付いて来ているスライムに与えておく。大きくなるんだぞ。


「しかし、お前さん。そのバッグに何入れてるんだ?そりゃあ鉱石か?」


「拾ったー」


「ふん、見せてみぃ」


「どーぞ」


大き目の石を握って普段からハンマーをぶっ叩いているのであろうタコだらけのでっけぇ手にぎゅっと乗せた。

私の手には大きくともこのドワーフのおっさんには小さいな。

しかし…石の色が少し変わっている気がするな。気のせいか?


「…………どこでこれを拾うた?」


「え?この辺ですよ。展示会の時に皆さんがポイポイ道端に投げ捨てまくってたアレです」


「……なんぞ力に当てられて変質しちょる。見たことねぇ」


変質…。何か変わっているという事だろう。色が変わっているのは気のせいではなかったようだ。

ポシェットを漁くりまくって残りのクズ石を取り出す。うーん。拾った時には結構色とりどりだったのだが。全部真っ黒になっている。なんであろうか。


「ガキンチョ。こいつをこの街に卸さねぇか?持ってんのはこれだけか?」


「持っているのはこれだけですなー」


「全部買い取る。こいつでどうだ?」


提示されたのは翠の縞々の変わった宝石だった。加工の技術といい、随分と高そうだが。いいのか?ただのクズ石なのだが。


「こんな高そうなのいいんですか?」


「構やしねぇよ。それなりのモンにはそれなりの価値のモンを渡すんだ。

 ドワーフは強欲だがそこは弁えちょる」


「うーん、……ならまぁ。いいですけど」


宝石を受け取ってごそごそとポシェットに仕舞い込む。

そこでふと思いついた。このポシェットに入れていると変わるのかもしれない。

実験してみるか。


「あと何かクズ石ください」


「ん?ああ…その山から適当に持ってけ」


指差した先には廃石置き場らしい。ごちゃごちゃと石が堆く積まれている。

重くない程度にポシェットに詰めてからバンバンと叩いた。

よし、完璧だ。二人のところに戻るか。スライムを抱えて、てってけと走り出した。


「あ、戻ってきました。それじゃあヒノエさん。失礼しますね」


「行ってきな。無事に戻って来るんだよ。

 ああ、アンタ……クーヤ。こいつは凄いね。いいのかい?こんなとんでもない武器貰っちまって」


ヒノエさんは縞々両剣をくるくると回しながらそう尋ねてきた。

いいも何もヒノエさんの為に作った武器である。ヒノエさん専用なのだ。


「別にいいですよ。ヒノエさん専用なのです。役立ててください」


「そうかい。なら遠慮なく貰うけど。…こいつなら勇者も殺せそうだねぇ」


何か絶対何が何でも首だけになっても勇者殺す的な目をしている。怖い。魔王になってしまいそうだ。

さっさと逃げるべし。


「よし、綾音さん行くぞー!」


「はい。それじゃあヒノエさん。後でまた」


「気を付けるんだよ。…そうだ、二人共。ブロートのボンクラを見なかったかい?

 今朝から姿が見えないんだが」


「ブロートさんですか?いえ、私は見ていませんが…。

 特に伝言などは残されていなかったんですか?」


「ああ。剣を持ってどっかに行っちまったみたいでね。

 荷物はそのままだったから直ぐに戻ってくるかと思ってたんだが…。この時間になっても戻ってきやしないのさ」


「それならギルドの方で掲示板に乗せておきます。

 街から離れるなんてそう無いとは思いますし、直ぐに連絡が取れると思うんですが…」


「そうだね。感謝するよ」


ん?

何だかぞわっとしたね。何であろうか。何やら見てはいけないものを見た気がする。

よし、忘れよう。

綾音さんと連れ立って広場を抜け出した。


「クーヤさん、私はギルドの用事を済ませておきます。

 後で合流しましょう」


「おー」


手を振って見送る。よし、私も準備するか。時間はまだある。ポシェットを眺める。

本も入っている。木の枝も刺さっている。スライムもばっちり居る。


「あれ?もう無いな」


完璧だった。ケチの付け所など無く、手の入れようが無い。終わってしまった。仕方が無い、オヤツでも買いに行くか。

空中である事を加味して飴玉にしとくか。メンツは乗り物たるウルトにカミナギリヤさんに綾音さん。話を聞いていた限り、なんだか心もとない気もするが…。大丈夫だろう。

腕輪を眺める。いざとなったらウサギ召喚しとこう。

そんなに危険な目にあわない事が一番だが。

頭の中に街の地図を描く。この近くには確か、竜人族のおばあちゃんがやっている食料店。そこにお手製のオヤツが並んでいた。この数日で食料関係はリサーチ済みである。恐れ戦くがいい。

