天より来たる者
特に依頼を受けるでもなく一日が終わってしまった。
ブツブツと呟き続けるブラドさんにマリーさんも静かに考え込んだままで上の空。
シャーリーさんもブラドさんが使い物にならないからと二階の宿へと戻ってしまった。
クロノア君はいつも通りぼーっとしている。
まあ依頼があっても今日は駄目だっただろう。
良かったような、残念なような。
ちょっとだけ楽しみだったのだが。
帰り道に食料店に寄って買い物をしてそれぞれの部屋に戻った。
どうでもいいが食料は高かった。ここでは貴重らしい。
本でどうにかできるだろうか。
しかしマリーさんの封印を解くと約束したし、無駄遣いは避けよう。
ベッドでごろごろと本を眺める。
ティーセットがあった。
今度出しておこう。
そういえば忘れていた。
魔物作りだ。
瘴気を溜めれば魔物が産まれると言っていたが。
どれだけ時間が掛かるのだろうか?
地獄が作れたくらいだ。魔物制作に関しても何かあるんじゃないか?
パラパラと本を捲る。
小物、家具、内装、加護、領域、神域、生活セット…。
魔物セット
これだ。
やっぱりあるんじゃないか。
もっと早く確かめておくのだった。
商品名 暗黒神ちゃんマーク
設置する事でその場に居ずとも瘴気を溜める事ができる。
閉じた境界でなければ瘴気が拡散して効果が薄れる。
一度購入すれば幾らでも設置可能。
ただし、設置すればするほど一つにつき出せる瘴気の量が減る。
計算式としては本人÷マークの数
これだ!…が、う…ぬ…っ!
割り算とは痛い…!!
私の瘴気では一個がどう考えて限界だ。
二つも三つも作れば時間対費用効果が割りに合いそうも無い。
クッソー…。
しかしこのマークは安い。
今後を思えば必要だ。
自由に動き回れるというのは最弱の名を欲しいままにする私には非常にありがたい。
ここは購入しておくべきだろう。
魔物を作って魂の回収と領土開拓をすればマリーさんの封印も早く解けるのだ。
木の枝でがりがりと床に書いてみる。
「おお」
うっすらと何やらマークが浮かんでくる。
暗黒神ちゃんマーク。
少々アホっぽい名前だがまあいいだろう。
「う…ぐ…」
やがてはっきりと浮かび上がったマーク。
デフォルメされまくった私の顔が描いてありアホっぽい顔でピースしていた。
うわ、超アホっぺぇ。
デザインした奴は名乗り出て欲しい。
魔物セットの他の商品を見てみる。
商品名 炎属性
生まれる魔物を周囲の魔素に関わらず炎属性に固定する。
ふーん、これは他の属性も一通り揃っているらしい。
商品名 魔物LVアップ
生まれてくる魔物の格を一段上げる。
必要な瘴気の量もそれに伴い増える。
これはつまり今の状態で作れる魔物が最弱って事だろうか?
そうとしか思えないが。
まあ街中だし…いいか。
アスタレルが作ってたような凶悪な病原菌を作っても困る。
色々あるようだ。
木の枝を気分的に水を入れた花瓶に入れて本を閉じ、布団に潜り込んで寝ることにした。
別に寝る必要は無いが寝れるのだしする事が無いのなら寝るのだ。
暗黒神ちゃんマークもあるし暫くすればこの部屋に最弱であろうが魔物が生まれるはずだ。
なんだか楽しみだ。
さて、どんな子達が生まれるのだろうか?
ワクワクとしつつ、すやすやと眠りに就いた。
翌朝。
コンコン。
「むに…」
目を擦り擦り起き上がる。
時間は早朝。
日も昇っていないのだが。
「クーヤ、起きているかしら?」
マリーさんだ。
二日続けて起き抜けにマリーさんとは眼福眼福。
もぞもぞとベッドを抜けてドアを開けた。
「今日は依頼を受けるつもりだから、そのつもりで準備しておいて頂戴。
封印を解く為の魔力も溜めたいわ」
「ふぁーい」
欠伸交じりの駄目返事になってしまった。
しょうがないのだ。
流石に朝も早すぎる。
「それに貴女にもギルドに登録して貰おうと思うの。色々と便利だから。
ブラドとクロノアも準備は出来ているわ。貴女も準備が出来たら降りてきて頂戴」
「ふぁぁあぁい」
益々駄目な返事になった。
ダメダメな返事を返してから気付いた。
「私も登録するんですか?」
「ええ。行動を共にするならあったほうがいいの。
別に貴女に依頼を請けて仕事をしろとは言わないわ。
そんなに気負わなくて大丈夫よ」
それならまぁいいか。
部屋へ踵を返してリュックに本を入れて木の枝を入れて背負って準備は終わった。
「終わりましたぁ」
「………とても簡単ね」
なんだか呆れられてしまった。
マリーさんと下に降りて待合所らしき場所に行くと確かにブラドさんとクロノア君が居た。
…二人とも私と対して変わらないのでは。
というかマリーさんもほぼ手ぶらだ。
「ははは、珍しくやる気だなお前ら。いつでもその調子ならいいんだがな。
チビも気を付けて行けよ」
これでやる気がある状態なのか。
普段どんだけやる気が無いのだろうか。
カウンターにどっかり座った大家のコールさんに励まされて私達はギルドへと出発したのだった。
地味に私のというかこの三人の初依頼見学である。
何をするかは少々不安だったが。
地味で簡単なものでありますように。
切に祈っておいた。
行きに簡単な朝食を買っておいた。
昨日のベーグルである。
この店のものは美味しいのだ。
ここしか食べて無いけど。
三人とも同じ店だったので三人的にもここが一番なのだろう。
口いっぱいにベーグルを頬張りながら歩いた。
流石に暗黒街はこの時間帯に一番静かになるようだ。
この際その辺の浮浪者と酔っ払いには目をつぶろうではないか。
カランカラン
毎度おなじみのベル。
昼と違ってなんというか、がやがやと騒がしいまさに冒険者のギルドって感じである。
あっちこっちで重厚な装備に身を包んだ人たちが武器を手入れして掲示板を眺めている。
「ん?何だ、お前ら今日は依頼を請けるのか。普段はグータラと人間討伐の依頼を待ってるだけだってのに。珍しいな」
…そんなに珍しいのかこの三人が働くの。
「そのつもりよ。クーヤを同行させるからギルド登録をお願いするわ」
「あぁん?大丈夫かよ。死ぬんじゃねぇか?」
ごもっとも。
死なないように気を付けるしかないのだ。
「わたくし達の護衛対象だもの。いざとなればブラドが壁となってくれるでしょう」
「…マリー、冗談はよしたまえ。守りはするがね」
店主が手招きするのに従ってカウンターに歩みよる。
「よう、牛乳娘。せいぜい死ぬなよ。これ書け。字は書けるか?」
「はい」
何故だか字は書けるのだ。
名前と種族とクラス。
うぅ…ん?
どうしよう。
そのまま書くのがマズイのは流石に分かる。
…そういえば私は異界人という設定だった。
「異界人なのですが種族とクラス、どうすればいいのでしょう」
「あぁ、そうなのか?確かに変わってるもんなお前。どっちも異界人と書いとけ」
それならいいだろう。
ぐりぐりと紙を書いて店主に差し出した。
「じゃ、これに手をあてな。そうすりゃ勝手にお前さんの魔力とステータスをギルド情報に登録する。登録地は…お前さんなら魔界だな。
そうしとく。ここは非合法なんでね」
差し出してきたのは変な石板だ。
今まさに身分詐称を働いたのだが大丈夫だろうか?
