妖精王の里

「うおおお…」


ここがエリュシオンに違いない。アヴァロンでもアルカディアでもいい。まさにロマンか。

御伽噺の世界のようだ。

飛び回る妖精たちにエルフらしき人たちが有翼馬の手綱を引き、ドライアドとでも言うべき姿の美しい女性達が寄り集まってキャッキャウフフしている。

素晴らしい世界だ。キランキランとしている。

混ざりたい。10年ぐらい混ざっていたい。

ここに住み着いてもう動きたくない。

フィリアとウルトがエルフらしき女性と話しているのを物陰からじーっとその様子を眺めてでへへと涎を垂らした。

そう、物陰から。

…悲しい。

やたらと怯えられるので仕方がない。

クソッ!ウルトの方が凶悪じゃん!

何故あんな変態のペドラゴンの方がニコやかに応対されているのだ。

納得いかねー!

膨れつつキョロキョロと辺りを見回す。

…うーむ、変わった建築物だ。

建築物と言っていいのかも怪しい。

何せただの植物である。

木をくり貫いた家が乱立する風景はまさに絵本の世界と言って過言ではない。

見上げるほどの巨大な植物はベンチ替わりなのか、これまた巨大な葉っぱに妖精たちが乗っかっている。

ホタルの光のような物が辺りには漂い、積もった雪に光が反射する様はその風景と相乗効果で実に幻想的だ。

大樹を中心にして円形に広がる街はそこまで大きいという訳ではない。

街と村の中間ぐらいだろう。

…迷子になる、という事もあるまい。

物陰から二人を伺う。

あんなに楽しそうにしやがって。

許さん。私も楽しんでいいはずだ。

私だけこんなに理不尽な目に合うなんて許されざる事なのだ!

私もあのファンタジーな住人とお花畑できゃっきゃうふふすべき。

うむ、この街のどっかに居ないだろうか?

私に怯えない、友好的でいい感じのファンタジー住人が!!

でししと笑ってその場から離れた。

目指すはあの中心の大樹。

取り合えず一番栄えてそうだし、あそこを拠点としてこの街を散策してやろうではないか。


「ふふーん」


鼻歌交じりで闊歩する。

…見事に全員逃げていくな。

おのれー。そんなに怯えなくてもいいじゃんか。

適当にとっ捕まえてみようか?

いやでも出会った頃のカナリーさんを思うに失神してしまうかもしれない。

それは困る。

時間を掛ければ慣れてはくれるのだろうが…。

ちえっ。

あっという間に大樹に辿り着いてしまった。

だってどこに行っても怯えられるし。

立ち止まるとか出来なかったのだ。

無念…。

しかしここは賑やかだな。

住人が沢山居る。

私に気づいた近くの人たちが顔を引き攣らせて脱兎の如く逃げて行くのは見ないふりをしてやろう。うん。泣いてない。


「おー」


湖だ。

いや小川か?

大樹の周りには如何にも私清らかですといわんばかりの清らかそーな水が溢れている。

そこに居るのは水に戯れる人魚さん達だ。

素晴らしい。

写真に取りたい。

人魚さん達にも色々種族があるのだろう。

羽根が生えていたり二本足だったり色々居るようだ。

見ていて飽きないな。

何か全員怯えるし、多分どこ行っても友好的なのは居ないな。

もうここで遠巻きに住人を眺めていようか。

そっちのほうが精神的にいい感じだ。

きゃっきゃうふふの住人にはなれない私は一人寂しくここでクラスメイトから遊びにハブられる子供の如く指を咥えて眺めているのがお似合いなのだ。

クソッ!ウルトくたばれ!

適当に見繕ったその辺の木に腰掛けてふーと息をつく。

私が座り込んだ事で住人達も安心したのか、近寄っては来ないが逃げ出す事もなくなった。

初めからこうするべきだったか。

あー、誰でもいいから私とイチャイチャしてくんないかなー。

ここまで避けられると流石に寂しくなってきた。

ウルトは論外。

悪魔?知らんな。

可愛いファンタジー住人がいい。

戻ったらカナリーさんふん捕まえて頬ずりしてやろう。


「あれ?」


そう思っていると、今まさに思い浮かべていた妖精が少し離れたところをすいーっと飛んでいったのが視界に入った。

変だな。

こんなところに。

立ち上がって声を上げる。


「カナリーさーん!」


「!!」


ぎょっとして振り返ったカナリーさんは…あれ?カナリーさんじゃないな。

人違い、いや、妖精違いだったようだ。

よく見たらカラーリングも違うし。

キャメロットという名前のようだ。

何だかうまそうな。

クラスも水の妖精ではなく水の大妖精となっている。ちょっと偉いようだ。


「すみません、妖精違いでした」


謝ってから再び座った。

よく考えたらこんなところにカナリーさんが居るわけないな。

ちょっと恥ずかしい。

が、そのまま逃げると思っていたカナリーさんそっくり妖精さんは恐る恐るとこちらに近寄って来る。

おや?何であろうか。


「カナリー、といったの?あの子を知っているの?」


「え?あ、はい」


知り合いなのだろうか?


「あの子を、どうしたの。何故あの子は帰って来ないの?貴女…カナリーに何をしたの!!」


「ギャーッ!!」


叫ぶが早いか、水を飛ばしてきた。

何て攻撃的な妖精だ!

必死に避ける。


「なな、な、ななな何もしてませんわーい!」


因縁だ!!言いがかりだ!!

べちょっと尻餅をついた。


「嘘をつかないで!貴女、カナリーを食べたのでしょう!?」


「食べるか!!」


むしろいつも私のご飯を食べられているわ!


「じゃあカナリーはどこに居るの!?言えないのでしょう!?」


「今頃ならモンスターの街でぐーたらギルドでご飯を皆に分けて貰ってご満悦で食べてる頃ですよ!」


「………モンスターの街?」


「そうですよ!私のご飯をいっつも横から食べるんだい!」


「………本当なの?」


「嘘なんかつくもんか!」


言い募るがまだ疑ってそうな顔だ。

全く!!


「…嘘ではないでしょうね?カナリーはあの街に居るの?」


「元気にピンピンして住み着いてますよ!」


「………」


まだ疑ってやがる!