多少、クズ石を入れすぎてポシェットが重い。この調子だとあんまり入らないな。程ほどにしておくか。

枝を振り回しつつるんるんと歩き出した。待っていろオヤツ。喰らい尽くしてくれるわ。

買い物を済ませてギルドに戻ると、どうやら皆さん既にお揃いのようである。意外に早かった。一番遅いとはこの暗黒神、一生の不覚である。いいけど。


「あ、揃ったみたいですね」


「では行くか。一度街の外に出るぞ」


「そうですね。街中では目立ちますし」


うむ!準備万端、出発進行!


「行くぞ野郎どもー!」


すたたたと走り出す。行き先は西大陸、ウルトの巣。目的は西大陸の情報収集と財宝の接収である。


「クーヤちゃん、そっちは逆ですよー」


「ブギィ…」


すごすごと戻った。




その男は半ば転がり込むようにしてギルドへ飛び込んできた。蹴り抜かれてご開帳という暴挙を働かれた哀れなドアは乱暴はやめてとばかりにギィギィと悲鳴を上げている。

そのまま一直線にカウンターへ突撃、鼻息荒く叫んだ。


「……ロリコン御用達の露出癖のあるガキンチョってのはどこだぁ!?」


「へっ!?いえ、あの!?えぇっ!?」


受付を担当していたジョゼが言葉を返せぬのも無理からぬ話だ。

奇妙な二人組だった。一人は目の前で少々心配になるほどに消耗しきった人間の男。何をどうここまで来たのか。浮浪者もかくや、何年も着続けたかのごとくあちこち擦り切れたボロ布と化した服はずぶ濡れ。ボタボタと雫が落ちるに任せる姿に自分が掃除をするのだろうかと頭の隅で少しだけ思う。

サングラス越しであっても分かるその視線の鋭さは控えめに言ってもヤの付く自由業のアレである。

その後ろに穏やかな微笑を浮かべ控えているのは同じく人間の女。こちらもボロボロではあるが男の従者なのか、人間の貴族に仕える者が着るような服を身に纏い、物言わず楚々と控える姿は男と並び立つと違和感しか感じられない。

はっきり言って関わりたくない。仕事でなければ目も合わせなかっただろう。

しかも用件の内容がまた笑えない。すわロリコンか、誅滅すべきか。頭の中でぐるぐると考える。無意識にカウンターの影で武器を握ってしまった。


「だから!ガキンチョだガキンチョ!!クソッ!!あのババア、人をいい様にこき使いやがって!」


「あ、あの、そう言われてましても何の事か…」


「ああ!?」


「ひっ!」


「ぐぐ…ここもスカか…。

 あのババァ……、何が早くわたくし達の大事な仲間を連れ戻しなさいなパシリ、あのお方をお待たせするのではなくてよこのグズ、全く使えなくてよ貴方、犬の方がマシね、だ……。

 好き勝手抜かしやがって……いつか白杭を心臓に打ち込んで灰にしてやるクソ吸血鬼が……北大陸の何処かにいらっしゃるわ、自分で探しなさいな、じゃねぇんだよ!わかるかクソが!!」