やってしまった後だ。
なるようにしかならないな。
バレたら謝ろう。
ちっこい手をぎゅぎゅっと石版に押し当てた。
いつの間にやら三人が集まってこっちを覗き込んでいる。
バレた時の謝罪対象が増えてしまった。
昨日のマリーさんの封印の件は嘘ではないので見逃して欲しい。
「…………お前、悪い事はいわねぇ。マジでやめとけ。死ぬぞ」
「…これは…ひどいな…」
「……わたくし、長く生きたけれど…初めて見たわ…」
「…………」
すごい言われようだった。
…仕方が無い。
何せ初めて見たときは私も似たような反応だった。
むしろ自分のステータスであるだけにショックもひとしおだった。
私が手を押し当てた石版の上にはぼんやりと光るプレートが浮かび上がり、そこには文字が書かれている。
名 アヴィスクーヤ
種族 異界人
クラス 異界人
性別 女
Lv:1
HP 5/5
MP 5/5
攻 1
防 1
知 2
速 2
魔 3
運 1
魔法:なし
耐性:闇属性吸収 全属性耐性 状態異常無効
身分詐称には成功したらしいが、こればっかりは誤魔化しようがない。
全員が全員、この世で最も不幸な、その上その不幸に気付いていない者を見つけたような、悲壮な顔で私を見てきた。
「…クーヤ、貴女…絶対に前に出ては駄目よ」
「…ああ、いざとなれば私の背に隠れろ。何とかしよう」
「………」
「牛乳娘、死ぬなよ。…人間の赤ん坊よりひでぇ」
もちろん言える事など何も無い。
こっくりと頷いた。
「幸いにも闇属性吸収に、全属性耐性があるし、状態異常無効もある。…正直なところだからどうしたというレベルだけれど…無いよりはマシでしょう。
クーヤ、貴女、何かスキルは持っていて?異界人ならありそうなものだけれど」
スキル…。暗黒神スキルしかないな。
あとはウロボロスの輪。
言わないほうがいいな。
「特には…頼れるものは本だけですが、魔力が少ないので魔水晶に頼るしかないので…マリーさんの封印の事もあるし使いたくはないのです」
「…そう…ね…。それならその本は使わないで頂戴。ただ、身の危険を感じればわたくしの事には構わず、迷わずに使っていいわ」
「はい」
マリーさんの顔が悲壮を通り越して慈愛になった。
悲しまれるよりキツイ。
というわけで請ける任務は私の最弱ぶりを考慮してマリーさん達にしては比較的マイルドなものを請ける事になったのだった。
「今のところ何の依頼があって?」
「あー…そうだな。薬の調達、食料の調達、女の勧誘のデフォルト三件に加えて、そうだな…」
ちらりと私を見た。
気持ちはわかる。
「牛乳娘を考慮して…この街に行くと言って行方が分からなくなった希少種の捜索、だな」
全員で行方不明者の情報が書かれた紙を眺める。
名前はカナリー。
神霊族の水属性の妖精。
見た目は10センチ程で羽根が生えており高速で飛び回る。
魔力探知にも引っ掛からず、どこかで捕らえられていると見るのが濃厚。
妖精…いいな。
早く見てみたいものである。
「そうね、今日はこれを請けましょう。…他は少し厳しいでしょう」
「…それしかあるまい。明日からはこのおチビは部屋に置いておいて、護衛に誰か一人残したほうがいいのではないかね?」
「…でしょうね」
ちょっと申し訳ない。
すいません。弱くてすいません。
「そうだわ、クーヤ、貴女もわたくし達の能力を見ておく?戦力の把握は大事なものよ」
「…そうだな、見せておくか。知っていれば逃げるのに役立つだろう」
言いつつブラドさんが店主にさっきの石版を要求した。
いや、必要ないのだが。
「え?見れますけども」
「…何?」
片手をあげたままのブラドさんが変な顔で見てきた。
「ステータスですよね?見れますよ。ぎゅーっと目を凝らすと見えるのです」
「………クーヤ、もう一度言ってくれるかしら?」
マリーさんの目が非常に怖い。これは獲物を見つめる鷹の目だ。
もしやヤバい事を口走ったろうか。
こりゃいかん。
「…えと、あの、その…普通は見れないんですか…?」
そうとしか思えない。
そういや見えているのならさっきの私のステータスに驚く謂れがない。
「…見れるものでは無いわ。…どういう風に、どこまで見えていて?」
「えーと、名前と…種族と、クラスと、ステータス、一通りは…マリーさんも封印されてるのは知ってましたし…」
マリーさんとブラドがゆっくりと目を合わせた。
「…どうかしら?」
「俄かに信じられんな」
「…ここで彼女が嘘を付く必要も無いし…」
ボソボソと相談を始めてしまった。
クロノア君と二人で置いてけぼりである。
「…クーヤ、疑うわけでは無いのだけど。わたくし達にとっては正直に言って信じられない話なのよ。わたくし達のクラスと…そうね、レベルを言ってみてくれる?」
「…マリーさんが封印状態の吸血鬼で1200、ブラドさんが人狼で1100、クロノア君が人造人間で1000デス…」
「…本当に見えているのね。すごいわクーヤ。…もしかしたら本の能力に通じるのかもしれないけれど…神の神通力の一つと言っていいのよ?人の魂の本質を見抜くというのは」
「え?でもあの石版…」
「あれは御使いから人間が賜ばったもの。その複製品。
ワーオ。
やっちまったようだ。
いや、普通だと思ってたのだが。
神の力だなんてぴったりフィットのストライクだった。
何としても誤魔化さねば。
「何ででしょうね~」
ピュッピューと口笛吹いて誤魔化しておいた。
あかんわ、すごい顔だ。
「スイマセン、ワカリマセン」
助けてアスタレル先生!!
「…まあいいわ。何れ聞かせてねクーヤ。わたくしの封印の事といい、貴女、ただの異界人ではないのでしょう?」
「そうだな。興味がある。神の工芸品に近い御業、この世界で生きる以上、異界人といえど出来る事ではない」
「…………」
クロノア君は分からないが二人の目がキランキランとしている。
解剖されやしないだろうか。
ちょっと不安になってきた。
ドキドキと若干の緊張と恐怖に胸を高鳴らせつつ私達は行方不明者の捜索にあたったのだった。
「さて、どこから探すか」
「ブラド、その鼻で何とかしなさいな」
「妖精の匂いなどわかるか」
犬耳生やしているだけあってブラドさんは鼻が利くようだ。
まあ妖精の匂いなど確かに分からないだろう。今回は役に立たなさそうだ。
「行方不明者の捜索なんて初期の頃にしかやらなかったものね」
「随分と懐かしい案件だ」
簡単すぎて難しいらしい。
クロノア君もきょろきょろとするばかりだ。
…ここは私が一肌脱ぐべきであろう。
ここで手柄を立てれば解剖されなくてすむかもしれない。
きょろきょろとクロノア君と同じように辺りを見回す。
カガリ、ヒラキ、ゴーガン、ドウガ、バードゥ…ここには居ない。
歩き出す。
「クーヤ?どうかしたのかしら?」
きょろきょろ。
こう見えて建物だろうが何だろうがどんな障害があっても知覚できる範囲であれば名前ぐらいは簡単にわかるのだ。
グレード、サナエ、レンガ、ガルデラント、カナリー、おっと。
種族は神霊族、クラスは水の妖精、居たようだ。
かなりの人数が密集する地帯。
他にも神霊族や亜人がいる。
捕らえられている可能性有り、とあったし同じく捕まっている人たちかもしれない。
「マリーさん、あそこですよ。あっちの煙が出てる建物の右です」
「クーヤ、貴女わかるの?」
マリーさんが目をぱちくりとして聞いてきた。
そういう顔をされると年相応に見えてとても可愛らしい。
でもそういやさっき私のステータス見て長く生きたけれど見たこと無いって言っていた。
この人何歳なんだろう。
…聞くのはやめておこう、うん。
「はい。名前と種族とクラスがわかっていれば簡単にわかります」
「…貴女、本当にすごいのね。その致命的なまでのステータスの低さが無ければ正式にわたくし達のチームに招待するところよ」
それは残念な事であった。
レベルアップさえ出来れば頑張るのだが。
「あと亜人と神霊族…と、…人間が沢山居ます。クラスが黒い牙所属の奴隷商となってますのでこの人たちが犯人じゃないでしょうか」
ブラドさんが呆れたように言った。
「…本当にとんでもないおチビだな。その無駄に大きな無駄に三つも備えた目は無駄では無いということか」
わけのわからない褒め方をされてしまった。
ドガンと一発。
本日の内柔外剛シャツという全てを裏切りすぎなシャツを着たクロノア君のやくざキックにより見た目頑強な鋼鉄製の扉は一瞬で鉄クズとなった。
あれほどひしゃげていては溶かすよりほか再利用の道はあるまい。
ナンマンダブ。
再利用するにも壁にめり込みすぎて取り出せるかも怪しいが。
「クーヤ、捕まっている希少種はどこに居るかわかるかしら?」
「ええと、大体しか分かりません。地下って事くらいです」
視界の下のほうに希少種の名前がいくつも空中に見える。
「十分よ」
ばっと両手を広げたマリーさん、そのお姿が百は超えるだろう数の金のコウモリと化しあたりに飛び散った。
「わっ!」
コウモリ化、吸血鬼の代表的な能力の一つだがまさかこの目で直に見るとはなぁ。
四方八方に飛んでいったコウモリ達、多分地下への入り口を探しに行ったのだろう。
「クーヤ、黒い牙の連中の居場所と人数は分かるか?賞金首だ。捕らえる」
「うーんと、三階の奥、右端、5人、ですかね」
「分かった。後は人間の匂いを辿る。クロノアを置いていく。何かあったら頼るがいい」
なんだか頼もしい事を行って駆け去って行った。
というか今初めて名前呼んだなあのおっさん。
正確にはアヴィスクーヤだが、贅沢は言うまい。
一匹のコウモリとお尋ね者達をふん縛ったブラドさんが戻ってきたのは程なくしてだった。
制圧めっちゃはやいな…。
クロノア君の頭のネジを眺めているうちに終わってしまったようだ。
ふん縛った連中は玄関に放置し皆で地下へと向かう。
かなり奥まった隠し通路、よく見つけたなぁ。流石はマリーさんだ。
階段を降りきった先の小部屋、皆まとめて押し込まれていたらしい。
実に色とりどりだ。
ピンクや黄色やら青やら白やら。
種族は亜人と神霊族、クラスは色々。
この人たちが希少種なのだろう。
妖精、一角獣、ホビット、セイレーン、…と多種多彩だ。
依頼にあった妖精も発見、かくして依頼達成というわけだろう。
早かったなァ…。
あっけなさすぎて味気ない。一時間掛かったろうか?