何て疑り深い妖精だ!


「大体、妖精なんか食べませんよ!私は普通のご飯が好きなんです!」


「…信じられません。そんな事を言ってこの里の神霊族を食べるつもりでしょう?」


「食べるわけないじゃん!そもそも私はご飯なんか食べなくても平気だわい!」


ていうかまさか、全員逃げる理由は私が神霊族食の変人に見えるからか!?

何故だ!?

ギャーギャー言い合っていると、後ろから声を掛けられた。


「クーヤちゃん、探しましたよ!」


「もう…、何をしてらっしゃるの!?一人で離れては駄目でしょう!?」


「お」


ウルトとフィリアだった。


「それで?この騒ぎは何ですの?」


「このにんじん妖精が私が妖精を食べたって言い掛かりをつけるのです」


「にんじん?何でにんじんなんですか?…いいですけど」


「食べましたの?」


「食うか!」


叫んだ。

妖精なんか食べるか!


「貴方達は…」


「あ、はじめまして、美しい妖精さん。僕の名はウルトディアスと申します」


「フィリアフィル=フォウ=クロウディア=ノーブルガードですわ」


「竜様と…貴女は確か…」


「ええ、以前この里を訪れた聖女ですわ。今は元ですけれど」


「フィリア、来た事あるの?」


「聖女をしていた頃に、妖精王の加護を頂く為に一度だけ訪れましたわ。

 まさかここだとは思いませんでしたわね」


「へぇ…」


にんじん妖精は恐々とウルトとフィリアに話掛けた。

そのチラチラとこちらを伺う仕草はやめていただきたい。

悪い事は何もしてないぞ。


「お二人は…その邪悪とお知り合いなのですか?」


「邪悪!?」


誰がだ!


「ええ、まあ。確かに神霊族の皆さんにとってはかなり凶悪に映るかもしれませんが…。

 大丈夫ですよ。僕が保障いたします」


「そうですわ。

 何を怯えているのかは分かりかねますが…悪い子ではありませんわ。

 気にしないでくださいまし」


「二人とも…!!」


感動した!

いいぞもっと言え!


「お二人がそこまで言うのならば…少しは信じましょう。

 邪悪なる者よ、カナリーは…モンスターの街に居るのですか?」


「邪悪なる者て…。

 …カナリーさんは天使が居るって聞いて見に行きたくて遥々街まで来たそうですよ。

 奴隷商人に捕まってたところを助けたんですがそれからあの街に住み着いているのです」


「天使…ああ、あの行商人がそんな事を…そう、あの子ったら…」


漸く納得したらしい。

この二人が来たらあっさり信じた辺りちょっと腹立つ。

おのれー…。


「…カナリーは元気にしているのですか?」


「してますよ。あちこち巡って遊んでるみたいです」


「そう…。それならいいけれど…」


「最初はあの街でおばあちゃんからの連絡を待つって言ってましたけど…あの調子だとギルドに手続きとってないのかなぁ…。

 …でもまあ、そのうち帰ってくると思いますよ」


「そうなのですか…。ではギルドに連絡を入れておきます。…その、ごめんなさい」


むぅ…。

まあいいだろう。

きっとカナリーさんの心配をしていたのだろうし。

カナリーさんの故郷とはここだったのだろう。

この見た目、もしかしたらカナリーさんの家族かもれない。

多分姉とかだろうか。カナリーさんも連絡入れればいいのに。


「遅くなってすみませんが…孫がお世話になったようで有難うございます。

 奴隷商人などに捕まっていただなんて…助けて頂いてよかった」


「孫!?」


本日二度目であるが心から思った。

…詐欺だ!!


「クーヤちゃん、どこに行こうとしてたんですか?」


「そうですわ。また迷子になられては困りますもの」


ぐぬぬ。

迷子じゃねぇ!


「ちょっと散策しようと思っただけだい!」


「あまり、貴女にうろうろされては困ります。

 皆が怯えます」


「ヌー…」


怯えられるのは事実なので言い返せない。

おのれー!


「まぁ、暫く滞在の許可は貰いましたし、そのうち皆さん慣れてくれますよ」


そうかなぁ…。

こうして見るとカナリーさんはかなり特殊な妖精さんだった気がする。

一日で慣れたし。

いや、未だに部屋には入ろうとしないが。


「…キャメロットさん、ここではギルドへの連絡はどれくらい掛かりますの?」


「一週間ほどになります。

 ギルドも無ければ、交信球もここには置いてありませんし…外へ人を出す事になります」


「大丈夫なんですの?ここは確か…」


「はい、常駐していただいている亜人の冒険者の方へお頼みする事になります。

 彼なら目立ちませんから」


「それならばいいのですけど…」


ん?

何だろうか。

歯切れの悪い会話だな。


「何かあるんですか?僕はかなりの時間あそこに封じられていたから、世界情勢とかさっぱりなんですよね」


「その、さほど離れていない場所に人間の街があるのです。

 奴隷市場が盛んな…」


「あぁ…」


ウルトは納得顔で頷いた。

奴隷市場…ってあの奴隷市場だろうか?


「奴隷狩りでもあるんですか?」


あの黒の牙みたいな奴がいるのかもしれない。


「…はい。

 あの街が出来てからというもの、一人で里の外へ出た神霊族が攫われる事が多いんです。

 最近はギルドに頼んでこの里の守護を頼んでいますので、減りはしたのですが…。

 人間達にとって私達は珍しい動物でしかありませんから、教会に訴えた所で無意味ですし…」


「…まあ、そうでございましょうね。

 とんでもない見返りを要求されるのがオチですわ」


「へぇ…人間って今そんな風になってるんですか。

 あんなに脆かったのに、世の中どうなるかわからないものですね。

 けど、引越しとかしないんですか?

 神霊族に故郷という概念は無いでしょう?」


「私達もそうしたいのはやまやまなんです。ここに住み続けても良いことは何一つありません。

 ただ、妖精王が…」


「あのとんでもないクソガキがどうしましたの?」


妖精王…なんだそのかっこいい響きは。

う、羨ましい…ギリギリ。

しかしとんでもないクソガキ…。

フィリアが言うぐらいだ。よほどのクソガキなのだろう。


「フィリアさん、どうかそう言わないでください。

 妖精王も昔はあのようなお人ではなかったのです…」


「…妖精王、そういえばここへの滞在の条件が確か妖精王への挨拶だったんですけど」


「はい、そうです。それが里の掟。

 ですが、今となっては殆ど形骸化した形ばかりのものです。

 フィリアさんには分かると思いますが…」


「ええ、ええ!そうでしょうとも!