誰かの物真似であろう部分だけ甲高い声で器用に喋っている。無駄に凝り性だ。見た目が見た目だけに甲高い女口調で喋られるなど最悪だ。

今すぐやめて欲しいと思ったのはジョゼだけではないだろう。


「あ、あの…御用がお済みでしたら申し訳ありませんが他のお客様もいらっしゃいますので……」


暗にさっさとどっか行けと言ってみるが聞いているのか聞いていないのか相変わらず床を水浸しに汚しながら微動だにしない。

背後に控えていた女性が困ったように微笑みながら頬に手を当てながら男の後を引き継いだ。


「あらあらまぁまぁ…ごめんなさいねぇ。

 私達、人を探しているの。アヴィスクーヤちゃんって言うんですって。

 ご存知ないかしら?私達はマリーベルさん達のお使いで来たのよ~」


「あ…」


なんともおっとりとした口調にホッとしながら手元のカウンターに備え付けられている共有事項の束を手に取る。

その話はジョゼにも伝わっている事だった。


「お二人がマリーベルさんのお使いなのですね。

 はい、確かにアヴィスクーヤさんはこちらに滞在しております。お待ちしておりました」


「………マジか!?」


「はい。……ですが、申し訳ありません。ただ今、当ギルドマスター代理、綾音さんもそのアヴィスクーヤさんも席を外しております。

 西の大陸の情報収集の為、二、三日程留守にすると伝言が残されています。

 ギルドの向かいにてギルド提供の宿がございますので、そこで暫くお過ごしください。

 こちらが使用許可証になります。こちらご提示いただければご利用いただけます」


差し出したギルドの刻印が成された二枚の銀板を受け取ったのは女性の方だった。

男の方は考え込むかのように顎に手を当てて唸っている。


「まぁまぁ、感謝するわねぇ。それにしても困ったわぁ。

 カグラちゃん、どうしましょう~」


「……アンジェラ、いい加減にちゃん付けは止せ。

 ったく……。おい、そのガキンチョは西に行くって言ったのか?」


「はい。彼女は…えーと、ドラゴン様とお知り合いのようでして…彼に乗せてもらうそうです」


「……様?あんた変わってるな。トカゲなんかを様呼ばわりか?」


男の言うことは最もである。ドラゴンと言えば誰もが騎乗用の生物を思い浮かべるものだ。確かに強靭な肉体と強力な種族特性を誇る種ではあるが、勿論言葉など解さないし、人化もしない。それが人々の認識するドラゴン種族というものである。ジョゼとてそうだった。これは至極一般的な常識である。

だからこそ、断じて一般的なドラゴンと一緒にしていい人物ではないので様をつけているがそれをここで言ってもしょうがない。

言っても信じられないだろう。誰が信じると言うのだ。こんな人里に神竜種が居るなぞ。しかも彼の神竜が幼い子供の騎乗用に甘んじている、挙句にちょっと楽しそうなどと。


「まぁ、そのー、ちょっと。色々事情がございまして…」


「あっそ。いいけどよ。ガキンチョ共が出発したのはいつだ?」


「五時間ほど前ですが……あの、追いかけるつもりですか?」


ここには騎乗用のドラゴンなど飼っていないし、船など論外だ。生身の魔術で?まさか。

男は不適に口端をあげ、コートの裾を払った。懐に銀の煌き。ジョゼは目を見張った。珍しいものを持っているものだ。銀の銃など。


「待つのは性にあわねぇ。男なら弾丸のように曲がらず止まらず突っ走る。そうだろ?」


湿気た煙草に火を点けてコートを翻し男は背を向ける。

女性が一礼してからその後を追った。

呆然と二人を見送ってから――――――ジョゼは気付いた。床の掃除を押し付けられた、と。







相変わらず顔面にぶち当たる風。

落ちる心配は今回はいらない。

カミナギリヤさんという安定感抜群の椅子があるので。

もっちゃもっちゃと飴玉を口に放り込んで頬張る。


「ウルトディアス、今はどの辺りだ?」


竜形態だと喋りにくいのだろうか。ウルトは一つ、グルルと唸った。多分まだ四分の一ぐらいと言ったのだろう。

五時間で四分の一か。単純に考えてあと十五時間?えー…。考えただけで疲れるのだが。途中で休憩が欲しい。


「凄いです、速いです!」


綾音さんはウルトに乗った直後からずっとこんな感じで大興奮である。

ぴょんぴょんと飛び跳ねて大喜びしている。どうやってるんだ。何で落ちないんだ。謎である。

高度は既に雲の中。落ちれば勿論命は無い。どっからあんな度胸が湧いてくるのであろう。クラスの地味っ子なのに。生意気である。そこはプルプルとしつつこわいですーと言う担当だろう。なってないな。おじさんならそう言うぞ。

飴玉が無くなったのでがさがさとポシェットを漁る。あとどれぐらい残っているだろうか。ともすれば行きだけで食べきってしまいそうだ。しくじった。

ポシェットじゃなくて地獄に大量保存すべきだったか?いや、でもあの中に入れると分解されそうだしなぁ。


「む」


こんころりん、石が一つ転げ落ちていった。

手を伸ばすが届くわけもなく。ウルトの蒼い鱗に弾かれるように石は雲の中へとダイブ、空の彼方へと消えていった。


「あーあ」


残念。一個無駄にしてしまった。


「ふむ、クーヤ殿。中々やるな」


「え?」


「当たった」


「……?」


石が消えた方向へ視線を向ける。

当たった?鳥でも居たのだろうか?