「怖かったのーーーーー!カナリーはね!ほんとにこわかったのよ!」
ブインブインと飛び回る妖精、言っては何だがコバエのようで少々うざい。
「おっきな人間がカナリーを封精石で捕まえてしまったのよ!
きっと売られるところだったんだわ!外は怖いところだっていってたおばあちゃんの言葉は正しかったのよーーーー!!」
うん、飛び回る事より口調がうざい。妖精って皆こうなのか?夢が壊された気分だ。
「吸血鬼のお姉さま、犬耳のおじさん、ツギハギお兄さん、ほんとうにありがとうなの!!あとあとあとそれと―――――」
目が合った。
ボテ。
妖精は墜落した。
暫く私と見詰め合っていたが、ススススと移動してブラドさんの影に隠れてしまった。
中々の怯えっぷりだ。
演技ではない。本気の怯えがその目に宿っている。
歯の根もあっていないようだ。
…はて、何もしていないのだが。
「あのー…」
「ひいいぃいぃぃいいぃいいぃいぃ!!!」
とんでもない金切り声で叫び、その表情は恐怖に凝り固まって顔色は青を通り越して土気色である。
「クーヤ、何かしたの?」
「いえ、なにも」
何もして無いのだがすごい怯えようだ。
そーっと手を伸ばす。
「ひぎっ…ひっ…ひぐっ」
呼吸困難に陥り始めたようだ。
これは手を出さないほうがよさそうだ。
「ごべんなさい!!カナリーなにもしてないぃ!!許してぇ!」
あ、失神した。
残りの被害者、賞金首を丸ごとギルドに投げて定位置らしいテーブルで昼食と酒を囲む。
堕落しただらけきったチームである。
いいけども。
テーブルの中心には料理と共に恐怖のあまり失神した妖精がひっくり返っている。
今からカエルの解剖でござい、といったところか。
ナチュラルに料理と共に並ばされる姿はうっかり間違えて食べそうだ。
「ブラド、醤油さしを取って頂戴」
「…マリー、私の見間違いでなければ君の方が近いのだが?」
「見間違いね」
「…………」
無言で醤油さしに手を伸ばすブラドさん、今日もマリーさんは絶好調だ。
しかし、醤油…。食文化がちぐはぐだなぁ。
思えば無駄に酒も種類が多かった。
聞いてみよう。
「ここって何でそんなに食文化がバラバラなんですか?」
ブラドさんとマリーさんはきょとん、と首を傾げてややあってから納得したようだ。
「あぁ…そうね。貴女は来たばかりだものね。この世界の食に関して言えばほぼ全て異界人の努力の賜物よ」
「奴ら食に関してだけは異常なまでに執着してね。…こうしてこの味に慣れれば気持ちは分かるがね」
「元々この世界にあった食文化なんてあって無いようなものも同然だったもの。食材そのものも少なかったしね」
「へぇ…だから高いんですか?食料」
「いえ、この街だけよ。前に話したでしょう?この辺りが死者に呪われているという話。この辺りは植物や家畜も同様に生きていけないのよ。
土地神による浄化も望めないでしょうし。そこそこの神がなったところで消滅させられるだけだもの。
…そうね、貴女はこの街の成り立ちも知らないでしょうね。結界の外に出ては大変だし、話しておくわ」
ふむ、これはしっかり聞いておいたほうがいいだろう。
戦争があったとは知っているがそもそも東と西の国というのがよくわからないし。
前知識はほぼ0に近いのだ。
アスタレルも何も言ってなかった。
マリー先生の講釈をがっつりと聞くべく、店主にフライドポテトと牛乳を頼んでおいた。
――――というわけでこの街の長い話が始まったのだ。
「この街に関してはこれぐらいかしら」
「ふーむ」
半分ぐらいしか頭に入らなかった。
まあいいか。
しかし結界、結界か…。
わたくし、結界の外から二時間かけて参りました。
ただでさえ解剖されそうなので言わないどこう。
ひとまず大体の事はわかった。
西の国の魔王達が東の人間の国に負けて、今は世界平和という状況。
戦争終結後、和睦と言う事で生き残った魔族の代表と人間の代表が会議を開いた。
…それが恐ろしく偏ったものだったらしい。
と言うよりも和睦と言ってもほぼ人間の圧勝だったために和平会議というより東国の戦後処理、と言った方が良いものだったらしい。
その時に国境と国民と政府と組織と、細かなところまでそれぞれ洗い直し、改められたのだ。
その結果、西の国はその殆どが分割されて小さくなってしまった。
あげくに交易の開始と内容の取り決め、友好の為として移住者の選定、技術発展の為に技術者の派遣、国家間の協定あらゆるものが人間に有利なものだったわけだ。
西の国は何れも既にボロボロ、どんなに理不尽でも逆らうなど出来なかったようだ。
個人であれば嫌がって出奔するものも多かったもののそういった者達は一まとめにモンスターとされてしまった。
そして西の国を降した東の国はそのまま他大陸に進出した。
北と南は国と呼べるものが無く、集落のようなものがぽつぽつとあるだけ。
つまり未開拓地扱いだったという事のようだ。
亜人は少数部族が殆どで閉鎖的だった事もあり基本的には我関せずというスタンス。
北の神霊族は滅多な事では人間に姿を見せず、居る事は知られていたが精霊じみた扱いだったようだ。
そのおかげで人間が来たときも殆ど干渉などしなかったらしい。
そして戦争が終わり数百年たった現在。
人間の生命力というのは侮れないものだ。
どの大陸にも進出し根を張りせっせと交配し繁殖し商売して布教して思想を広げ。
どの種族も己の血を残す為に人間と混血し少しずつ種としての血を薄めていく。
人との混血で短くなった寿命。
世代交代の速度があがった。
個体数が増えていく。
驚異的な速度でそれぞれの種が持っていた文化が失われていく。
数を増やし、大地を開拓し埋め尽くす。
それに反比例してピュアな血筋を持つ者達はその数を減らし、生きる場を狭められていく。
既に四大陸ともいつ東の国に旗を立てられても可笑しくない人間の国と言って差し支えない状況だそうだ。
人間の法と秩序が世界を地均しでもするかのように平坦なものへと変えていく。
そんな状況が我慢ならずに飛び出してきた者達。
環境に惹かれて集まった人間世界の裏の者達。
そんなダメダメな人々が集う街。
それが此処。
名前の無い街。
「この街は人間にはモンスターの街と呼ばれているの。
亜人も魔族も人間の血が入ってもおらず、教会の認可も無い者はモンスターとして討伐対象だもの。
神霊族も法的な扱いは動物と変わらないわ」
…そりゃ酷い。
がさがさと地図を取り出す。
「ああ、そういえば地図が作れたと言っていたわね」
「はい、これです」
皿と妖精をどかして机の上に広げて見せる。
東の大陸が人間の国、西が魔族で南が亜人、北には神霊族、と。
ぐりぐりと書き込む。
「精度が高いわね。ああ、この街はここよ」
指差された地点に修羅の国と書き込んだ。
「魔王って弱いんですか?人間の圧勝だったって…」
弱いのは困る。
勇者をやっつけてもらわねばならないのだ。
そういやアスタレルが色々問題があるっていってた。まさか弱いのが問題の一つなのか。
「そうね…。ここ数代の魔王達は自称だし、弱いわね。それでも開戦時の魔王達は今代に比べればまだマシだったのだけれど」
自称…。自称も気になるけど当時について先に聞いておこう。
「遥か昔に転機があったのよ。何があったのかはわたくしもわからない。兎にも角にも人の認知できない領域でとんでもない事件が起こったようね。
世界が変わった日。世界から死が失われた。
レガノアの力が世界に溢れ、世界樹と呼ばれるものが現れ、天界が空を覆いつくし神霊族は半霊体ではなく肉体を持った生命体となった。
精霊が現れ、神々が実体を持って地上に降り立ちレガノアの従属神となった。世界に満ちたマナが変わった。黒魔術、暗黒魔法と呼ばれていた類のものが徐々に使えなくなり遂には起動すらしなくなった。
闇に属する魔力が消滅、それと共に魔族や竜族など種として最高峰に位置してきていた種族の魔力は信じられないほどに減退した。
魔王と呼ばれる者達は本来であれば一個の生命体として無敵であったはずだったのよ。
そう決められていたの。
でもそうでは無くなった。
逆に人間の方が異常なまでに力を持ち始めた。
最初こそ拮抗していたけれど時が経てば経つほど魔族が押され始めた。
名のある者が討ち取られる事が相次ぎ勇者の出現と天使の顕現がそれに拍車をかけた。
争い続けた数千年、中期の頃にはもう既に勝ち目など無かった」
なんと。
この分ではアスタレルの言っていた問題の一つは加護を与えても弱っちいで間違いなさそうだ。
しかし何があったんだろう?