 あんなクソガキに挨拶などしたところで無意味ですわ!

 単身、神霊族の王たるお方に加護を頂こうとやってきた私が馬鹿でしたわ!」


「そんなにクソガキなんですか?

 流石に僕も妖精王に会った事はないですからねー」


「フィリアさんには感謝しております…。

 人間では始めてでした。

 人間にとっては動物でしかない私達の王に加護を頂きたい、とおっしゃって参られたのは…。

 …昔であれば、きっと妖精王も貴女に精一杯の力を貸し与えたに違いありません」


…意外な。

フィリア、意外と人間が出来ているようだ。

あんななのに。

しかし前々から思っていたのだが。


「ねーねー、神霊族と精霊ってどう違うの?」


一緒じゃないのか?


「……………貴女、ヴァカですの?」


「な、なんだとー!!私は、何だ。そう、異界人なんだーい!」


「そうですの?魔族に見えますけど。

 …それならまぁ、お教え致しますけど。

 一緒ですわ」


「一緒なのかよ!」


何だよ!!


「一緒、とおっしゃられるのはフィリアさんだからです」


「異界人って何ですか?

 僕が居た頃にはそんなの居なかったんですけど」


「ここではない異界から来た人々の事ですわ。

 滅多におりませんの」


「異界人…?邪悪そのものに見えます。

 その方は異界人でも魔族でもありえません」


「そうですよね。

 その…異界人?でも魔族でも困りますね」


「じゃあ何ですの!」


「そもそも異界人ってイマイチよく分からないんですけど。

 結局人間なんですか?」


「人間のような見た目の方もいらっしゃいますけど、それは稀な事ですわ」


「うがー!一緒ってじゃあ違いはなんなのさ!」


何だこのカオス!

それぞれ知識が偏っててお互い口を挟みあうせいでわけが分からない事になっている。


「もう!一緒ですと申し上げているでしょう!」


「じゃあ貴女は私の何なのさ!」


「し、知りませんわ!」


「違った!精霊と神霊族の扱いは何で違うのさ!」


「人間の都合ですわ!」


「そうか!納得だ!」


…ウルトとキャメロットさんが妙な顔でこちらを見ていた。

何そのヴァカを見る目は。


「クーヤちゃんは面白いですねー」


「確かに…こうして話してみると、邪悪とは程遠いようです」


誤解が解けたようで何よりだ。

そう思っとこう。

フィリアがため息を付きながらも説明を続けてくる。


「神霊族は実体有る精霊、精霊は実体無き神霊族ですわ。

 水、炎、風、土、人間には認識こそ出来ませんが、彼らにも魂があり力がある。

 それらが人間に認識できるレベルまで姿を現したものが精霊ですの。

 その精霊が寄り集まって融合し一つの形を成し、魂を得て魔力と土から実体を作り出した者達が私達の言う神霊族ですわ」


「へぇ…一緒じゃね?」


「一緒ですと申し上げたでしょう!

 実体も魂も持たぬままに巨大化した精霊もおりますけれど、彼らは…こう言っては何ですけれども、見た目が天使のようにとても美しいのですわ。

 実体も持たず、魂も持たず、巨大な力と美しい姿を持つ大精霊達は人間にとって神霊族とは違う生き物に見えるのです。

 それに、意思を持たぬ精霊は扱いやすいですし、気に入った人間に加護を与える大精霊も多い事から、神の守護天使達の一つとして扱われているのですわ。

 魂と肉体を持つ精霊である神霊族はどうしても…精霊とは違って感覚も感情もありますし、言葉も通じる。手に触れる事も出来てしまう。

 見目麗しい者も多いですから、そうなると、やはり…そういう事になってしまうのです。

 本来であれば精霊と同じく、誠意ある態度と好意を示し、契約すれば精霊としての加護を頂く事も出来るのですが…。

 人間は神霊族を相手にそんな事はしないのですわ…」


そうなのか。見た目って大事だな。


「そういや大精霊と妖精王ってどっちが偉いの?」


「どっちも偉いのです」


ふーん。


「その偉いのをとんでもないクソガキだなんて呼んでいいの?」


「クソガキはクソガキですわ。

 妖精の王に幻想を抱いて意気揚々とこの里を訪れた過去の私を消したいくらいに」


そんなにか。


「納得できたんなら良かったですね。

 クーヤちゃん。

 では、その妖精王のクソガキを見に行きましょうか」


「い、行くのですか?

 既に形だけの掟です。

 無理に会う必要は…」


「そうも行きませんよ。

 守るべきものはきっちりと守らねばなりませんから。

 それに、一つ気になりまして…会ってみたいんですよ」


「気になる事、ですの?」


はて、何であろうか。


「昔は違った、と言ったでしょう?

 それに、今のこの状態を良しとしているというのも気になりますから」


「あー…」


確かに気になるな。

彼女達はお引越しした方がいい気もするし。

説得できるものならしたいところである。


「妖精王がお変わりになられたのは…50年ほど前からです。

 少しずつ…姿が幼くなり、考え方も言動も、性格も少しずつ可笑しくなって…今では立派なクソガ、いえ、子供のような有様に…。

 ここを離れないのも、お引越しなんてヤダヤダめんろくさーい、私が楽しければいーもん、と…」


今クソガキて言いかけたなキャメロットさん。

いやでも、クソガキだな。それは。


「その妖精王ってどこに居るんですか?」


「この大樹の根に扉があります。

 会われるというのならばそこから…」


「では、行きましょうか」


「あんなクソガキにまた会わねばなりませんのね…」


嬉々としたウルト、がっくり項垂れるフィリアの前に立って大樹を指差す。


「いざいざいざ、今より敵本陣に特攻仕る!!いくぞ者共ー!」


「おー!」


「おー…」


…お前ら、意外にノリがいいな。


「その、妖精王は今でこそクソガキですが、あまりご無体をなさらないでください。

 昔は偉大なお方だったのです」


キャメロットさんは終にクソガキ呼びを隠しもしなくなった。

ついでに既に私にもあまり怯えていない。

この適応能力の高さ、やはりカナリーさんのおばあちゃんのようである。



大樹の根の扉。

アレだろうか?