いつのまにやら取り出していたらしい神弓ハーヴェスト・クイ-ン。

放たれた光は遥か後方へ。


「クーヤさん!こちらへ!」


綾音さんも臨戦態勢である。

はて?

辺りを見回す。雲の中なので当たり前だが何も見えない。


「ウルトディアス!速度を上げろ!」


カミナギリヤさんの言葉にウルトが大きく翼を打つ。

風を切って飛ぶ。

ごうごうという音は既に耳に痛い程で最早風の音しか聞こえない。

徐々に周囲が明るくなり始める。

視界が一気に開ける。雲を抜けたのだ。

透き通る蒼穹の空。微か、大きなリングをつけた縞模様の惑星の輪郭が見える。地上からは見えなかった景色だった。

眼下に広がる真白の雲海。太陽の光が刺すほどに視界を焼く。


「キュイィイイィイイ!!」


「ギャーーーーーーッ!!!」


何か居た。どてっと尻餅ひとつ。うっかりそのままひっくり返るところである。

鳥か?鳥と言うには聊か無理があるか。

その背には女性が乗っている。かなりの数である。


「ふん!ヴァルキュリア共が!」


カミナギリヤさんが何人か撃ち落すが。直ぐに体勢を整えて舞い戻ってくる。

大してダメージがないらしい。


「ウルトディアス!振り切れ!!」


「じゃ、ちょっと本気だして飛びますねー」


それだけは人の言葉で告げると、ウルトは僅かな間、姿勢を制御するかの如くその場で羽を打ってとどまる。

周囲の雲が円形に飛散する。ゆらんと前方へほんの少しだけ雲が動いた。それがウルトの速度を上げる予備動作のせいであると気付いたのは雲が圧倒的な速度で後ろへと流れていくに至ってである。

叫ぶ。ただ叫ぶ。何を言っているか自分でも分からない。来るんじゃなかった。断固として来るんじゃなかった。頭の中はそれ一色。

ヴァルキュリアとかいう鳥達は既にその姿は見えない。数秒で振り切ってしまったらしい。

スピード狂なのかどうなのか、ウルトの方向から微かな鼻歌が聞こえた。テンションが上がってきたらしい。下げろ。今すぐ下げろ。


「あはは。なんだか楽しくなってきましたねー」


ぐるん、視界が回る。


「ギャアァァァァァア!!」


空中ローリングまでやりだしたペドラゴンはまことご機嫌な様子である。


「やめ、やめろウルトー!」


「え?そうですか?当たっちゃいますけど」


「何がだー!」


「綾音殿!出来うる限り弾くぞ!」


「はい!」


言うが早いかバキンバキンと何かがぶつかるような音と共に周囲に火花が散る。

何だ?何か飛んできている、というより何か撃たれているらしい。

振り切ったと思ったのだが、まさかさっきの鳥が追いついてきたのだろうか?

飛んできているのは、魔法、だろうか?

それにしては物理っぽいが。


「愚か者め…」


吐き捨てるかのように呟いたカミナギリヤさんが数十本の矢を一気に放つ。

が、それらは全て白い鱗に弾かれた。

本当に追いついてきおった。鳥ではない。

ウルトがのほほんとその名を呼ぶ。


「へー、まだ生きてたんですねー。あんなにボロボロにして凍らせたのに。

 セロスレイドじゃないですかー」


ウルトの声に対するセロスレイドとか偉そうな名前らしい白い竜の返答は大気を震わせる咆哮だった。

あまりの声量に思わず耳を押さえる。

何を言ったのかわからん。まぁ多分くたばれこのペド野郎とかなんとか言ったんだろう。ウルトがさらりと恨まれても仕方が無い事呟いてるし。


「硬いな、やはり竜は竜か!」


「……すみません、何か結界が張ってあります。私の力も届きません!」


……背中に誰か乗っているな。結界とやらはそいつの仕業だろう。頭からつま先まで全身白い鎧に覆われた人物はその顔すら窺えない。

むぅ、人間だろうか?まさかどこぞの勇者か?