確かに話を聞く限りとんでもない事があったようだが。
そういやマリーさん昔は死があったって言ってた。
その事件とやらが原因で今はそうでは無いって事だろうか?
よく分からないなあ。
もう一つ聞いておこう。
「今の魔王が自称って一体…?」
答えたのは今まで黙っていたブラドさんだった。
「魔王というのは本来は魔族の神から与えられる最高位の称号だよ。
今は単に多少使えるというだけの自信過剰の分を弁えぬバカが自らそう名乗るというだけのものでしかないが。
昔は本物だった。
昏き深淵に座す神に謁見を果たし、そして認められた者だけに与えられる至高の称号。
無限に等しい魔力炉と現在過去未来のあらゆる知識、世界を捻じ曲げるレベルの桁外れの超常能力、在任中は不滅であるという不死スキルを持つという笑ってしまうような怪物でね。
今の世代はそもそも本来の魔王がどのようなものであるかも知らんだろう。
自分で魔王と名乗っていると言うだけの連中さ」
…すごいな。
魔王って強かったんだ。
しかし今はダメダメ、と。
それじゃあ確かに問題だ。
なんとか強くなってくれればいいのに。
その魔族の神様に謁見するとか出来ないのだろうか?
…まあブラドさんの言い方を見るに多分すごい難しい事なんだろう。
むしろ簡単だと困る。
そんなのが沢山居たらなんて考えるだに恐ろしい。
それにアスタレルの話によればレガノアは他の神様を自分の子分にしてしまっているというし。
その魔族の神様が今も居るかどうかもわからない。
というかもしかしなくてもマリーさんの言う魔族と竜族の衰退の原因ってレガノアが原因じゃなかろうか。
その神様は恐らくレガノアに取り込まれた。
だから魔族と人間の力関係が逆転したのではないだろうか。
しかしそうなると勇者って本物の魔王と同レベルの怪物の匂いがするのだが。
大丈夫だろうか。
「今代魔王達も何れはモンスターの王として勇者に討伐されるでしょう。
レガノアの加護がない種族は繁殖力が落ち、力ある固体は産まれない…次代はもっと弱い者になるでしょうね」
大丈夫じゃなさそうだ。
それは困る。
すごく困る。
レガノアの加護にそんな力が。
そりゃあ誰でも人間と混血の道を選ぶだろう。
まさに詰んでるとしか言いようのない状況だ。
アスタレルの神の加護をもった勇者は卑怯という言葉はマジだったわけである。
神様の加護を沢山持った勇者、そりゃあ卑怯だろう。
神様の加護とは思った以上に強力のようだ。
それにしても神様の加護って色々種類でもあるのだろうか。
私の加護ってそんなレガノアのような効果は無さそうな気がする。
これについては調べる必要がありそうだ。
しかし、これはうかうかしてられなさそうだ。
私の地獄開拓の為には魔王達が勇者にやられてしまっては困るのだ。
…しかしこうなると別のアプローチを模索すべきかもしれない。
魔王への加護と勇者の討伐は取り合えず置いておいて上位悪魔の顕現、これを優先すべきかもしれない。
そうすればダメダメな私でも何とかなると言っていた。
それとこの街のお話をして貰う時にチラリと出てきた人間との混血を避け隠れ住むピュアな種族。
その人たちの保護をすれば…レガノアと人間の力を削ぐのによさそうだ。
何とかしてコンタクトを取りたいものだが。
気長に探すしかないだろう。
その前に外に出られるようにならねばならないな。
この3人が居れば大丈夫だとは思うが…。
流石にアテの無さ過ぎる旅についてきてもらうのは気が引ける。
悪魔を召還してこき使えればいいのだが。
ため息を付いた。
先はまだまだ長そうである。
ふとテーブルを眺めて気付いた。
「………」
ピーンと四肢を伸ばして恐怖に凝り固まった土気色の顔のまま妖精がピクリともせずこちらをガン見していた。
脂汗がたらたらと流れている。
水の妖精なのに油とは。
話しかけるべきかそっと目を反らすべきか。
考えているとひょいと妖精を摘み上げる手があった。
クロノア君だった。
「…………」
じーっとガチガチに固まったままの妖精を眺めている。
妖精はクロノア君に摘み上げられつつ固まったままにも関わらず目だけが八方睨みのごとくこちらから動かない。
フクロウみたいで不気味である。
こっち見んな。
それを見てマリーさんとブラドさんも妖精の目が覚めたのに気付いたらしかった。
「あら、目が覚めたのね」
「ふむ?無事に目が覚めたのならこれで任務は終了だな」
何でわざわざテーブルの上にひっくり返していたのかと思えば、保護依頼の為にちゃんと起きるまで待っていたようだ。
がさがさとマリーさんが朝の依頼書を取り出してさらさらとサインらしきものをしていた。
美しい文字である。
店主に提出してくるよう言ってそのままブラドさんに押し付けてしまった。
隙を与えない素晴らしい流れるような押し付けっぷり、流石マリーさん、美味しいところだけ持っていった。
あまりの隙のなさにブラドさんも何も言えずに立ち上がりカウンターに向かっていった。
「カナリーと言ったかしら。わたくし達はあなたの故郷から依頼を受けて貴女の捜索と保護を行ったの。
貴女が無事に目を覚まし、これをギルドへと通達。これにてわたくし達は依頼達成、以上よ。
グランに手続きを頼めば貴女の故郷と連絡を取ってくれるでしょう。
その間はギルドの宿場なりで大人しくしておけば今回の様に誘拐などはされないでしょう」
マリーさんの言葉に妖精カナリーは漸く私から目線を反らした。
それでも身体が少しでも私と距離を取ろうとしているのはまぁ、見ないふりをしてやろう。
私は寛大なのだ。
「あ、ありがとうなの。カナリーはおばあちゃん達からの連絡をここで待つのよ」
言いながらこちらをちらちらと尋常ではない引き攣った顔で見てくる。
そんなに怖いかなー。
ただの悪魔の神様だよー。怖くないよー。
にたーと笑ってみたがますます怯えてしまったようだ。
…いっぱい悲しい。
「報酬だ。大したものではないがね」
カウンターから戻ってきたブラドさんはジャリン、と硬貨が入っているらしい小袋をテーブルの上に投げてきた。
「賞金首を入れてもこれだけとはね」
「黒の牙の実動隊などそんなものでしょう」
少ないらしい。
相場がわからん。
まあでもマリーさん達のこれだけって言葉は信用しないほうがいいだろう。
それぐらいはわかる。
「さて、面白い話を聞いてきたぞ。マリー、君好みだろう」
ひょいと肩をすくめて犬耳をピクピクとさせながらブラドさんはニヤリとワイルドな笑顔を見せてきた。
犬耳で台無しだな。
「今朝ここに着く予定だった輸送馬車と未だ連絡が付かんそうだ。フィンバリット商会のものでね。
護衛もかなり居たそうだが。既に捜索隊も派遣されているが見つからんそうだ」
「フィンバリット商会…大きなところね。残骸の一つも見つからないのかしら?」
「ああ。死体一つ無いらしい。状況から見るに何かから逃亡し現在は雲隠れ中といったところだろう」
…この荒地の何処に隠れるんだろう。
何か洞窟とかそんなものがあるのだろうか?
「そうね。盗賊あたりに襲撃されたと言うなら死体なり荷の残骸なり何か痕跡があるでしょう。大陸へ逃げたなら連絡もある筈、それすら無いなら付近に潜伏中でしょうね」
話していると突然、私の背後からテーブルにドンと何かが打ち付けられた。
「おぉ!?」
驚きすぎて飛び上がってしまった。
「がはは、驚かせちまったか?悪かったな牛乳娘。こいつは俺からの報酬だ。大活躍だったそうだな?