扉というより光だ。


「精霊門ですね」


「ええ、そうですわ」


へぇ。

扉というか、入り口だな。

どこに繋がっているのだろう。

その妖精王のクソガキの部屋なのだろうが、少し心配だ。


「行きたくないですわね…」


「え?何で?」


問いかけるとフィリアはいやそーに顔を顰めた。


「会いたくありませんわ。

 オモチャにされるところでしたもの」


「オモチャ?」


「言葉通りですわよ。

 人の事を玩具か何かのように思っているのですわ。

 それに、精霊門も潜るのにそれなりの危険を伴うのです」


「ああ、そうかもしれないですね。

 神に近い存在ですし、この門も神域の入り口と言っていいでしょうから」


「え!?」


何だか思ったより危険じゃないのか!?


「あー、私は残るので。フィリアとウルト、頑張れ」


「クーヤちゃん、酷いなぁ。

 一緒に行きましょうよ。大丈夫ですよ」


「この期に及んで何を言っていますの。

 行きますわよ!道連れは多いほうがいいのですわ!」


何だと!?

道連れと言い切りやがった!


「僕と貴女だと妖精王の門ぐらいじゃ何ともなりませんよ。

 フィリアさんも大丈夫でしょう」


「そうなの?」


「そうですよ。さ、行きましょう」


「ええー…」


「駄々を捏ねないでくださいまし!」


いきたくねぇー。

二人に宇宙人のように両サイドから抱えられて引き摺られたのだった。


きゅぅん、と妙な音がした。

空間が捻じ曲がった音、だろうか。

三人で光を潜った先、そこにあったには。


「すごいですわね」


「お花畑や!」


「うーん、これは…魂鎮め、ですかね。

 何があったんでしょう」


一面の花畑。

先は霞んで見えないほどだ。


「精霊門もやはり問題ありませんでしたか」


「以前は苦労した覚えがあるのですけれど…」


「そうなの?」


「三日三晩精霊門の前で粘りましたわよ」


すげぇ。

何が凄いってフィリアの根性が凄い。

よっぽど妖精王とやらに期待していたのだろう。


「妖精王ってどこに居るのかなー」


どこに行けばいいのかも分かりはしない。

片手に本と木の枝を抱え直す。

…鞄でも作ろうかな。

邪魔になってきた。

次は肩掛けにしよう。


「フィリアさん、以前はどのように探されたんですか?」


「しらみつぶしですわ」


「…そりゃ凄いですね」


…うむ、これは私の出番だな。


「パンパカパーン」


本を花畑において木の枝を掲げた。


「何ですの?」


「…それも凄いなあ」


花畑に木の枝を立てる。

パタンと倒れた先を指差して高らかに宣言した。


「向こうに目指す敵大将が居る!行くぞー!」


「本当ですの?」


「本当でしょうね」


本を回収してよいしょと抱える。


「持ちましょうか?片腕で大変そうですけど」


ありがたい申し出である。

うーん、でもまあ…いいか。


「自分で持つー」


「そうですか?まあそうでしょうね」


変な事をいわれてしまった。

ガサガサと花を掻き分けながら三人でえんやこらと進む。


「妖精王さーん」


「どこですのー」


「出てこないと氷付けにしますよー」


「うおおい!?」


やめろ!


「大丈夫ですよ。普通の氷を使いますので妖精王なら簡単に溶かせますから」


「そういう問題じゃねーから!」


「…何よ、生意気なトカゲね。

 あたしのおうちに何の用よ」


「おうちに用事はないけど妖精王にはありますな」


「そうですわね。

 こんな何も無いところに用事はありませんわ。

 体格のよい殿方もおりませんもの」


「ていうかちょっと邪魔ですよね。歩き難いです。

 いつまで経っても人間形態って慣れないなあ。

 ここには美しい女性も居ませんし」


「…なんなのよ!なんなのよあなたたち!!

 あたしが誰だかわかってるの!?」


「え?」


いつの間にか知らない声が紛れ込んでいた。

振り返ると、クソガキが居た。

見た目からしてクソガキだ。

頭には二本の角が生えている。

耳も花びらのようなものがわさわさと生えている。

そして生意気そうな釣り目。

ついでに甲高いキンキンとした声も生意気そうだ。

しかも空中に漂って上から見下ろされている。


「妖精王様?」


え?

このクソガキが?


「そうよ!そうなのよ!

 ここはこの妖精王たるあたしの領域よ!

 誰が来たかと思えば、何よ!おばさんにトカゲにガキじゃない!!」


「んな…!?」


「…相変わらずクソガキですのね」


「トカゲなんかと一緒にしないで欲しいなあ」


ぶーぶー言うが妖精王とやらは耳に痛い声でキャラキャラと笑っている。


「怒った?ねぇねぇ怒ったの?プッ…!!ホントのことじゃない!

 おばさんにトカゲにガキだわ!キャハハハハハ!!

 あ、図星だから怒ってるの?やだーこわーい!!キャハハハ!!」


うわ、うぜぇ。

こりゃフィリアも会いたくないわけだ。

…しかし、妙だな。

この妖精。

なんだか違和感が。

まるで、そう、人形のような。

見ているとふと目があった。


「…うん?なにあなた。

 変なの。変なのー。

 ねぇねぇ、あなた…霊的生命体よねぇ?うふふ…いいなあ、いいなあ」


「何がさ」


クネクネとしなを作ってニヤニヤしながらこちらを見ている。

うーん…?

中身と外見が一致していないような違和感が拭えない。


「くすくす…あなたってさ、真名、もってるんでしょ?大事にしてるんでしょ?そうだよね?」


「真名?」


なんだっけ。

どっかで聞いたな。


「うふふ…あなた、とーってもいいオモチャになりそう。

 …きーめた。あなたはあたしのオモチャ」


「はあ?」


「あなたはあたしのオモチャになるの。

 なんだか変わったペットも沢山持ってるし…それもぜんぶぜーんぶ頂戴?