「よっと」


ウルトが尾を横薙ぎに白い竜へとぶつける。質量も馬鹿にならないウルトの強靭な尻尾である。かなりの衝撃の筈だが。白い竜にダメージどころかよろけるようなそぶりさえない。


「生意気だなー。

 そもそも僕に追いつくってのが生意気ですよ、生意気!」


ペドラゴンはギャースカ喚くとその口から氷のブレスを吐き散らかした。


「ヤ、ヤメロー!」


向こうよりこっちの方が凍るわ!この速度でそんなもん後ろに流れるに決まってるだろ!

にしても、カミナギリヤさんの矢もウルトのブレスも通さない竜に違和感を覚える。竜は竜、その通りだ。ウルトと同じく弱体化してるんじゃないのか?

うーん。よし、目を凝らしてみる。




名 セロスレイド


種族 眷属

クラス 天竜

性別 男


Lv:800

HP 12000/12000

MP 4000/4000




「む?」


天竜?ウルトと同じかと思ったが違うらしい。

しかも結構強いぞ。近寄ってきた白い竜にウルトが再び尾を振ってぶち当てる。やはり堪えた様子はない。


「昔はそんな色じゃなかったですよね?

 鞍替えしたんですか?」


「うわっ!!」


返ってきたのはやはり耳を劈く咆哮。ウルトと違って喋れないのか?

それに、やはり異常に硬い。ウルトの方が強いにもかかわらずだ。これは、見覚えがあるな。バーミリオンやグロウ、あいつらに似ている。

神の加護による補正、こいつも同じく何かしらの加護を持っているに違いない。


「ふん、その背に乗った者の眷属になったか。

 種としての特性はおろか、何れその名すらも無くなるだろうに。既に言葉も失っている。

 最早、竜であるのは見た目だけ。別の生き物だな」


白い竜はこちらよりも更にスピードを上げる。このままでは追い抜かれそうだ。

背に乗った鎧の塊は両手に何か、握っている。あれが先ほどの攻撃の正体だろう。

しかし前を取られるのはよろしくない気がするな。攻撃にしろ防衛にしろ、前を取られればこちらが不利だ。

それに目の前に来られればどうしてもこちらの速度が落ちるし、そうなれば後ろにいる鳥達が追いついてくる。

いや、もしかしたら鳥以外にも敵が増えているかもしれない。

ええい、なんて速さだ。ウルトもこれ以上はスピードは上げられないだろう。

本であの竜のスピード落とせないだろうか?確かそんなのがあった筈だ。

ページを捲ろうとして、ガクンと姿勢が崩れた。


「おおう!?」


必死にしがみつく。何かに支えられているような感じがある。綾音さんであろう。感謝である。絶対落ちてたぞ今の。危うく本も落とす所だ。出すのは危険かもしれない。

ポシェットにしまい込んだ。犯人は言わずもがな、現在の地面たるウルトである。一体なんだというのか。


「そうみたいですねー。氷雪王シルフィードですか。確かに今の僕らじゃ勝てないですけど。

 うーん。けどまぁ、それぐらいが丁度いいかもしれないですね」


なんら速度を落とすことなく。

ウルトはその場で器用に巨躯を捻る。

景色が回る。反転した身体。

こちらを追い抜こうとしていた白い竜、その身体に恐らくは本気であろうウルトの青白く光る尾が叩き付けられた。

ガシャンと結界が壊れる音、尻尾をモロに叩き込まれる事になった白い竜があっけなく吹き飛ぶ。

その一撃、その勢いのままに一回転したウルトは何でも無いことかのように言い放った。


「だって君、弱いですから」


翼を大きく打つ。煽るような風が刹那の間、止まった。

信じられない。あれ程の速度だったというのに。

ウルトにぶつかる雲がその軌道を変える。風は遅れてやってきた。

あんな竜など物の数ではないと言わんばかり。白竜を完全に置き去りにして蒼き竜は凍て付く魔風を撒き散らしながら雲海を泳ぐ。

雲に大穴が開いた。地上から見ればさぞ見ものであっただろう。蒼い光が雲を引き裂きながら一直線に空を翔ける様は。

追いつくものなど、居よう筈も無い。

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