行方不明者の捜索なんざペーペーのケツに卵の殻を引っ付けたようなルーキーの仕事だが…正直お前さん死ぬんじゃねぇかと思ってたからな。祝いだ!」
テーブルに打ち付けられたものは大きなグラスであった。
牛乳である。
店主のおごりのようだ。
素晴らしい。
いそいそと手を伸ばす。
ほぼ全てマリーさん達の手柄であるが言わないでおこう。
牛乳にしては少し黄色がかっている。
何であろうか。
グラスを抱えて一口付けてみた。
出逢うべくして出逢った二人。
運命としか言いようがなかった。
奇跡の邂逅、この出逢いに心からの祝福を。
「親父、これは―――――!?」
「ぬはは、いいだろう?新商品のバナナミルクだ。牛乳娘には丁度いい塩梅だろ!」
なんてこった。
濃厚なミルクに加えられたまろやかな独特の甘さ。
素晴らしいぞ店主。
褒めてつかわそうではないか。
グビグビと一気に飲み干す。
なんて美味しいのだろう。
これはイイ。すばらし。
私がバナナミルクに舌鼓を打っている間にマリーさん達と店主の間で会議が始まった。
「で、マリー。お前らに正式に街のお偉いさんからご指名で依頼だ。話は聞いてるだろうが…フィンバリット商会輸送馬車の捜索。
夜明け前に中間補給所を輸送馬車が出発したのは確認できてる。そこからの行方がわからん。
当然だが商会も隠蔽魔術を使ってるから探知魔法には引っ掛からん。
地道に人海戦術と言いたいが…さすがに長々と作業はさせられねぇ。行商ルートに敷かれた結界外に出ちまってるようだからな。
って事でお前さん達にお鉢が回ってきた。マリーなら単独で結界が張れるからな。
急がねぇとあちらさんが保たねぇ。結界を張れる人材は居るだろうがそう長くは無いだろう。
ただの行商なら自己責任で放置だが。ま、荷が食料となると話は別だ」
食料、と聞いた瞬間、皆の目つきが変わった。
やる気ゲージが一気に振り切れたようだ。
「報酬は?」
「マリーが魔石の類を集めてるとは聞いた。つーわけでお偉いさんと交渉してきてね。赤石の2等級が5つ。純度は60から80ってとこだ。どうだ?」
「…いいでしょう。受けましょう」
おお、交渉が上手くいったようだ。
それにしても昨日からマリーさん達のやる気が出ているのはどうやら魔石を探しての事らしい。
多分封印を解く為のだろう。
この調子なら直ぐ解く事が出来そうで何よりである。
ガタガタと立ち上がり準備を始めた。
む?私も行くのだろうか?
取り合えずリュックを確認しといた。
「それにしても…結界外にまで出ているとはね。死ぬのは分かっているだろうに」
「そうね…何から逃げているのかしら?」
「その辺りはわからん。この辺に妖魔だのなんだの出るはずねえからな。フィンバリット商会なら盗賊が来たところで護衛で十分凌げる筈だ」
…もしや危険な仕事なのでは。
ちょっぴり怖い。
口を挟んできたのは存在を忘れかけていたカナリーさんだった。
意外なところからの情報提供であった。
「カナリーがここに来たのは天使が見たかったからなのよ。この群島が見える街に住んでたっていうおじさんが遠くから白い翼の御使いを見たっていうのよ」
「「………天使?」」
全員の声が見事にハモった。
我に返ったのはやはりマリーさんが一番早かった。
「それこそまさかでしょう。ここに天使が来るなんて」
「そうなのよ!カナリーも驚いたのよ!でもカナリーも見たのよ!真っ白な天使だったのよー!」
「…どこで見た?」
「この島ではないのよ。この島から東よりに少し離れた小さな島なのよ!」
その答えにブラドさんが顎に手を当てて考え込んでしまった。
ふーむと店主が難しい顔。
「東か。フィンバリット商会も今回は東の方から出発してる…天使を見つけて逃げたってんならそりゃ結界外に出るだろうな。そっちの方がマシだ」
「それなら確かに戦おうなんてしないわね。対話なんて無駄な試みもしないでしょうし…一考すらせずまず逃亡でしょう。
痕跡が無いのは当然ね。綺麗に逃亡か綺麗に全滅かの二択だもの」
「…天使と対話する位ならA級災害危険生物との対話の方がまだ望みがあるからな。…しかし此処にくるとはかなり位の低い天使だな」
「でしょうね。少しでも知恵があるなら来ないもの。階位の低い末端天使でしょう」
天使………天使ィ!?
いかーん!!
これはヤバイ事態である。
勇者ではなくまさか天使がくるとは。
「て、天使って大丈夫なんでしょうか…!?」
キョドりながら必死に問えばマリーさんは少し微妙な表情をしてみせた。
「…大丈夫、とも言い切れないのが実情ね。この街に来ないとも限らないわ」
逃げたほうがいいだろうか。
あまりにも予想外すぎる。
「まあ、如何な天使とは言えこの大地にあっては長くはもたん。ここから離れず精々見つからんよう逃げ回るのが賢いだろうな。
フィンバリット商会が大陸へ戻ったと知らせが来ないのも同じ考えだからだろう」
そうか。
そういえばこの辺りの死者が神や御使いを恨んでいるせいで彼らは来れないと行っていた。
「敷かれた結界に入る事もなく消滅してくれれば有り難いわね」
「そうだな。祈るとしようか」
ここから逃げて群島を離れるのは逆にまずそうだ。
このままマリーさん達に引っ付いているのがよさそうである。
見つかったら確実に追い回される。
一人でそんな状況になれば逃げ切るのは難しいだろう。
「マリーさん、そのフィンバリット商会を探すのに同行してもいいですか?」
「ええ、構わないわ。むしろそちらの方が有り難いわね。貴女の探索能力を使えば早々に輸送馬車の回収も出来るでしょう」
「そうだな。街に置いていってもし天使が来たら対応できん。おこちゃまだがれっきとした護衛対象だ。マリーの封印の件もある」
マリーさんがちらりとこちらを見てきた。
何だかこちらを探るようなとでも言えばいいのか。
そんな目だ。
「クーヤ。貴女、天使に追われるような覚えがあって?護衛の依頼といい天使に怯えていた事といいそうとしか思えないのだけれど」
む、確かにマリーさんがそう思うのも無理は無い。
こうなっては正直に言ってリスクが高いからと嫌がられるのもやむなしだろう。
「はい。天使や勇者に多分ですが追われてると思います」
「多分?」
「恐らく追われるだろうとは思っていましたが実際のところどうなのかはまだわからないのです」
「何か追われるような事をしたのかしら?」
「いえ、何かしたわけではないのですが。強いて言えば私の存在がレガノアにとってよろしくないというか」
「…貴女の生まれが原因で粛清対象となっていると言う事ね?」
「まあ、そうです」
「ここに天使が来たのは貴女に因のある事なのかしら?」
「うーん…。それはわからないですね。ここに来た天使が私に気付いてるかどうかもわからないですし」
「そう。わかったわ」
軽く返事をしただけでマリーさん達は準備に戻ってしまった。
…頼んでおいてなんだがいいのだろうか?
「大丈夫なんですか?」
答えたのはブラドさんだった。
「天使だろうが勇者だろうがマリーの封印解除には代えられんさ」
…それならまあいいか。
ギブアンドテイクって奴なのだろう。
「気をつけていけよ。特に牛乳娘」
店主にがっしと大きな手で掴まれて頭をぐりぐりされてしまった。
店主なりの激励なのだろう。
頭がぐわんぐわんしているが。
力加減を考えて欲しいものだ。
「カナリーも行くのよ!!」
妖精もか!
「役に立つのかね?」
「水の精霊なら使役出来るのよー!恩返しをするのよ!…それにこの街に居るよりあなた達についていった方が安全なのよ」
人の事を言えた義理ではないがリアルな理由であった。
ひゅおおおお
来たときはなんとも思わなかったが死者の怨念まみれと聞くと風の音もソレっぽく聞こえてくるものである。
この赤い土とか。
そういえばここで地獄トイレの自動洗浄を使ったらどうなるのだろう。
魂を吸い込めるのだろうか?
後で試してみよう。
考えていると地図を見ていたマリーさんがこれからの行動を提示してくる。
「東からの街道を来ていたようだからそこから行ってみましょう」
「そうだな。こちらが出向けば向こうが気づいて出てくるやもしれん。カナリー、君も東沿岸から結界を辿って来たのだろう?」
「そうなのよー。天使を見たから戻ろうとした途中で捕まってしまったのよ!」
「決まりだな」
決まったようだ。
しかし街道とは。
そんなものあっただろうか?
「街道なんてあるんですか?」
「明確に街道として整えているわけではないわ。結界を伸ばしているだけで見た目は特に変わらないの」
「へぇー」
行ってみれば確かにここが街道と言われても分からない。
マリーさんが少し大きめの岩を指差した。
「クーヤ、あれが結界を掘り込んでいる岩よ。ここから沿岸まで同じような岩が等間隔に置いてあるからあれから離れては駄目よ」
「はーい」
近寄ってみれば確かに何か模様が掘り込んであるようだ。
これで結界を伸ばしているのだろう。
ぺたぺたと触ってみる。
削ったらどうなるんだろうと思ったがどうにも物理的に掘ったというわけではないようだ。
つるりと掘られた模様は刃物で削ったという断面ではない。
焼いたというか、そんな感じに見える。
「さあ行くぞ、おチビ。何か見えたら言うがいい」
「ふぁーい」
いつの間にか歩き出していたらしい。
とてとてと三人の後を追った。ブーンと妖精が後に続く。
どうやらカナリーさんも流石に私に慣れてきたようだ。
取って食いやしないのでもうちょっと近づいてもいいのよ?