 いいよね?

 うふふ。あなたの真名…あたしがもーらった!」


「………?」


真名?

そんなものに覚えは無いが。

…そういやマリーさんがそんな事を言ってたな。

私にもあるのだろうか。

アヴィスクーヤが真名になるのか?

でもこの名前はさんざっぱら名乗ってるしなー。

それにペット?

何のこっちゃ。


「キャハハハハ!!」


「わぁ!」


花吹雪。

なにやらぐるぐると私の回って纏わりついてくる。

何じゃこりゃ。

…うーん、何かを握り込もうとしている感じがする。

私を中心にして地面に輝く桃色の魔法陣。何だか花の模様に見える。


「むむむむ!」


その光まで絡んできた。

鬱陶しいぞ!

蜘蛛の巣に引っかかったような気分の悪さ。


「クーヤちゃん!」


慌てたようなウルトの声。


「妖精王様!やめてくださいまし!」


「やーだよー!キャハハハハ!!」


フィリアもクソガキを止めようとしているがクソガキはお構いなしである。

しかし本当に鬱陶しいなこの光と花!

…うーん、魔水晶の光に似ているし、掴めるのでは。

ええい、ままよ。

わっしと掴んだ。

おお、いけた。

千切ってしまえ。


「おりゃー!」


ブチブチと千切って絡み付いていた光を地面にポイポイと捨てた。

うむ、すっきりした。

花吹雪も邪魔である。

突っ込んでも別に怪我はしないだろう。

ばちばち当たって痛そうではあるが。


「よいしょ」


抜けたはいいが花塗れになってしまった。

頭をぶるんぶるんと振って散らすがあんまり意味は無かった。


「…ッ!!ギャッ…!!」


「うわ、クーヤちゃん、今のは酷いですよ。

 もうちょっとまともに術返しをしてあげればいいのに。

 もろに反動食らってますよアレ。自業自得ですけど…」


「え?何それ?」


そんなもんやった覚えはない。


「ぎぎぎ…痛いよう!痛いよう!!なんでぇ!?

 うわあぁあぁぁあん!!びえええぇぇええぇぇえん!!」


「いっ…!!」


う、うるせぇー!!

なんて耳に痛い泣き声だ!

何なんだ!!

フィリアもウルトも両手で両耳に栓をしている。

ずるいぞ!私は片方しか出来ないのに!!


「これは意思の疎通は無理そうだなぁ…。

 挨拶はしたって事で、行きましょうか」


「そ、そうですわね!

 うるさいですわ…!」


「あっ…!ま、待ってえぇぇぇ!!」


二人とも即効逃げやがった!!

待て!置いてくな!!

ちくしょー!





「………耳が痛い…」


「耳鳴りどころか頭痛がしますわ…」


くわーんとする。

超音波かアレ。

待っていたらしいキャメロットさんがおずおずと伺ってきた。


「大丈夫ですか…?その、クソガキだったでしょう?」


「ええ…アレで本当に50年前はまともでしたの?」


「はい。優しく、強く、偉大で。私達の王たるお方でした」


「そんなの信じられないけど…」


理由は何なのだろうか。

そんな立派な人があんな事になるなんて。


「何故、なのでしょうか。

 妖精王様…」


キャメロットさんが俯く。

その声音には隠しようも無い悲しみ。

…何故なのだろう。

ここまで慕われているのだ。

それこそ本当に妖精王と呼ぶに相応しい人だったのだろうに。

その疑問に答えを出したのは、まさかのウルトだった。


「それなら簡単ですよ。

 会ってはっきりしましたから。

 彼女には魂が無い。

 ここに居るのは唯の生き人形ですよ。

 それも半ば悪霊に近い」


「え?」


魂が無い?

何だそれ。神霊族なのだし、魂はあるんじゃないのか?

しかも悪霊?

キャメロットさんも驚愕の表情である。


「ええ。何者かが彼女の魂を奪い取ってしまっているんでしょう。

 誰が、何のためにかは僕にはわからないですけど」


魂を奪い取る…そんな事が出来るのか。

しかし妖精王の魂をどうするのだろう?

あんまりいい感じはしないのだが。

口を開いたのは何やら考え込んだ様子のフィリアだった。


「…それならば…一つ、心当たりがありますわ。

 バーミリオン様がお持ちになっていた神剣紅薔薇、あれがどうやって作られたかご存知?」


紅薔薇…アレか。


「なんか魂を溶かした炉で鍛えたって悪趣味な事言ってたけど」


「…そうですわ。

 武具に強い力を持たせるのならば、下手に鍛えるよりも魂を込める方が強力かつ早いのですわ。

 強い武具を作る為に、より強い魂に、より強い感情を与えて封じ込むのです。

 特に、憎悪、苦痛、飢餓、狂気。そういったものが一番手っ取り早いのです。

 花の妖精王の魂。…武具に加工すれば一体どれ程の力になるか」


「成程、そういう事ですか。通りで悪霊一歩手前なわけです。

 あの魂鎮めの数も納得できますよ。

 50年前、といいましたか。

 凄いですね。驚嘆に値しますよ。ド根性ですね。

 魂を奪われながらもそれでもなお崖っぷちのギリギリで抵抗している。

 彼女は未だ囚われきっては居ない。

 魂を加工されながらも肉体との繋がりを手放してはいないんですね」


「…そ、そんな…っ!!」


キャメロットさんは殆ど涙声だった。

…酷いな。それは、ちょっと。

悪霊一歩手前とは。

よほどの苦しみなのだろう。

あんまりじゃないか。


「50年前程前から、霊弓ハーヴェスト・クイーンという神の加護を持つ武具に勝るとも劣らぬ弓を手に教会で成り上がった者がおりましたわ。

 どこで手に入れた武具かは口にしませんでしたが…。その力は先ほど妖精王が使った魔法、その魔力に酷似していましたわね」


「ふむ、怪しいですね。そのお方はどこに?」


「50年前、この近くに人間の街を作り上げた男、奴隷市場の総締めたるグロウ=デラという男ですわ」


…線が見事に繋がってしまったようだ。


「で、行くんですか?」


「行きますわよね?」


「お願いいたします!妖精王をどうか…!」


皆やる気満々だな。

…で。


「何で私に聞くんですかね」


「えー?だってこのパーティのリーダーと言っていいですから。ね?リーダー?」


「そうですわね。

 何となくそんな雰囲気ですわ」


「ち、違うのですか?」


全員意見が一致かよ。

何で私がリーダーなのだ。

聖女か破壊竜じゃないの?

そんな偉そうな肩書きなのだし。


「私レベル1じゃんか。

 一番強いウルトじゃないの?」


「いやあ、レベルは特に関係ないですよ。

 リーダーはリーダーシップ溢れるリーダーっぽい人がやるべきなんです」


「そうですわ。

 私も破壊竜様も貴女について歩いているだけですもの」


「ええー…」


めんどうだなぁ。

私は単にあの荒野に戻りたいだけなのだが。

そういやなんで二人共私について歩いてきているのだ。

カルガモの雛か何かか。

私は幼女なので二人は養えないのでやめて欲しい。

悪魔達だけで手一杯なのだ。


「勿論行きますわよね?」


「行かないんですか?」


「妖精王様をお助けください…!」


カエルの合唱を思い出した。

見事な輪唱だ。

しかし妖精王か。

確かに幾らなんでもな状態だし助けてやりたいのはやまやまだが。

それにこう言ってはなんだが暗黒神的にも助けておいた方がいい人だ。


「けどさ、その街に行ってどうすればいいの?

 その霊弓をひったくればいいの?」


「そうですねぇ…それが確実なんでしょうけど。

 けど、態々盗まなくても壊せばいいと思いますよ。

 この50年を耐えた人ですから。根性で肉体に戻ってくると思います」


「ふーん…」


態々盗まなくてもいい、って事は割と行けるのか?


「んー…。そのグロウ=デラって人の目を盗んで壊すって難しいんじゃ?」


「そうですわね…彼はあの武器だけを頼りにしてきた方ですもの。

 それこそ肌身離さずに持っているのでしょう」


それじゃあどっちでも難しそうだ。

三人でうんうん唸っていると、地に轟くような音が響いた。

即ちおなかの音である。


「………フィリア、おなか空いたの?」


「そういえば歩き詰めでしたからね」


「…忘れてくださいまし」


真っ赤になった顔でボソボソと呟くフィリアを見て何だか新鮮な気分になった。

うん、今までに無い新しい反応である。

コレがギャップ差という奴か。

見習うべきだろう。


「じゃあ今日はもう休もう」


キャメロットさんが不安そうに見つめてくる。


「とりあえず、体力が回復せねばもののふは戦は出来ぬのだ」


「もののふ?」


「何ですの、それは?」


「気にするな!キャメロットさん、明日になったらちょっと街まで行ってみますよ。

 作戦を練るのです!」


「…!あ、有難うございます…!」


半ば泣いているように心底安心したような表情のキャメロットさんに鷹揚に頷く。

うむ。作戦も立てる必要もあるのは確かなのだが。

それよりも今は休まなくては。

フィリアが疲れているのもあるのだが。

さてさて、本を見やる。

残りは…7時間ほどだろうか。

どれだけの魔力になるのやら。

量によってはこのミッションの難易度が段違いに跳ね上がるのだが。

魔物頑張れ。心の中でエールを送っておいた。




「うめぇ」


つぶやいた。

桃源郷のご飯はやはり桃源郷だった。

この卵のあんかけ美味いな。

とろみのあるスープも絶品だ。

ふーふーと冷ましつつもぐもぐと口いっぱいに頬張る。

ウマイウマイ。

あの店主もスキンヘッドなヒャッハーの見た目によらず中々の料理を作っていたが…。

あれらとは別方向の魅力を持っている料理である。

言うなれば脂ぎったジャンクフードと料亭料理。

どちらも甲乙付けがたい。

毎日日替わりにしてやりたいところである。


「神霊族でもこんなの作るんですねー」


のんびりと言うウルトにエルフのおねーさんがどこか自慢げに目を細めて笑った。


「ふふ、沢山食べてくださいね。

 妖精王様が美食家だったもので、食材にはこだわっているんです」


「へぇ…」


「この果物は何て言いますの?見た事がないですわ」


「それはクルコという果物で、妖精王の加護の有る大地でしか取れない果物なんです」


「おー…すごいなー」


さすがである。

あの荒野にぜひとも来ていただきたい。

この果物を店主にパイにしてもらうのだ。

美味しいに違いない。

妖精王様の救出に成功したら引越し先として誘致しとこう。


「………」


私が喋る度にどこと無くキョドキョドされると気になるのだが。

いいけど。

しかしエルフっていいな。

色白の肌にやわらかそうな薄い色の髪の毛、つんと尖った耳に翠の目。

鼻は高く、唇は薄い。

長身で、細身ではあるがどこか優美な曲線を描いたボディラインである。

うーん、ビューティホー。


「あ、あの、何でしょう?」


いかん、涎が。

めっちゃびびられている。

ごしごしと拭ってニターと笑ってみた。

益々びびられた。

カナリーさんと全く同じ反応しなくたっていいじゃないか!


「食べませんよ!そんなに怯えなくたっていいじゃないですか!」


うがーっと吼えてみた。


「仕方ないですよ。

 クーヤちゃん怖いし。いや、可愛いですけどね?」


「な、なんだってー!?」


驚愕の事実であった。

怖いだと!?

破壊竜に言われたくねぇ!

ついでにペドラゴンたるウルトに可愛いとか言われたくねぇ!!


「神霊族は精霊の一種だって話したでしょう?

 契約も出来るって。

 貴女にくっついてる人達がちょっとなぁ…威嚇しているといいますか」


「なにぃ!?」


それってあの契約の儀について聞いた時の悪霊共か!?

後ろを見る。

足元を見る。

顔をペタペタと触ってみる。

悪霊らしきものは見えない。

クソッ!どこで拾ったのかは謎だがいつか絶対に祓ってやる!

そして必ずやかっこよくて強い精霊さんと契約するのだ!

そしてそこから始まるフォーリンラブ!

見ているがいい!