「うーん」
暫く歩いたものの特にそれらしきものは見えない。
カナリーさんもブインブイン飛び回っているが見つけられないようだ。
「やはり結界外に出たままのようね。そろそろ最後に姿の確認された中間補給所に着くし、ここからは結界外を探しましょう」
「やれやれ。向こうから合流してくれれば楽だったのだがね」
「仕方ないわ。こういった事はままならないものよ」
マリーさんが何事かを呟きながら一匹のコウモリを出して見せた。
なんだか妙に光輝いたコウモリである。
「結界を作ったのよ。この蝙蝠から半径5メートル程の広さ。結界の維持にわたくし達全員の魔力を吸い上げているわ。
疲れたのなら対象から外すわ。言って頂戴」
おおー。魔法って奴だろう。
初めて見た。
…うう、うん?
なんだかおかしい。
「マリーさん、疲れました」
「早すぎだろう」
ブラドさんに呆れたように突っ込まれた。
しかし疲れたものは疲れたのである。
それも倒れそうなレベルで。
「…まぁ、クーヤの魔力量ならそうなるわね。初めから外しておくべきだったわ。…大丈夫かしら?」
対象から外してくれたらしい。
少しマシになった。
「さ、行きましょうか」
「どちらに向かう?」
「そうね…」
道を外れるとなったら範囲は360度。
何処に行ったのやらである。
見回してみる。
隠れるような所があるのかと思っていたがこの辺りは赤茶けた巨岩が辺りに乱立し、戦争の名残なのかあちこちボコボコで隙間だらけだ。
隠れようと思ったら遮蔽物はいくらでもありそうである。
これは苦労しそうだ。
「足跡もなし、と」
「ブラド、匂いは残っていて?」
「既に残っていないようだな」
ぴんと思いついた。
リュックを下ろして木の枝を取り出す。
三人と妖精が不思議そうに集まってきた。
「クーヤ?何か当てがあるのかしら」
こういう時は困った時の神頼みに限るのだ。
地面に立てて手を離した。
ぐーらぐらと暫く揺れたあと、パタリと倒れた。
倒れた方向を指差す。
「あっちです」
「適当すぎる」
むむ、ブラドさんは反対のようだ。
適当もクソもあるかい。
どうせわからんのだ。
「うるさーい!ブラドさんなんか一人寂しく彷徨ってしまえー!」
「何を言うか!私が一人で彷徨うなど世の女性に悪いだろう!これだからおこちゃまは!」
「………まあいいわ。ブラドは一人彷徨わせるとして、特に行き先を示すようなものも無いし、クーヤの言う方向に行きましょうか」
「マリーまで何を言うのかね!これだから幼児体型は!」
とりあえずブラドさんは無視して皆で進み出した。
後ろでブラドさんがブツブツと言っていたがそんなものは放置である。
全く。
女性に体型の話を振るなどなってない犬耳おっさんだ。
それから2、30分ほど歩いた頃だった。
ブラドさんが呆然と呟く。
「…これは冗談か何かかね?」
「…まさか本当に居るなんて予想外ね…。正直なところ間に合わず死体の回収になると思っていたのだけど」
前方の切り立った岩同士のほっそりとした隙間。
そこにはいくつかの輸送馬車と幾人かの人、あれならキャラバンとでも呼ぶべきだろう。その姿があった。
カナリーさんがブイーンと飛んでいった。
「きっとあれなのよーーーー!!」
「よく来てくださった…!!」
小太りのおっさんが平身低頭とにもかくにも頭を下げまくる。
ハゲの照り返しが眩しいのでやめて欲しい。
「わたくしの結界を広げておいたわ。あまり離れないで頂戴」
「感謝いたします…!護衛の魔術師達の魔力量もあと1時間持つかどうかというところでした…!」
ぐったりと座り込んだお兄さん達がその魔術師とやらだろう。
全員顔は真っ青で今にも倒れ込みそうだ。
「三人でよく持たせたものだ」
「はい、三人とも我が商会の指折りの術師です。それでもやはり人間ですからこれが精一杯でした…」
「そうでしょうね」
マリーさん達は涼しい顔だ。
私は二秒でギブアップだったのだが。
私からすればこの人たちも十分である。
「結界そのものもあまりいい物ではないのでしょう?体調は平気かしら」
「何人かが既に昏倒しておりまして…早急な治療が必要でしょうな…」
「それで?何故こんなところに居るのだね?自殺願望でもあるのか?」
「それが…」
小太りおっさんも歯切れが悪い。
「話に聞くとおり、天使が居たのかしら?」
マリーさんの問いに意を決したのか、小太りおっさんは少しずつ話し始めた。
「…はい」
話を聞けば、どうやらこの街に来る途中、かなりの高度だったが一人の天使が居る事に気付いたらしい。
おっさん達が先に気づいた為、向こうがこちらに気付く前に結界の外へ逃げ出し、ずっとここに隠れていたそうだ。
「賢明な判断ね。その天使はどんな様子だったのかしら」
「…何かを、探しているような様子でございました」
むむむむ。
「探している?わざわざここに来る程に?」
「ええ…、身体のあちこちが既に腐食しておりましたが…それには全く頓着していないようでした」
むむむむむむむ!!
「そう。何を探しているのかしら…?」
「さて、神の御心はわからんな」
ブラドさんが周囲を警戒しながら答えた後、マリーさんがちらりとこちらを見た。
違います。
私が犯人ではないのです。
多分。
…多分。
…そうだといいな。
「とりあえず戻りましょう。わたくし達は街のほうから来たけれど天使らしきものは見かけなかったし…早々に治療すべき人間が居るのでしょう?」
「そうですか…それならば街へ行きましょう。それにあの御使いも先は長くなさそうでした」
「ならば街へ来ればよかったものを」
「その様な勇気は私共は持ち合わせておりません。御使いが居ると聞いた場所に来るなど…皆様ぐらいのものでございます」
「そんなものか」
ブラドさんは軽く肩を竦めて見せた。
…この三人、何だかんだ全員レベル1000越えだしなー…。
この小太りおっさんの集団は一番高くて30ほどだ。
そりゃあ970の差は埋めがたいだろう。
小太りおっさんがあちこちに指示を出し、疲れきった様子の魔術師は回収。
キャラバンは街へと向かったのだった。
街が見えてきた頃だった。
マリーさんが深刻な顔でここで待つように指示をだしたのは。
「ここに居なさい。…街の様子がおかしいわ」
ブラドさんが鼻をひくつかせる。
「…こういう時は得てして最悪の道が選ばれるものだな」
クロノア君はじっと街を見つめている。
「………」
えー…まさか。
小太りおっさんも脂汗まみれだ。
「あの…まさか…!?」
小太りの掠れた声にマリーさん達は頷く。
その見つめる先、土煙だけではない。
明らかに炎の煙をあげる街があった。
「天使は街へと入ってしまったようね」
マリーさんの声にいつもの余裕はなかった。
三人が軽やかに馬車から飛び降りた。
「い、行くんですか?」
おずおずと切り出せばマリーさん達は当然と言わんばかりのお顔である。
「クーヤ、貴女は残った方がいいわ」
いやいやいや行きます!
天使が近くに居るというのに皆様と離れて一人なんて嫌ですとも!!
それにこう言ってはなんだが地上に降りてまだ殆ど何もしていないのだ。
今なら死んでも特に問題はない。
というわけで強気でいくべきだ。
「行きますー!」
「…大丈夫なのかね?」
「たぶん!」
力強く返したのにマリーさんもブラドさんも不安そうである。
失礼な。
相変わらず無表情なクロノア君を見習って欲しい。
「カナリーも行くのよ!」
「え?」
来るのか。
「天使が相手ならいざとなれば三つ目小娘を差し出して逃げるのよー!」
「この野郎!」
なんて奴だ!
しかも小娘呼ばわりとは!!
生意気である。
こんな時ばっかり近寄ってきた妖精を引っつかんでぎゅーと絞めてやった。
ざまーみろい!
「何を漫才しているのかね。追いていっても?」
「「だめえぇぇっ!!」」
不本意ながらカナリーさんとハモってしまった。
不安げな小太りに見送られながら街へと向かって歩を進めた。
「静かね」
だいぶ近くまで来たが…マリーさんの言うとおり酷く静かだ。
「…住人は何処に行ってしまったんですかね?」
人影は全く見当たらない。
「西から逃げたか、下水道にでも逃げたか、建物に隠れているかのどれかでしょうね。見たところ死体も無いようだし…人には興味が無いのかしら」
「その辺の建物に何人か隠れているようだな。人の匂いがする」
「天使の居場所はわかって?」
「さてな。マリーの魔力探知は?」
「天使も余程弱っているようね。ほとんど感じないわ」
「死にかけか」
「それならカナリーがやっつけてやるのよー!」
喜んで返事をした。
「どうぞどうぞどうぞ」
「う、嘘なのよ!カナリーのお茶目なのよ!!」
ちぇっ!