だがそれよりもご飯だ!!

木のスプーンを握り締めて一際大きな皿に乗ったキノコとジャガイモのクリーム煮を囲い込んだのだった。


「ああ!クーヤちゃん酷いですよ!」


「ずるいですわ!私も目をつけておりましたのよ!?」


「早い者勝ちだーい!所詮この世は弱肉強食よ!!」


戦争の始まりだった。




うむ、テーブルの上に乗った皿は軒並み空だ。

一番食った奴が誰かと言えばウルトといいたいが私だ。

満腹である。

風呂入って寝るか。


「はー、食べた食べた」


「…どこにあんなに入りましたの?」


「ここ」


ポンとタヌキ腹を叩いた。


「こちらでお休みください」


エルフのおねーさんに案内された部屋にそれぞれ向かう。

木をくり抜いた家なのに存外にしっかりした作りだ。

一人一部屋とは豪気である。

まあ冒険者や遭難者の宿泊施設のようだしな。

…一人一部屋、なのだが。


「…いや、ウルトはあっちじゃん」


「えー。いいじゃないですか」


「やだよ」


こっち来んな。


「ではフィリアさんで我慢します」


「お断りですわ」


ざまぁ。


流石に身体はイマイチ綺麗に洗えなかった。

この腕も早々に手を打つべきだろう。

魔法で沸かしているらしい檜のお風呂でゆったりした後はごろーんとベッドにダイブ。

中々にふかふかである。

よく眠れそうでなによりだ。

本と木の枝を枕元に置いて幾度か寝返りを打ちいい具合のポジションを模索する。

腕輪を眺めれば、残り作業時間は4時間ほど。

起きる頃には終わっているだろう。

さて、寝るとしようかな。

ランプの火をふーっと消して毛布の中に埋まった。





「ありゃ」


夢だ。

何となく分かる。

以前に見た夢に似ているような。

辺りを見回すが何も無い。

夢の中なのに何も無いとは詰まらん話である。

何か居ればいいのに。


「…ん?」


居た。

トカゲだ。

トカゲかよ。

もっと夢のある奴が良かった。

しかし小さいトカゲだな。全然気づかなかった。

掴んだら潰れそうなので手を出すのはやめとこう。

じーっと眺めてみる。

トカゲも動かない。

逃げないのか。

人に慣れているのだろうか。

いや、もしかしたら固まっているのかも知れないな。

まあそのうち逃げるだろう。

それまで放っといてやろう。

こんな真っ暗なところに居ないで自然界で強くたくましく生きるのだトカゲよ。

真っ暗で居心地がいいので駄目人間たる私は動かないが。

そのうちキノコが生えるかもしらん。誰か生えたらクリーム煮にしてくれ。

私は動きたくないがそなたは生きるのだ。そなたは美しいって事で。

トカゲにもトカゲの人生があるのだ。

その短い人生を好きに生きればいい。

青い鱗はキラキラとしていて嫌いじゃないからな。

祝福してくれる!



ばっちーんと目を開いた。

あー、何か変な夢見た。

窓から外を見れば、今はまだ日の出前といったところか。

早く起きすぎだ。

まあいい。早起きは三文の得というからな。

ごろごろと転がり落ちるようにしてベッドから降りる。

ビシッとポーズを決めてから早速本を開く。

さて、どうであろうか。



MP5/5(+284) 【地獄貯蓄量:85000】



「うおおおおお!!」


吼えた。朝からお盛んな事である。

めっちゃ増えてた。

すげぇ。魂うめぇ。

これは行く先々で自動洗浄をすべきだな。

それに魔物も早急に増やすべきだ。

床に地獄トイレを置いてみた。

…残念、ここでは吸い込めるような魂が無いようだ。

まあメルヘン村だからな。

死者なんて居ないのだ。居たら困る。

しかし領域とやらが広がれば自動洗浄の範囲も広がるのだろうか?

この辺は未だ謎である。詳しい説明も聞いていないしな。

要検証だろう。

椅子に座ってテーブルの上で本を開いた。

何事も押しなべて準備というものが特に大事なのである。


「よし」


バッグを作ろう。

いや、それとも腕の替わりか?

どちらにするか。

値段を見て決めようか。




商品名 ポシェット

チューリップのアップリケ付き。

容量はそれなり。




商品名 左腕っぽい何か

それなりに動く腕っぽいもの。

触手機能は無い。




「…………」


いや、触手はいらねぇから。


どちらにするか、いや、両方買うか?

腕も鞄も無いのは非常に不便だ。

今から向かうのは人間の街である。

出来れば万全の状態が望ましい。

とくれば腕は必須、となるだろう。

ひったくりとかも居るかもしれないし、木の枝を無くしたら大変だ。

ポシェットか。

まぁ、お手頃な値段だし買っておくか?

腕のほうも思ったよりも高い物ではない。

さすが最弱の腕である。

そしてもう一つ。


…ええい、ままよ!

女は度胸なのだ。

ある物を思い浮かべてページを捲った。


「………………」


閉じた。

絶望的な数字だった。

アスタレル、正直すまんかった。

お前の腕は高い。

単位からして兆は、ちょっと。



何だかトンデモ値段を見たせいかポシェットと腕ぐらいどうという事もない気がしてきた。

木の枝でぐりぐりと書く。


「うむ」


可愛いポシェットだ。

チューリップのアップリケがワンポイントとなっている。


「…ん?」


何か安全ピンで付けられている。

同じくチューリップだ。

ネーム札のようだ。

手にとってみた。



あんこくしんちゃん



…うわ、あほっぺぇ。

どうみても幼稚園児のそれだ。

デザインした奴出て来い。

くそっ!もっとこう、あるだろ!

まあいい。我慢してやろう。

それよりも大事なのは腕だ。

生えてくるのだろうか?

試すしかない。

そーっと商品を購入した。


「………ん?」


何も起こらないな。

不発か?

それは困るのだが。

左腕を眺める。

特に変化はない。

不思議に思って眺めていてふと気づく。

景色が歪んでいる。

持ち上げてみた。


「………」


ガラス、のように見える。

まだ薄暗いので分かり難いな。

目を凝らして見つめていると、その透明な腕に徐々に色が入り始めた。

おおー、…変な色だな。

いいけど。

やがて出来上がった腕をぶんぶん振ってみる。

グーパーグーパー。

…少し動きが硬いというか、鈍い気がする。

成程、それなりに動く腕っぽいものだ。

使えるならまあいいだろう。

多少鈍くとも問題はない。

ポシェットに木の枝と本を入れて立ち上がる。

完璧だ。

準備は万端、さ、二度寝するか。

ベッドに転がった。

別にいいじゃんか。だってまだ早いもの。




「おはようございます」


トントン、とドアがノックされる音。


「むぐぐ…」


朝か。

この声はウルトか?


「クーヤちゃん、そろそろ起きないと寝ぼすけさんですよー」


「早く出てきてくださいまし」


フィリアも居るようだ。

少々寝すぎたか。

ベッドから飛び降りる。

ポシェットを掛けていざゆかん!


「朝ごはんを要求する!」


言いながらドアをバッターンと開けた。


「ふみゅっ!!」


勢い付けすぎた。

フィリアの鼻が犠牲になったようだ。


「あ、ごめん」


「…もう少し、レディとしての慎みを覚えてくださいまし…」


鼻を押さえながら恨みがましい視線を向けてくるフィリアに親指立てといた。


「あれ?」


「あら?」


「ん?」


目をぱちくりとする二人。

何だ。


「その左腕、どうしましたの?」


「無かったですよね?」


「あー。夜明け前に目が覚めたから何とかしといたー」


「………もう驚きませんわよ」


「ははは、凄いですね」


そう言われると鼻が高くなるというものだ。

この本はアスタレルからの貰い物だけど。


「もっと褒めろー!」


「膝抱っこしてあげますよ」


「フィリア、ご飯に行こう」


「そうですわね」


ペドを置いて二人で階下に降りたのだった。

朝ご飯の方が大事に決まってる。




「それで、どうします?街にこのまま行ってみますか?」


「そうですわね…」


「そのおっさんは街のどこに住んでんの?」


問いかけるとフィリアが困ったように眉根を寄せた。


「私もあの街へ入った事はありませんの」


「街の住人に尋ねたほうが良さそうですねー」


「彼の立場が立場ですし、居場所を聞くだけだなんて怪しまれますわよ?」


そりゃそうだ。

奴隷市場の総締めって言ってたしな。

恨みも沢山買ってそうだ。

うーむ。


「よし、客で行こう」


「客ですか?」


「いい人を買いに来たって事で探すのだ」


「あー。成程。それがいいかもしれませんね。

 最低限人間の振りが必要ですけど」


「ではコレでも被ってくださいまし」


深い帽子を被せられた。何故だ。

いいけど。


「それで、霊弓はどうしますの?盗むのも破壊するのも難しいと思いますわよ?」


それなんだよなー。

万事うまくいってどうにか出来たにせよ、その後もあるのだ。

上手いこと逃げねばならない。


「僕が暴れましょうか?」


「…昔ならいざ知らず、今の破壊竜様では難しいですわね。

 人間に討ち取られかねませんわ」


「…世の中本当に分からないものですね。

 人間がそこまで強くなるなんて思いもしなかったですよ」


「飛んで逃げるとか」


「そうしたいですの?」


「すまなかった」


エーとか言うウルトは無視した。

絶対のらねぇから。


「それに、飛んで逃げるでは飛翔魔術で追いつかれますわよ。

 追跡魔法で辿られてしまう可能性も高いですわ。

 バレないように逃げるか、その場で転移魔法、どちらかですけれど…私達ではバレないように逃げるしかないですわね」


「フィリアは転移魔法とか使えないの?」


「無理ですわね。あれは光魔法ですもの。

 光魔力以外ですと、かなり大掛かりな術式が必要になりますの。その上距離も人数も十分とは言えませんし。そもそも正確には転移魔法ですらありませんわ。

水から水、炎から炎、流れていくだけですの。制約も多いですし、その場で三人となると、精霊でも難しいですわ」


聖女で無くなった以上は使えないってことか。

困った。


「術式なしで起動可能な転移魔法なら恐らく妖精王が使えますよ。

 花の妖精王となると、空間系は管轄外ですしその場で触媒も無いとなると流石に地脈を辿るだけが精々の転移モドキになるでしょうけど。

 …そうですね。一つ思いつきました」


「何さ」


「妖精王の身体ごと街に行く、です。

 妖精王の魂を解放し、その場で肉体に戻った妖精王にここまで転移して頂いてそのままお引越しでどうでしょう」


「どうやってあのクソガキを街に連れて行くつもりですの?

 間違いなく大人しくなんてしませんわよ。

 直ぐに私達の存在がグロウに知れますわ」


「アレには魂がない。妖精王の魂の穢れが流れ込んで動いているだけです。

 神霊族などの霊的生命体であれば入る事が可能なんですよ。

 …ですが、妖精王の魂が戻ってくる際に下手をすると消滅しますけど。

 今の妖精王に肉体に入り込んでいる他者を気遣う余裕があるかどうかわかりませんから。

 肉体にさえ戻る事が出来れば直ぐにある程度まともにはなると思うんですけど」


「それは…リスクが高すぎますわ」


「私が引き受けます」


「え?」


振り返るとそこに居たのは小さな妖精。


「キャメロットさん?」


「皆さん。おはようございます。

 …その役目、私にやらせてくださいませんか」


意外な申し出だが…。


「いや、でも」


危険だ。

それもかなり。

昨日会った妖精王様の様子は、何と言うかもう既に悪霊だ。


「自分は何もせずに皆さんに命を賭けさせる気は毛頭ありません。

 皆さんは私の願いを聞き届けてくださいました。

 ですから私も命を賭けます。私の真名にかけて。

 それに、妖精王様はきっと大丈夫です。悪霊などになっていません。

 破壊竜様のおっしゃった通りの方です。

 根性あふれる方なのです」


そう言って笑うキャメロットさんの笑顔は、本当にカナリーさんそっくりだった。

彼女が言うなら私も妖精王様の根性を信じよう。

女は根性。

50年もの間、肉体にしがみ付き続け悪意に耐え続けたそのド根性を見せてもらおうではないか。


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