使えない妖精である。
「お気楽なコンビだな」
ブラドさんに言われてしまった。
地味にショッキング。
目を閉じてあたりの魔力の探知をしていたらしいマリーさんが赤い目をゆっくりと開いた。
「…広場に行きましょう。少しだけれどこの街とは異色の力を感じるわ」
街の入り口から走り続け、いくつかの路地を潜り抜けた先。
あと二、三回曲がれば広場。
「!!」
ぞわっとした。
見られている?
まさか。
辿り着いた先。
街の中ほどに位置する広場。
何者をも拒む清浄な空気、辺りに満ちる聖気。
普段の喧騒からは考えられないほど静まりかえった街。
人っ子一人居ない。
無人と化した街の中心にそいつは居たのだ。
真っ白な羽根を羽ばたかせているが別に羽根で飛んでいるわけではないだろう。
屋根よりは少し高いくらいの空中にじっと静止している。
人ならざる骨格に人間の赤ん坊のような顔、かなり不気味だ。
金銀輝く真っ白な服。
だが…呪われているというこの地の影響だろうか。
あちこちがぐずぐずと真っ黒に溶け崩れ落ちている。
あれが小太りの言っていた腐食だろう。
しかし今はその症状も無いようだ。
この街の結界のお陰なのだろう。
金の光を撒き散らしながらそいつはゆっくりと地上に降り立ち私達の方向を向く。
いや、私達というより私を見ている。
辺りに展開される幾つもの幾何学的な黄金の魔方陣、何か魔法でも使うつもりだろう。
絶対ヤバイ威力に違いない。
動いたのはまさかのクロノア君だった。
やや早めであったが、天使の周囲に広がる金色の魔方陣を気にした様子もなく、普通に歩いて天使に近づいていく。
手の届く範囲まできたところであっさりと天使の首を掴み、持ち上げる為の力を込める予備動作すらなく簡単に片腕で持ち上げてしまった。
無造作に振り上げた腕、次の瞬間には天使は突っ込んだ建物もろとも吹き飛ばされていた。
うわぁ、意外とワイルドだ。
ただ掴んで殴るという技巧もクソも無い、文字通りの力技であった。
「全く、とんだ肉体労働だよ」
嘆息と共に動いたブラドさんがよろめきながらも立ち上がりつつあった天使に駆け寄る。
姿勢を落とした、獣そのものの疾風のような速さ。
顎を打ち上げ、身体の伸びきった天使に拳を何度か入れるとおまけとばかりに最後に長い足を振り下ろし踵を入れる事で地面へと叩きつけていた。
普段の様子からは想像も付かないような流れるような蓮撃。
力のクロノア君と技のブラドさんであった。
「ブラド、お下がりなさいな」
クロノア君とブラドさんの攻撃の間にいつの間にやら魔法を完成させていたらしい。
天へと掲げたマリーさんの手には紫電の光。
そのまま天使へと向けられた手の平から放たれた雷は刹那の間、周囲を真白に染め上げた。
「
目がチカチカした。辺り一帯にジジ、ジと帯電する光。
マリーさんの放った魔法の威力は相当な物だったようだ。
天使が居たあたりの建物は融解している。焦げ臭い。
ブラドさんが服が焦げたと文句を言っていた。
放っとこう。
しかし雇っておいてなんだけれども…これほどとは思わなかった。
これは如何な天使とはいえ…やっつけちゃったのではないだろうか?
「さて、これほど手ごたえが感じられないとは些かショッキングだね」
ほほう、余裕を感じられる台詞だ。
今ならブラドさんでもかっこいいと感じられるぞ。
「仕方ないわ。防御障壁の一つも抜けなかったもの。この姿とは言え本気を出したのだけど」
ん?
「…………」
あれ?
「さて、どうやって逃げようかしら?」
「策を弄した程度で逃げられればいいが」
………んんん?
「なんて顔をしているのクーヤ。」
髪の毛をしゃなりと掻き上げるマリーさんは実にいつも通りの余裕顔だ。
その余裕顔のまま、私に軽い調子でおっしゃったのであった。
「何か天才的な策でもおだしなさいな。この場から逃げ切れるとびきりの案を」
無茶をおっしゃらないでほしいものだ。
融解した建物、そこには―――――――――天使が先ほどと変わらず、無傷と言って差し支えない姿で立っていた。
叫んだ。
「にに、に、逃げるってならなにゆえこの街に!?」
普段ほどの余裕はなかったものの、ものすんごい普通な態度でこの街に入ったというのに。
まさかの逃亡宣言であった。
「まさかこれほど手も足もでないとは思わなかったのでね」
「と言うよりも…狙われるとは思わなかったわ。確認だけするつもりだったけれど…辺りにも人は居るでしょうに…視界に入る前からこちらを見たわね」
「クレヤボンスか。こちらの何を見たのやら」
…そう言えばさっき見られているような感覚があった。
あれか。
透視能力とは…。
となるとどうやらあの天使の探し物は真面目に私のようだ。
どうしよう…。
「あわわわわ…!こ、この三つ目小娘を差し出して許してもらうのよ!」
「う、裏切り者ー!」
引っつかんで絞めた。
「そういえばこのおチビはレガノアの粛清対象だったな」
「どうやら本当にクーヤを探してここに来たようね…となれば、やる事は決まりね。ここで良かったわ。他の場所ならどうしようもなかったもの」
「誰が抱える?」
「足の速さだけなら貴方、と言いたいけれど」
「逃げるだけならいいがね。私が撹乱、クロノアが殿、マリーの能力頼りだろう。結界もマリーしか張れん」
「それが一番ね」
なにやら話が進んでいる。
何故だ、何故に皆してこっちを見るのか。
見ないでエッチ!
「クーヤ」
「あい」
「この街の結界を消せば一番楽だけれど…まだ住人も居るし何よりこの結界は今は張りなおす事はできないの。
だから貴女のお仕事は囮。わたくしが貴女を抱えて逃げるわ。そして追って来た天使を結界外へ誘き出す。
あの様子なら10分持たせれば消滅するわ。そうなればわたくし達の勝ちよ」
ですよねー…。
倒せないとくれば勝手に消滅してもらうしかない。
だが結界が張ってあるこの街ではそれも出来ない。
誰かが結界外に叩き出すか誘き出すしかないのだ。
そしてこんな街の中心から叩き出せるはずもない。
天使は私だけをじっと見ている。
他の誰が逃げようと目もくれないだろう。
だが私が逃げればまず追ってくる。
残された道は最早一つしかなかった。
「…あい」
がっくりと項垂れながらしょんぼりと頷いた。
事ここに至っては腹をくくるしかない。
一番前にのしのしと歩いて出て天使の前にずんと居座る。
腰に左手を当てビームでも撃つかの如く天使を右手の指で差し高らかに宣言した。
「やいやいやい!そこの天使!遠からんものは音に聞け 、近くば寄って目にも見よ!
プリティーラブリーピュアピュア暗黒神アヴィスクーヤちゃんとは…このォ私の事ッ!!」
私の事、のあたりで天使に向けていた指を返し親指でビシッと自分を差した。
後ろでブラドさんがよく舌が回るなと呟いていた。
「ここはもう私が住んでるんだもんね!私が決めた私の土地!ここら一帯を地獄としバナナミルクの池に沈めてやるのデス!
レガノアなんてお呼びじゃないのデス!!とっとと尻尾巻いて帰るのデース!!」
言いながら後ずさりしてそそとマリーさんの影に隠れた。
「言っている事とやっている事が違うのよー」
「うるさーい!」
ブースカとカナリーさんに抗議しながらもマリーさんの影からは出ない。
天使のほうを見やれば…どうやら怒り心頭のようだ。多分。
今にも突撃してきそうだ。
マリーさん達も分かっているだろう。
お互いに隙を探りあう無言の睨み合い。
ピンと張られた緊張の糸、意識の膨張する瞬間。
何時間も経っているかのように感じられたが実際には数秒かもしれない。
糸を切る僅かな動き、先に動いたのはどちらだっただろう。
止まっていた時間が一気に流れ出す。
マリーさんの柔らかな手が私の手を握った。
轟音。
ブラドさんが突っ込んできた天使を壁に叩きつけたらしい。
クロノア君とブラドさんの姿が冗談みたいな速度で遠ざかっていく。
「…!!」
翔ぶような速さでマリーさんに腕を引っ張られ路地を抜ける。
というか半ば飛んでいる。
全ての推進力を前へ。高さと距離の天秤をギリギリまで傾ける。無駄なロスを避け地面スレスレをマリーさんは飛翔する。
マリーさんが地を蹴る一歩毎に手前の風景が後ろへと一気に流れていく。
後ろでは建物が崩れるような音がひっきりなしに聞こえてくるが二人は大丈夫だろうか。
「は、はやいのよー!!」
カナリーさんはこっちに着いてきているらしい。
直ぐ傍で必死に羽根を動かしている。
「ちっ!」
マリーさんらしからぬ舌打ち、何が起こったのやら気付けば目の前に天使の姿。
建物の壁を破壊して突っ切ってきたらしい。
握られた手を強く引っ張られた瞬間、テレポートでもしたのかと思った。
こちらへと手を伸ばした天使をマリーさんは避ける事もせず、ぶつかるかと思った瞬間、視界が一瞬だけ閉ざされ気付けば天使は何故か後ろに居たのだ。
まるで幽霊みたいにすり抜けたかのようだった。
バサバサと周囲を飛ぶコウモリ、まさか今のはコウモリ化だろうか?
手を握る私までコウモリになってしまったのか。
そういえばマリーさんの服もコウモリ化するしマリーさんに触れていればコウモリ化に巻き込まれるのかもしれない。
ブラドさんのマリーの能力頼り、というのも頷ける話だ。
後ろから再び建物の倒壊音。
ちらりと見えたのは天使を蹴り飛ばすクロノア君だった。
二人ともああやって時間を稼いでくれているのだろう。
あれで追いついてくる天使が可笑しいのだ。
「ひええぇぇぇぇぇえ!!」
そこからはもう凄まじかった。
マリーさんは吸血鬼の能力をフルスロットルだ。
そこらの絶叫マシンなどもはや敵ではない。
時速何十キロだこれ。
少なくとも生身で出していい速度ではない。
速度が落ちるのを惜しんだのか曲がり角に突き当たれば僅かな時間だけ霧化して身体ごと曲がる手間を省く。
バカみたいに狭い路地をコウモリ化で無理やり潜り抜け、高い壁に覆われた行き止まりを獣化して飛び越える。
時々目の前に現れる天使はマリーさんの能力ですり抜けるか横合いからブラドさんかクロノア君が出てきて吹き飛ばした。
「ちょ…っ!こ、こわいのよーっ!」
カナリーさんは自力で追いつくのを諦めたらしい。
私の肩に必死にしがみ付いている。
というか私も怖い。
どんな恐怖のアトラクションだ。
「クーヤ、結界の外に出るわ!」
「はいぃぃ!!」
もう好きにしてくれと思った。
雑多な街を抜ける。
私達は躍り出た。
死霊の支配する荒野へと。
背後を見れば天使もまた私達の後を追って荒野へ出てきている。
ここからあの天使が勝手に消滅してくれるまでここで耐えねばならないのだ。
速度を落とす事無くマリーさんは駆ける。
…が、障害物がなければ天使が追いついてくるのは時間の問題だ。
「マリー、結界を二つくれたまえ。そろそろ天使が来る」
「もうかしら?追いつくのが早いわね」
「天使が相手ならば十分に稼いだほうだろう」
いつの間にやら隣にブラドさんが追いついていた。
さすが人狼、めっちゃ早い。
マリーさんから生まれた輝くコウモリがブラドさんに引っ付く。
「後は三人で撹乱の一手だろう」
「そうね」
言うが早いか、二人は走るのをやめ、ずざざざと土煙を上げて急ブレーキしつつ、追ってくる天使へと向き直った。
マリーさんが手を握っていてくれなければ慣性に従い多分ぶっとんでた。
というかそれでも肩が抜けるかと思った。
カナリーさんも私にしがみ付くのに必死だ。
向かってる天使に向けてマリーさんが手をかざす。
周囲に紫の光を放つ魔方陣。
「
奔る閃光。僅かに足を止めた天使、それに追いついたクロノア君がブラドさんが投げたマリーさんの結界コウモリを受け取りつつ天使を殴ってぶっ飛ばした。
やはりダメージは無いようだ。
すぐさま起き上がってこちらへ向かってくる。
一途なのは嫌いではないがしつこいのは嫌いである。
「ブラド」
「分かった。そのおチビを寄こしたまえ」
目の前まで迫ったところでマリーさんに投げられた。
ブラドさんに荷物の様に担がれてしまった。
迫り来る天使に向かってマリーさんが再び雷撃の魔法を放つ。
天使は気にした様子もなくターゲットをブラドさんへと変えた。
「モテモテでよかったではないか」
「いるもんか!」
天使の攻撃からブラドさんはお手玉の様に私を転がし庇いながら後ろへ下がる。
ぐえ、ぐえ、目が回ってきた、やめろー!
「クロノア!」
「…………」
庇いきれなくなったと見るやクロノア君に放り投げられた。
片手でお人形持ちをされた。
ブラドさんよりはマシな持ち方であろう。
というかこれは…。
足手まといがなくなったブラドさんは天使に何度か攻撃を加え、こちらから反対方向へ蹴っ飛ばして距離を稼ぐ。
その間にマリーさんがこちらへと距離をつめてきた。遠くもなく近くもなく絶妙な距離。
恐らく次なるターゲットにされるであろうクロノア君が私を庇いきれなくなったら私をマリーさんに投げるのだろう。
…まさかこれでチクチクジワジワと時間を稼ぐつもりか!
なんて姑息な!
「卑怯なのよー…」
カナリーさんも渋い顔だ。
確かに卑怯だこれ。
私と言う完璧なる骨っこを追いかける犬、もとい天使。
軽い集団によるいじめに近いのではないのだろうか。
予想通りこちらへとターゲットを移した天使、その身体は既に溶け崩れ半壊している。
ふしゅるー、ふしゅるーと空気が漏れたような呼吸音には死臭が匂ってくるようだ。
このままいけるだろうか…?
「G…」
天使の周囲に集まりだす光。
「…聖光術か!」
「……GRRRRRRRRRRRYYYYYYYYY!!!!」
天使の奇怪な叫び声に大気が震えた。
これは…ま、まずいのでは!?
「カナリーを忘れて貰ったら困るのよーっ!」
肩で小さな妖精が対抗するかのように吠えた。
カナリーさんみたいなちっこい妖精になにが出来るっていうんだい!
「水よ!集え震え満たせ!!」
カナリーさんの声に呼応するかのようにこの雨なんて降りそうもない大地だというのに巨大な水塊が現れる。
ドプンッとそのまま天使を包んでしまった。
「おおう!?」
すごい!
カナリーさん、いや、カナリー様!
バカにしてごめんなさい!
水の中に閉じ込められた天使に集まっていた光が四散した。
「ほう、天使の歌をこのような形で封じるとはな」
「一瞬だけなのよー」
カナリー様の言うとおり、水の中に閉じ込められていた天使はあっさりと出てきてしまった。
「詠唱キャンセルなど十分な効果だ」
「往生際が悪くてよ!」
マリーさんの強烈な素晴らしいキック。
どうみても魔法系のお人なのに何故に最後はキックなのか。
…だが天使にはその僅かな時間が最後だったようだ。
グズグズと崩れていく身体。
こちらに向かおうとしてはいるものの、脚、腰、徐々に崩れてゆき最後に残った頭もやがて真っ黒な泥へと変わってしまった。
ぶつ、ぶつと泡を噴く黒い泥は少し前まで天使だったものとは思えない。
天使の残骸を四人で眺めている内に、段々と実感が湧いてきた。
…天使をやっつけたのだ。
「ほへぇぇえぇぇ…」
思わず安堵の息をついてしまった。
全く、なんて濃ゆい一日だ。
疲れた。実際には疲れやしない身体だというのに非常に疲れた。
「今日はとんでもない大冒険なのよ~…」
騒がしいカナリーさんもぐったりとしている。
ブラドさんも心なしか疲れているようだ。
クロノア君は…わからん。
マリーさんはいつもの様に優雅にスカートを直している。
「さ、戻りましょうか」
「はぁい」
「やれやれ…」
「………」
パキポキとブラドさんが伸びをする横でクロノア君が頭のネジの調整をしつつ腕の調子を見ているようだ。
マリーさんもあちこち煤けている。
よく見れば全員結構ボロボロだ。
しかし皆大きな怪我もない。
本当に良かった。
巻き込んだのはこちらなので無事でいてくれて嬉しい。
まさか天使があんなに強いなんて思わなかった。
…これにて一件落着、これより街へと帰還し美味しいご飯を食べるべきだ。
今日は皆に私が美味しいお酒を奢ろうではないか。
大地を吹き抜ける風が心地よい。
空を仰げば雲があっという間に形を変えて流れていく。
上空にも強い風が吹いているのだろう。
…さぁ、帰ろう。
振り返って、気付いた。
マリーさんも流石に嫌そうなお顔である。
「…この距離を歩いて帰るのは大変そうなのよー」
皆様の全力疾走のおかげであろう。
街は遥か遠くに霞み、豆粒のようなサイズであった。
全員が全員、ため息を付いてしまったのは仕方の無いことであろう。
…ハァ。
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